第十二回 だから評価が得られない
しかし正当に評価されるのがいかに大変かは自分がよく解っているのではないでしょうか。インターネット上ではなおのこと難しいでしょう。なぜならクラスで一位、学年一位、全国一位……全国で一位のほうが人数が多くなります。加えてインターネットでは年齢は加味されません。それどころか、まだ高校生だから、と書いた途端に甘えていると受け取られるのです。現実に金原ひとみ、綿矢りさ、そしてアルチュール・ランボーなどは同年代で名声を博しているわけですから!
つまりあなたと過去の文豪たちとは同等に評価されるのです。
このことは言われなくても薄々、気がついてるのではないでしょうか。その逃避のはけ口が創作にむいていることにも。でもこれは堂々巡りになっています。創作で評価されないという現実から逃げるために、創作をしているのだとしたら、評価されません。自分の現実から目を背けるためだけに書いているのですから、他者が全く欠如しているのです。そして他者が全く欠如しているのに、他者からの評価は得られるはずがありません。読みやすさ、言葉遣い、宣伝文、句点、改行の一つに至るまでどう読まれるか、つまりどう見られるかに細心の注意を払わなければいけないのです。
もちろん他者の視線ばかりを気にしていては一行どころか、一字も書き進められません。どうしてでしょうか? 読者が何を求めているかなど知る由もないのですから。しかし、他者に忖度してばかりいると、メッセージが失われます。すべての言葉は伝達の道具ですので、自分の主張が伝わらなくては意味がありません。結論が見えないと疲れるだけ。
あるいは1+1=2、人を殺してはいけない、などという一般論だけを主張していても評価されません。どうしてか。あなたのがいなくてもそのメッセージは伝達されますよね。
いまや自分が承認されるという、真の意味が解ってきたのではないでしょうか。書きたいものだけを書いていても、他者の顔色ばかり窺っていても、評価されないということが。他者の要求に応えながらも、自分の主張を通してこそ、初めて評価されるのです。創作に限らず生きること全般において。
しかも創作には勉強法など正解がありません。むしろ独力で「正解」を信じて、創り続けなければいけないのです。たとえ評価されなくとも、です。例えばゴッホは生前、全く評価されることはありませんでした。それでも自分の絵を描き続けたのです。
そもそもあなたは何のために書くのでしょうか?




