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八・丸木舟の旅 -3

 三時間ほど眠った肖子は布団から起き上がり、深町の作った雑炊を食べることができた。だるさも抜けてきているのが自分でも分かる。

 それでもまだ寝ていた方が良いと深町に言われ、素直に従う。

 布団に横になろうとして、美術館に連絡を入れておいた方が良いかもしれないと、ふと思った。枕元にスマートフォンは無い。そうだ、深町の部屋に置いたままだ。

「深町さん、すみません。私のスマホを持ってきて貰ってもいいですか? 私からも美術館に電話しておきます」

「ああ、そうだね。ちょっと待って」

 深町は肖子が食べ終わった食器を片付けると、スマートフォンを持ってきてくれた。美術館に電話すると「宮ノ森美術館です」と、品のある声で小島が出た。

「あ、橘です」

「橘さん? 大丈夫なの?」

 電話の相手が肖子だと分かると、小島はいつもの砕けた口調に変わる。

「突然休んでしまってすみません。立ちくらみが酷かったので……明日は出勤しますので、館長にもお伝えください」

「無理しないでよ。でも声を聞いていると大丈夫そうね」

「はい。明日は最終日ですし、ちゃんと行きます」

「ねえねえ、深町さんって橘さんの彼氏? 良い声してるわね。今も傍に居るの?」

「え……あの……」

 彼氏ではない。が、そう言うと、それはそれでややこしいことになりそうだ。小島は楽しそうに、今日は彼にたっぷり看病してもらいなさい、などと言っている。

「えっと、そしたら……今日はご迷惑をおかけしますが宜しくお願いします」

「大丈夫よ。深町さんに宜しくね」

「はい……」

 通話終了ボタンを押した肖子は小さく溜息をついた。

「──橘さん? 大丈夫か? 頬が赤いぞ」

 客間にお茶を持ってきてくれた深町が心配そうに肖子の顔を覗き込む。不意に目の前に深町の顔が現れ、肖子はたじろぐ。

「大丈夫です。なんでもありません」

 肖子は横になると、タオルケットを頬まで引き上げた。

「あー、オレが朝電話したから、もしかして何か言われた?」

「……彼氏だと思われてます」

「だよな。申し訳ない」

「小島さんっていう事務員さんが深町さんの電話を受けたんですけど──深町さんに宜しくだそうです」

 深町は苦笑して「了解」と答える。それから肖子を見て、

「彼氏じゃないって否定しなかったの?」と聞いてきた。

「だって……否定したら、深町さんとはどんな関係なのか、いろいろ聞かれます。小島さんってゴシップ好きだから」

「彼氏の方が簡単だな、確かに」

 そう言いながら深町は微笑む。その顔を見ていると、やっぱり聞いてみたくなった。

「今更なんですが──深町さん、彼女は居るんですか?」

「居たらそもそも橘さんを泊めないよ」

 何を当たり前なことを、という深町の表情を見て肖子は安堵する。

「ですよね。安心しました」

「なにが?」

 そう問われ、誤解されそうな発言だったと肖子は慌てる。いや、そもそも今の自分の発言はどんな気持ちだったのだ?

「彼女が居たら申し訳ないですもん」

「ああ、そういうこと」

「──小島さんの誤解は、ちゃんと解いておきます」

「じゃあ……」

 と、言いかけて深町は口を閉じる。肖子の大きな目が深町を見た。ほんの少しの沈黙。

「まあ、ゆっくり寝て」

「──はい」


 深町は立ち上がると客間を出ていった。彼氏だと誤解されたのに、嫌な顔をされなかったことに安堵しつつ、少し芽生えた深町への思いにも戸惑っていた。だがそれはすぐに打ち消す。今はまだ恋愛云々などを言える立場ではない。そう思いながら、ぎゅっと唇を噛みしめた。


 深町は台所で肖子が使った食器を洗いながら、言いかけた言葉を心の中で呟いた。

「ホントに橘さんの彼氏になろうか」

 もし言葉にしていたら、肖子はなんと答えただろう。頬を染めながらしどろもどろになる姿が目に浮かぶ。それは申し訳ないです、などと言うのだろうと苦笑した。

 鶴見のことが終わらなければ、肖子は誰に対しても首を縦には振らないだろう。そう思って言葉を飲み込んだ。だが、言っても良かったかもしれない。軽いノリで言えるタイミングだったような、それを逃してしまったような、複雑な感情が心の奥で燻る。脳裏には富樫の顔が浮かんでいた。富樫の強引さを思うと、鶴見の存在とは別の意味で心がざらついた。


 肖子のことを富樫に連絡したとき、まっさきに富樫は肖子の体を案じた。それから深町の不注意と好奇心を責めてきた。自分だって肖子にキーホルダーを握らせたくせにと、内心思ったが、聞き流すことにした。

 肖子が今晩『coffin』に行きたがっていることを告げると、電話の向こうから溜息が聞こえたが、

「あんな体験すれば、仕方ないな」と、諦めに似た言葉が返ってきた。

約一年ぶりになりました(汗)

此処までは去年すでに仕上げていたのですが、コロナ時代に突入してしまい、考えていた展開を書くのに抵抗があって放置しておりました。

小説は小説と割り切ることにして、続きを書こうと思います。

再開するにあたり、いろいろ修正してしまいました。スナックの名前も変わってしまったので、タイトルもそのうち変えるかもしれません。すみません。。。

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