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エア婚約令嬢  作者: 亜逸
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前編

「お父様……わたくし、アレス様と婚約することになりましたの」


 ある朝、娘のリアーナが突然こんなことをのたまい始め、オリバー・オルストイ男爵の目が点になる。


 アレスといえば、この国の第三王子にあたる人物。

 男爵令嬢に過ぎないリアーナなど、相手にされるわけがない。

 そもそもそんな話、父である自分の耳には毛ほども届いてない。


 いや、まさか、我が娘に限ってそんなはずは――……残念ながら大いにあり得ると思ったオリバーは娘を窘めた。というか懇願した。


「リアーナよ。さすがに王族とのエア婚約はやめなさい。というか、ほんとマジで勘弁してください」

「エアだなんてひどいわ、お父様! つい先日、アレス様がこちらにやってきて晩餐を共にしたこと、もうお忘れですか!?」

「忘れるも何も、そんな恐れ多すぎて食事が喉に通らない晩餐、開いてすらいないのだが?」

「そ、そんな……ひどい! ひどすぎますわ、お父様! あの夜のことを忘れてしまわれるなんて!」


 歌劇のヒロインさながらに、さめざめと泣く。

 自然、オリバーの目が遠いものになる。


 オリバー自身、多少なりとも親バカが入っているという自覚を差し引いても、リアーナは器量()しで気立ての良い娘だった。

 そんな彼女の大きすぎる欠点が、


「あの夜、お父様もアレス様も、お酒の飲み過ぎでぐでんぐでんに酔われていたではありませんか!」


 妄想癖これである。


(それにしても……まさかリアーナが、アレス様のことをお慕いしていたとはな)


 どうりで今まで彼女に持ちかけた縁談を悉く断られたわけだと思いながらも、オリバーは心を鬼にして、娘を現実に戻す言葉を投げかける。


「リアーナよ。あまり妄想が過ぎると、不敬罪で其方そなたと吾輩の首が飛ぶことになるぞ」


 妄想癖があるというだけで決してアホではない愛娘は、バツが悪そうに口ごもる。


 今のご時世、王族に不敬を働いたからといって早々首が飛ぶことはない。

 ゆえに、オリバーの言葉がただの脅しであることはリアーナも理解している。

 しかし同時に、罰せられた場合は軽い罪では済まされないことも理解していた。


 不敬罪の一言で妄想世界から現実世界に舞い戻ってくれたのも、ひとえにリアーナが聡明だったからに他ならない――と思っていたら、


「……リアーナよ。なにゆえ、吾輩から盛大に目を逸らしておるのだ?」


 訊ねると、リアーナは目はおろか顔までもを盛大に逸らした。

 額からはダラダラと冷汗が流れていた。


「まさかとは思うが、アレス様とのエア婚約……吾輩以外の誰かにも言ったのではあるまいな?」

「そ、そんなエア婚約だなんてひどいですわ、お父様!」


 一瞬にして現実から妄想に舞い戻る娘の首根っこを掴むように、オリバーは語気を強くしてもう一度訊ねる。


「言ったのではあるまいな?」


 すると、リアーナは錆びついた扉のようなぎこちなさで、再びこちらから顔を逸らし、


「軽く、吹聴しただけですわ」


 ……訂正。愛娘はアホだった。


「なぜ言いふらした!?」

「だって……アレス様と婚約できたことが嬉しかったんですもの……」


 だから婚約それ妄想エアだろうが――という言葉は、かろうじて呑み込む。

 なぜなら今のリアーナは、心底アレスのことを慕っている表情をしていたから。

 そんな表情を見せる愛娘に現実を突きつけられるほど、親バカ(オリバー)の心はからくできていなかった。


 こうなってしまった以上はもう、王族の耳に届いていないことを祈るしかない――そう思っていたオリバーのもとに、長年オルストイ家に仕えている老執事がやってくる。


「オリバー様。王城しろから使いの者が来ておりますが」


 それだけで全てを察したオリバーは「もうどうにでもな~れ」と思いながら天を仰いだ。











 やはりというべきか、リアーナは王城に呼び出されることとなった。

 リアーナ一人を王城に向かわせるのは、心配でもあり、不安でもあったので、オリバーも共に登城することにした。


 事と次第によっては爵位の剥奪もあり得るかもしれないと戦々恐々としているオリバーと、もしかしたらアレスに会えるかもしれないと目をキラキラさせているリアーナが通されたのは王城の応接間。

 賓客というほどではないが、さりとて軽視するような相手でもない……そんな人間を通すのに使われている、そこそこに格式の高い部屋だった。


(少なくとも、首を洗っておく必要はなさそうだな)


 割りと本気でそんなことを考えながら、何のために呼ばれたのかも、誰と会わされるのかもわからないままリアーナと一緒に待つこと五分。


「失礼します」


 応接間にやってきたのは、一人の年若い従僕フットマンだった。

 仕える相手が王族だからか、立ち振る舞いにどこか気品を感じさせる黒髪の青年だった。

 

「私はアレス様に仕える従僕、ロルカと申します。リアーナ様、オリバー様、この度はわざわざご足労いただき、まことにありがとうございました」


 そう言って、ロルカはうやうやしく一礼する。


 正直な話、オリバーは娘が心配で勝手に付いてきただけなので、お引き取り願われる可能性が高いと思っていたが、ロルカの反応を見るに、どうやら同席することを許されたようだ。


 そのことに内心安堵しつつも、オリバーはロルカに訊ねる。


「ロルカくん。娘が城に呼び出されたのは、やはり娘が流した……()()()についてかね?」


 たとえ相手が従僕であっても、「第三王子とエア婚約した」などとのたまうことに抵抗があったオリバーは、つい迂遠な言い回しで訊ねてしまう。


 だが、さすがは王族に仕える従僕と言うべきか、こちらの言わんとしていることをあますことなく理解してくれたロルカは、こちらが望む答えをも余すことなく答えてくれた。


「はい、そのとおりです。ですがオリバー様、どうかご安心くださいませ。あの程度の噂を流されたくらいで、寛大なるアレス様が女性を罰するような真似をしないことは、僭越ながらこのロルカめが保証いたします」


 さすがにエア婚約は〝あの程度〟では済まされないのでは?――という疑問はさておき。

 アレスに仕える従僕のお墨付きを得られたことには、安堵を覚えずにはいられないオリバーだった。


「ええ、ええ、そうですとも。アレス様は極めてお寛大で、極めてお素晴らしい方ですもの」


 もっとも、すぐ隣で愛娘がこんなことを宣っているせいで、覚えたばかりの安堵は今にも吹き散らされそうだが。

 あと、無事に館に戻った暁には、リアーナにはもう少し言葉遣いというものを教えてやろうと心に決める。


「早速本題に入らせていただきますが、リアーナ様……なにゆえ、アレス様と婚約したなどという嘘を言いふらしたのですか?」

「嘘ではないからです。少なくとも、わたくしの脳内では」


 ロルカの問いに対し、毅然とリアーナは答える。

 その姿は凜々しさすら覚えるくらいだが……言っていることは、我が娘ながら悪魔か何か取り憑かれてはいないかと心配――いや、悪魔如きが取り憑いた程度でどうこうできるものではないと思い直す。


 一方ロルカは、さすがは王族に仕える従僕と言うべきか、正気を疑うようなリアーナの返答に眉一つ動かしていなかった。

 彼もまた、悪魔如きがどうこうできる手合いではないのかもしれない――と、オリバーが益体やくたいもないことを考える間に、話は続いていく。


「リアーナ様の脳内では嘘ではなくても、現実ではそういうわけにはまいりません。アレス様と婚約したと吹聴したリアーナ様の行為は、王族に対する不敬にあたります。仮に、の話になりますが、もし今回の件が大事になった場合、リアーナ様はどのようにして責任をとるつもりでいらしたのですか?」

「その時は、この首を差し出したまでですわ」


 リアーナは一点の曇りもない目でロルカを見据え、断言する。

 まさかとは思うが、王城ここに来る前にした、首が飛ぶことになる云々の話から着想を得て答えたのではあるまいな?――と、オリバーは眉をひそめる。


 一方ロルカは、さすがは王族に仕える従僕と言うべきか、物騒な返答をかえすリアーナに見つめられてなお、眉一つ動かすことなく話を続けた。


「なぜ、こうも迷いもなく、自分の命を差し出すことができるのですか?」

「それは勿論、アレス様のことを愛しているからですわ」

「……なるほど。ちなみにですが、リアーナ様はアレス様のどういったところを愛してらっしゃるのですか?」


 その問いは、父親ゆえに聞くに聞けなかった問いだった。

 だからというわけではないが、オリバーは平静を装いながらも耳をそばだてる。


 リアーナは、深く、深く、深呼吸をしてから、父親であるオリバーですらもドン引きするほど早口に、アレスへの愛について語り出した。


「いやらしい話になりますが避けて語るわけにもまいりませんのでまずはアレス様の大変お素晴らしい容姿について語らせていただきますが容姿という点においてアレス様の魅力を際立たせているのはなんと言っても眼力めぢからにありますあの猛禽のような鋭い目つきにわたくしのハートは見事に射抜かれてしまいましたわ世にいる令嬢スケどもはアレス様の目つきを恐いだの何だのほざいてらっしゃいますがわたくしから言わせれば節穴もいいところあのワイルドかつダンディな視線の良さをわからないまなこなど必要ありませんので何だったらわたくしが手ずからくり抜いて差し上げようかと思ったくらいですわ眼の話をしたとなればアレス様の顔立ちについても語らなければならないのですがあのワイルドかつダンディな彫りの深い顔立ちはもう最高としか言いようがありませんわそれはもうわたくしのハートを鷲掴みにして離さないくらいにおまけに太陽よりも燦然と輝く金色こんじきの髪と相まって首から上だけでも映えること映えること何だったら今すぐアレス様のお部屋にお邪魔して一枚の絵に収めたいくらいですわと顔のことばかり語っているとその辺にいる令嬢スケのように顔にしか興味のないクソお嬢様と思われかねないのでそれ以外についても語らせていただきますがさすがは王国軍を率いる立場というだけあって見上げるほどに高い背丈と引き締まった肉体がワイルドかつダンディすぎてもう辛抱たまりませんわ特にお素晴らしいのは無駄に開かれた襟元からチラ見えしている胸元あそこまで引き締まった胸元はそれだけでもう国宝級今すぐ国庫に納めて末代まで大切に保管するべきだと言いたいところですがさすがにアレス様から胸元だけを引き剥がすのは猟奇的にも程がありますので我慢して差し上げますわといい加減話が長くなってまいりましたのでそろそろアレス様の内面のお素晴らしさについて語らせていただきますわその辺にいる頭の軽い令息ボンクラとは違ってアレス様は無駄口を叩くような方ではないからよく勘違いされますがアレス様は誰よりも慈悲深くお優しい方なのです今から二年と四ヶ月加えて五日前に目撃したことですがアレス様がお忍びで町に降りている情報を聞きつけて尾行した際突然の雨に見舞われたわけですが用意周到かつワイルドかつダンディなアレス様はしっかり傘をお持ちになっておられたのですとはいえ雨足が予想以上強く傘を差してなお体が濡れると判断したアレス様は建物と建物の間つまりは路地を行くことで吹きつけてくる雨の角度を制限し必要以上に体が濡れることを避けることにしたのですワイルドかつダンディなだけではなく理知的であるところもアレス様の魅力の一つではありますがそこまで語ってしまったら盛大に話が逸れてしまうので今は勘弁して差し上げましょうアレス様が傘を差して路地を征く道中雨でずぶ濡れになっている子猫を見つけたのですさてここまで来ればもうおわかりですねアレス様はご自身のお体がずぶ濡れになることを厭わずに子猫に傘を差し上げたのですよもう何ですのそれわたくしを萌え転がすつもりですの本当にアレス様は至高かつ最高かつ罪深い御方ですわとアレス様の意外な一面を語ったところでここからは誰もが知っているアレス様の勇猛果敢さについて語らせていただきますわ先程も言いましたがアレス様は王国軍を率いる立場にありますそれゆえに誰よりも勇猛で誰よりも果敢で誰よりもワイルドで誰よりもダンディでなくてはならないのです確かにわたくしたちの国は平和ではございますがそれもこれもアレス様が第三王子という身分でありながら前線まで赴いて命を賭けて戦ってくれているおかげに他なりませんそこに感謝こそすれ恐れる要素など毛ほどもないのに世にいる令嬢スケどもはアレス様のことを恐いだの何だのとさっきも似たようなことを言ったような気がしますわねまあいいですわとにかくアレス様は軍を率いる立場ゆえに誰よりも勇猛果敢でなくてはならない戦場までアレス様のことを尾行しに行った時見せていただいたアレス様の勇ましさとワイルドさとダンディさはさながら末代まで語り継がれるべき英雄譚なんだったらわたくしが語り継ぎたいくらいですけれどそこまで話を延ばしてしまったらいくら時間があっても足りませんしアレス様の従僕であるあなたの時間をこれ以上奪うのはわたくしとしましても気が咎めるものがありますのでまだ十分の一も語れた気がしませんがわたくしが如何にワイルドかつダンディなアレス様のことを愛しているかについて語るのはこれくらいで勘弁して差し上げましょう」


 ……………………。


 さすがにこれは、オリバーも開いた口が塞がらなかった。

 というか、何しれっと戦場まで尾行ストーキングしているのだ我が娘よ。

 それから何回ワイルドかつダンディと言えば気が済むのだ。

 ツッコむところが多すぎることにツッコみを入れたいくらいだぞ。


 だが、さすがは王族に仕える従僕と言うべきか、ロルカは今の熱弁を前にしても眉一つ動か――あ、今、頬のあたりがヒクッて動いた。

 引きつりそうになったのか、笑ってしまいそうになったのかは定かではないが、さすがに王族に仕える従僕といえども今の熱弁はそれなり以上にこたえたようだ。


 頬がひくついたことを誤魔化ごまかしたかったのか、ロルカは「コホン」と一つ咳払いをしてからリアーナに言う。


「リアーナ様がアレス様のことをどれほど深く愛していらっしゃるのかは、よくわかりました。正直に申し上げますと、今回リアーナ様からお聞き取りした話は、私の方でアレス様にお伝えするつもりでいましたが……」


 ロルカは顎に手を当てて黙考してから、言葉をつぐ


「今のタイミングならば、アレス様は自室にいらっしゃるはず。この際ですから、アレス様に直接返答を聞くというのは如何でしょう?」


「「え?」」


 まさかすぎる提案に、オリバーとリアーナが揃って驚愕を吐き出す。

 もっとも、オリバーの「え?」が恐れが多さがまさっているのに対し、リアーナの「え?」は露骨に喜びが勝っていたが。


「さ、さすがにそれは謹んでお断――」

「是非よろしくお願いいたしますわっ!!」


 固辞しようとしたオリバーの言葉は、力強いにも程があるリアーナの返事によってかき消された。


 こうしてオリバーはリアーナとともに、恐れ多くも第三王子の部屋を訪れることとなった。

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