25. 気付かれぬ常連
そうして季節は移り、木々の葉が赤や黄色に色付きはじめた頃、レインは一人休暇の日を過ごしている。
今日は1度目であり、いつもの様に街に出て情報収集をしているレインである。
曇り空ゆえか、少し冷たくなってきた風が山から吹き抜けて行くたび、人々は上に羽織った丈長の上着の襟元を合せ、寒い寒いと言いながら通り過ぎていく。
レインもご多分に漏れず、厚手のシャツの襟を立てて足早に歩く。
時刻はもう既に夕方になっており、レインは1度目の日に通っている酒場に身を滑り込ませた。
その酒場は“つどい亭”という。
「いらっしゃいませ。空いている席にどうぞ」
店内を歩き回っているエプロン姿の給仕の女性が、いつもの様に笑みを乗せて言葉を紡ぐ。
彼女はローラという名前だ。桃色の長い髪をポニーテールにしており、いつも体の線を強調するようなピッタリした服を着ている事もあって、レインは目のやり場に困る事もある。その上胸も大きいため酔っ払いに絡まれる事もあるが、そこは常連客が助けに入るので問題はないらしい。
因みに、常連になると名前で呼び合い世間話が始まるのだが、レインはいつまで経っても常連にはなれないのだと苦笑を浮かべ、いつもの様にカウンター席の端へと腰を下ろした。
今日は店内が少し混んでいるらしい、とレインは振り返ってざっと店内を見回す。
まだ夕方であるにも関わらずテーブル席の八割ほどが埋まっており、既にほろ酔い気味な者も多いようだ。
「お客さん、ご注文は?」
いつの間にかカウンターの中に彼女が立っていて、レインに声を掛けてきた。
「ああ、すみません。エールと串肉のタレ3本、素揚げ豆とスライムもどきを」
「あっはい。すぐにお持ちしますね」
レインがメニューも見ずに注文をする為か、少々驚いた顔をするのはいつもの事だ。レインはお気に入りの定番料理を待ちながらゆっくりと目を瞑り、さっそく周りの音に集中する。
「―いやぁ今日の親方は機嫌が悪かったなぁ~参った参った」
「ほんとだぞ。気分で下に当たるのは止めて欲しいわい」
「―急に寒くなっちまったな。明日も寒そうだ」
「そろそろ厚手の服を用意しないとなんねーな」
「―またパンの値段があがったらしくてよお」
「ん? あぁうちのかみさんも、文句タラタラ言ってやがったぜ」
「お待たせしました。エールとスライムもどきです」
目を瞑っていたレインがその声で目を開くと、心配そうなローラが料理とエールをレインの前に置いた。
「お客さん、大丈夫ですか?」
「ああ、少し目を瞑っていただけだ。問題はない」
「…そうですか。ごゆっくり」
具合が悪いと思われたのか、ホッとした顔で戻って行った彼女に苦笑して、レインは出されたエールで喉を潤す。次にスライムもどきをフォークで切り分け、ひとかけらを口に放り込んだ。
このスライムもどきという料理は、本物のスライムを使っている訳ではない。レインが最初にそのメニューを見た時、思わずローラに「食べても良い料理なのか?」と聞いた事は既に笑い話である。
本物のスライムは食べられる物ではないからだ。
「皆さん、これに必ず興味を持たれるんですよね」
フフフと笑いながら教えてくれた内容は、裏ごしした青菜と鶏ひき肉を秘伝の調味料で味をつけて形が無くなるまで煮詰めたもので、その脂が冷めて煮凝り状になった物であると教えてもらった。青菜の色が鮮やかに残り、固まった物がスライムの様であった事から、その名前が付いたというこの店オリジナルメニューである。しかも、わざわざ丸くしているのは拘りらしく、見た目はまんまスライムである。
(今日も口の中で溶けるな、このスライムは)
口の中で溶けていく感触が残っているところに、再びエールを流し込む。
(今日も美味いな)
と、取り敢えず小腹が落ち着くまで運ばれてくる料理とエールを味わっていれば、レインの隣に人が座った気配がした。
今日は混んでいるからなと、特に気にせずそのまま一人で料理を堪能していれば、向こうはこちらの料理が気になったらしく、レインは声を掛けられる。
「急に声を掛けて申し訳ないが、その料理は美味しいのか? …いいや、料理として出しているくらいだから不味い訳ではないのだろうが…」
見れば、隣に座った者はレインよりも少し年上くらいの若い男で、一人で来店してカウンターに座ったようだった。確かに一人ならばテーブル席に座ると迷惑になる為、レインと同じくカウンターに座ったのかと納得する。
「これの事か? 色はあれだが、美味いぞ?」
「食べてみるか?」と男へスライムの皿を出してやれば、「それではお言葉に甘えて」と切り分けていたひとかけらをゆっくりと口の中にいれた。
「ああ…食べられるな」
男が独り言ちたところに、注文したものを届けに来た彼女がカウンターの前に立って頬を膨らませた。
「お客さん、うちは食べられない物は出さないし、美味しい物しか出さないんですよ?」
男の前にエールと肉巻き卵を並べると、そう言って腰に手を当てた。
「あぁそれは失敬。すまなかったね」
と笑みを添えて素直に謝る男に対し、彼女は一瞬にして頬を染めると何事も無かったように厨房へと戻って行った。
レインはそんなローラと男を視界に入れ、イケメンは得だなと思う。
この男は格好こそシンプルな服を着ているが、その服には汚れもなく質が良いものだと分かる。そして薄紫の髪は綺麗に整えられ、店内の明かりを受けて輝いて見えた。そしてキリリとした眉にパッチリとした眼は紺色。唇さえも艶々と輝いているように見え、こういう男をイケメンと言うのだろうと改めて思ったレインである。
「急にすまなかったね。私はロイという者だ」
と自己紹介をするロイにレインも名乗り返し、早速来たエールで2人はひとまず乾杯をした。
「そっちの串は何だい?」
「これはボアの肉だ」
「魔物のボアか?」
「ああ。こっちも食べてみるか?」
「…いただいてみよう」
レインが注文したものに興味を示したロイが、その料理をおっかなびっくり食べていく様は、落ち着いて見えても子供の様で、こっそりとレインは笑みを浮かべる。
話し方はかしこまっているが、面白そうなものに目をキラキラさせている彼は思いのほか楽しそうだ。
自称常連のレインは、今日このロイを初めて見た。
多分ロイは貴族なのだろうと思う。話し方もそうだが、醸し出す雰囲気がそう思わせるのだ。
レインは貴族と関わる事はない為ロイがここに来た理由はわからないが、貴族もたまには息抜きでこんな店にくるのか、と一人考察するレインである。
酒の席でもあるし本人は隠している様なので、ここは気付かぬふりをするのが暗黙の了解だろう。
こうしてレイン達は互いの料理を提供し合い暫くは料理の話で盛り上がるも、話はいつしか互いへの質問に変わって行く。
「レインは何歳だ?」
「俺は20歳だ。ロイは?」
「私かい? 私は23だね」
「やっぱり年上か…」
「どう見ても、レインより年下には見えないだろう?」
「いいや、もしかしてという事もある…?」
「「………」」
「ククク」
「ハハハ」
ひとしきり笑ったところでもう一度乾杯をして、レイン達はエールをお代わりするのだった。
「不躾かもしれないが、君のレインという名前は、もしかして雨の日に生まれたからなのか?」
今度はレインの名前に興味を示したロイが、エールを含んで口角を上げる。
レインは雨という意味がある。レイン自身、子供の頃にはその名前で揶揄われた事が何度かあり、その度に名付けた父を恨んだものだが、今はこうして話しのネタになっていると喜ぶレインだ。
「残念。はずれだな」
「そうなのか? それはそれで興味を引くな」
「最初は俺すらも雨の日に生まれたからだと思っていた。だが納得できずに父に文句を言ったんだ。あ、俺の名前を付けたのは父なんだ」
「父親が名付けるのは、一般的といえるだろうね」
そうだなと頷いて、レインは話しを続けた。
「名前のせいで、雨が降ると揶揄われる事が多々あった。まぁ小さい頃だったし、言っている奴らも悪気はなかったんだろうと今なら思うが、当時は…な」
「自分も子供ならば、確かに少々しんどいな」
「ああ。それで父に文句を言った。なんでこんな名前にしたのかって」
「サンでも良かっただろうに、って?」
「……いや、弟がサニーというんだ……」
「……そうか……」
何とも言えない顔になった2人ではあるが、レインは再び口を開く。
「そうしたら雨の日に生まれたからではない、と言われた。生まれたのは逆の日だと」
「逆…」
「そうだ。どうやら俺は、晴れが続いた日に生まれたらしい。そのまま雨が降らなければ、作物が育たなくなるという位に、な」
「そうか…確か20年前に、日照りが続いた日があったと記録されていたな…」
「そうなのか? 俺はそこまで詳しくはないが、それで俺には“人を潤せる者になれ”という意味で“レイン”と名付けたらしい」
「なるほど…自分が潤うのではなく、人を潤す、か」
考え込むように視線をずらしたロイを、レインは苦笑して見つめる。
「そんなに考え込むことか? そう言いつつ案外、実は後付けだったりするんじゃないかと俺は思っているけどな」
エールをゴクゴクと流し込むレインを、今度はロイが見つめた。
「…という事は、弟君のサニーという名前も?」
「ん~確かサニーの名前は、“人々を明るく照らす者になれ”という意味だったかなぁ」
「雨の日に生まれた?」
「……そうだった…かも」
やっぱりいい加減かもなと笑うレインとロイは、この日知り合ったとは言え歳が近い事もあり話も弾んだ。
それから1時間ほど会話を楽しんでから、店の前で握手をして別れたレインとロイである。
レインの一日目は情報収集の日でもあったのだが、結果この日は“この日限り”の知り合いを作っただけに終わったレインなのであった。




