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114. 発端

 ハイウェルがカップを持ち上げた瞬間、レインはカップ目掛けて小さなナイフを投げた。

 すると甲高い音を立てカップは砕け散り、ナイフは執務机に突き刺さって止まる。


 ― パリーンッ ―

 ― トスッ ー


 毒が入った液体は、割れたカップと共に足元の絨毯へと落ちて行った。


 この男が自ら毒を飲む事は、既に分かっていた。

 そして何より、この屋敷では魔法を使えない事もロイへと相談していたのだ。

 そのため予めロイと話し合ってレインは小さなナイフを携帯し、レインがカップを破壊するという方法を計画していた。


 ハイウェル伯爵が大きく目を見開いて動きを止める中、ロイは目の前に出されたカップを手で薙ぎ払う。


 ― ガチャーン! ―


「貴殿が死ぬのはここではない」

 そう一言だけ発する。

「……なぜ……」


 なぜ知っているのか、それともなぜ止めたのか。どちらの意味とも取れるハイウェルの言葉に、ロイは視線を逸らさずに、真っ直ぐにその目を見詰めて言う。

「なぜ、とは私の言葉だ。なぜ貴殿は、小麦の流通を止めたのだ」

 まずはそこから説明しろと言いたげに、ロイは変わらぬ姿勢のまま問う。


 するとハイウェルは視線を横に反らし、苦々し気に奥歯を噛みしめる。

「それでは殿下はなぜ、私の願いをお聞き届け下さらなかったか……」

 “なぜ”に“なぜ”の疑問を返すハイウェルの言葉は、本来ならば不敬に当たる。

 だがロイはそれを咎めることなく、言葉を続ける。


「その願いとは、何の事か」

 淡々とロイから返された言葉にハイウェルは眉間にシワを寄せ、まるで睨むような視線をロイへと向けた。

「殿下ともあろうお方が、この期に及んでしらを切るおつもりか!」


 ソファーから立ち上がり、拳を握り締めて上からロイを睨み付けるハイウェル。

 それは、王族に対する敬いなど微塵も感じない態度であり、ロイを糾弾するものだった。そもそも言葉の端々からも、貴族としての立場をかなぐり捨てたものだと言えるだろう。


「貴様! 殿下に対して無礼である!」


 それには流石のリーアムも険しい表情を浮かべ、今にも腰の剣を抜きそうな雰囲気だった。

 だがそんなリーアムを見ても、ハイウェルは怒りを鎮めようともせず、かえって怒りを増している様にさえ見えた。

 しかしその2人を鎮めたのは、言われているロイだった。


「ハイウェル伯、貴殿は何かを誤解しているようだ。私は身に覚えのないものを問い返したまで。貴殿の願いとは何の事か、私にもわかるよう説明してくれ。その後で、私も知っている事を話す」


 ロイの落ち着いた声でハイウェルも怒りを抑えつけたのか、肩で息をしながらも再びソファーへ腰を下ろすと、何かを思い出すかのようにギュッと目を瞑った。


「……2年前、妻は呼吸もままならぬ程の病に苦しんでおりました」

 ゆっくりとだが、話し出したハイウェルの声にロイは真摯に耳を傾ける。


「我が領地にいる医者ではもう手の施しようがないと言われ、私は王都へ向けて嘆願書をしたためました」

 そう言って拳を握る手を膝の上で震わせる。

 そうして徐に顔を上げ、ロイを真っ直ぐに見つめた。その顔には怒りよりも悲しみが宿っている。


「地方の一領主である私が王族へ願いを申し上げたその手紙は、厚かましくも私情である事は重々承知の上。それを分かってもなお妻を助けるには、王都の医術局に薬を調合していただくしかなかったのです……」

 視線を落とし肩を震わせるハイウェルは、泣いている様にさえ見えた。


「確かに医術局は流行病に対する薬の研究や、今まで回復が困難とされてきた病を治すため、日夜研究に勤しんでいる。それゆえ年に何度か国内の地に重篤の患者が出れば、原因究明と医術向上を目的として局員がその地に赴く事がある。城でも年に数通はその様な手紙を受け取っている事は、私も知っている」

「それではなぜ、メイオールには来て下さらなかったのか…………」


 悔しそうに口を引き結ぶハイウェルに対し、ロイは感情を表す事無く口を開く。

「私が知る限り、貴殿からの手紙は受け取ってはおらぬ」

 弾かれた様に顔を上げ驚きに見開いた双方の目に、毅然としたロイの姿が映っている。


「先程申したそれらの派遣に際し、医術局員の警護には近衛を手配する。それゆえ、それらの嘆願書は私が必ず目を通すが、私が貴殿から送られた手紙を見た覚えはない」

「うそ……です……」

「私はこの期に及んで、嘘偽りを申す事はないと誓おう」

「ですが私は確かに、傭兵に手紙を託して…………」

「――その傭兵は、帰って来たのか?」

「?! それは……」


 動揺するハイウェルに、ロイは可能性としての言葉を続けた。


「詳しく調査せぬと分からぬが、恐らく、その者が王都へ来たという確証も出ないであろう。その頃には丁度この辺りに、人相の悪い者達がうろついていたと聞くからな」

「…………」


 全てを言わずしても、ロイの言いたい事が分かったのか、ハイウェルの顔色が一気に悪くなった。

 そうして物思いに耽るように視線をさ迷わせて押し黙る。

 それから暫しの後に視線を戻し、恐る恐るという様子でロイを見詰めた。

「殿下にひとつお尋ねいたします」

 先程よりも落ち着きを取り戻したハイウェルに、ロイは鷹揚に頷く。


「陛下が私に盗賊の討伐をお命じになられた事を、殿下は御存知ですか?」

 急に話が飛んだように思うが、ハイウェルには何かと繋がっているのだろう。

 ロイは彼の言う質問に素直に返答する。


「私は知らぬ。だがそれは仮令陛下であろうとも、領地を持つ貴族へ治安に関しての命を下す事はないからだ。それは各々が判断するべき事柄。尤も我が国は国内の治安を維持する為に、騎士団員達が体を張って頑張ってくれている。その彼らに指示をする事はあれど、陛下がその立場を行使し貴殿にそれを命じた記録もない」


 瞠目したまま動かぬハイウェルを見詰める3人。

 このロイの言葉は、ハイウェルの思考を止めるほどまでに衝撃的なものであったらしい。


「――――――それでは今まで私は一体何のために……」

 ハイウェルは背後へと振り返り、肖像画を切なげに見上げた。

「それは、どのような意味だ?」

 ロイの問いかけにも10秒ほど動きを止めていたハイウェルは、その後ゆっくり振り返ると、一気に年を取ったようにげっそりとした表情をロイへと向けた。


 そうして話し出す。

 その話は、妻のエリーヌが風邪を引いた時からにさかのぼる。

「妻は体が弱く、いつも季節の変わり目に体調を崩していました。ですが2年前の冬は回復の兆しもなく、むしろ悪化して行くばかり。医者の薬も効かず、最後にはその者も匙を投げてしまったのです」


 それを聞き自分は王都へ手紙をしたため、医術局を頼ろうとした事。しかし送ったはずの手紙にはいつまで経っても返事はなく、絶望に駆られていたところに商人だと名乗る男が訪ねてきて、薬を出してくれたのだと。


「その薬は病を治すものではなく、痛みを緩和させるためのものでした。それでも妻の顔から苦痛が消えた事で、私はその薬にすがりました……。仮令高額な薬であろうとも」

「その商人とは、以前から面識があったのか?」

「いいえ、その時初めて見た者です。その者が言うには、隣国のヴォンロッツォには薬が豊富に出回っており、痛みや苦しみですら緩和させるものがあると。その者は、そのヴォンロッツォから来たと申しておりました」

「貴殿はそんな怪しい商人から、薬を購入したのか?」


 ロイの指摘に、ハイウェルは泣き出しそうに眉尻を下げた。

「………今考えればそれは軽率だったやもしれません。――ですが、その時はその方法しかなかったのです!」

 ハイウェルは当時の事を思い出したのか、段々と声が大きくなっていく。

「静まれ」


 リーアムの無機質な声が響けば、こみ上げる何かを押しとどめるようにハイウェルは下を向いた。


「その商人とはその後?」

「……薬の支払いの事もあり、今でも度々私の下を訪れております。昨日もこの部屋に来ておりました」


 レインが「おや?」と思うのと同時に、ロイとリーアムの視線もレインに注がれた。

 レインは頷き返し、倉庫の方角に視線を流す。

 それでロイ達には意味が通じたのか、その視線は再びハイウェルへと戻る。


「このカップに入れていた物は、その商人からか?」

「仰る通り、昨日その商人から手に入れた物でございます……」

 項垂れるハイウェルはもう抵抗する気もないらしく、素直に供述する。


「それではその者にも、色々と話してもらわねばならぬのだな。取り敢えず、ここまでの事はわかった。だからと言って、貴殿が国に対し虚偽報告をしていた事には変わりはない。小麦の流通を一方的に止めた事は、この国に混乱を招く行為である。今後はその件についても正直に話してもらう」


「……畏まりました」


 疲れ切ったように頭を下げたハイウェルの後ろで、儚く消えそうな微笑みを湛えた女性の肖像画だけが、クスト・ハイウェルを優しく見つめていたのだった。



次回の更新は、7月12日となります。<(_ _)>

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― 新着の感想 ―
どう考えても王国に被害を与えるために嵌められてるよねぇ
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