45. 是が非でも
レインはベッドの中で目を覚ます。
夜の報告からは6時間程経った頃だろうか。
とは言え今はソールであり、今日は始まったばかりである。
深夜とも言える時間に目を覚ましたルースは、まだ今日の行動を決めあぐねていた。その為少しでも解決策を探せるように、この時間に起き出したのだ。
解毒薬の準備、第一騎士団が帰還してくるまでの対応、そのどちらを取ってもレインは解決方法が見えていなかった。
しかし、ソールで初めにする事は決まっている。
ルーナでは結局色々とあった為にロイに相談する事は出来なかったものの、真っ先に今日起こる出来事をロイに知らせるつもりだった。
だがいくらロイとは言え、今回の事はどうする事も出来ないだろうとは思っている。レインだって今日は郭壁の上で監視の任務がある為、まだ何も起こっていない出来事の為に任務を放棄する事もできないのと同じく、ロイも近衛の任務がある訳で、いくら近衛の上位職であったとしても、急な予定変更など気軽に出来るはずもないだろう。
だがせめてロイがクルークを使い、ジョエル達に毒の事を知らせてくれないだろうか。もしもそれで少しでも早く王都に帰還する事が出来れば、助かる見込みはあるだろう…という、一縷の望みを込めた行動でもあった。
(結局、他人に頼る事しかできないのか…)
一番良い方法は、レインが動けば済む事だ。
これから起こる出来事を知っているレインが医術局にある解毒薬を持って、遠征中の第一に合流出来れば良い話だ。更に毒の危険性を知っているレインが、その魔物と戦闘中、もしくは戦闘前に合流出来れば一番良い。
しかしレインは王都を離れる口実を持ち合わせていない為、それは叶わないと言える。
(もしそれが可能だとしても、馬を出す理由がない…)
レインが第一に合流する場合は当然馬で向かわねばならないが、その馬もしっかりと管理されており私用での利用は禁止されている。それゆえ任務などの理由がなければ、馬を出してはもらえないのだ。
レインも馬には乗れる。騎士団に入る為には馬にも乗れねばならないゆえに、士官学校では必須項目であったからだ。しかし今は、馬に乗れるか以前の問題なのである。
休む口実、薬の準備、馬の使用。
これらが引っ掛かり、レインは身動きが取れなかった。
(どうなるにしても、まずは急いでロイに知らせなくては…)
こうして思考に沈みながらも、レインは大きめのメモに今日起こる出来事を記入していく。
これを端的に書くのは難しく、少し長くなってしまったが仕方がないだろう。
その内容とは、今遠征中の第一騎士団が朝方、王都より約20kmの地点でバジリスクという魔物と対峙する事。そしてその毒が特殊であったが故に、そこで毒を受けた10名が王都に到着する2時間前に命を落とす事。ただしこの帰還が間に合ったとしても、医術局にある解毒薬が保存サンプルという貴重品であり、薬を使用する為には医術局長の許可がいる事。それはどれも時間との戦いであるものの、レインが勝手に動く事もできないのだと。
何度か読み返して頷いたレインは、まだ真っ暗な外に向かい魔力を込めてクルークを呼び出す。
その魔力は文字の量を踏まえ、いつもより多く魔力を込めた。釣りは取っておけというくらいには。
そしていくらも経たずにやってきた色鮮やかな魔鳥は、レインが出した腕に当然の様に舞い降りてきた。
「悪いな、こんな時間に呼び出して」
『クルッ』
魔鳥は夜目が効く為、いつ呼び出しても問題はないとロイからは聞いていたが、労いの言葉は必要だ。
「今日は大変な一日になるんだ。大至急ロイに知らせてくれ」
と今し方したためた手紙を、クルークの前に差し出した。
『クルルッ』
分かっているとでも言うように、クルークはその手紙を銜え溶かしていった。
今の時間ではまだロイは寝ているであろうが、きっとクルークが行けば気付いてくれるはずだ。
ソールでの最悪の事態を免れるようにと願いを込め、レインはクルークを送り出すのだった。
それからレインは身支度を整え、静かに部屋を出る。
寄宿舎の廊下は静まり返っており、皆はまだ寝ているのだろうと気配を押さえレインは動き出す。
見慣れたはずの廊下はしんしんと冷え込み、レインは身震いする。
その震えが寒さによるものなのか、それとも今日の出来事を悼むがゆえなのかは本人にも分からない。
レインが唯一、今日を知る者として何らかの行動を起こさなければ、身震いだけでは済まされない事になるだろう。今日人が死ねば、もうレインにさえどうする事も出来ないのだから…。
しかし思考は空回りし、物思いに耽りながらもその足は自然に騎士団棟へと向かっていた。何かしなければという思いだけで、レインは今、動いているのである。
(俺はどう動けばいいんだ…)
肝心なところが見えてこない。と、そんな事を考えた時だった。
― バサッ バサッ バサッ ―
鳥の羽音が聴こえ、レインは思考を中断して視線を上げる。
すると騎士団棟へと続く渡り廊下から見える暗い空に、辛うじて華やかな色の鳥が飛んでくるのが見えた。
(クルーク?)
先程放ったクルークが舞い戻ったのかと、レインは立ち止まり腕を伸ばす。
そして舞い降りてきたクルークを、レインは覗き込んだ。
「ロイには届けてくれたか?」
『クルッ』
勿論だ、とでも言いたげに胸を張るクルークに、レインはひとつ肩の荷を下ろした気分になる。
「ありがとう。それで?」
戻ってきた理由を聞けば、クルークはロイの声で話し出した。
『報告は受領した。レインはすぐに城の医術室へ向かってくれ』
それだけ言ったクルークは、静かに嘴を閉じる。
「……城へ行け、か。何が出来るか分からないが、取り敢えず指示に従ってみるか…了解した」
独り言ちたレインは伝言を届けてくれたクルークに魔力を与えると、礼を言ってクルークを見送ったのだった。
こうして目的地を変え城へ向かったレインは、側面にある通用口から入り医術室に向かう。
城の正面玄関は、夜間には閉ざされているのである。
そして、辿り着いた医術室の扉の前でレインは立ち止まる。
入室の為に中の様子を窺えば、室内からは数人が動き回っている気配を感じた。
(もう何かあったのか?)
今日は、こんな夜中からも怪我人が出ていたとは知らなかった。昼間の出来事しか念頭になかったが、夜勤の者が怪我でもしたのだろうかと医術室の扉の前で姿勢を正し、慎重にその扉を叩く。
コンッ コンッ コンッ
レインがノックすれば中の気配は一層慌ただしいものとなり、レインは小首を傾げて応答を待つ。
(ロイの指示で来てみたが、俺が入ったら邪魔になるのではないか…?)
「どうぞ」
少し間があってから、返事が返ってきた。
もし医術室が忙しいのだとしてもレインも引き下がる訳には行かず、レインは躊躇う事なく入室した。
「夜分に申し訳ありません。失礼いたします」
挨拶で下げた頭を上げてみれば、そこにはルーナで見かけた黒髪のフイリップ・ルガータと、もう一人知らぬ顔の、少し小太りな50代位の男性が立っていたのだった。
軽く見回しても室内にはこの2人しかおらず、どうやらこの2人が忙しく歩き回っていたようである。
「君が、第二騎士団のレイン・クレイトンか?」
小太りな男性が、いきなりレインの名前を出した。
「え…はい、そうです」
レインが戸惑いつつも答えれば、何故だか目の前の二人が安堵の息を吐いた。
なぜそんな対応をされたのかは分からないが、自分はロイの指示でここにきたのだから、ロイがここに来ることを彼らへ伝えてくれたのだと思い至って、取り敢えず納得する。
そしてレインが立ち尽くしていれば、小太りの男性から包みを渡されたフイリップがレインに近付く。
「これが用意したものだ。1つたりとも無駄にしないでくれ」
とレインにその包みを渡し、そう言い添えて下がって行った。
「え?」
だが手渡されたレインは、これが何であるかを知らないのである。
「あの……これは何ですか?」
恐る恐る聞くレインに目の前の二人は目を見開き、明らかに驚いた顔をしていると分かった。
「君はこれが何かを知らないで、受け取りに来たのか?」
その質問には「はい」と答えたいところである。実際ロイにはここに行けと言われただけで、何かを受け取れとは指示を受けていなかったのだ。
だがここでそれをいう事も憚られ、レインは両手に乗る包みを見下ろした。
「……それは“バジリスクの解毒薬”だ」
「えっ…」
流石のレインもその言葉に驚く。
その薬は、医術局長に許可をもらわなくてはならないはずの薬で、この部屋には置いていないと聞いていたものだ。
「なぜここに…」
「それはここに持ってこいと言われたからだ。貴重なサンプルであったのだが、出せと言われれば出さざるを得ない」
そこで自分は医術局長であると名乗りつつ、不満気に小太りの男性が言った。その男性をよく見れば額に汗を浮かべており、しきりにハンカチを顔に当てて拭っていた。こんな時間に慌ててこれを探し出してきたのだろうと、そこで理解するレインである。
「君には伝言がある。それを持って“厩舎に行け”、だ」
「え?!」
局長が続けた言葉に、レインは瞠目する。
ロイは医術局長に、レイン宛ての伝言まで頼んでいたようだった。
(局長までこき使うとは、なんて人使いの粗い…)
レインは天井を仰ぎ見ながら、そんな事を思うのだった。




