1.
ふと気が付いたら、真っ暗だった。
「ん? おっ」
しかも狭い。
どうやら膝を抱えて丸くなっていたらしく、手足を伸ばそうとしたら……できない。あちこちつっかえて、身動きができない状態だ。頭の上も、背中も、尻や足の裏も、肘でぐりぐりしても同じような感覚がある。
「うぐぐ、せーまーいー」
誰だよ、こんなところに閉じ込めたやつはっ。
力任せに拳で殴ると、硬質な感触が返ってくる。真っ暗なのでよく分からないが、どことなく球体っぽい何かの中にいるのは間違いない。マズイ、このままだと酸欠になる。
ナゼナニどうして、は後回しだ。
「だれかー! 助けれー!!」
何度か叫んで、じっと耳を澄ます。
返事がない。いや、ここで諦めたら終わりだ。こんな狭すぎる世界があってたまるか。俺には一生をかけて叶えたい野望がある。
それは、モフモフパラダイス!
何故か動物に嫌われやすく、触ることはおろか近づくこともできない。そんなわけでペットを飼うのは早々に諦めて、動物園に癒しを求めるようになった。ある程度の距離を維持すれば、彼らは必要以上に反応しない。
遠すぎて泣きたくなるが、実物で見られるだけマシだ。
動画や写真集では得られない「現実」というものを味わえる。動物園は素晴らしい。動物園で働きたくて飼育員を目指したものの、動物に嫌われすぎてダメだった。普通のサラリーマンとして、たまの休日に動物園へ向かうのが唯一の楽しみだ。
それが、こんな、球体(仮)に閉じ込められているなんて!
「理不尽極まりないっ」
とにかく出られなければ意味がない。
なんとか打撃を与えられそうな拳でガンガン殴っていると、小さなヒビが入った。ほんのわずかな隙間から光が漏れてくる。外の世界は存在していたのだ。
嬉しくなった俺は、ヒビを狙って殴りまくった。
「ふはは、壊れろ。壊れろ!」
球体(仮)を上下二等分するイメージで、ヒビを横に広げていく。
膝を丸めたまま回転するのはなかなか高度な技術を必要としたが、脱出できる希望に後押しされた俺に不可能はなかった。
ついにヒビが繋がる。球体(仮)の上と下が分かれる時が来た!
「やったああああぁっ」
「おめでとうございます、獣王様」
「貴方様の誕生を、心よりお待ち申し上げておりました」
「獣王様、万歳!」
「万歳!!」
ワアアアアァッ、と大歓声が上がる。
眩いばかりの新世界には、たくさんの人がいた。日本には何億という人間がいるのだから、たくさんいるのは当然だ。とはいっても、歓喜の声でお迎えされるような覚えがないだけに、俺は固まった。
「…………へ?」
二つになった球体(仮)の上半分を持ち上げたまま、棒立ちになる。
足元には割れた球体(仮)の下部分。なんだかぷにっとした、長さも太さも発展途上の心許ない柔肌が見える。俺は素足だった。というよりも、すっぽんぽんだった。
とても高い台座のようなものに立っているらしい。
だって歓声を上げている群衆が豆粒大なのである。どんだけ離れているんだ。いや、全裸なので距離があるのは正直ありがたい。元のように膝を丸めて小さくなるか、群衆の正体を確かめに行こうか迷った。
「おめでとうございます!!」
「おめでとうございます!」
「これで獣王国も安泰だ」
「我らが獣王様!」
「獣王様!」
「…………え、えーと……」
ジュウオウって誰。
これはアヤシイ集団に捕まった、というやつだろうか。ここから逃げたい。すごく逃げ出したいが、全方位から歓声が聞こえてくる。完全に包囲されている。逃げ場がない、たぶん。俺にできることは殻に閉じこもるだけだ。
かちゃん、と音を立てて球体(仮)の上下が重なる。
途端に歓声が止んだ。というよりも戸惑いの声が聞こえてくる。
(一番戸惑っているのは、こっちだっつーの!!)
俺は露出狂じゃない。断じて違う。見られて喜ぶ趣味はない。
それから何かがおかしい。俺は、こんなに小さくない。手も足も縮んでいる。髪も伸びているし、顔はぷにぷにだ。まるで小さな子供のように――。
「こども? 俺が? なんで」
俺はれっきとした大人だ。
とっくの前に成人した。成人式が終わってすぐに始めた煙草もやめてから長く経っているし、発泡酒は週末の楽しみだ。普通自動車の運転免許もある。遠方の動物園に行く時は、レンタカーを借りた方が早いからだ。
子供になったら、何もできない。
(これは夢だ。悪い夢だ。そうに違いない)
外の世界はひどくざわついている。
俺が顔を出しただけで大歓声だったのに、俺が殻に閉じこもっているせいだ。かといって、再び顔を出してやる気にはなれなかった。球体(仮)は俺の体を隠してくれる。外の世界も見えない。
そして考えることを放棄した。
この小さな世界、狭すぎる世界に引きこもろう。そう決めた直後――。
「獣王様」
「ぎゃあああああああ」
再び世界が眩い光に覆われた。
大変だ、目が潰れる。とっさに顔を隠して丸くなる。すると何故か、浮遊感に襲われた。本能的に今、目を開けてはならないと感じる。状況の変化を不思議に思ってはいけない。顔を上げたらヤバイ。何がヤバイのか考えたくないので考えない。
ただただ歓声がさっき以上に盛り上がったことが、とてつもなく恐ろしかった。