103. 闇に広がる希望
「それでやっとわかったよ。……彼らに小麦を渡すのは人を助けるためって聞いていたんだけど、本当はそうじゃなかったんだね……」
アルタは隣国を助けるためにと聞いて、商人に小麦を渡していると思っていたのだ。だが渡していた者が商人ではなく盗賊だったと聞き、その話自体が嘘だったのだと思い当たったらしい。
「そういう事のようだね。ただしそれは、ここにいる者達だけが関わっている話ではない。彼らがどこから来た者で、どうしてハイウェル伯爵と懇意にしているのかを確認せねばならない」
ハイウェルの名前を聞き、アルタの顔に驚愕が浮かぶ。
「………メイオールはもう終わりだ」
泣き出しそうな顔に手を当てたアルタへ、ロイが起伏の無い言葉をささやく。
「どうしてそう思うのだ」
顔を覆った手を外すも、アルタの視線は下を向いたままだった。
「そうなると、伯爵さまも全て知っていたって事ですよね? 伯爵さまが捕まれば、メイオールもただでは済まないはずです。でもどうしてそんな事を……」
領地を治めていた者が罪を犯せば、その領地にいる者達にも疑いの目が及ぶ。この件は特に領地の民も小麦の行先を知っていたのだから、アルタが懸念している事もわかる。
仮令それが事実を知らぬ上の事だったとしても、犯罪に手を貸した事には変わりない。アルタは自分の立場より、領民の心配をしているのだとレインは感じた。
「それは本人に聞くしかないだろうね」
「……そう、ですね」
それきりアルタは口を閉ざす。
その様子を見ていたロイが、後は任せるというようにレインへ視線を向けると引き上げていった。今はアルタも混乱していると分かり、そっとしておいてくれるらしい。
レインに手を上げて去って行くロイを見送り、レインはそのままゴロリと背中をつけて夜空を見上げた。
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レインが目を開くと、再び出発する朝に戻っていた。
今日の出来事を既に知っているレインは、隣で眠るアルタを見詰めて決意を新たにする。
ルーナでは怪しい者達と傭兵を捕まえ、ある程度の進展を見せるはずの未来は揺るがぬはずと、レインは起床時間よりも早く身支度を整えた。集合時間まではまだ数時間の猶予がある。
「アルタ。起きてくれ」
「………ん……もう時間?」
「いいやまだだ。だが今起きてくれ」
「……だったらもうちょっと……」
「アルタ」
緊張を含んだレインの声に、流石に目を開けたアルタは目の前のレインがじっと見降ろしている様子を見て、諦めたように体を起こす。
「……どうしたの? 今日は外回りに出る日でしょう? あんまり気合を入れ過ぎると夜までもたないよ?」
「頼みがある」
寝床から足を下ろして座ったアルタを、レインは立ったまま見下ろす。
「頼み?」
「ああ。俺は今日の巡回には出ない。だからアルタに頼みたい事がある」
レインの堂々としたズル休みの宣言に、アルタは眠いながらも目を見開いた。
「え? 行かないってことだよね。何かあったの?」
「いや、何がある訳ではないが、今回は街道に出たところで俺だけこっそり引き返す」
「………」
ジッと見上げてくるアルタに、レインは膝を付いて今度はレインがアルタを仰ぎ見る。
「アルタ、よく聞いてくれ。俺の本当の名前はレインというんだ。レオは偽名だ、騙していて悪かった」
レインは膝を付いたまま頭を下げる。
それを見たアルタは、やや間があってからレインに声を掛けた。
「そっか」
ルーナと同じ様な反応に、レインはズキリとした痛みを感じた。
だが前回はヘッツィーに呼ばれた為に知られてしまった事であり、自ら話すのとは意味が違うのだ。
「俺は今、メイオールの小麦の行方を調べている。そのため偽名を使ってここにいる」
「え?!」
「分かってる。皆は領主に言われて、小麦を国外に出すのを黙認しているんだったよな?」
ぎこちなく頷き返すアルタに、レインはほんの少し笑みを乗せる。
「それは領主が皆に嘘をついているんだ」
両眼を大きく広げて口を押えたアルタは、ここで騒いでは問題が生じると自制してくれたらしい。
確かに、叫び出したいほどに驚いた事だろう。
「そして前回の巡回で、怪しい商人に荷を渡している事も確認した。ここの領主は皆に嘘をついてまで、国に背いて小麦の流通を止めているんだ。俺はその理由を突き止める為に、今日はこっそりと戻ってくるつもりだ」
レインの言葉に更に目を見開くアルタは、今度はあっけにとられた様に唖然としていた。
「だから巡回に出るアルタにも協力してもらいたい。意味は分かるか?」
「―――レオ……レインは、俺を信用してくれるんだね?」
「ああ。当たり前だ」
一瞬泣きそうな顔になったアルタは、それを即座に修正し、真摯な眼差しをレインに寄越す。
そうして互いに頷きあうと、レインは今日起こるであろう事とそれに対する行動を、アルタに指示を出したのだった。
その後レインはアルタに部屋にいてくれと言い残し、一人で宿舎という名の倉庫を出て、外で眠っている彼らに悟られぬよう気配を消して人気のない広場へと向かって行った。
そこは見晴らしも良く、誰かに見られていればすぐに分かる場所だ。その為ロイも、以前まではこの場所を使っていたのだ。
まだ空は闇に覆われており、通りを歩く人影もない。こんな時間に出歩く者は、真面目に働く夜勤の者くらいだろう。だが幸いにも、ここにはそんな勤勉な傭兵はいないのである。
背後の気配を確認してから、レインは広場にある木々の中へと入って行った。
そしてもう一度辺りをうかがってから、口元に指を添えて音のない指笛を鳴らす。
今頃ロイは街道を南下している頃であるが、ここからはそう離れてはいないだろうし、彼の傍にいるものも呼べば来てくれるはず。
待つ事数分して、レインが呼んだもののシルエットが夜空に見えた。
この時間では、魔鳥が持つ色鮮やかな緑も黒い影となってしまっている。それも好都合だった。
腕を出し、クルークが下りてくるのを待つ。
クルークはまるでレインが見えているかの如く、迷いなくその腕に舞い降りる。
「久しぶりだな。元気そうで良かった」
『クルッ』
近くで見るクルークはつぶらな瞳をレインに向け、当然だというように胸を張った。その姿が微笑ましく、レインは知らず笑みを作る。
「ロイに伝言を頼みたい」
『クルッ』
先程、アルタに話した後にしたためた伝言をクルークの前に出す。
それを慣れた様子で嘴に銜えれば、見る間にそれが溶けるように消えていく。
いつ見ても綺麗な光景だなと、久々の姿にレインの心は和む。
そして追加で魔力を与え、レインは添えた指を離す。
「しっかり頼んだぞ」
『クルックー』
任せろとでも言っている様にクルークは目を細めると、翼を広げて再び頭上へと舞い上がる。
そしてレインの上空で一度輪を描くと、そのままスッーと闇夜に溶けるようにレインの視界から消えていった。
「頼んだぞ、ロイ」
誰にともなく呟いたレインの声は、囁きにも満たないもの。
しかしその言葉には、今日訪れる未来への希望が添えられていたのだった。