異世界は甘くない
夢の中にいるような感覚。それが、俺が最初に得たものだった。
なんとなく、今まで感じたこともないような開放感がある。
体が軽い。
このままずっと眠っていたいが、どこか 、それではいけないと思っている自分がいる。
そのまましばらくまどろみと戦っていたが 、意を決して目覚めることにした。
まだ覚醒しきらない意識を引きずりながら、周りの様子を確認しようとする。
ここはどこだ?
少なくとも、俺の部屋のベッドはここまでの解放感はなかったはずだが……
ぼんやりとした視界が定まり、周りがはっきり見えるようになると、上には青空が、下には雲が広がっていた。
とどのつまり、俺は大空に放り出されていた。
……は? ……え?
ちょっとまって!
死ぬ! 助けて! 死ぬ!
「ぎゃああああああああ!!」
ぼんやりとした意識は一瞬で覚醒し、俺はただひたすらに叫んだ。
叫んだ。
叫びまくった。
が、五秒ほどしてふとおかしなことに気が付いた。
―――――あれ? 全然落ちてなくね? と。
なんだよーよく見たらぜんぜん落ちてねーじゃん。
びっくりさせんなよ全く。
落ちてねえのにメチャクチャ叫んでたとか恥ずかしくて死にそうだわ……
……え? なんで浮いてんの?
何か浮いている原因はないかと慌てて自分の状況を確認する。しかし、俺の周りには何一つなかった。
何かの台の上に載ってるわけでもないし、パラシュートが付いているわけでもない。
というか、腕も足も、体の感覚がない。そもそも、周りも三百六十度見えている。
混乱してきた。ちょ、ちょっと待て、俺の体マジでどうなってんの?
どうにか身体を確認するために、感覚の無い目をどうにか動かして視界を変えようとすると、不思議なことに、まるで三人称視点で見ているように自分の姿が手に取るようにわかった。
――――俺の姿は誰がどう見ても、人魂だった。
死にそうじゃなくて、もう死んでた!!
ちょ、ちょっと待て! なんで俺人魂なの!? さっきまで部屋でだらだらネットサーフィンしてたじゃ ん! 急に死んだの!?
おおお落ち着け!
落ち着いて素数を数えるんだ! ……はうあ!? ゼロって素数なの!? 素数じゃないの!?
待て待てこうじゃない! 深呼吸だ! 深呼吸をしよう!
スー、ハー……人魂で深呼吸どうやるんだよ! !
……だめだ、これじゃらちが明かない。一問一答方式でとりあえず自分の状況から一つずつ整理しよう。
クエスチョンワン。
俺は誰だ?
これは簡単だ。俺の名前は一旗慎二。ひと月前に受験に 落ちたばかりの出来立てほやほや新鮮な浪人生だ。
クエスチョントゥー。
ついさっきまで何してた?
これも簡単だな。浪人した自分に絶望して、なんもかんも投げ出してだらだらと……ごめんこのクエスチョンパス。
クエスチョンスリー。
今どうなってる?
……人魂になってる。自分で言ってて頭おかしいんじゃねえのこいつって思うけど、俺は確かに人魂になってる。
クエスチョンフォー。
なんで人魂になった?
……全くわからん。
クエスチョンファイブ。
ここどこ?
……全くわからん。雲の上。
よし、落ち着いてきたぞ。
……なるほどね。他にもいろいろあるけど、今一番重要なの はこんなもんか。
なんで人魂になったかなんて一人で考えててもわからないし、とりあえずここがどこかだけでも把握しておくか。
っていうか急に成仏とかしないよな?しないように祈っとこう。困った時の神頼み最高。
動こうとして気がついたのだが、意外にも、移動が楽しい。なんか泳いでるみたいだ。
雲を抜けると、すぐ近くに村があった。村民らしき人影もちらほら見える。遠目に見て黒髪の人間が全然いなかった。
どうやら日本ではないみたいだな。会話を聞けばどこの国の人かざっくりわかるかもしれないし、とりあえずあの村まで行くか。スイスイーっと。
そんなこんなでようやく人の顔が識別できるほどの場所まで来ると、俺の頭の中(ないけど)に声が鳴り響いた。
――――――デキル限リ強イ人間ニ憑依セヨ
と。
びっっっっっくりした!
なんだ今の魔王みたいな声! こっわ! 人魂の次はリアル「こいつ直接脳内に……!」かよ!
……まてまて、せっかく落ち着いたんだから、ここはクールにいこう。
さっき魔王(仮)はなんて言ってた?
出来る限り強い奴に憑依しろ、だな。
憑依って……現代にそんな非科学的なことできるのかよ。でも、俺は今まさに人魂になってるわけだしな……。っていうか強い奴って、なんだ?プロボクサーにでも憑依すりゃいいのか?
……いやいや、誰がそんなんするんだ。普通に考えて憑依なんてできるなら自分の体見つけて元の体に戻るだろ。
大体憑依ってことは抑え込むだけで、元々入ってた魂のほうもいるんだろ? 俺は他人の体で一生シェアハウスする気なんてねえよ。
そんなことを考えていると、急に激しい痛みが襲ってきた。
見ると、俺の人魂の一番外側についている膜みたいなものに亀裂が入っており、膜の内側が電子レンジでチンした卵みたいに今にも爆発四散しそうになっている。
痛たたた! ごめん! ごめんなさい! 憑依する! 憑依するから!
魔王さん(仮)に必死に脳内で訴えると、痛みは嘘のように引いていった。
慌ててどこか不具合はないか確認してみるが、どうやら無事のようだ。よかった。
――――――バーカ
今こいつ魔王ボイスでなんつった!?
――――――バーカ
だれももう一回言えなんて言ってねえよ!!
なに、なんで俺人魂になってまでこんな理不尽な煽り受けなきゃいけないの?
俺神様かなんかに嫌われてるの? 困ったときにしか祈らないから?
……だめだ、また収集つかなくなってきてる。いったん落ち着こう。
とりあえず、死なないようにするためには、憑依をしなければならないと。
でもそんなんでいいのか? そんなことしたら、日本に帰れなくなるかもしれないぞ?
……ああ、そうか。何をそんな必死になって帰ろうとしてるんだ俺は。どうせ帰ったって、待ってるのは受験に落ちて浪人生活 も放り投げたクズみたいな生活だけじゃねえか。
よく考えたら、別に日本に帰るよりも、 こっちで憑依してたほうが幸せなんじゃないか? 元の体の持ち主には悪いけど。
……でも 憑依って具体的にはどうやるんだ? 俺憑依のやり方なんて知らねえぞ?
――――――バーカ
うるせえよ! お前何回出てくんだよ! 憑依のやり方とか知らないのが当たり前だろ! ってか空気読めよ! 今ちょっとシリアスな感じだっただろうが!
……いいよ。わかったよ。大方、この魔王(仮)が俺の魂引っこ抜いたとか、そういう展開だろ!
やってやろうじゃねえか! めちゃくちゃ強そうなやつに憑依して、さっさと自分の体見つけだして這ってでも自分の体に戻ってやんよ!
魔王だろうが何だろうがどんと来やがれってんだ! そうときまりゃあ早速物色開始じゃい! 待ってろよプロボクサー!
三ヶ月後
はい。あれから三ヶ月がたちました。いやー、不思議だ。人間引っ込みがつかなくなると、ここまでのことするんだな。三ヶ月はさすがに自分でもアホだと思うわ。
――――――バーカ
だからうるせえよ! っていうかお前まだいたのかよ! ひさしぶり!
物色を開始した俺は、まず見えていた村に向かった。というか、そこに向かうしかなかった。
村の周りは、入り口らしき場所から向かって右側に大きな山がいくつも立ち並んでおり、入り口と反対の方向、つまり村の後ろ側へ少し進んだところに木々が鬱蒼と生い茂った大きな森があった。
後は「あの地平線の彼方まで走っていこうよ!」と言いたくなるぐらいひたすらに平地が広がっていて、ほかの村に行くこともできなかったのだ。
最初はその村で、なんか鍛えてる若い男とかいないかな、と思って探していた。
筋骨隆々なおっさんも何人かいたけど、さすがにパスした。
憑依してすぐぎっくり腰になるとか嫌だしな。
三日ほどたって、いい若者も見つからないし、いい加減グダってきたから本当に地平線の彼方まで走って行って、別の村とか町とか見つけるワンチャンスにかけよっかな―、なんて思っていた。
しかしその時! とうとう奴が現れたのだ!
村にやってきたそいつは、なんというか、オーラが違った。言うならば、圧倒的主人公オーラを出していたのだ。
別に俺は「す、すげえ! こ 、こいつの身のこなしにはどこをとってもスキがねえ!」みたいなものが分かる人間ではないけど、彼だけは違った。
彼の動きを一言で表すなら、「洗練」だろう。
ただ歩いているだけなのに、その動き一つ一つが、完成された芸術作品のようであり、なに一つ無駄がない。
――――否、無駄ですら芸術のうちと言わんばかりのものに見えてくるのだ。
その藍色の瞳には、見られたものが自然と安心してしまうような柔和な色を含んでおり、リアルなら絶対に似合う人がいなさそうな銀髪が、嫌味すら感じないほどに似合っていた。
白を基調とした服には藍色で荘厳な生き物のような何かがあしらわれており、瞳や髪と合わせて彼の芸術性をより際立たせる。歩く彼を追う 人々の視線さえ、彼がただ者でないことを肯定していた。そしてなによりも、
――――――イケメンだったのだ!
繰り返そう。
――――――イケメンだったのだ!
重要なことなので三回言う。
――――――イケメンだったのだ!
地味、さえない、平安時代ならモテた、とさんざん言われ続けて苦節18年!
今まで散々言ってきやがった顔面偏差値53ぐらいの雰囲気イケメンを筆頭とするクラスメイト達に、 ついに復讐する時が来たのだ!
フハハハハ! 俺は地味メンをやめるぞ! クラスメイト――ッ !!
そんなこんなで、幸先のいいスタートを切っていた俺だが、一つだけ問題があった。
彼が、強いかどうかが分からなかったのだ。
正直、あのレベルのイケメンというだけで、相当揺らいだ。っていうかほぼ決めかけてたけど、そこで思い直した。
こんな魂だけになるような荒唐無稽な事態が起こっているんだ。ひょっとすると、戦闘力みたいなものの下限が決まっていて、憑依した相手がそれより弱いと速成仏みたいな展開もあり得るかもしれない。
そう考えて、彼の強さがはっきりするまでは、しばらく様子を見ることにした。
しかし、事件は起こった! そう、俺がちょっと一時間ぐらい目を話してる隙に、彼が村からいなくなったのだ!
いやー、本当にびっくりだ。
すべての間違いは、俺が「人魂なら美人の風呂覗いても誰にもばれねえじゃん! 」という人類史に残るような偉大なアイディアを思いついたことから始まった。
当時の俺は、その人類の英知の結晶をさっそく実行して、覗きを思う存分堪能した後に、湯上りの濡れた髪の毛を見ながら余韻を楽しんでいた。
まさに天国だった。
しかし、俺が天国から現世に帰還すると、奴の姿はどこにもなかった。
そう、奴はその間にいなくなっていたのだ!
クッ! 俺としたことがぬかった!
ひょっとすると、憑依されたくないあいつの罠だったのかもしれない。というか、そうに違いない。
俺がそんな欲望丸出しな失敗みたいなことをするはずがないし、きっとそうだ。
というわけで、彼はもうどこかにいっていた。見つけようと慌てて探したけど、もうどこにもいなかった。
正直、その段階ですごく悩んだ。
この村じゃなく、他の村を探すか、この村でもう一回彼が来るのを待つか。
様子を見る限り、ずっと話してた同い年ぐらいの眼帯の少年とは終始談笑してたっぽいし、そいつの家に泊まってたから、男友達の家に遊びに来てたってところだと思う。
それを踏まえて、また遊びに来るのを待つことにした。
そこから三ヶ月。長かった……。
大方休日に来たとかだろうし、一週間ぐらいしたら来るだろ、とか思ってたあの時の自分を殴りたいよ。
二週間ぐらいたったころから、ここまで待ったんなら絶対来るまで待ってやらあ! って半ば意地みたいになってたし、一ヶ月過ぎたころからはもう一日のほとんどを、タイムリミットで成仏しないように祈ることと風呂を覗くことで使ってたからな。
二ヶ月目以降なんて祈りすらしなくなってずっと覗いてた。
この三ヶ月で、わかったことがひとつある。ここまでくれば、もうごまかしようもない。
そう、俺が外国だと思っていたここは、どうやら異世界のようだった。
最初にイケメンが帰ってから、二日ほどたった時のことだ。
もうイケメンは帰ってこないだろうし、俺もだいぶ落ち込んでたから、ちょっと散歩でも行こうと思って、村の後ろ側にある森に繰り出した。
俺も前は自然大好き少年だったからな。
最初はワクワクして入ったが、すぐにおかしなことに気が付いた。
俺が知っている生き物が、何一ついないのだ。
何やらクモっぽいやつとか、アリっぽいやつとかもいたけど、どれも見たことない奴ばかり。
ここまでなら、ただの珍しい森だとも考えられる。
だけど、決定的におかしかったのは、そのあとだ。
森の結構奥に入っていくと、辺りが急に暗くなった。
おかしいな、と思って上を見たら、足が六本あるでっかい猫に牙を大量にはやした生き物が、サルのような毛むくじゃらな生き物を、木につかまったまま食っていた。ムシャムシャ、グチャグチャ、って。
わぁー、ネ〇バスだー!初めて見たー!とか現実逃避してみたけど無理だった。
もうね、ちびったよ。精神的にちびった。
あとはもうひたすら逃げまくって、気が付いたら村に戻ってたって状況だ。
あれはどう見てもこの世の生き物じゃない。
一瞬ここはあの世で、地獄にでも落ちたんじゃないかと思った。だけど、それにしては閻魔様とか出てこないし、一番閻魔様っぽい魔王(仮)はあれから不干渉だし、そもそも俺死んでねえし、なにより村にいる人たちのあの世感が全然ない。
だったら、あと残ってる候補なんて異世界しかないだろう。
それならまあ、召喚主どころか肉体すらない異世界召喚とも言えなくはないしな。
初っ端から人魂とか難易度ハードすぎて笑えねえけど。
まあ、それまでもおかしいとは思ってたんだよ。
イケメンがどう見ても本物の剣腰にぶら下げてたし。
中二病かー、残念イケメンなのかなーとか思ってあまり気にしないであげたけど、やっぱあれ中二病じゃなかったんだな。
あと、文明レベルもなんかおかしかったしね。
さて、問題だったイケメンの強さだけど、一言でいうなら、やっぱあいつ主人公だったわ。
昨日の夕方、ようやくイケメンが村にやってきて、俺が最後の見納めに誰の風呂を覗こうかと考えていた時だった。
俺のお気に入り若奥様ランキングナンバーツーの美人奥さんが、真っ青な顔で走ってくるやいなや、イケメンに必死に何かを訴えかけてきた。
それを聞いたイケメンが、森の中に突っ走っていったから、すかさず俺も追いかけた。
そしたら、イケメンは迷いもせずに森の奥までずんずん走って行って、すぐに例のネ〇バスもどきのところまでついたんだ。
そんなことをしたら、当然ネ〇バスもどきは怒る。
怒って、攻撃を仕掛けた。
なのに、イケメンは六本の足から繰り出される攻撃を歯牙にもかけずに、気付いたらネ〇バスもどきを一刀両断してた。
な、何を言ってるかわからねーと思うが俺も(以下略)
ネ〇バスもどきの体をどけると、そこには巣らしきものがあり、さっきの若奥様の子供がいた。
どうやらイケメンは、うっかり森に入ったこの子供を助けるよう頼まれたっぽい。
なんで迷わずに見つけられたんだよとかいろいろツッコミはあるが、とにかく、イケメンはめちゃくちゃ強いことが発覚した。
少なくとも、村にいる筋骨隆々なおっさんたちよりは強いと思う。
これであのおっさんたちのほうが強かったら、人間強すぎだろ。どんなインフレ社会だよ。戦闘力53万世界って名付けるぞ。
ちなみに、なぜ俺が三ヶ月経ったと分かったかというと、リアルで「人魂でいた日数?フッ、百を超えてからは数えていない」とか言おうと思って日数数えてたからだったりする。まさかのギリギリで超えないという悲しい結果で終わったけど。
さて、問題のイケメンは、昨日魔獣を倒した影響をつゆほども見せずに俺の目の前にいる。いつもの男友達と、外で散歩しながら談笑中だ。
フハハハハ! ついにこの時がやってきたな! ようやく憑依の時間だよ! ……ってか前も思ったけど、憑依ってどうやるんだ。
普通に体に突撃すればいいのか? いやでもさすがにそれは違う気がするし……
そんなことを考えていると、急に激しい痛みが襲ってきた。見ると、俺の人魂の一番外側についている膜みたいなものに亀裂が入っており、膜の内側が電子レンジでチンした卵みたいに今にも四散しそうになっている。
痛てててて! なんだこれ! すっげえデジャブなんだけど! でも今回は憑依するって言ってんじゃん! なんで!
……まさか、今更タイムリミットが来たのか!? 成仏タイムがきたのか!?
ふざけんな! なんだってようやく主人公になれるってときに来やがるんだ!!
だー! もうやけくそだ! おりゃー!
成仏するまえに何としてでも憑依してやろうと、必死にイケメンに突撃する。
「危ない!」
今にも触れそうなところまで近づいたときに、突然叫び声が聞こえた。
次の瞬間、俺の目の前からイケメンが消えていた。
――――― え?
俺は急な状況の変化についていくことができず、当然俺の体(人魂)の勢いも止まらない。
しかし、本来イケメンがいたであろう場所の向こう側、俺が突進している方向の延長線上。
そこに―――――いつもイケメンと話していた、男の姿があった。
ノオオオオオオオオオオオーーーーーーーー!!!!
こうして、俺の異世界憑依生活が始まった