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九・復活の棺 -1

 日が暮れる頃には肖子の体力も回復し、シャワーを浴びることも出来た。深町が作った茶碗蒸しは、出汁の旨味が胃に広がり、体が喜ぶのが分かる。肖子が美味しそうに食べている様子を見て、深町もまた心に潤いを感じていた。


 一年ほど海外でフィールドワークをして、二ヶ月前に帰国した。カナダからアメリカに南下しながら縄文人の痕跡を追い、現代の人間との関わりは無いに等しい生活をしていた。交流があったのは北西海岸インディアンの子孫たちくらいだ。スムーズに会話が出来ないストレスは少しずつ溜まっていたに違いない。小さい頃の夢を何度も見た。冬馬が生まれたのは異国の地。父が海外で仕事をしていたからだ。小学生の途中で日本に来たが、日本語がうまく話せずもどかしい思いをしたことを思い出す。歯ぎしりをしながら目覚めることが何度もあった。


 フィールドワークを終え日本に帰ってきてからも大量の資料と向き合う日々。人と会話をすることは皆無だ。気晴らしが『coffin』での晩酌だが、いつも開いているわけではない。まして、そこに居る人物は日本人形のような霧。桶川や百合、そして富樫といったクセのある人物だ。気楽に会話が出来る肖子の登場は深町にとって、乾いた大地に降り注いだ恵みの雨のように感じた。


 でもこの雨は、あまりにも弱々しい。肖子の今までの人生を聞き、少しでも寄り添いたいと思ったのは、自分が人との関わりに飢えているからなのだろうか。それとも肖子に惹かれているからなのか、深町には分からない。だが少なくとも今は、肖子のこれからを近くで見ていたいと思う。


「ごちそうさまでした。深町さんのお料理、本当に美味しかったです」

 肖子は深町に微笑み、箸を置く。

「そうか。それは良かった──なあ、本当に行くのか? 今日は体を休めた方がいいんじゃないか?」

 深町の言葉に肖子は首を横に振る。

「いえ、行きます。桶川さんと話をしたいのもあるけど、私、百合さんにも伝えたいことがあるんです」

 百合がお店に居るのは躁の状態の時だけだと言っていた。いつ鬱状態になってしまうかは、本人にも分からないと本に書いてあった。もしかしたら今日既に鬱状態になっていて店には居ないかもしれないが、日を置けば会えなくなってしまう可能性は高い気がしたのだ。

「分かった。でも長居はしない。日付が変わる前には帰ってくるからな。明日は展覧会の最終日なんだろ。ちゃんと仕事に行くんだろ?」

「はい。明日は仕事に行きます。だから長居はしません」

「じゃあ、タクシーを呼ぶから支度して」

 深町はそう言うと立ち上がった。


 *


 店内には二人の到着を待っていたかのように全員が揃っていた。

「いらっしゃい」

 霧が抑揚のない声で言う。

「こんばんは。この間は寝てしまってすみませんでした」と、肖子は全員に頭を下げた。

「体は大丈夫そうだな」

「はい。ご心配をおかけしました」

 肖子は声を掛けてきた富樫に微笑んでから、「百合さん、居てくれて良かった」と、カウンターの一番奥に居る百合に話しかけた。百合は既に何杯か強い酒を飲んでいるようで、上半身が少し揺れている。

「百合さんの本読みました。私には難しいところもあったけど、百合さんの苦しみが胸に刺さりました」

「そう」

 百合はさほど興味なさそうにロックグラスを傾ける。

「あの日、鶴見さんは悪くない、悪いのは奥さんだなんて、自分たちを正当化するようなことを言ってしまって情けないです。ごめんなさい。不倫はやっぱり良くない。誰かを傷つけるのは間違いない。奥様の気持ちを考えられない私は大馬鹿者です」

 百合が目を見開いて肖子を見た。そして次の瞬間、肩を震わせ笑い始めた。

「あははは。あいつと浮気をしたのは肖子ちゃんじゃないのに。謝られてなんだか変な感じ」

 そう言いながらケタケタ笑う百合の目尻に光るものが浮かんできた。

「百合さん……」

「肖子ちゃんじゃないのに謝られて変だよ」

 百合は目尻を自分の薬指で拭うと肖子を見て微笑んだ。それは初めて見る百合の自然な笑みだった。

「あんた、良い子だね。鶴見なんかには勿体ないよ。さっさときっちり別れな」

 肖子はこくんと力強く頷いた。


「何か飲む?」

 霧が肖子に声を掛けた。桶川がちょっと驚いたように霧を見たが、肖子は気づかなかった。

「今日はアルコールは無しにします。明日展覧会の最終日なので、きちんと仕事に行きたいから」

「霧さん、橘さんにはペリエをお願いできますか。オレにはいつものバーボンをロックで」

 深町が言うと霧は頷き、冷蔵庫からペリエの瓶を出す。肖子が座った席の隣に桶川が来て腰掛けた。

「冴子さんの記憶を見たんだって? 彼女、晶のことは恨んでいなかったでしょう?」

「はい。ちっとも。それに私、深町さんの家にあるオブジェにも触れました」

「さっき晶からチラッと聞いたところ。見えたんだってね。何に触れたの?」

「縄文人の赤ちゃんの手形です」

「──そう」

「桶川さんは、どうしてあんな不思議なものが作れるんですか?」

 単刀直入に切り出した肖子に、桶川は優しく微笑んだ。

「そうねぇ。強く願ったからかな」

「何をですか?」

「僕が生まれてきた理由が知りたかった。そして霧が正常に戻る方法」

「正常?」

 肖子はグラスに注いだペリエを出してくれた霧を見る。年齢不詳なところと、表情が乏しいところを言っているのだろうか。


「最初はね、自分にはどんな芸術表現が向いているのか知りたくて、いろいろなジャンルに手を出してみたのよ。でも僕の根底にあるのはどうしても棺だった。そこから離れることは無理だと悟って、いろんな棺を作ったわ。卒業制作の棺に僕は一晩入って過ごしてみることにしたの。空気穴のない棺にね」

 桶川が楽しそうに肖子を見て言う。その顔はどこか狂気を帯びていて肖子は身を固くする。

「当然だんだん息が苦しくなってきてね。このまま本当にこの棺が僕の死体を入れる棺になるのかと思ったわ。それでもいいとも思ったの。僕が死ねば、霧はもしかしたら正常に戻るかもしれないって思ってね。そしたら棺の外から泣き喚く霧の声が聞こえてきたの。僕の体の異常を感じて棺を開けようと半狂乱になっていたわ。僕の部屋に置いていた棺だったから、霧の声を聞いた父が棺を開けてしまって僕は死ななかったんだけど」

「──桶川さんと霧さんは、ご兄妹なんですか?」

「そんなところかしら。僕と霧はね双子なの。二卵性双生児だけどね。霧の方がお姉さん」

「双子……」

 桶川は自分を見つめる霧を愛おしそうに眺めながら続ける。

「双子とはいえ、二卵性だから姉弟と同じよね。本当なら母のお腹の中には霧だけが居るはずだった。でもね、僕も誕生してしまったから……僕が霧の必要なものを奪ってしまったんだと思うの」

「必要なもの?」

「言葉、感情、そういったものが欠如していると、肖子ちゃんも霧を見て思ったんじゃない?」

「それは……」

 はっきりと否定できない自分が確かに居る。桶川は静かに微笑んだ。

「僕はね、ご覧の通り感情豊かに育ったよ。話し始めるのも早かったみたい。でも霧はなかなか喋らない子でね、とにかく外の世界はまるで目に入っていない感じだったわ。僕が必要以上に内から湧き出る感受性を持っているのは、きっと霧の分も奪ってしまったからなのよ」


 肖子は霧を見る。いつものアルカイックスマイルで、ただ桶川を見つめる霧は、何を思っているのだろう。本当は心の底にいろいろな感情を持っているのではないだろうか。それがうまく表面に出ないだけなのではないだろうか。肖子は自分と比較していた。家族を亡くして、本当はもっと感情を露わにして泣き叫びたかった。でもそんなことをしても寮に居た友人達は困るに違いない。そう思って感情を押し殺し、ただ引き籠もるだけだった自分。霧ももしかしたら心の中ではいろいろ話しかけているのかもしれない。

 桶川はロックグラスに入っているウィスキーで唇を潤した。カランと氷の揺れる音が響いた。


「霧を普通の人間にするにはどうしたらいいのか僕なりに模索したのよ。だって、僕が原因だもの。芸術品は人の魂を揺さぶるっていうのを聞いて、いろいろな作品を作って霧に見せたけど、霧の反応は変わらなかった。大学時代はそのことに夢中になっていて、きっと周りからは寡黙な芸術家(がくせい)って思われていたわよね。そうでしょ、晶」

「そうだな。作業場にいつも籠もって飲み会にも顔を出さない変人だと思っていたよ」

 その言葉に、やっぱりねと、桶川は笑う。

「棺に入って死にかけたときにね、チカチカする脳裏に見えたの。時を遡っていく自分が。大きな黒い渦に身を任せると、世界のあちこちにあった大河の近くに人類が文明を築き始めたのが見えた。生きるエネルギーが其処には確かにあった。その光景が忘れられなくて、古代人が麦刈りをしている様子を描いたレリーフを作ったのがすべての始まりね」

 桶川の目には当時の様子が見えているのだろう。肖子の隣に座っているが、その目は肖子を映してはいない。独り言のように淡々と語る桶川の声に肖子は黙って耳を傾けた。

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