憑依の顛末
暗い。それが最初に抱いた感想だった。
どうやら憑依は成功したらしい。
魂だけの時は、何でもできるというある種の全能感に近い解放感があった。
だが、今は違う。
自分にはできることしかできない。そんな当たり前の事実を再認識させてくれるような独特な束縛感がある。
ひょっとしたら間に合わなかったかもとも思ったが、この感覚からして、まず間違いなく成功だろう。
問題は、誰に憑依したかだが……まあいい。それよりも今必要なのは、この暗闇に囲われた自分の状況の確認だ。
俺は今、辺り一面暗闇の世界にいる。
一寸先は闇なんてレベルじゃなく、本当に何も見えない。手足の感覚はあるのだが、それすら見えない。
普通なら、自分がどこにいるのか慌てるような状況だ。
だが、今の俺は落ち着いている。これは別に、俺が急に精神的に覚醒し、何にも動じることのないクール系強キャラになったとかそういう話ではない。
こちとらただの浪人生。何が起こっても腕組みしながら「フンッ」とか言える精神は持ち合わせていない。
ではなぜ落ち着いているのか。答えは簡単。
感覚で、自分が今危険な状況にないことが分かるのだ。もっと言うと、この暗闇の空間が、自分の意識の、ずっと深いところだということが直感でわかる。
目覚めようと思えばすぐに目覚められるだろうし、多分頑張ればもう一度ここに来ることもできる気がする。
こちとら三か月も人魂やってた身だ。
暗闇なのは確かにちょっと怖いけど、深層心理に謎の空間があるぐらいのびっくり現象なら、もう耐性はついた。
ここからなんかもう一人の俺とかが出てきたらさすがに驚くけど。
わざわざ来たからには何かあるだろうし、少し待ってみよう。
そう考えて待っていると、不意に光の塊が出現した。
「な、なんだ!?」
急な暗闇から光が出現したせいか、目がチカチカする。なんでだよ、ここ精神の中なのに。
ようやく目が慣れてくると、光の塊がぶよぶよと形を変えていることに気が付いた。
眺めていると、光の塊が大きな辞書ほどの厚みの本になっていく。少しすると、完全に本になった。
近づいて表紙を見てみると、何やらよくわからない文字で題名が書かれている。
異世界語だろうか。とりあえず中を読もうと腕を伸ばすと、本は一度ビクリと動き、触りもしていないのに開いて、中身を見せてきた。
「……え?」
思わず声が漏れる。
本の中身は、白紙だったのだ。
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あー、暇だ。
なんか歌でも歌おっかな。……え?何で寝そべってだらだらしてるかって?
そりゃあ、あの本が白紙のページ見せたまま微動だにしないから……。
最初の五分ぐらいはなんか文字でも浮かんでくるんじゃないかってにらめっこしてたけど、全然そんなこともなかったしな。
あー、暇だー。
もう目覚めて現実に戻ろっかなー。
そういえば、俺が憑依した奴って結局誰なんだろう。
精神の中だからか知らんけど、この空間の俺の体は日本にいた時の一旗慎二としての体だしな。
……いや、本当は大体わかってるんだけどさ。
あいつかなー。それはやだなー。
うん、もういいや。
こんなとこでずっとダラダラしても仕方ない。最後に本をちょっと調べたら帰るか。……あれ?
立ち上がり本を見ると、文字が浮かんでいた。
ん?なんでだ?さっきまでなんも反応してなかったよな?なんで急に文字が浮かんできたんだ?っていうかこの文字読めねえ。
んー?どうにも文字が浮かんできた理由がわからないな。何に反応したんだ?あとこの文字どうやったら読めるんだよ。異世界語とか俺使えねえぞ。
というかそれ冷静に考えたらやばくね?俺、人魂の時はイケメンたちが何を話してるのか全く分からなかったぞ。
憑依後の今でもおそらく異世界語だろうこの文字すら読めてないし。
体は異世界人のだからリスニングとスピーキングは最強とか?
いやいや、そんなんありえねえだろ。
あ……詰んだ。
これじゃ元の世界に戻る方法を探すどころかそもそも人とコミュニケーション取れねえじゃん。
いや……最終手段があるか。
全人類共通言語、ジェスチャーが!
あれに頼れば難なく魔王(仮)の正体について調べたり、元の世界への戻り方だって……無理だな。
大体ジェスチャーで魔王(仮)とかどうやって表現するんだよ。
どうあがいてもマッスルポーズ取って筋肉自慢してる奴に見えるのが関の山だろ。
というかそもそも、他の人から見た時に不審すぎる。さっきまで普通に会話してた相手が急にボディランゲージでしか意思疎通できなくなったら怖すぎだろ。なにその恐怖体験。
あー! 文字の読み書きとリスニングとスピーキング完璧になりたい!
そんなことを考えながらふと本を見ると、先ほどとは別の文字が浮かんでいた。
しかも、文字数がとんでもなく大量になっている。さっきのは一行だったのに、膨大なページ数にもわたって書かれているのだ。
膨大な量の文字をぼんやり眺めていると、途中で妙なものが目にとまった。
何やら、途中の一行に見たことある文字がある。
それは、テレビ等でごく稀に見ることがある、韓国語のように見えた。昔、グー〇ル先生で「おはよう」をいろんな言語に翻訳しまくって遊んでいた時に、見たものとかなり近い。
……もしこれが韓国語だとしたら、何であるんだ?
まさか異世界語が韓国語ってわけじゃないだろうし。
もしかして、文字が大量に増えたのは本来は一文のものを、いろいろな言語で表現してるからとか?
なんか、そうやって見てみると全部微妙に違う言語っぽく見えてきた。
もしそうだとすれば、日本語でも何か書かれているかもしれない。
文字をこれまで以上に細かく見るようにする。
知らない言語の見過ぎで気持ちが悪くなりそうだ。
どうにかこらえて読んでいくと、とうとう、日本語で書かれた一文を見つけた。
早速何が書いてあるのかを読もうとする。これで何か変わるかもしれない。
そう思い日本語を読んだ、その瞬間、頭に何かを焼き付けるような激痛が走った。
痛ってええ!! またこのパターンかよ! 俺異世界来てから何回激痛味わえばいいんだ!!
しばらく悶絶した後、息も絶え絶えになりながら立ち上がった。
いやマジで痛かった。死ぬかと思った。
小さい頃に、家の中で全力疾走して机の脚に思いっきり右足の小指ぶつけた時並みに痛かった。
流れから考えて、頭痛はおそらくこの本を見たせいじゃないだろうか。
もしそうだとしたら許せねえ。この本マジで焼き払って燃えるゴミの日に出してやろうか。
この恨み、晴らさでおくべきか!
俺の脳内軍法会議にかけるべく本を睨むと、そこでまたもや変化があった。
とはいっても、また頭痛に襲われたとかではない。一番上の一行の、文字が読めるようになっていたのだ。
知らないはずの言葉を読めるというのは何とも気持ち悪いもので、ミミズのダンスパーティーにしか見えなかった一文は、目に入った瞬間に未知から既知へと生まれ変わっていった。
気取らずに具体的に表現すると、文字を見るたびに、その瞬間にどう読むのかを思い出すという何とも奇妙な状況になっていた。
まあ、それが起こったのは最初の一行だけで、他の行はいまだ読めないわけだが。
先ほどまでミミズの社交場だった本の一行目には、「文字の読み方、書き方、聞き方、話し方」と書いてあった。
うん。
メチャクチャシンプルだな。小学一年生の国語の教科書かよ。
日本語の一文にも、全く同じことが書かれていた。
ひょっとすると、何ページにもわたって書かれているこの文は、全部別の言語で、同じことが書かれているのかもしれない。
超多言語で、「文字の読み方、書き方、聞き方、話し方」ってページいっぱいに書いてあるとか、メチャクチャシュールだな。
ハッ!
ひらめいたぞ!
俺はこの文字を見て、ピーンとひらめいた!
もうバーローって言いたくなるぐらいにひらめいたぞ! 我ながら名探偵だと思うね。
これまで文字が読めなかった俺が、急に文字が読めるようになった。
それは、本に書いてある文字列を見てから。
で、その文字列の意味は、「文字の読み方、書き方、聞き方、話し方」だ。
そしてこれは、俺が言葉を使いこなせるようになりたいと思ったら浮かんできた。
加えて、念じても出てくる文字は一行。
ここまで材料がそろえば簡単だ。
つまりこの本は、俺が知りたいと望んだことを、どういう理屈か見た瞬間に脳内にインプットする、魔法の一行を表記してくれる存在なのだろう。
大方、俺が望んだ異世界語の読み方を知りたい念じた時にやたらと文字量が多かったのも、読み手がどの言語が読める人間でもいいように、全ての言語で「文字の読み方、書き方、話し方」を表記したといったところだろう。
名付けるなら「全知の書」とでもいうべき本だ。フハハハハハ!さあ全知の書よ!我に英知を授けたまえ!
はい。全然違いました。恥ずかしい。
ドヤ顔で全知の書とか名付けちゃったの超恥ずかしい。
どうやら俺は、名探偵でバーローだったわけじゃなく、迷探偵でおっちゃんだったみたいだ。
色々調べてみた結果、この本の正体らしきものがおぼろげながらわかってきた。
どうやらこの本、基本的にはこの体の前の持ち主の知識が詰まった本らしい。
全知の書だと思い込んだ俺が、最初に知ろうとしたのが元居た世界への戻り方だった。
しかし、いくら強く念じても、文字は変わらない。
念じ方がおかしいのかと思い、試しにさっき出てきたこの体の元の持ち主が誰かについて念じてみたら、これはすぐに出てきた。
もちろん読んで痛みに悶えた。
念じ方に特に違いはないはずなのに、どれだけ念じても戻り方が出てこない。
じゃあ別のことをと思い、俺の元の世界での体の現在について念じてみたけど、これもダメ。
その後もいろいろ念じてみた結果、どうやらこの体の持ち主が知ってるっぽいことにしか反応しないことが発覚した。
しかも、反応したら反応したで、これがまた厄介。
毎度毎度、浮かんでくる文字を読むたびに激痛に襲われるわけだが、痛みが治まった後に、読んだことに関しての知識がスラスラ出てくるわけじゃない。
少しは出てくるけど、想像以上に少ない。
誰かについての情報をインプットしても、出てくるのはせいぜい名前と性別ぐらいだ。
文字はどんなものが出てきても読めるのに、この差は何なのだろう。
しかしそうか……全知の書じゃないのか……半ば期待しちゃっただけに、だいぶがっかりだ。あー落ち込む。もういいや。このまま目覚めよう……
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
目が覚めると、どこかの部屋のベッドの上に寝ていた。ベッドのすぐ隣に、化粧台のような鏡付きの机といすがある。
ベットから抜け出し鏡を覗く。
「そうだよな。うん。そうだと思ったよ」
鏡から目をそらさず、しっかりと目の前の現実を咀嚼する。
鏡の向こうにはやや間抜けな顔をした、十七,八歳ほどの少年がいた。
没個性的な顔立ちをしており、目鼻立ちも不細工というほどではないが、これと言って整っているわけでもない。
唯一目を引く点として、おそらく生まれつきであろう金髪があるが、それも顔と合わせてみると随分と味気ないものになるから不思議だ。
日本の髪を染めた不良のような不自然さはないが、別段似合っているというわけでもない。
しかし、ここまではあくまで体の話。所謂身体的特徴だ。
この鏡の向こうの少年は、明らかに目立つ点が一つある。
それは、右目に着いた黒い眼帯。
その眼帯には、口を開いた骸骨のようなマークがあしらわれており、なかなかのインパクトがある。
一度見たら二日ぐらいは忘れないだろう。
例えば俺。
俺も、この眼帯には見覚えがある。
具体的にどこで見たかというと、あのイケメンと、よく話していた少年だ。
それが示すことは、つまり―――
「おまえじゃねえよ!!チクショォォォーー!!!!」
俺の悲痛すぎる絶叫が、村中にこだました。
前置きが思ったより長くなってしまった……
次回からようやく話が動き始めます。