act.4 「焼き場の歌い姫 ナラカ」
このマガハラでは「呪い」はもっとも強い力となる。
生者も死者も関係ない。
ただ「呪う」その強烈な一念のみが人智を超えた超常の力を顕現させる。
いまこの焼き場谷ではそこかしこで死者のわが身の無残な宿命を嘆く一念が呪いと化して顕現しようとしていた。
懸命に死者を弔う仕事をしていたトガヒの者達はいまや事態に恐慌状態になっていた。
本来であれば死者の念を呪いへと変えさせぬよう「抑制術式」を施すのだが、これがとても手間と時間の掛かる作業だった。
危険を孕むと知っていても、未曽有の事態とそれにあたる極度の疲労とを重ねに重ねついに耐えかねた者たちが、やむを得ずこっそりと一つまた一つと術式を省略していたのである。
そのシンプルな怠慢。それが最悪の形で自分たちの目の前に現れることとなった。
バラバラだった叫び声が次第に一つの大きな意思に束ねられるように合わさってゆき、やがてこの世の全てを呪う死者たちの絶叫が狭い焼き場中に響き渡った。
次いで一斉に死人を焼く炎という炎が爆ぜ膨らみ火柱と化す。幾筋もの炎と呪いの渦が火炎旋風となって焼き場に吹き荒れた。
炎の渦の中に幾人もの死人たちの怒りと悲しみ、そして苦悶にゆがんだ顔が浮かんでいる。
焼き場中の死人の呪いを吸い上げて、やがて火炎旋風は一つとなり一個の呪炎生命体とでも言えるような姿をとった。
再びの絶叫と爆風。トガヒの者たちがなすすべなくその爆風に吹き飛ばされてゆく。
しかしその中にあって、赤髪の少女と金色の毛並みの獣は爆風に毛髪を弄ばれながらも、身体は微動だにせずにその場に立っていた。
その巨大な呪炎生命体を前に少女は臆することなく、むしろその美しい顔に悲しみの表情をたたえながら進み出た。
「…ごめんなさい。許せなんて言わない。私を呪いなさい。…呪って呪って、呪いなさい!」
聴いた者の心を掻きむしるような呪いの咆哮。
その最中にあって突然、しかし少女にとっては至極当然に。
歌を歌い出したのである。
風と星と血と涙と共に
宿命の歌をうたおう
君と僕の握った手と刃
空高く掲げよう
ここは地獄 ここは地の果て
あらがう夢や 切ない希望も
闇に呑まれる
さあ戦え 自分を守るために
愛する人を守るために
いつかきっとくる その日のためだけに
信じて生きよう 今日を
歌い終えると彼女は右手の甲を眼前に掲げる。その手の甲にはある「紋章」が刻まれていた。
中央に円、その円を囲むように均等に配置された二等辺三角形が三つ。シンプルだがその分、力強さを感じる図柄だった。
通常マガハラではそれぞれの一族を象徴する紋章は左手の甲に刻む。その掟は厳しくそれぞれの部族において固く守られている。
つまり、右手に一族のもの以外の紋章が刻まれている彼女は存在は明らかに異端なのである。
突如として少女の右手の紋章が強い光を放って輝きだす。
どよめくトガヒの者達。
その光を受け、なんと呪炎生命体が苦しそうにその炎の身をくねらせ始めた。
少女が一歩前に出る。すると光がさらに強まり、辺りは眩い輝きに覆われてゆく。
苦し紛れに、呪炎生命体が少女の上におおいかぶさろうとした。
咄嗟に、少女の脇から鋭い吠え声をあげて金色の毛並みの獣が飛び出す。そして迷うことなく体当たりをかまし、呪炎生命体を弾き返した。
獣の毛はまったく燃えてもいない。なにか不思議な力に護られているかのようである。獣は再び少女の傍らに戻り、低い唸り声をあげ威嚇を続けている。
少女がさらにもう一歩、臆することなく前へと進み出る。
そして力強く言い放った。
「お前の呪いで、私は呪われの王となる!!」
紋章から発せられた眩い光が、呪炎生命体を捕らえるように急速に収束していく。
そしてその紋章に光の道を通って、炎が、呪いが紋章へと吸い込まれてゆく。
「……!! 」
完全に全ての炎と呪いをその右手の紋章に吸い込み、その終わりに少女は弾けるような仕草で右手を払った。
ふーっと長い溜め息を吐き出し、その終わりにそっと目蓋を閉じる ―― 目蓋に居並ぶ長い睫毛も髪と同じ美しい赤であった ―― 。
少女は、再びただ死人を焼く焚火に戻った炎を、そしてそこで焼かれている人々を悲しげに見つめて呟いた。
「あなたたちの呪い、確かに受け取ったわ」
そして彼女は両手で顔をおおい身を震わせた。
平時であれば遺体は一体ずつ丁重に扱われ、礼を尽くし祭を執り行って荼毘に付される。
それがトガヒの生業であり誇りであった。
だが今は明らかな異常時である。焼いても焼いても、またすぐに次の死体が担ぎ込まれて来て山となってしまう。
やむを得ず死人はそのまま山と積まれ火炎術式でまとめて火にかけさせた。それでも追いついていなかった。
危険だとは分かっていても、忙しさから呪いを抑える術式を省略するものが出てきてしまうのは少し考えれば分かることだったのに……。
悪戯に死者を嘆かせ生まずに済んだはずの呪いを顕現させてしまった。結果、一族の皆を危険な目に合わせた……。少女の心は、自分の愚かさを責める気持ちでいっぱいになっていた。
しばらくそうしていたが、やがて少女はゆっくりと顔をおおった手を下ろす。そして紋章の刻まれた右拳を、その掌が白くなるまで強く握りしめ、呪いと変わった「魂」たちに、心の中で詫びるのであった。
つむった瞳から、ポタリと涙が零れ落ちる。
―― ふと。少女の傍らに座っていた金色の毛並みをした獣が、少女の悲し気な気配を感じてピクリと鼻先を上げ、身を起こした。
そして彼女を慰めるようにそっとその身を寄せ、彼女の右拳の下に首を垂れる。
「ありがとうアーグ。でも大丈夫」
少女はそう言って獣を一撫でした。
「アーグ」と呼ばれるこの金色の毛並みをした獣は、尚も心配そうに少女の腰回りにその大きな身体を擦り付けていた。
だが、少女がその鼻先を少し掻いてやると、途端にくすぐったそうな鳴き声をあげた。
どうやらそこがこの獣の弱点らしい。少女は鼻を鳴らし前足で鼻を掻く大きな猫 ―― 正確にはオオヤマネコ ―― の姿に、ふっと口元を緩める。
そしてすぐ側で作業の陣頭指揮をとっていた初老の男に声を掛け、歩き始めた。
「カム爺、あとよろしく。でもくれぐれも皆に無理はさせないで」
「承知しました。ナラカ様」
―― ナラカ。
それが赤髪の少女の名であった。
年は十五。次代のトガヒ族の長となる姫君である。
そして彼女の呼びかけに野太い声で応じたカム爺と呼ばれる男。彼はナラカが幼少の頃からの従者である。
このずんぐりとしているが鍛え抜かれているのが一目で分かる身体つき。常人の倍はあろうかという太い黒眉の下の異様に鋭い眼光。老いてこそいるが、このカム爺という男、只者ではない雰囲気を漂わせている。
「姫様はまた都へ?」
「そうね。でも、その前にリュカのところへ寄っていく」
―― リュカ。
ナラカとは十ほども年の離れた妹の名。
この名を耳にしたとき、カム爺の表情が一瞬なんとも言えず不安げな、また咎めるような険しさを浮かべたのをナラカは見逃さなかった。
だが、あえてそこには突っかからないように自分を抑える。
この頑固者の老人が思わず浮かべた表情は、自分を案じたのものだと知っているから。
そしてこのことに関しては、もうこれまでに散々カム爺とは言い合ったのだ。その結果の平行線。互いに納得できない。
(だけど…… )
と、ナラカは思う。
たとえどんな理由があったとしても、姉が大好きな妹にただ会いに行くのを、禁忌のように言われるのなんておかしい。
(私は誰がなんと言おうと、いつもと同じようにリュカを抱きしめるの)
ナラカの表情からその想いを察したカム爺は、やれやれといった風に大きくため息をついた。そしておもむろに腰に下げていた革の小さな鞄から、紙の包みを取り出し、ナラカに手渡した。
「これを」
鈴蘭の絵が描かれた水色の包み紙は、朱色の紐で口を絞られ巾着のような形をしていた。
「アマツチ族の古い馴染みから分けてもらった香草を練りこんだ飴です。熱の高いときに口にすると気休めばかりですが、涼やかな心持になります。リュカ様に」
包みをまじまじと見つめていたナラカの表情が、パッと明るくなった。
「…ありがとう!カム爺」
「ただし、それをお渡しになられたらすぐにお部屋を出られてください。くれぐれも長居は…」
「分かってる。長居はしない。約束する! ……いつもありがとうね。カム爺」
十五歳の少女の、眩しいばかりの笑顔を浮かべながら、ナラカは再度カム爺に礼を言った。照れくさそうに頭をガリガリと掻きむしるカム爺。そんなカム爺の姿に、目を細めていたナラカだが、ふっと焚火の炎が目に写った。
呪いの顕現が治まり、再びただ死人を焼く焚火となった炎。そこで燃やされ、消し炭と化してゆく人々の悲しみが、心底辛くナラカに伝わってくる。
だが、悲しんでばかりはいられない。
これが私たちの、トガヒの者の生業なのだから。
「行こう、アーグ」
死人を焼く炎から目を上げ、踵を返してナラカは歩き出す。アーグがその傍らに付き従った。
赤髪の少女と金色の毛並みの獣。
死人を焼く炎の光が、その一人と一匹の、赤い髪と金色の毛並みを一層鮮やかなものに輝かせていて、そこだけまるで後光が射しているかのように思えた。
「焼き場の歌い姫様…か」
見送るカム爺が不意に思い出したように独りごちる。
それから頭を二三度横に振り、一族の者たちに大声で指示をとばしはじめた。茫然とナラカを見つめていた一族の者達は、その声に驚き慌てて仕事を再開し始めた。
焼き場谷の中央にある集落へと向かい、はやる気持ちを抑えきれずついに駆けだしたナラカ。
赤髪の少女を追って金色のアーグもその四肢に力を込め大地を蹴って走り出していた。