3.
この夢はなかなか醒めない。
幼い少女の体になって、獣王だとか言われて、滅びに瀕した国を救えと言われてから数日が経過した。どうにも何もする気が起きない俺は、ぼーっとしながら着替えられ、用意された食事を摂取し、きれいに整えられたベッドへ潜りこむ。
覚醒する度に、白い天蓋が目に入って絶望する。
この夢は、まだ醒めない。帰りたい。戻りたい。
「獣王様、今日はお庭に出てみませんか? 先代様の薔薇が見頃ですのよ」
「先代のばら」
「はい」
先代の獣王も女だから、この体にとっては母親だ。
父親は誰なのかをまだ聞いていないし、聞きたくもない。獣王の仕事が子供を生むことだけならば、どれだけの男と交わったのかという話になる。ビッチだなんだと他人事にして片付けたいのに、5年経ったら自分に回ってくる。
それがたまらなく、嫌だ。
無気力な日々を送る俺にとって、先代のことだけが関心をひいた。この体に十の獣因子が秘められているくせに、獣人族の特徴はどこにも現れていない。ちょっと見目良いだけの、人間の子供だ。
先代の獣王を殺した、人間の――。
「……見る」
「では、お支度を手伝わせていただきますわね」
「ん」
にっこりと微笑む女性は、鳥人族のミランダといった。
赤や黄色などの原色をこれでもかと集めた派手な鳥の種族らしく、盛りまくった髪やふわっふわの尻尾がすごく目立つ。あれだ、南国の祭りに出てくる踊り子に似ている。泣きボクロに笑窪がかわいいナイスバディだ。獣人族は獣な部位に合わせる必要があるためか、どうにも衣装がきわどい。視線を合わせるために背を屈めると、大きな二つが零れ落ちんばかりになる。ほぼ無意識に手で支えようとしてしまうが、まだ落ちてきたことはない。
(ガングロはあんまり好きじゃなかったんだが。うん、これはこれで)
生まれつき、天然の肌色だからだろうか。
ミルクチョコレートを連想させる素肌は、とにかく艶めかしいの一言に尽きる。
ロキは有毛族の狼系獣人で、他にはリザードマンと人魚の長も獣王の側近として選ばれたらしい。それから城で働く獣人たちがたくさんいるが、俺の前に出てくるのは四人だけだ。どんなモフモフ、もとい獣人なのか知りたいから会いたいと言ったら何故か怒られた。
どうやら獣人たちは、人間への憎悪が強いらしい。
そして獣王への期待度がすこぶる高いらしい。
男だろうが女だろうが、間違いなく襲われるので危険だと言われた。獣人から襲われる獣王って……と、遠い目をしてしまった俺はきっと悪くない。
翼を広げたミランダに抱えられて、城の庭へと降り立つ。
「獣王様は肝が据わっておいでですわね」
「なにが?」
「翼を持たぬ者は空を飛ぶことに憧れても、実際に飛びたいとは思いませんもの。獣王様のように軽いのならともかく、重い荷物を我慢して運んだのに礼を言われるどころか文句三昧。やってられませんわ」
「それは、うん。ご苦労様。あと、ありがとう」
「あら、まあ。うふふっ」
最後に付け足しただけのお礼に、ミランダは頬を染めて笑った。
あどけない少女のような笑顔に一瞬、目を奪われる。
「ロキが悔しがるわね」
そんな楽しげな呟きの理由は教えてもらえなかった。
何でもないっていうならそうなんだろうし、問い詰めたいほど気になることでもない。ミランダのおかげで誰にも会わずに済んだので、このまま庭の散策としゃれこもう。
「あちらのアーチの向こうが、先代様の薔薇園ですわ」
「先代様のってことは、他にもあるの?」
「あるといえばありますし、ないといえばないですわねえ。やはり管理する者がいなくなれば、自然に還ってしまうものです」
「確かに」
先代は薔薇が大好きだったらしい。
俺には色形が違うくらいしか分からないが、世界中の薔薇が集められているそうだ。魔族や人間が独自に交配させて生み出した品種も教えてもらった。獣人は人間が嫌いなのに、獣王は人間が嫌いじゃなかったのだろうか。
(薔薇に罪はない、っていう考え方かもしれないな)
魔力を帯びた薔薇もあるそうなので、近くで眺めるだけにする。
「綺麗だね。でも薔薇の匂いは、あんまりしない?」
「獣王様がアテられてしまわないように、風で避けておりますの」
薔薇の匂いもダメとか、獣王よわすぎ。
種族として最弱なのに、どんな獣人も産める。それは人間にとって脅威な存在だから、殺す決断に至ったのか。獣王がいなければ獣人族が絶えるという。奴隷として使っていたなら、獣人がいなくなるのは人間にとっても困るだろうに。
(分からないことが多すぎるな)
先代の獣王は死んだ。獣王は最弱。
俺の中で確かな情報は、この二つだけだ。それ以外の話は子供を生む流れに繋がってしまうから、今は考えたくない。与えられた猶予は5年。
その間に何とかしなくては。
「ねえ、ミランダ」
「何でしょう、獣王様」
「ミランダは子供を産んだこと、ある?」
その時、ピシッと空気の凍る音がした。
しくじった、という気持ちはそのまま顔に出てしまったのだろう。ミランダはゆっくりと、その表情を変えていった。驚きから悲しみへ、そして達観めいた諦めに至る。
「獣王様は『番』というものをご存知ですか」
静かに問われ、俺は瞬きをする。
「ツガイ?」
「人間は、獣人族だけに現れる独自の習性と定義しているようですわ。わたくしたちは生涯の伴侶を、本能で察しますの。直感、魂の共鳴、心が揺さぶられる、と番を見つけた者たちは言います。獣人族は番としか子を成しません」
「じゃあ、番が見つからなかったら……?」
「単独で繁殖できる種族以外は、そのまま絶えますわね」
「あー、うん。そっか」
ロキは既に絶えた種族もいる、と言っていた。
絶滅してしまった種族を復活させることができるのは、十の因子を持つ獣王だけなのだ。絶対数が減れば、必然的に番と出会える確率も下がる。伴侶がいなければ子作りできない。子供が生まれなくなって、最終的に種族が絶える。
「じゃあさ、獣王にも番がいる? こう、ビビッと感じちゃったりするのかな」
「聞いたことがありませんわね。獣王は全ての獣因子を秘める存在なので、どの獣人族とも交わることができます。そして、どの獣人族の子供を生むこともできるのですわ」
はい、逆ハーレム確定。
一夫多妻の逆だから、多夫一妻になるんだろうか。将来的にはひたすら励むことになりそうだが、それって「幸せ」なのかと思ってしまう。獣人族にとっては救世主で、獣王国存続のためには絶対必要だというのは理解できる。
獣王はまるで人柱だ。国の為に捧げられる犠牲。
先代は、どんな気持ちで薔薇園を育てていたのだろう。ロキから聞いた感じだと、獣人を庇って死んだことになる。獣人への情はあったのかもしれない。自分だけモフモフじゃないこととか、子を産むだけの存在であることを、どんな風に捉えていたのか。
訊いてみたい。だが先代は死んでいる。
「なんか獣王国って、王国として機能しているイメージがないんだよねえ。皆、それぞれ自由に生きてる感じがする」
「まあ、そうですわね。種族によっては仲が悪かったり、捕食されたりしますし」
「捕食!? 人型なのに?」
「獣人族は人型と、獣因子に従った姿のどちらにもなれるのですわ。わたくしの場合は極楽鳥ですし、水棲の獣人――魚人、または人魚と呼ばれていますわ――の中にはとっても美味しそうなお魚に……じゅる、アラ失礼」
想像以上に弱肉強食な世界だった。
ロキは獣人族も人族から分岐したものだと説明していたが、獣因子が野生の本能を刺激するのかもしれない。昨日の夕食は肉団子のシチューだった。何の肉かを考えずに食べてしまったことを少し後悔した。
「しばらくは、野菜だけでいいや」
「まあ、獣王様。お肉も食べないと、大きくなれませんわよ」
視界の端で、たゆんたゆんと揺れるモノを見やる。
はっきり言って、成長したくない。
獣人族は15歳で大人と見做されるのだとしても、子供が産める体になったと思われたくない。俺は男だ。少なくとも以前の体はそうだったし、今も心は男のままだ。器が変わったからって、女の気持ちは理解できるようにはならない。
「このままでいい」
「獣王様」
薔薇園に植えられた、どの薔薇も美しい。
どうしてか、その美しさが妙に物悲しいように思えた。