110. 空
ロイは闇に染まる空を見上げ、近付いてくる気配を待つ。
ロイには契約した魔鳥が近付けば、気配でわかる。仮令傍にいなくとも契約者が呼べば、遠くからでも飛んできてくれる頼れる従魔である。
そのクルークが誰かの伝言を運んでくる為か、こちらへ向かって来ていると野営地で待ち構えていた。
今は既にレインが伝えた出来事は予定通りに終了し、盗賊に続き傭兵も拘束する事に成功している。
レインが協力を願い出たアルタは、夕方過ぎにロイ達の下へと走ってやってきて、そしてレインに言われたであろう指示の通りに傭兵の居場所を伝え彼らの下へ引き返していったのだ。
それからはあっという間に制圧し、今に至っている。騎士団員達が用意してくれた食事も終わり、今はささやかなロイの休息の時間でもあった。
そこに飛んでくるクルークの気配。だがそれはいつもと少し違っている様にも感じていた。
何かあったのかと空を見詰めるロイの視界に、黒い点が見えた。
来たか、と目を凝らすも、それはいつもの力強い飛び方ではなく、フラフラとふらついているように見える。
「ロイ様……」
「何かあったようだな」
一緒に見上げていたリーアムも、心配そうな声を発する。
そうかと言って地上にいる者は、どうする事も出来ないのだけれども。
フラッと一瞬よろめいたと思えば翼は止まり、そのまま降下を始めてしまう。
それはまだロイの頭上ではなく、100mは離れているだろう場所でだった。
「行って参ります」
「私も行く」
リーアムが落下地点へと走り出す横で、ロイも地を蹴って走り出す。
「殿下?」
すかさず背後でヘッツィーが声を上げるも、それには大丈夫だと手を振った。
ロイは黒い影を見失わないよう、再び空に視線を向け、先を急いだ。
幸いにもこの周りはまだ見通しが良く、落ちてくる場所を特定するには容易かった。
受けとめるには間に合わなかったが、クルークが落ちた場所にすぐに到着し、その体をすくい上げた。
明かりのない暗闇の中であっても、クルークはぐったりしていると分かる。
その翼は開いたまま、しかも羽も所々が逆立ち、しっとりと濡れている。
「何があった……」
ロイの呼びかけに閉じていた目を開いたクルークは、小さくそれに応える。
『クルッ…クルルッ……クルックル』
「わかった、伝言は後で良い。今は傷を治す事が先だ」
『クルッ……クル…クルッ……』
ロイは懸命に主に話すクルークを胸に抱えて歩き出しながら、指先に魔力を乗せてクルークの額に当てる。
魔力で傷が治るわけでは無いが、魔力は生き物にとって血液に近い意味を持つ。それゆえ満身創痍になったクルークの治癒力を高めるため、応急処置として魔力を送っているのだった。クルークはそれを受け取りながら、再び目を閉じた。
「ロイ様、これは……」
「クルークは途中、魔鳥に襲われたらしい」
ロイの説明に、リーアムは微かに目を見開く。
魔鳥は肉食ではなく気性も穏やかで、他の動物や魔物などを襲う事はない。
「魔鳥が、魔鳥を襲うのですか?」
「どうやらそれは、使役されている魔鳥であったようだ。クルークの邪魔をする為に追尾させたものらしい」
「それでは……」
「ああ、伝言はドーラからのもの。ボンドールを出たところで後を付けられていると気付き、クルークも懸命に追っ手を撒こうとしたようだが、途中で追いつかれて戦闘になったようだ」
ロイは口を引き結び、野営地へと戻って行った。
そこにヘッツィーが近付き、明かりに照らされたロイの胸にいる傷ついた魔鳥を見て目を見開いた。
「――殿下、それは殿下の魔鳥では……」
「ああ。ボンドールにも魔鳥を使役するものがいたようだ。これはそれに攻撃されたらしい」
「魔鳥が魔鳥を襲った、のですか?」
「ああ。我々は魔鳥に攻撃をさせる事はないが、その主はそれを命じたらしいな」
「何という事を……。それで、お怪我の程は?」
「翼を傷めている」
「それではすぐに治療をさせましょう」
「ああ、頼む」
「はっ!」
ヘッツィーも魔鳥の契約者で、契約している魔鳥がどれだけ大切な存在かを良くわかっている。
そのため、走りはせずとも急いで医療班の下へと向かってくれているのだと分かった。
その背中を見送っていれば、ロイの胸の中で小さな声が響いた。
『レオの動きから、ボンドール側もそちらの動きを把握していた事が判明いたしました。ですが既にこちらの残りの傭兵は全て拘束し、例の男も捕えてございます。ご安心を』
「!!」
いつの間にか目を開けていたクルークは、先程ロイが渡した魔力を使い、自らの体力を維持する為でなく伝言を渡す事を最優先にしてくれたのだ。
『クルッ……』
クルークは良くできたでしょう? とでも言うように鳴いて、再び静かに目を閉じた。
「ああ。お前は私の大切な友だ」
もう聞いてはいないであろうクルークに囁くと、ロイは再び指先に魔力を乗せそれをクルークへと送った。
クルークが落ち着いてからと思っていた伝言は、クルーク自身の忠誠心によって急遽伝えられたのである。
「リーアム、聞いていたな?」
「はい」
「こちらの動きを知られていたのなら、仲間が捕まった事も把握し、何かをしようとしていたのであろう」
「はい」
「レインが何かをしたらしいが、それを報告するよりも先に向こうも動かねばならなかったか……」
「――彼が一人で無茶をしたのでしょう」
「レインはああ見えて、無茶ばかりするからな」
口角を上げ、ロイは目を細めてクルークを見下ろす。
ロイは第二王子とは言え、ただ地位があるだけの若輩者だ。それでもこうして何とか王子として頑張れているのは、自分の周りに支えてくれる人々がいるからだとロイは常々感じている。兄である王太子殿下をはじめ、エイヴォリー公や近衛や第一第二騎士団員達、レインたち職員もしかり。
そして胸の中にいるクルークもそうだ。
仮令どんな人間であろうとも、一人では事を成し得ない事を、再び胸に刻んだロイであった。
「一体何をしたのだ、レインは……。無事ならば良いが」
「……確かに多少、心配ではございますね」
リーアムの返事の後、医療班を呼びに行っていたヘッツィーが人を連れて戻ってきた。
ロイは彼らにクルークを託すと、ヘッツィーへと指示を出す。
「本日、ボンドールでも動きがあった。それゆえ明朝の出発予定を繰り上げ、4時間後にボンドールへと出発する」
「畏まりました」
「急がせて悪いな」
「謝罪など、滅相もございません。我々はいつでも動けるよう日々訓練しておりますゆえ、殿下にその成果をご覧いただければ光栄と存じます」
「そうか。それでは頼んだぞ、ヘッツィー団長」
「御意」
ロイの指示を伝えに戻るヘッツィーを見送り、ロイとリーアムは場所を少しだけ移動する。
ここは野営地を見渡せる場所で、ヘッツィーを取り囲み、話に耳を傾ける団員達が良く見える。そこから少し離れた場所には拘束された男達が集められ、地に座り込んでいる。彼らは起きている者半分寝ている者半分という具合に、緊張感の欠片もない。
そんな彼らに共通しているのは、己の人生を諦め切った雰囲気であろう。
ロイはそれに興味を失ったように視線を外すと、数時間後の出発に向けての準備を始めるのだった。
「行くぞ」
「御意」




