act.25 「シンザの勘。リノの威厳」
「勘が良い男って素敵だわ」
女はうっとりするような口調で言った。
「愚鈍な男はダメ。だって私の欲しいものが分からないもの。その点、あなたのような勘の良い男は、いつも私の欲しいものを与えてくれる……!! 」
言い終わりに二撃目。
またもや女は目にも止まらる速さで攻撃を繰り出す。鞭の先端には硬そうな棘の塊がついていて、初撃でシンザの頬の肉を抉り取ったのはそれの仕業らしかった。
しかしシンザは、今度はそれを身体に掠らせもしなかった。
「五分の見切り」。剣の達人が使う間合いのとり方、そして体捌きである。
頬の肉を抉られたことで、シンザの心から油断は完全に消えていた。二撃目からは、女の攻撃動作を見切れるよう神経を研ぎ澄ませていたのだ。
(……? 妙だ。これじゃまるで…… )
女の攻撃に、微かな違和感を感じながらもシンザは身体を動かし、相手を観察し続けた。
三撃、四撃と立て続けに紙一重で攻撃をかわすシンザを見て、女は嬉しくて堪らないという風に笑い声をあげた。
「あははははは! …… 良いわ。素敵。あなたって、とてもセクシーだわ! 」
横薙ぎの五撃目。鞭の先端の棘が、姿勢を低くして避けたシンザの頭上を通過する。遅れてやってきた風が、シンザの短い髪を揺らした。
「……セクシーねぇ。唐突に何を言い出すかと思えば」
「あら、お気に障った? 」
「いや。五十がらみの親父に対して言う世辞にしちゃぁ、気が利いてる」
「お世辞じゃないわ。本当のことだもの」
さも嬉しいですね、といった様子でシンザは肩をすくめた。
「そりゃ嬉しいね。だが、そうやって持ち上げたところで、茶ひとつ出しゃしねえぞ」
「いいのよ。あなたとこうしていられるだけで、私は楽しい。それに、この国のお茶は、あまり好きじゃないの…… !! 」
再び連続攻撃が飛んでくる。女の腕に力が込められ、これまでの攻撃よりも更に鋭さを増した鞭が襲い掛かる。
しかしシンザは、これに臆することなく前に出た。そして逆袈裟に斬り上げるような一閃。
キィン!という硬い金属同士が弾け合う音。シンザの刀は、的確に鞭先端の棘を撃ち落としていた。
「フフ……すごいわ。もう私の攻撃を見切っちゃったの? 」
女が鞭を手元に戻しながら問い掛ける。
刀の切っ先を女に向け、頭を掻きながらシンザは、うんざりした口調で答えた。
「…… いい加減にしやがれ」
「ん? なにをかしら? 」
「本気出せ、って言ってんだよ。やる気あんのか? 」
「あら。私はいつだって殺る気いっぱいよ」
自らの腕でその色々と豊満な身体を抱き、女は踊るように腰を振ってみせる。
-ヒュンッ! 少々頭にきた、といった風に、シンザは乱暴に刀を振ってそれを制した。
「だったら! ……全力で殺しに来い。いつまでその鞭の力、温存しておくつもりだ?まさかとは思うが、隠してるつもりじゃねぇだろうな? 」
女が動きを止める。
ゆっくりとシンザに向き直り、鞭をだらりとぶら下げながら、声を低くして言った。
「……気付いていたのね」
「攻撃が直線的すぎるんだよ。ここに喰らった時のとまるで違う」
シンザは言いながら頬の血を左手の親指で拭った。まだ完全ではないが、血は徐々に止まりつつあるようだ。
「最初の一撃、あれはまるで読めなかった。よけられたのは、お前さんの言う通りまさしく勘だ。だが、その後はどうだ? てんで単調。まったく別人が振ってるようなお粗末さだ」
ペロリとシンザは親指の血を舐めた。鉄の味が口の中に広がる。
(特におかしな味はなし。つまり、毒の類は使ってねぇわけだ…… )
歴戦の強者のたしなみ。闘いの最中にあっても、シンザは最悪の可能性を考え、それを未然に潰しておく事を怠らないのだった。
そして「ペッ!」 と勢いよく地面に向かって唾を吐き捨てた。
改めて刀の切っ先を女に突き付け、シンザが強く迫る。
「さぁ、とっとその鞭の力を出せ! ……いや、その鞭の好きなようにさせてみろ!! 」
女は、それまで被っていたフードをゆっくりと脱ぎ、その虫襖色の長髪を結っていた赤いリボンを解いた。ばらけた髪が鈍く美しく、そして不気味に輝く。
「……あなたの勘、本当に鋭い。でもちょっと、鋭すぎるわね」
そう呟いた女のすぐ脇で、鞭が、まるで生きているかの如く独りでに地面の上をのたうち回るようにして動き始めた。
「!?」
シンザの眼が一瞬驚きに見開かれ、鋭さを増してゆく。
仮面の下で、女がニタリと笑ったのが、シンザにも伝わった。
++++++++++
女とシンザが戦闘を始めてすぐ、リノはハクトをおぶって安全な場所まで移動していた。
シンザのことは心配でならなかったが、まずは子供たちのことが優先である。ハクトの回復まではもう少し。ジュウベエは、怪我の具合が分からないが、少し掛かるかも知れない。
「早く、あの人を助けに戻らないと……! 」
手近な岩の陰にハクトを持たれ掛けさせ、そこで彼女の体力を回復させるべく、リノは回復術式を施していた。
かざした手の平の先で、輝きながら展開する術式陣。柔らかな風がハクトの全身を包み、回復を促す。
外傷はほとんど消えていて、あとは体力をわずかでも戻せば目を覚ますはずだ。リノは精神を集中させ回復に努めた。
やがてハクトの意識が再び戻り始め、ついに薄っすらと目をあけた。
「母……さま……? 」
「良かった。気が付いたのね」
安堵の溜息をもらし、術式を終えるリノ。
「ここは……? 」
「ごめんなさいハクト。でも今は、辛くてもしっかりして頂戴」
――パンッ!
まだ意識が覚め切っていないハクトの顔を、リノは両手の掌で軽く叩くようにして挟んだ。
「痛っ!?……え?母さま? 」
「ハクト。あなたにもやって貰うことがあるの」
リノの真剣な眼差しを受け、急速にハクトの瞳にも色が戻ってゆく。
「え?……私、あれからどうなって……そうだ! 兄さまと、父さまは? 」
言うと同時に勢い込んで身体を起こし、母の肩に掴みかかるようにしてハクトは問いかけた。混乱する我が娘を受け止め支えながら、努めて冷静な声でリノは答えた。
「父さまは闘っている。ジュウベエは、あそこよ」
リノは少し離れた場所で動けずうずくまっているジュウベエを指さした。
「兄さま! 」
反射的に駆け出そうとするハクトの手を強く握り、リノは娘をその場にとどまらせた。
「放して母さま! 兄さまが! 」
「分ってる。ケガをしてるの。だから、今から私があの子の所へ行くわ」
「なら私が! 」
「ダメ。あなたの回復術式では遅い。私でなきゃ、今の状況であの子を癒せない」
言いながらリノは、ハクトを促すように周囲の状況に目配せした。
シンザと正体不明の女。そしておおよそ片付いたとはいえ、まだ所々で魔虫と一族の者との闘いも続いている。悠長にしていられる時間などない、リノの眼はそう言っているのだ。
ハクトにもそのことが重々伝わった。だがしかし。
「……でも! それでも私も兄さまの役に立ちたい! だって兄さまは、私を救おうとして…… 」
ハクトはその大きな瞳いっぱいに涙を浮かべ、懇願するようにリノを見詰めた。
その瑞々しく一途な想いは、この状況にあってハクトの美しさを際立たせた。そんな恋する我が娘の顔を目の当たりにし、そのあまりの愛おしさに急ぐのを一時忘れ、優しくハクトの身体を抱きながらリノは言った。
「……あなたは、本当にジュウベエが好きなのね」
母の腕の中で、娘はこっくりとうなずいた。
リノの頬にハクトが流した涙の熱さが伝わる。
(恋というのは……いつだって女を強く美しく、そして愚かにするのね)
困ったように微笑むリノ。
震える娘をもう一度強く抱きしめ、それから意を決して身体を離し、再び真剣な眼差しでハクトを見詰める。
そして母親の優しき威厳をもって、娘を諭したのだった。
「ジュウベエを助けたいのなら、あなたは付いて来てはいけない。足手まといになるわ」
「……! 」
「その代わりに、あなたにも役目を負ってもらう。私がジュウベエを回復させている間にあなたは―― 」
リノがハクトに何事かを伝えようとしたその時、シンザの叫び声と、激しく金属同士が弾け合う音があたりに響き渡った。




