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創作家のためのアクセスアップ入門  作者: 有沢翔治
ワナビのための読書入門
19/27

第五回 登場人物がみんな一緒になる?(1)

 登場人物が全員同じになる、という経験がありませんでしたか? その解決策は実に簡単で二つのことを実践するだけです。キャラクター設定シートはあくまでも補助的なものにすぎません。

 一つ目はいわずもがな読書。二つ目の方法に至っては会話の描写も解決するのです。

 例えば「山月記」の李徴は「博学才穎」、「性、狷介」、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった」とあり、さらに下記の通り続きます。


下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。(中略)数年の後、貧窮に堪えず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、己の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遥はるか高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心を如何いかに傷つけたかは、想像に難くない。


 これで人物のストックが一人できましたね。若い頃から優秀であるがゆえにプライドが高い人物のストックです。さらに李徴の人物像を掘り下げましょう。過度に自尊心を持ち、詩人として有名になろうと決心。家庭の事情と「詩業に半ば絶望し」、挫折します。しかし、「進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった」ことが原因でした。これは端的に「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」という台詞で言い表されていますね。

 バカだと思っていた同級生は次々と就職し、出世。しかし、仕事なので彼らの命令は聞かなければいけません。

 これでは山月記に書いてあることだけで李徴の人物像を要約し、現代風に言い換えただけです。もちろんそれだけでも構いませんが、人物描写に活かすためにはできるだけ自分の言葉で想像しなくてはいけません。実感が湧くまで。

 例えば、李徴が「貧窮に堪え」なかったときの気持ちを例に取ってみましょう。

・妻子に対して申し訳ない気持ち。

・なかなか芽が出ない苛立ち

・自分を認めてくれない世間への恨み

 そして最後に沸き起こったのは自分への絶望。これは文章の最後に書いてあるからではありません。李徴は自らの文才をよりどころにしてきました。いわば、優位に立てると思っていた、最後の砦だったのです。そして偉大な詩人として名を残すことが目標でもありました。

 つまり詩作への絶望とは、李徴にとって人生の目標を喪ったことになるのです。そしてもはや他人より心理面で優位に立てなくなったと李徴が悟った瞬間でしょう。加えて、今までの歳月、苦労、葛藤は全て無意味だったのだと。

 さらに想像を膨らませてみましょう。


1.妻子

 妻子との会話は具体的に書かれていませんし、登場するのは四回だけで名前だけ。しかし、どのような会話がなされていたかは李徴の立場をもとに推察できるのです。

 家計の状況は火の車。李徴が働けば万事解決するのに、詩作にふけってばかりで妻は苛立っている。李徴は李徴で認められず、苛立っている。激しい口論も耐えなかったでしょう。

 このような家庭は子供にとっても居心地が良いものではありませんが、無視し合っていたは疑問の余地が残ります。

 なぜなら少なくとも李徴が家族を案じていると解るのです。


お別れする前にもう一つ頼みがある。それは我が妻子のことだ。(中略)君が南から帰ったら、己は既に死んだと彼等に告げて貰えないだろうか。決して今日のことだけは明かさないで欲しい。厚かましいお願だが、彼等の孤弱を憐れんで、今後とも道塗に飢凍することのないように計らって戴けるならば、自分にとって、恩倖、これに過ぎたるは莫い。


 これは李徴と家族の関係を示すだけでなく、袁との関係をも示しているのです。


2.袁

 李徴は同輩を侮蔑していました。袁もその例外ではなかったでしょう。「親しい友」とありますが、袁はそれ以上に尊敬していたことが解ります。

 この手がかりは「その声は、我が友、李徴子ではないか」という台詞です。「子」は中国の尊称です。孔子、孟子、孫子など世界史で習いませんでしたか? その「子」です。

 しかも妻子の世話を頼んでいます。李徴は袁に対して信頼を置いていたことが解るでしょう。そればかりではありません。打ち明け話をしていることから、口の固さを見込んでいると解るのです。

 このように登場人物に現実感を持たせるためには、価値観、人生観などを描き込まなければなりません。




 それではどのようにしたら価値観、人生観を描き込めるのでしょうか。本を、特に伝記を読みましょう。伝記は説教臭くて肌に合わないという印象があるもしれません。確かに児童向けの偉人伝はそういうものが多いですが、以下の伝記はそのような印象を覆してくれるでしょう。


1.石川啄木『ローマ字日記』(岩波文庫)

「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」で有名な啄木。さぞかし極貧生活の記録かと思いきや、奥さんの節子がいないところでは女遊びをしています。例えば、

「いくらかの金のある時、予は何のためろうことなく、かの、みだらな声に満ちた、狭い、きたない町に行った(中略)ミツ、マサ、キヨ、ミネ、ツユ、ハナ、アキ…名を忘れたのもある」(1909年4月10日)

節子に対しては愛情を抱いていたようですが……

「予は節子以外の女を恋しいと思ったことはある。他の女と寝てみたいと思ったこともある。現に節子と寝ていながらそう思ったこともある。そして予は寝た――他の女と寝た。しかしそれは節子と何の関係がある? 予は節子に不満足だったのではない。人の欲望が単一でないだけだ。」(1909年4月15日)

 と書いています。


2.渡辺淳一『遠き落日』(講談社2分冊)

 野口英世の評伝。野口英世と言えばさぞかし偉人で、人格者とも思われるかもしれません。しかし、啄木同様、浪費癖がありアメリカへの留学費用全額を女遊びに使ってしまうほど。

3.ジャン=ジャック・ルソー『告白』(岩波文庫3分冊)

 エミールで真剣な教育思想を打ち出し、その上、『社会契約論』でフランス革命を下支えしました。しかし、その性癖は褒められたものではありません。今だったら公然猥褻罪です。


 読書をすれば個性的な人物に巡り会えます。そしてこのような本を読めば、(人格的にはともかく)、魅力的な人物が登場させられるのです。

 もちろん、このようなことは表面上ならWikipediaで調べられますが、息遣い、悩みまでは伝わりません。そして息遣いが伝わってこそ、登場人物たちが生き生きとしてくるのではないでしょうか。

例えば石川啄木などのエピソードから以下のような人物が浮かびます。

 例えば腕は確かだが、女遊びが激しく、パーティーの資金を使い込む剣士。そこから発展させれば、使い込んだ生活費を埋めるために、モンスター退治に行くという物語も生まれるでしょう。

 物語自体も、女という弱点次第でいくらでも起伏を付けることができます。例えば蛇が女性に化けてその戦士を誘惑する場面などを作れば緊迫感が生まれますよね。

 ちなみに、いつも金欠のパーティーは深沢美潮『フォーチュンクエスト』からの借用です。このように多くの本に触れれば、それだけ多くの物語を生み出せるのです。


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