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創作家のためのアクセスアップ入門  作者: 有沢翔治
ワナビのための読書入門
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第十一回 「創作だから何でもあり」は大間違い

 ここまで読んだ中にはこのように思う人もいるでしょう。「創作だから何でもありだ」と。それは確かにある意味で合っています。しかしこのように付け加えなければなりません。現実の理論において反しない限りにおいて、創作は何でもありだ、と。大前提として読者は現実世界と対応させながら想像します。

 例えば江戸時代でナスと大根が一緒には並びません。ナスは夏の、大根は冬の野菜です。つまり季節は「夏であり、冬でもある」という結論になるのです。

 もっと極端な例を挙げておきましょう。「今日は朝から夜だった。どんより曇った日本晴れ。生まれたばかりの婆さんが99の孫連れて川から山へと落っこちた」という言葉遊びがありますが、どのような光景か想像できますか?

 江戸時代でナスと大根を一緒に登場させることは、このよう描写をしているようなもの。これでもまだ「創作は何でもあり」と言えるでしょうか。

 描写に矛盾があると読者は混乱したまま読み進めていくことになります。ここでの解決策は二つ。

・園芸図鑑などで調べる

・プランターなどで実際に育てる

 スーパーに行くのも一つの手ですが、最近はハウス栽培で季節に関係なく野菜が出回っています。値段は当然高くなりますが、冬でもスイカは売られているのです。


 同じことは「MPが5減った」などの表現にも言えます。RPGではよく見られますが、小説でこの描写を安易に行なうのは賛成できません。そもそもMPやHPは何のためにこのような表記をしているのでしょうか。コンピューターは数値化しないと処理できないのです。

 つまり便宜的な概念だと頭に入れておかなければなりません。その上でMPやHPなどを現実世界に照らし合わせながら再解釈しなければならないのです。例えばMPは精神的疲労と捉えるなら、「MPが5減った」よりも「一時間、集中して勉強したあとのような気持ちになった」と書いたほうが実感が湧きやすいでしょう。

 逆説的ですが、ファンタジー小説を書いているときは、ことさら現実世界を目を向けなければなりません。そして魔法の問いかけが一つだけあります。それは「具体的にどういうことなのか」です。

 例えば「消毒薬を使う」と「薬草を使う」。

 この描写の具体性には大きな断絶があります。「消毒薬を使う」という表現からは傷口につける光景が思い浮かびますね。それどころか容器に入っているところも。どうしてでしょうか。マーキュロ、消毒用アルコール、オキシドール。現実世界で消毒薬は塗って使うからです。

 それに対して「薬草を使う」。この描写から読者が思い浮かべる光景は様々です。すりつぶして内服薬として使うのか、かじるのか、アロエのように成分を傷口へ塗るのか、湿布薬のように傷口へ貼るのか、はたまた掲げると神秘的な力が働いて傷を癒やすのか。

 どのように使っているのでしょうか。具体的な状況を想像して妥当な解釈を導き出しましょう。

 まず、内服薬としての使用は除外されます。もし、内服薬として使う場合、戦闘で磨り潰している余裕はありません。また内服薬を作るにはどの程度、磨り潰したらいいかを判断する必要があります。つまり、「そうりょ」「けんじゃ」「まほうつかい」この辺りの職業しか使えないのです。もし使えたとしても回復HPが使用者の「かしこさ」に依存しなければ辻褄が合いません。

 二つ目。湿布のような用法も考えにくいです。何かで縛る必要がありますが、いつも紐状のものを持ち合わせているとは限りません。別の細い葉で縛っているとも解釈できますが、砂漠でも使えます。また器用でなければ傷口に充てがえないので、「きようさ」が高くないと使えないことになります。

 三つ目。かじっての使用法も考えにくいと思います。なぜなら、これは葉の薬用成分を体内に取り込むことです。外科ではなく内科的治療になりますが、戦闘では外傷が圧倒的に多いのは言うまでもありません。外科と内科。分野が違うのです。

 つまり、アロエのように傷口に塗って使うのだと推察できるのです。このように読み解いた後は葉の形、感触、手折ったときはどんな液を出すかを決めるだけ。例えば、アロエを念頭に置きながら考えるとこのような具合になるでしょう。

・葉の形は刀に似ている(刀に喩えれば外傷のイメージと重なる)

・感触、羊皮紙のよう(羊皮紙に喩えれば中世の雰囲気が出る)

・手折ったときには赤い粘液(本当は白い粘液ですが、血をイメージして改変)

 しかし、中には内服薬のように使うと解釈している人もいるでしょう。もちろん解釈は十人十色ですが、読者は想像と違っていたときに修正しなければなりません。わずかコンマ1秒ほどですが、考えなければならず、その都度、作品世界から離れなければならないのです。度々続くと無意識のうちに疲労が蓄積されていきます。

 そこまで作り込むのは面倒だと思うでしょう。そこで参考になるのが実際の処方例です。

 例えばパラケルススの著作を読めば、植物だけでなく鉱物も薬として使っていたと解るでしょう。ここから更にオリハルコンなど架空の鉱物も薬として使えるかもしれない、と発想を膨らますこともできますね。

 ところがゲームでは具体的な使用方法が書いていません。どうして「○○をつかった」という表現に統一されているのでしょうか。これについても触れておきます。

 大前提として、処理能力の低さを考慮に入れなければなりません。アイテムごとに場合分けをすると、その分、ゲーム機の処理が遅くなります。そのため汎用性が高く、文字数もできるだけ少ない言葉を使わなければなりません。

 つまり安易な表現ではなくプログラマたちの格闘の跡なのです。このような事情を考えれば、いくら慣習といえども安易な表現を持ち込むことは彼らに対して、礼を欠いていると言えましょう。

 なぜならプログラマも本当は具体的に作品世界を描写したかったと思えるからです。それをプレイヤー側で補わないで、常套句として、それも安易に持ち込んでいるのですから! 


 また、名前についても要注意です。例えば、イブン・ブラックスミス。この名前には特殊性を感じます。イブンはイスラム圏の典型的な名前で、名前の命名規則に反しています。例えばイブン=シーナーという人はシーナーの息子という意味になります。つまりイブンは単独では使わず、通常、父親の名前と組み合わせるのです。また、ブラックスミスは英語圏の姓。

 すなわちイブン・ブラックスミスという名前は、英米のイスラム教徒でなければ辻褄が合わないのです。

 このようなことを調べず、ただ雰囲気だけで名付けていると、リアリティの欠如に繋がり、違和感や作者の不勉強さが印象に残ります。今はインターネットがある分、余計に。無知そのものを批判しているのでなく、調査の不徹底さを問題視しているのです。何度も言いますが、そのような行為は読者を見下しています。なぜなら手を抜いても気が付かないと思っているのですから。

 しかし、読者は無意識のうちに些細な違和感を持ちます。英米人でイブンは珍しいな、どこの国籍だろう、と。この些細な違和感こそ、作品世界から興味を削がれる要因の一つ。

 ファンタジーやSFの名作は架空の世界といえども考察を疎かにしていません。真剣に遊んでいるのです。例えば、トールキン「指輪物語」はエルフ語という言語が出てきますが、音韻体系について言語学的に忠実。

 SFで言えばアンディ・ウィアー『火星の人』。WEB小説として連載されていたのですが、映画化までされました。この原作小説は科学考証がかなり正確です。この二つを読めば現実に立脚してこその空想世界だと解るのではないでしょうか?


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