113. 伯爵の覚悟
「お帰りなさいませ」
「ただいま、エリック。変わりはないか?」
「レイン様がいらしております」
レインはエリックから借りていたベッドで、ゆっくりと瞼を開く。
くぐもった人の声と、人の気配を感じたのだ。
体はまだギシギシと軋むが、エリックに手当てをしてもらったお陰で体も軽くなり、睡眠もとれたために魔力も回復している。もう動くには問題はないと、レインは身を起こし素早く衣服を整える。
カチャッと居間に続く扉を開く。
すると、レインの気配に気付いた3人が一斉にこちらに視線を向けた。
ロイ達は仕立ての良い服を着て向かい合ってソファーに座り、湯気の立つ紅茶で喉を潤していたところだった。
エリックは扉の近くから安心した様な視線を向け、ロイは気遣わし気な視線を。リーアムはレインへと無表情な顔を向けているが、いつもと変わらぬ彼らに安心感すら抱くレインである。
「レイン、もう大丈夫なのか?」
真っ先に声を掛けたのはロイだ。
「ああ。休ませてもらったお陰で、魔力も回復したから問題ない」
と扉近くにいたレインにもエリックは着席を促し、レインは一声かけてロイの隣に座る。そこへすぐに同じ飲み物を用意してくれたエリックに礼を言った。
「私はこれからハイウェル伯の下へ向かう。盗賊らと繋がっていた傭兵を雇っていた事は、最早周知の事実。目的と理由を確認せねばならない」
ティーカップを音も立てずにソーサーへと戻し、ロイは膝の上で指を組んだ。
「俺はその伯爵の件で、今ロイに話す事がある」
レインの言葉に、ロイとリーアムは眉間にシワを寄せた。
「という事は何かあるのか?」
「ああ……」
レインはルーナで目撃した事を、ここでロイに話していった。
ロイ達が屋敷を訪ねたところ、伯爵は出した飲み物に毒を仕込んでおり自らそれを飲んで息絶えた。その為、伯爵からは殆ど何も聞く事もできなかったとロイが言っていた事。その毒は王都で使われていた物と同じで、伯爵の顔はどす黒く変色していた事などだ。
「それに、王都で息子が捕まっている事も既に知っているらしいから、それでもう後がないと考えたんだろうな」
「だが何も聞かずに死なれては、事件の解決にはならない。こちらとしては痛いな……」
「――ロイ様に毒を盛るなど、死して当然です」
リーアムが何かブツブツ言っているが、そっちは参考にならないので聞こえなかった事にした。
「俺も一緒に行ってもいいか?」
「他にも何かあるのだな?」
ロイはレインの言葉に含まれる意図に気付いたらしく、それらならば話は早いと、レインが気が付く限りの懸念事項を伝えていった。
「それでは、レインも同行してもらおう」
「ですが、この格好では……」
ロイは同行を許可したものの、リーアムは貴族の者と対面する上でのレインの身なりを指摘した。
ロイ達がわざわざ着替えているのも、その辺りを意識しているのだとレインは理解する。
「そうか……ロイは第二王子として対面するんだもんな。確かにこのなりじゃまずいか」
レインはガシガシと頭をかいて苦笑する。
レインが今回持って来ている服は、言うなれば普段着だ。まだ騎士団の制服であれば問題なかっただろうが、こんな事になるとは思っておらず、今回は持参していなかったのだ。
「それでは、レインはリーアムの服を着れば良い」
ロイの提案に、ビクリとリーアムの肩が揺れた。
レインとリーアムの背格好は同じくらいだ。そのため急遽衣装を都合するならば、誰かに借りるしかない。
「………………わかりました」
返事に間があったものの、腰を上げたリーアムは立ち上がると他の部屋に向かって行った。
そうして少しして戻れば、腕には仕立ての良い服が掛けられていた。
「これを着用しなさい」
「ありがとうございます、リーアムさん」
「汚さないでくださいよ」
「……はい」
釘は刺されたものの、こうしてレインはリーアムの服に着替え、ロイ達と共にハイウェル伯爵の屋敷へと向かう事になったのである。
宿を出たのは、まだ朝と呼べる時間。
レインを先頭に、ロイとリーアムは倉庫側から屋敷のある北西へと向かっていた。
この通りは普段から人通りがない道だ。これ以上住民たちの不安を煽らぬよう、ロイは人目に付きづらい道を選んだのだ。
その道には倉庫が並び立っていて、各倉庫の前には監視するように第一騎士団員が立っている。
ロイに聞いたところでは彼らもほとんど休まずに動いている様で、任務に対する真摯な姿勢に頭が下がるレインだった。
(やはり騎士団員は格が違うな)
だが傭兵と騎士団員を比較するのはそもそも失礼な話で、仮令そう思っても口が裂けても言葉には出来ないだろう。そう考えながらも彼らと志を同じくするレインは、自然と顔を上げて道を歩いていたのだった。
道なりにいる団員達は、ロイの姿をみとめ首を垂れる。
今回のロイはあくまで非公式で動いていたが、今の装いはロイの身分に見合うものであり、公式に王子として動いていると公言しているようなものだ。
そのため騎士団員たちは、当然ながら王族へと敬意を払っているのである。
彼らに頷き返しつつロイは進む。
その姿は堂々としており、確かに王族の威厳を纏っている様に思う。
ロイの前を進むレインはいつもと違うロイに戸惑いつつも、彼の従者に見える様にとただ前を向いて歩いて行くのだった。
そうして裏門から屋敷へと進めば、当然ながら庭の様子が変わっている事に気付いたロイが、小さく声を発した。
「随分と暴れたようだな」
クスッと笑うロイは楽しそうだ。
「ああ。様子見のつもりで侵入したら、隊長に見付かってな。否応なしに戦闘になったんだ」
「今度は何をしたんだ?」
「この地面の穴は俺じゃない。……まぁ俺だけど」
「どういう意味ですか? ハッキリ言いなさい」
言葉を濁したレインに、後方からリーアムが突っ込んだ。
「人手が足りなかったんで、3体傀儡を出したんだ。それが拳で穴を開けた」
「傀儡か……。やはり土魔法は利用価値が高いな」
ロイは驚きもせずにレインの言葉を受け止めた。しかも冷静に分析までしているらしい。
「それで魔力を使い果たしたのか」
「――そんなところだ」
と軽く世間話をしてから、レイン達は屋敷の玄関に立つ。
すると扉前に控えていた騎士団員達が、ロイの姿をみとめて両側から扉を開いてくれた。
「では行くぞ」
「御意」
レイン達は静かに屋敷の中へと入って行った。
レインは人の気配を辿り、伯爵はやはり同じ場所にいるのだと見当をつけてロイ達を案内すれば、ロイも何も言わずに付いてくる。
そうして2階の扉の前で立ち止まり、「ここだ」とレインは告げる。
わかったと頷くロイに場所を譲れば、リーアムが前に進み出てその扉を開いた。
「ハイウェル伯、邪魔をするぞ」
「お待ちしておりました。マリウス殿下」
ロイ達に続きレインも最後に部屋に入って扉を閉める。
振り返れば机から回り込んだ赤茶髪の男性が、にこやかな笑みを浮かべてロイ達をソファーへ促していた。ただしその目の中に光はない。
ロイがその席に座り、リーアムがその後ろに立つ。
そしてロイの着席を待って、男もその対面に腰を下ろした。
そこへ別の扉から黒服を着た年配の男性が入って来て、湯気の立つ紅茶を2つテーブルの上に置いて下がって行った。
お茶を用意する間に会話はなく、レインは扉の前でそれらをじっと見守っていた。
レインはこの場面は初めて見る。ここから始まる会話も。
「本日は、如何様なご用向きでございますか?」
「待っていた、という割にそう尋ねるか。ハイウェル伯」
「はっはっは、殿下には適いませぬな。――実は、王都で我が愚息が捕らえられたと聞き及びました。それゆえかとは、憶測を付けてございました」
「ほう? ハイウェル伯が雇う傭兵が捕らわれてなお、そちらの件で、と申すか」
「傭兵の事は隊長に一任おりましたゆえ、私は彼らが街を護っているとばかり思っておりました。しかし誰かがその傭兵たちを捕らえたと聞いたのは先程の事で、私もまだ気が動転しておりまして、この場で申し上げる言葉もご用意できておりません」
あくまでもしらを切るクスト・ハイウェルを、ロイは無表情で見つめ返している。
その表情からは何を考えているのかレインにすら分からず、リーアムもただハイウェル伯爵を見詰めているだけ。
「久しぶりに殿下のお顔を拝見して、謁見の間にいるように緊張いたします。喉が渇いてしまったもので、失礼して先に喉を潤させていただきます」
彼はそう言うと、しっかりした手付きでカップに手を伸ばした。
これで手が震えているならまだしも、表情も変えぬこの伯爵はこの時点で既に覚悟が決まっていたのだなと、レインは哀れにすら思うのだった。
おはようございます、盛嵜です。
いつも拙作にお付き合いいただき、ありがとうございます。
そしていいねやブックマークを頂き、励みにさせていただいております。
そんな中でではありますが、このところ執筆の時間を捻出できておらず、
ここで少しお時間を頂戴したく、再びあとがきに記載した次第です。
そろそろ物語の終盤とはなりますが、次の投稿は7月10日とさせていただきます。
お付き合いくださる皆様にはご迷惑をお掛けいたしますが、何卒ご容赦のほど宜しくお願い申し上げます。
引き続き、最後までレイン達の物語にお付き合いいただきますよう、よろしくお願いいたします。
盛嵜 柊




