四・曰くのある宝石展 -1
宮ノ森美術館では、展覧会が開催される前に、関係者を招待するパーティーが開かれる。出席する人数次第では、近くのホテルの会場を借りることもあるが、今回の『曰くのある宝飾展』は、関係者もさほど多くなかったので、美術館内で開かれることとなった。
一階の展示室に立食スペースが設けられた。
参加者は食事をしながら、展示ケースに入っている宝石、装飾品を鑑賞することができる。
肖子は事務員の小島と一緒に、ホテルから取り寄せた食事や飲み物、皿やグラスをテーブルに並べる。
そのあとは受付で参加者の名前をチェックし、荷物を預かった。
二十人ほどの参加者のなかに、鶴見夫妻がいた。
鶴見千奈津のオーラは華やかで、その眩しさに肖子は圧倒された。最初は隣に居た千奈津の夫に気づかなかったほどだ。たしか千奈津は三十代半ばである。目鼻立ちのクッキリした顔が、更に化粧で映えている。エネルギーに充ちた存在感は、決してその豊満な体型からだけではなく、内から溢れているものなのだろう。
受付で小島が「コートをお預かりします」と言うと、無言でコートを渡してくる。肖子や小島の顔すら見ないまま、展示室に入っていった。上品だが主張の強い香水の香りだけが残る。
つんとした高飛車な態度が、海外で活躍するデザイナーという肩書きにピッタリで、肖子が思わず笑いそうになったとき、千奈津の夫と目が合った。
千奈津に比べるとスリムで優しそうな男性。鶴見興産の跡取り息子だということは知っていたが、顔を見るのは初めてだった。
面長の涼しげな顔立ちからは、穏やかな雰囲気が漂っていた。妻の千奈津と年齢はさほど変わらないはずだが、千奈津のようなバイタリティは感じられない。
現在の社長は眼光鋭く恰幅も良く、強引だが頼りになるタイプに見える。まだしばらくは現役だとはいえ、次期社長がこの人だとすると、会社の役員も少々頼りなく感じているのではないだろうかと、余計な心配をしてしまう。
鶴見はポケットの中を確認してからコートを脱ぐと、
「よろしく」と、肖子に渡した。
「お預かりいたします」
手触りからも分かる、上質なコートだ。丁寧にハンガーに掛けた。
関係者が全員来館し、受付付近に警備員が配置されると、肖子たちは展示室内に入った。今度は会場内での仕事が待っている。
ちょうど宮ノ森館長が、今回の展覧会の趣旨を話しているところだった。
肖子たちはテーブルに並んだグラスにシャンパンを注ぎ、来場者にグラスを渡していく。歓談がはじまったあとも、持っているグラスに目を配り、中身が少なくなっていれば
「お飲み物はいかがですか」と、声を掛けていく。
館長や学芸部長、そして学芸員の里村は接待の会話で忙しいので、肖子と小島が会場内を歩き回っていた。
「シャンパンをいただけるかな」
そう声を掛けられ、振り返ると鶴見が立っていた。
「はい。ただいま」
肖子は粗相のないようにグラスにシャンパンを注ぐ。
「きみは外部から派遣されてきたスタッフ?」
「いえ、この美術館でアルバイトをしています」
「へえ。立ち振る舞いが綺麗だから派遣されてきたのかと思ったよ」
肖子は曖昧な微笑を浮かべる。
「千奈津の作品は何処に展示されているのかな」
「二階にございます」
「案内してくれるかな」
「え……でも」
「案内してくれるだけでいいから、そんなに時間は取らせないよ」
穏やかそうな顔をしているけれど、案外強引なのか。肖子は小島に声を掛けてから、鶴見を伴って二階への階段を上った。
二階の展示室を見ている来場者は、ほんの数人。
肖子は奥のフロアまで鶴見を案内した。
「この展覧会に出資しているから社の代表で来たけれど、殆ど千奈津の付き添いみたいなものだったからね。あの場で話す人も居ないから助かったよ」
「そうですか──こちらが奥様の作品です」
そこに展示されているのはネックレス。金の二連のチェーンに、ガーネットとオニキスが埋め込まれ、赤い珠と黒い珠が螺旋状になって見える大ぶりなネックレスだ。
キャプションには鶴見千奈津の略歴と、この作品の解説が書かれている。だがもちろん、この作品を作るに至った千奈津の本心は書かれていない。
「曰くのある宝飾展、か」
鶴見が独り言のように呟く。肖子が鶴見を見ると、その表情は冷たく、展示されているネックレスを蔑んでいるようにも思えた。
「きみはこの作品をどう思う? 好きか?」
「そうですね……好きかと言われるとなんとも。見ていると少し怖いので、敬遠したいかもしれません」
「怖い?」
「なんとなく。この螺旋状になっている二種類の石が、お互いを締め合っているように見えて苦しいです」
「へえ」
「あくまで私が感じたことです。すみません。あの、そろそろ失礼します。どうぞごゆっくりご鑑賞ください」
「あ、ああ。ありがとう。きみは普段は事務所にいるのか?」
「いえ。展示室で監視をしています」
「そう。名前を聞いてもいいかな」
「橘と申します」
「下の名前は?」
「……肖子です」
「肖子さんね。ありがとう」
*
レセプションパーティーが開かれた二日後、展覧会が始まった。宝飾品というだけあって、若い女性が多い。
呪われた指輪、不幸を呼ぶネックレス、そういう話に惹かれるのは女性なのかもしれない。宝飾品の裏にある話を、お伽噺でも読むかのように、そしてまるで自分が持ち主になったかのように夢想する。
鶴見千奈津の作品は特別出展なので、とくにそういう曰く付きのものではないが、なにか闇のようなものを感じる作品だと、ネックレスを眺めながら肖子は思う。
閉館時間まであと少し。
のんびり館内を歩いていると、「肖子さん」と声を掛けられた。
そこに居たのは鶴見だった。レセプションのときに着ていた上品なコートを羽織っている。
「あ……」
どう話せば良いのか浮かばず、咄嗟に頭を下げる。
「客の入りはどうだい?」
「入ってます。若い女性が多いですね」
「女の人は好きそうだもんな」
「今日は打ち合わせかなにかで来られたのですか?」
「いや。ほら、うちの会社、金出してるからさ。盛況かどうかのチェック」
「そうですか」
「というのは、表向きの台詞。そう言って社を出てきた」
「え?」
鶴見は控えめな笑みを浮かべて肖子を見る。
「このあとの予定は?」
「いえ、とくには……」
「それじゃ食事を一緒にどうかな」
「どうして私と?」
「どうしてかな。でもきみといろいろ話をしてみたいと思ったんだ」
閉館時間を告げる音楽が流れる。
「じゃあ館の外で待っているから」
そう言うと鶴見はゆっくりとした足取りで階段を下りていく。
肖子は狐につままれたような顔で立ち尽くした。
鶴見興産の次期社長が、私に興味を持つわけがない。これは何かの間違いだと思いながら、館内を見回し、事務所に戻った。
帰り仕度をして美術館を出ると、そこには確かに鶴見が立っていた。
肖子に気づくと、ごく自然に肩に手を回し、
「行こうか。タクシーを拾おう」と言って歩き出す。
頭の中では「なぜ」「どうして」という言葉が、ぐるぐると駆け巡っていたが、実際に口にすることはできず、鶴見にエスコートされるままタクシーに乗り、高級料亭に入った。