42. 最善を尽くすため
「俺は、怪我人が出たくらいだと…」
レインが想像していたもの、それでも大変な事だ。
「私もまさか、死者まで出るとは想像だにしなかった。第一は精鋭揃いだ。余程の事がない限り、今まで死者まで出したことはないと聞いていたからな…」
唖然とするレインに、ムルガノフは苦渋の滲む視線を向けていた。
「これは…俺が…聞いてしまって、良かったんでしょうか?」
「それは問題ない。この後、黒騎士団員全員に通達が回る事になっている。今レヴィノール団長が班長を集め、話しているはずだ」
「そうでしたか…」
「それに、クレイトンはジョエル殿の事があったからな。先に無事を知らせておいたのだ」
「……ありがとうございます……」
しかし父親が無事と聞いても、レインは素直に喜べなくなってしまった。
第一と言えば魔物にもひるまぬ精神と、魔法や剣技など腕に自信を持つ者たちの集まりだ。決して第二が軟弱という訳ではないが、やはり魔物と常時戦う気構えが出来ぬ者もいるし、レインの様に王都を護りたいと考えるものが第二に配属を希望している傾向にあった。
そんな心技体を兼ね備える精鋭揃いの第一が、どうしてそんな事になったのか…。
「今回は、不運が重なったとしか言えなかったようだ…」
「それは、どういう意味ですか?」
そんな言葉では済まされないだろうと思いながらも、レインは尋ねる。
「話では遠征の帰路、猛毒を持つ魔物が急に現れたという事だ。それに対処するべく戦闘が始まったのだが、そこで毒を受ける者が出てしまった」
「え? でも、毒消しは持っていたんじゃ…」
「普通の毒であれば、な」
ムルガノフがわざわざそういう言い方をするのであれば、騎士団が常時携帯している解毒薬では効果がない毒だったという事なのだろう。
「そんな…」
「その上、連絡で使っている魔鳥もその戦闘で負傷してしまったらしい。それでも魔鳥は力を振り絞って城まで伝言を届けたようだが、時間が掛かり過ぎてしまった事で我々の対応も後手に回ってしまったのだ」
そう言ったムルガノフは、静かに目を閉じてから続ける。
「王都目前…到着2時間前に、毒を受けた団員10名が命を落としたそうだ…」
目を見開き動きを止めたレインと、目を瞑り、まるで彼らの冥福を祈っている様に静止するムルガノフ。
その2人が居る室内に、暫しの沈黙が下りる。
王都目前までは苦痛に耐えつつも命までは無事だったはずの者達は、薬が間に合わずに命を落としたという。
その伝言を運んでいたであろう魔鳥を、レインは何気なく見送っていたのだ。
それが負傷していたと聞かされれば、確かにあの魔鳥は飛び方がおかしかった。上昇と下降を不安定に繰り返しつつ、最後は城内に落ちるようにして飛び込んで行った。それを見てもレインは何も気付かず、のほほんと任務に就いていたのだから悔やんでも悔やみきれなかった。
ギリリと唇を噛むレインに、目を開いたムルガノフの視線が向けられる。
「クレイトン、我々ではどうする事も出来なかったのだ。しかし今回の事を教訓として、我々が彼らの死を無駄にせぬよう万全の態勢を築き尽力して行かねばならぬ」
「……はい」
「それに今回の毒は、医術局でさえ所持が希少な毒消しでしか対応できなかったと聞いた」
「…?」
医術局と言えば、市販の薬から最先端の研究で作られている薬も所持していると聞いている。その医術局ですら殆ど在庫していない毒消ししか効かぬ毒とは、一体何の毒だったのか…。
「もう一つの不運といえるその対峙した魔物は、バジリスクであったらしい…」
「バジリ…スク…?」
「ああ。クレイトンは、バジリスクを知っているか?」
「いいえ…」
レインも、入団一年目に魔物の勉強をした。
それは王都周辺にいる魔物と対峙するにあたり、魔物の種類や急所、そしてどのように戦えば良いかを学ぶものである。しかしその中にバジリスクという魔物はなかったはずで、その為レインはその名前すら知らなかったのだ。
そう考え、無知である事にレインが恐縮すれば、ムルガノフは何事も無かったように話を続けた。
「そうか。バジリスクという魔物は、数百年に一度程しか姿を目撃されないとされているものだ。私も文献などでしか見た事はないが、その姿は大蛇の様であるとされるも実態は不明であり、その毒に至っては普通の毒消しでは解毒できないと書かれていた。そうなるともう、通常の魔物とは言えぬ。知らなくても当然だろう」
レインには、ムルガノフが言っている意味が全く分からなかった。
(数百年姿を見せない魔物? 特殊な毒? なんだそれは!)
「その為バジリスクの毒に対する解毒薬は、医術局に保存サンプルとして置いてあった物しか残っていなかった。それが残り十数人分」
「―?!― でもそれがあったのなら、間に合っていれば…」
レインは言葉を詰まらせ、唇を噛んだ。
「レイン・クレイトン」
その呼びかけに落としていた視線を上げれば、ムルガノフはレインを真っ直ぐに見つめていた。
「先程も言ったように、これは我々にはどうする事も出来なかった事だ。今をやり直す事が出来るならばまだしも、出来ない事を考えても仕方がないだろう。それゆえ我々はこの先にある困難に立ち向かう為、彼らの死を無駄にしないようにするしかないのだ。後ろを向くのではなく、未来に目を向ける。それが、残された我々に出来る事ではないのか?」
ムルガノフ副団長が言う事は正しい。そして何一つ間違ってはいない。
だがレインには思うところもあって、素直に頷けない部分があるのも事実である。
「……ムルガノフ副団長」
「なんだ?」
「ひとつ聞いても良いですか?」
「ああ」
レインは姿勢を正し、ムルガノフに向き直る。
「第一は、どこから帰って来ていたんですか?」
「それを聞いてどうする」
ムルガノフの眼光が鋭く光る。
「………」
どうすると聞かれても、レインは説明が出来ない。
もし戻ってくる場所が分かれば出来る事もあるのではと思って聞いた言葉だが、レインはその答えをムルガノフに話す事はできないのだ。
黙り込んだレインに、ムルガノフは眼差しを緩めた。
「クレイトンはもう戻れ。これから班長にも呼ばれるだろう。今日は無駄な事は考えず、ゆっくり休むと良い」
「……はい」
こうして執務室から出たレインは、落としていた視線を上げ歩きはじめる。
事情を知るムルガノフからは聞きたい事が聞けなかったが、レインにも他に出来る事はあるはずだと気持ちを切り替える。
走り出したレインは、騎士棟の廊下を抜けて一気に階段を下って行く。
そうして目指す方向に踵を返せば、そこでレインを呼び止める声が聞こえた。
「レイン!」
振り向いた廊下の先、そこにはギルノルトが立っていた。
「ギル…」
今日の任務が終了すると同時に飛び出したレインは、ギルノルトにさえも声を掛けずに戻っていたのだ。
ギルノルトはレインの傍に歩み寄ると、心配そうに顔を覗き込んだ。
「何かあったのか?」
その言葉に、ギルノルトはまだ班長から話を聞いていないのだと知る。
「第一の件で…」
「第一? クレイトン中隊長に何かあったのか?」
あの時レッド班は隔壁の上、レイン達はたまたま郭壁の大門近くにおり第一騎士団達が戻ってくるところが見えていた。
しかしギルノルトは、そのタイミングでは見えていなかったのだろう。この会話からでも何も知らないのだと分かる。
「後でちゃんと話すが、遠征から戻った第一に問題が起きていた。それはすぐにギルも班長から聞く事になると思うが、俺は父親が心配で先に話を聞きに行ってきたんだ」
「第一に問題?」
「ああ……殉職者が出たようだ」
「まじ…か…」
小声で話すレインに身を寄せるように聞いていたギルノルトが、一歩下がるように動いて瞠目する。
「…レイン、お前今日は?」
「ルーナだ」
ギルノルトの言いたい事はわかるが、まだ現時点ではレインに出来る事があるのかすら分からない。
「その件で、俺は今から城に行ってくる」
「城?」
「ああ。俺にも出来る事があるかを、確認する為にな」
そう言ったレインは今出来る事の最善を尽くすため、ギルノルトと別れて王城へと駆け出して行くのであった。