143話:左利きの執事
「アキラ!しっかりするんだアキラ!」
「ぅ……」
肩を揺すられる感覚と、誰かが呼ぶ俺の名前で、俺は意識を覚醒させて目覚める。
どうやら俺が意識を失ってからそう時間は経っていないらしい。
「大丈夫かいアキラ…?」
「ええ、ご心配掛けてすいませんでした…もう、大丈夫です」
俺の背中を支えてくれているブロンさんにお礼を言って、俺は立ち上がる。そして土を払って頭へと手を置いた。
「右手が震えているが……ちょっと見せてくれるかい?」
「え?ああ……はい、どうぞ」
そう言って俺は右腕をブロンさんに見せる。ブロンさんは俺の右腕を手で触れると、真剣な目付きで何かを探る。
「…!ここの傷、どうしたんだい?」
「あぁ、この肩のヤツですか。記憶が無くなる前からあるみたいで、どういう訳か癒えないんですよね」
右肩に歴戦の戦士のように入った大きな傷。血が出る事はないが、それ以上の回復をしない謎の傷だ。今結構痛かったりする。
「これは恐らく、魔剣によって出来た傷だろう……」
「魔剣…ですか」
覚えていないから分からないが、どうやら俺は魔剣の攻撃を受けたようだ。もしかしなくても、右腕の感覚がおかしいのはこの傷のせいだろうな。
「……今日は初仕事で疲れたろ?今日は僕の相手をしてくれてありがとう、アキラ」
「あぁ……いえ、大丈夫ですよ」
後片付けはブロンさんがやってくれるようなので、俺はお言葉に甘えて先に屋敷へと戻る事にした。何となく急かされるように感じるのは気のせい…かな?
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「こりゃまた凄い子がやって来たなぁ…」
アキラの背中が見えなくなった所で、ブロンはそう呟きながら苦笑いを浮かべる。
この屋敷にやって来るのは何かしらの事情を抱えた者で、何か計り知れない才能を持つ者が多い。ブロンも事情を抱えてやって来た1人であり、この屋敷の当主によって拾われたのだ。
「僕の本気の刺突を捌いて、尚且つ反撃までしてくるとはね……はは」
彼と打ち合って分かったが、2種類の型を使っていた。最後の反撃は無意識だったようだが、実に鋭く的確な突きだった。僕自身もギリギリ反応出来たからよかったが、あと1歩遅かったら刺されていた。木剣でよかったと改めて思う。
それに加えて、魔剣使いを相手にして生き残れるだけの実力。剣術も相まって、アキラは記憶を失う前は数多の戦闘を積んでいると分かる。
「一体どんなスキルなんだろう?聞いたら教えてくれるかな?」
「残念ながらアキラ君はスキルと魔法を1つも持っていないそうですよ」
木の影から現れたのはこの屋敷の使用人頭であり、“ビジョップ“を担うヴィノ・レガシー。
だがブロンは驚く事はない。こうして影から様子を見ていたのを事前に知っていたからだ。
「それは本当なんですか?ヴィノさん」
「ええ、ローザ御嬢様がアキラ君を購入した際に、奴隷商から伝えられたそうです」
そうなるとアキラは完全無能力で僕の攻撃を対応したという事になる。それは恐ろしくも、高いポテンシャルを秘めているという事だ。
「それでヴィノさん、執事としてのアキラの評価はどうですか?」
「中の下、と言った所でしょうかね。どうやら執事としてではなく、こういった戦闘の方が彼には圧倒的に得意なのでしょう。例え、それが記憶を失っていても」
ヴィノさんの言う通り、彼にはこの屋敷では僕と同じような仕事の方が向いていると思う。と言うか、記憶が無くてもあのレベルまで戦える実力を持つのに執事はあまりに勿体無い。
「…?何か?」
「あ、いえ……」
もっとも、僕の目の前にいるヴィノさんは戦闘執事なのだが……それはまぁヴィノさんが特殊だからという事にしておこう。
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そして翌日の朝から、俺は研修的な意味も兼ねて屋敷の仕事で大忙し。そしてその過程で知ったのだが、この屋敷の当主は現在不在らしい。
「執事って思ってるよりキツいのな……」
名前ばっかりカッコいいが、やってる事は要するに使用人だ。それぞれの役割ってのがあるし、俺は新参だから当然っちゃ当然なんだけど。
そんな事を考えながら、黙々と野菜の皮を剥いていく。これが1番得意だから結構手伝わされる。そのお陰でメイドさんとも少し話せた。案の定そばかすのある質素な方だった。
「し、失礼します!」
「どうぞ」
ガチャリと扉を開けて、カチコチになって部屋へと入った俺は、紅茶の準備をする。
ここはローザさんの自室で、たまたま担当の者が手を離せないという事なので、代理で俺が来た。
「大丈夫かしら?手が震えてるわよ?」
「大丈夫ですとも…!」
威勢ばかりはいい男、俺だ。
習った通りに紅茶を注ぎ、何とか溢すことも無くローザさんに紅茶を提供できた。やったぜ。
「……どう?仕事は。大変かしら?」
「そうですね、結構てんてこ舞いになってますが、何とか食らいついて行ってる…って感じですかね……」
「頑張っているのね」
ニコリと笑ったローザさん。歳は16歳と言っていたが、とてもそうには見えない。静かで落ち着いており、大人びている。もしかしたら俺よりも大人っぽいかも?でも見た目はロリっておかしいだろおい。
「お母様が帰って来たら、紹介出来るように仕事は完璧に出来るようにしなさいね?」
「了解です、ローザさ──お嬢様」
おっといけないいけない。執事見習いとはいえ、奴隷なのは変わらないしローザさんが雇い主&奴隷の主なのだから様付けしないと。
「別に貴方の好きなように呼びなさい。いちいちそこにつっかかってたら仕方ないわ」
「ありがとうございます…!えと、ローザ…さん」
改めて言うと、何となく恥ずかしく感じてしまう。それはローザさんも感じていたのだろう。少し苦笑いをしていて、八重歯が少し見えて可愛らしい。
その後はローザさんと談笑を……
とはいく訳も無く、当然仕事へと戻った俺はメモを取りながら少しずつ覚えていった。
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「フッ…!セイッ!」
その夜、仕事が終わった俺は風呂まで少しの時間を利用して、裏庭で1人稽古をしていた。
昨夜の打ち合いで分かった。今後剣を使うのなら、俺に右腕は使えない。その為今は左腕を鍛える為に木剣を振っている。
日本にいた頃から二刀流剣士に憧れていた俺は、当然二刀流戦術も練習していた。キリッ!
だが左だけを使うのは初めてであり、バランスがとても取りにくい。
「感覚が全然違うな……こりゃあ調整に時間が掛かりそうだな」
俺は右利きだから当然と言えば当然だ。
しかし右が使えなくなったのはとても厳しい。日常生活では問題は無い。だが力を使うのは作業は苦であり、剣を持つのはもっとも苦だ。
「早く強くなりたい……いや、なるんだ…必ず…!」
そう心に強く誓い、俺は時間が許す限り一心不乱に木剣を振り続けた。
お察しの方もいるとは思いますが、重役の者にはチェスの役の名前が授けられてます。ナイト、ビジョップの他に、ルークとポーンがいます。無論キングとクイーンも。




