act.3 「サキカゼの狩り」
「よーしよし。お帰りハルヒナ。ご苦労だったな」
ジュウベエは、差し出した自分の右腕に止まったハルヒナを労うように撫でてやった。彼女はいままで偵察に出ていたのである。
「で、どうだった? 狙う大物はいたか? 」
首周りをくすぐられながら、ハルヒナは「クー」というような鳴き声を上げてジュウベエの問いに答えた。どうやら「居た」ということらしい。
「そうか! なら今夜は、久しぶりに旨い肉食えるよう、頑張るとすっか! 」
言うが早いか、ジュウベエは近くの木に繋いであった馬に飛び乗り、縄を解いてひと蹴り入れ、疾風のように駆け出した。
ハルヒナは再び空に舞い上がり、上空からジュウベエの後を追った。
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マガハラでは鳥も獣も、大抵のものがみな大きい。
いわゆる一般的サイズの動物たちも勿論いるが、巨大種と分類されるものは小さいものでも体長3~4メートルあり、個体数が最も多い中程度のもではやや幅があるが8~12メートル級となる。
一般的な牛や馬の体長がせいぜい2メートル前後だから小さいものでその2倍、平均サイズで5倍も大きい。目の前にただいる、それだけで圧倒的な存在感だ。
試しに何か手近な果物、リンゴでもミカンでもいいのでそれを床の上に置いてすぐ側から見下ろして見て欲しい。その時の視点、それが獣側からこちらを眺めた時の感覚だ。いかに人間がちっぽけに見えているか想像できるだろう。
そして更にこの上をいく超巨大種なるものももいて、ぐっと個体数は減るが20メートルや30メートルを超すものも一定数存在している。
伝説級ともなれば50メートルを超す"猪"が居たという報告もなされていて、その猪がのっそりと動き出す様を見ていた者が小山が動いたと勘違いして腰を抜かしたというエピソードがあるくらいである。
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10日前。ジュウベエの父、サキカゼ・シンザは、息子ジュウベエと一族の若い男衆十数人を連れ立って、馬で狩に出掛けていた。そろそろ肉の備蓄が尽き掛けており、ここらで巨大種の獲物を一匹でも仕留めておく必要があったからだ。
「いっちょ大物仕留めて、里の奴らを喜ばせてやろうじゃねぇか! 」
馬上でシンザは豪快に笑っていた。この男は、狩りが好きなのである。
狩りと採取は、サキカゼ一族の主たる生業である。
サキカゼの住まう土地は砂と岩が多い地域で、どこも痩せていて作物を継続して育てるには向いていない。ゆえに農業というものは、サキカゼの土地では根付いていなかった。
「性に合わねえことをやっても、長続きしねえもんだ。俺たちには、俺たちに合った生き方がある」
一度、食糧事情の不安定さをどうにかしようと、畑を耕し種を撒いてみたのだが、どれも思うような結果が得られなかった。落胆する一族の皆を励ますようにシンザはそう言っていた。
僅かな山や森、そういった自然の恵みにあずかり、循環と調和を意識することで命を繋いでゆく…サキカゼの生活様式はいわゆる遊牧民のそれと価値観が似ていた。
さて、ここでジュウベエの父シンザの見た目を簡潔にだが説明しておこう。
一言で言い表せば『豪』。この一言に尽きる。気力体力ともに同行したどの若い男衆よりも充実していて、とにかくいかつく、また誰よりも生命力に溢れていた。
「他はともかく、齢くうと、しょんべんのキレが悪くなっていけねぇや」
というのが最近の口癖で、実際齢五十に達しようとしていたが、髪は黒く肌は張りがあって実際の年よりも相当に若く見えた。
しかし、その肝の座り方と鋭い眼光とが、若々しい見た目とは裏腹に、熟達の雰囲気をぷんぷんと匂わせている。とりわけその眉根、目回りに刻み込まれた鋭いシワは、けして平坦な時を過ごして来た者ではないことを端的に表していた。
「そりゃま、頭領なんてやってるとな。シワぐらい増えるもんよ。お前もいつか分かる時がくらぁな」
いつだったか、何かの拍子にポツリとこぼした一言を、ジュウベエは覚えていた。
―― 広がる砂漠と岩の大地。
砂漠の入り口。ここはサキカゼの集落から数キロほど東にいった地で、ごつごつとした岩場に挟まれた細い一本道を抜けたところに、サキカゼの者達が野営地に使っている開けた場所がある。ここいらで狩りを行う際には、必ずこの場所を使っていた。獲物を処理するための施設や道具なども用意してある。
その野営地から更に砂漠を進むと、僅かばかりの水と草木が生えている一帯がある。そこには多くの動物が集まってきている。いわゆるオアシスだ。
そしてシンザら、サキカゼの者たちが狙う獲物がそこに居た。野牛である。ただし、その外見はよく知られる野牛のそれとは随分と異なっていた。
頭から胸のあたりにかけて、サラッサラの長い毛に覆われている。その名も「デザート・ロングヘアー」という珍しい品種である。そして狙うのは、更にその巨大種である「ギガント・ロングヘアー」である。
この巨大野牛の特徴は、なんと言ってもその見た目である。とにかく毛が長い。その色はかなり明るいブラウン。頭から胸にかけての部分は、成長すると地面につくほどの長さにまで伸びる。
この野牛が全速力で駆けるとき、このロングヘア―が一斉に風になびくわけだが、その姿はなかなかに壮観である。あまり見られるものではないので、目にすると幸運が訪れるという言い伝えのオマケまである。
非常に丈夫な毛で、かつ見た目も美しいことから、この野牛の毛はいたく重宝された。毛を「糸」に加工し、そこから布地を織り、様々な用途で活用する。それらはサキカゼの工芸品となり、現金収入の元となっていた。
勿論、毛だけでなく肉も旨い。引き締まった野牛の赤身の肉は、得も言われぬ甘味がある。そして脂こそ少ないものの、その分良質なタンパク源であった。サキカゼの里では、この肉を煮込んだシチューが家庭の定番料理として人気がある。
「久しぶりに、腹一杯食いてえもんだな」
水袋からガブガブと水を飲みながらシンザは呟いた。
さて。この巨大なロン毛の野牛は、ここいら一帯の主でもある。そう簡単に狩れる相手というわけではない。周到に用意をし、慎重にことを運ばなければケガで済まない痛手をこちらが負うことだってありうる。
狩りとは本来そういった命のやり取りなのだ。
今回はこの群れの中の1頭か2頭を狩る。野牛のねぐらにそっと忍び寄り、適当な一頭にいきなり攻撃を仕掛けてわざと怒りを買う行動をする。
そして怒らせた野牛を巧みに群から引き離し、こちらが待ち構える場所まで誘導して仕掛けた罠にハメる……。と、おおよその作戦はそんな感じであった。
先頃、ジュウベエがハルヒナに偵察させていたのは、このギガント・ロングヘアーの居所で、そのねぐらに忍び入って誘導するという一番危険な役は、ジュウベエが担っているのであった。
オアシスの涼しげな木陰で眠る野牛たち。その巨大な鼻先に、いままさにジュウベエが不意打ちを喰らわそうと忍び足で近付いていた。