眼帯の正体
ベッドに戻り、あまりにもひどい異世界のスタートダッシュに咽び泣いていると、コツ、コツ、と廊下から足音が響いてきた。
足音は部屋の前で止まり、続いてコンコン、と扉がノックされる音が聞こえる。
「ノルマン、すごい声が聞こえたけど、起きたかい?部屋に入るよ」
それだけで好青年を彷彿させるナイスボイスが扉の向こうから聞こえてきた。
人魂だったころと聞こえている音は変わらないのに、聞いた瞬間から何を言ってるかわかるようになる。 リーディングだけじゃなく、リスニングも問題ないみたいだ。
扉を開け、イケメンが入ってきた。
そのイケメンこそ、俺が憑依しようとした相手であり、圧倒的主人公オーラを放つ人物だ。
そうだ。こいつの顔を見て、今、思いだした。
こいつの名前はクラウス・ディエスブルグ。
最高戦力である『剣聖』の家系に名を連ねる者にして、歴代最強とうたわれる今代剣聖。
そしてイケメン。
やはり、俺の目は間違ってなかった。
こいつはどう見ても主人公だ。それも確実に無双するタイプの。
「よかった。起きたようだね。大丈夫かい?」
「あ、ああ……」
どうやら言葉は普通に話せるらしい。
クラウスの言葉を聞いた瞬間に、話し方を思い出した。
だから、それに従って話してみたわけだ。
思ったよりも、難なく話すことが出来て安心する。
口から話したこともない言語が出るのとてつもなく気持ち悪いけど。
「ノルマン?」
気が付くと、クラウスが隣の椅子に座って、顔を覗き込んできていた。
「あ……ああ、スマン。大丈夫だ」
「ならよかった。急に倒れるからびっくりしたよ」
「し、心配しすぎだって」
「そりゃ心配もするさ。急に親友が倒れる僕の心中も察してくれ」
そう。
何の因果かこの体の持ち主、ノルマン・タリフレアは『剣聖』クラウス・ディエスブルグと親友なのだ。
小さい頃のノルマン少年は、偶然村にやってきていたクラウス少年に声をかけた。
そこで小さい子供の時特有のコミュ力で友達になって以降、クラウス少年は休みが取れるたびにできる限りこの村に遊びに来るようになって、以来、良好な親友関係を続けている、らしい。
らしい、と不確かなのは、思い出したクラウスとのエピソードのどれもここまで親しく思われるようなものには思えないからだ。
実際の場面を見てみたら違うのかもしれないが、俺が思い出すことのできる情報は普通に思い出す行為で得られるものとは違う。
おそらくノルマン自身の認識であろう情報を、箇条書きのように思い出すのだ。
まあ正直、今のところ俺はノルマンのことに関して名前と年齢ぐらいしか思い出してないので、ひょっとしたらすごい性格イケメンって説もある。
だとしたらありえそうだな。うん。その説を推そう。
「ノルマン、本当に大丈夫か?」
そんなことを考えていると、クラウスがこちらを不審そうな目で見ていた。
まずい。ひょっとすると、俺の態度が前と違って不審に思っているのかもしれない。
何か話をそらさないと。
「もちろん! そ、そんなことよりほら、俺が倒れる直前に誰かが危ないって言ってた気がするけど誰が言ってたんだ?」
「何言ってるんだ? 危ないって叫んだのは君じゃないか。君が、ハル―おばさんにボールが飛んできていたのをいち早く教えてくれたんだろう? ハル―おばさんのことなら心配しなくていいよ。僕がどうにか間に合って、今も問題なく無傷だから」
「あ、ああ。そうか。それはよかった」
うぐあ! 墓穴掘った! よりにもよって叫んでたのノルマンかよ! 頼む! スルーしてくれ! 気付くな! 気付くな!
俺が祈っていると、クラウスはあごに手を当てて考えこみ始めた。
祈りすぎて心臓に悪い時間が続く。
一分ほどたって、ようやく口を開いた。
「……君の名前を、教えてもらっていいかい」
「……え?」
その一言に、空気が凍り付いたと錯覚するほどの悪寒を覚えた。
それは、一見すると意味の分からない質問だ。
先ほどまで、俺のことをノルマンノルマンと呼んでいた人間が口にする質問では到底ない。
だが、こと俺に対してだけは意味が通じてしまう。
なぜなら、俺はこの体に憑依した一旗慎二。その本質は、ノルマン・タリフレアではない。
だからこの質問は、俺が憑依したことを知っている人間しかするはずがない。
ありえないはずなのだ、こいつがこの質問をするのは。
確かに、今の俺の言動から俺の様子がおかしいと思うまでは不自然ではない。
しかし、別の人間がのっとっているだなんて荒唐無稽な事実を見抜くまでに、この一瞬で至るのは不可能なはずだ。
「お、俺は、俺の名前は……」
肺に入ってくる空気が重い。声の出し方すら忘れてしまったのではないかと思うほどに、二の句が継げない。
本当の名前を答えるか、ごまかすか、それだけしか考えていないにもかかわらず、頭が目まぐるしく回転しているのが自分でもわかる。
気が付くと、体中から汗が噴き出していた。
「俺の名前は、ノルマン・タリフレアだ」
結果、俺がした選択は、ごまかしだった。
何の解決にもならないごまかし。
ただの数秒、問題を先延ばしにするだけの行為だ。
「そうか……やはり……」
クラウスが、感情の読み取れない目で俺のことを見る。
その藍色の瞳に、何もかも見透かされているのではないかという錯覚すら抱く。
否、事実見抜かれているのだろう。
俺が今、ただ無駄にしらばっくれたことも、中身が別人であることも。
おそらく次の一言が、俺に向けられる断罪だ。
親友を乗っ取った俺はおそらくひどい処遇を受けるだろう。
だが、これも天罰なのかもしれない。人の体を乗っ取ったことの。
そもそも、こんな主人公に歯向かうこと自体が土台無理な話だったんだ。
思考の海に溺れる俺を前にし、クラウスが放った一言は――――――
「打ったんだな……頭を!」
「……へ?」
俺の考えが、全て無駄骨だという事実をたたきつけてきたのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「ふう……ようやく一息ついた。それでえーっと、……どうして頭を打ったと思ったか、聞いてもいいか?」
水の入ったコップを一気に飲み干して鳴り響きまくっていた鼓動を落ち着かせた後に、俺はそう質問した。
「どうしても何も、一目瞭然だよ。普段の君と態度が全然違うじゃないか」
やっぱりそこか。
まあ不審がられる理由なんてそこぐらいしかないと思うが、だとしたらどうしてここまで確信をもってたんだ?
一般的な態度しかとってないはずだし、多少普段と違っても確信までには至らないと思うんだがな。
「具体的にはどこら辺が?」
「まず、最初に頭を打ったんじゃないかと思った理由は、グシャリと音が聞こえて振り返ってみたら、君が倒れていたことだ。あの音が、頭を打った音だったんじゃないだろうか」
グシャリが頭を打った音ってやばくね? それ普通に頭の大事な部位が一個か二個ぐらいつぶれてね? ……まあ野暮なツッコミはなしにしよう。
「次に、一人称が我じゃないことかな」
……ん?
あれ? 聞き間違いかな。今なんか一般人には到底ありえない内容が聞こえた気がする。
「あとは、いつもなら起きてからもう二回は唱えてるであろう呪文を一回も唱えていないことかな」
これは……いやまて、まだノルマンが魔法を使えた可能性もある。
大丈夫。ここは異世界だ。魔法を使える。そうに違いない。
「まあ正直、魔法も使えないのにずっと呪文を唱えられるのはちょっときつかったから、ありがたいんだけどね」
ノータイムキャンセル入りましたー。
うすうす思ってたけどこれってやっぱり……中二病だよな。
ふと、嫌な予感がした。
恐る恐る右目に着いた眼帯を外すと……俺の右目は、普通に見えた。
ああ、やばい。
もう羞恥がやばい。
「眼帯を取るなんて!ずっと古の古龍の血を引く魔眼がナントカとか言ってたじゃないか!やっぱり頭を打ったんだな……」
やっぱりこの眼帯も中二アイテムだった。
恥ずかしい!共感性羞恥で死にそうだ!
古の古龍の血を引く魔眼ってなんだよ!頭痛が痛いみたいなことになってんじゃねえか!!
「後、一番の根拠は名前だね。今までノルマン、自分のことをノルマン・ダーク・ブラック・カオス三世・タリフレアって名乗ってたじゃないか」
「ネーミングセンスがマイナスにカンストしてやがる!!」
ノルマン・闇・黒・混沌三世・タリフレアってなんだよ!
黒っぽいものに親でも殺されたのかよ!なんで名前の途中に三世入ってんだよ!
あああ!恥ずかしい!
何?なんで俺異世界に来てまで自分のものでもない黒歴史で悶絶してんの? どんな拷問だよこれ。
っていうか駄目だ! 自分の黒歴史まで思い出しちまった!
やめて!制服の袖の中に定規とか隠し持ってなかったから!
教室に銃を持った悪の組織がやってきてそれをボコボコにする想像してたらうっかり「泣かなくていい。もう君の瞳の青空を邪魔する雲はいない」とかいう決め台詞を口にしちゃって隣の女子にドン引きとかされてないから!
しかも後日その女子に手を振られたと思って振り返したら後ろの奴に向けてだったとかなかったから!
ああああ! 死にそう! 死にたい! 今すぐ消えたい! 消えたいよぉ!
「いっそ誰か、一思いに俺を殺してくれぇ!!!」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
もう駄目じゃ。ワシのメンタルは限界じゃ。
心なしか、一気に年を取った気すらするわい。ふぉっふぉっふぉ。
……マジで疲れた。
あの後、悶絶する俺を気遣ったクラウスの「ちょっと散歩にでも行こうか」という言葉に従い、散歩にでかけた。
外は気持ちのいい快晴で、俺の傷つきまくったメンタルも少しずつ回復中だ。
クラウスには、頭を打ったから性格が変わったし、ちょくちょく忘れてることがあると説明した。
今すぐに治さなければと慌てるクラウスを問題はないからと説得するのにまたひと騒動あった。
というかよく説得できたと我ながら思うが、どうやらクラウスも前の中二病すぎる俺には少し思うところがあったらしい。
過去のエピソードを語ったり、他にもいろいろ尽力した結果、また何かおかしな点が出てきたら本格的に体を調べるということで話が付いた。
中二病でも親友でいてくれるとか、あいつマジ主人公。
村の端っこを歩いていると、この前クラウスに子供を助けられた美人若奥様が声をかけてきた。
どうやら子供の件の礼をしたいらしく、家までぜひどうぞという激しいお誘いに、あっという間にさらわれた。クラウスだけが。
いやね、別に俺もお礼たかろうなんて別に思ってないよ。
だからさ、なにも俺置いてかなくたっていいじゃん。
イケメンじゃないやつはいらないってのか?くすん。
さらわれたクラウスを取り返す手段もないので、少し歩いたところにあったベンチに座った。
ちょうど木陰のなかにあり、気持ちのいい涼しさだ。
再度傷ついたメンタルを癒すにはこれ幸いと目を閉じて、木々のさざめきを聞く。
さざめきはいい。
聞いているだけで爽快な葉っぱのサワサワ音に、出所がいまいちはっきりしないような絶妙な音の揺れ動き。木の下に落ちる影と、木漏れ日。
そのどれにも、そこはかとない安心感がある。
ふと、違和感を抱いた。
どこからか、妙な音が聞こえる。さざめきに混ざっているそれは、だんだんと大きくなっているようだ。
ガバリ、と背後で何かが立ち上がる気配がした。
嫌な予感がし、慌てて振り向こうとするが、背後の存在は振り向くよりも早く、俺をベンチの後ろに引きずりこんだ。
何をされるかわからない恐怖と、何が起こっているのかわからない混乱で、頭が埋め尽くされる。
どうにか何者かの手から逃れようと必死に暴れるが、それも無駄だった。
俺は何者かに縛り上げられると、口に布を詰められ体を丸ごと袋らしきものに放り込まれた。
人生初の、誘拐だった。
友達のエイ君に見せたところ、
「自分の黒歴史思い出した。死にたい」
と言ってました。