第十回 上手い宣伝と下手な宣伝
宣伝についてはどのようにすればいいのでしょうか。ツイッターを見ると、定期的に宣伝している人がいます。しかし、正しく宣伝しないと逆効果になってしまいかねないのです。
特にツイッターでの宣伝は100字程度に収めないといけない分、練らなければいけません。しかも字書きを名乗っている以上、小説の宣伝は、自分の作品がどれだけ客観視できているか、どれだけの文章力があるか、誤字脱字にいたるまで全て見られます。
宣伝文の段階で文章力がないと、一人よがりで終わってしまうと判断されてしまうのです。具体例を挙げるなら「頑張って書きましたので、評価よろしくお願いします」。例えていうならラーメン店で「頑張って作りましたので、食べログに高得点付けてください」とチラシに書いてあるようなもの。
この文章からは唯一のアピールポイントとして「頑張ったこと」が窺えます。残念ながらそれは創作家としての義務です。あなたの作品を読んでいる間、読者を拘束しています。読者は貴重な時間を割いているのです。もっと素晴らしい作品に出会えたかもしれないその時間を。
すなわちこの宣伝文がある時点ですでに、読者の目線で書かれていないことが解るのです。宣伝文がそうなら、内容も当然、読者の目線で書かれていないと想像できますよね。
当然、読者のことを考えたら頑張って書かなくてはいけません。またどんな理由があっても努力不足、技量不足には変わらないのです。努力に対して評価を求めるのは傲慢に他なりません。
「自信がありません」などという宣伝文も読む気が失せます。なぜか、この文言を書くことで、自分が必要以上に傷つきたくないがあわよくば評価が欲しい、という心がすけて見えるのです。
まず、必要以上に傷つきたくないのはどうしてか。自信がないと公言することで、あまりきつく言ってこれないだろうし、批判があったとしても、「自信がなかった」ことを言い訳に自分の心が守れるから。
しかし宣伝すること自体が、「評価が欲しい」ということの現れです。つまり批判はよこして欲しくないけど賛同なら欲しいという暗に仄めかしているのです。そして文章からは甘えはもちろん、怒り、楽しさ、悲しみなどが伝わってきます
では上手い宣伝文とは一体何なのでしょうか。
もちろん、その都度考えなければいけませんが、具体的なストーリーが想像できるように書きましょう。ここで参考になるのが〈現実世界〉。世の中には小説がたくさん出版されています。そしてその多くには宣伝文が付いているのです。例えば創元推理文庫なら、第一ページ目や裏側に。
あるいは地下鉄の吊り広告。週刊誌などが特に扇情的な広告文句です。こうして見回せば普段は何気ない風景でも創作の参考になるのです。
繰り返しになりますが〈現実世界〉を見つめ直さなければいけません。それはなぜあなたの自我がこの世に生まれてきたのか、という根本的な問題につながってきます。なぜならあなたが生きているのは異世界ではなく、この〈現実世界〉なのですから。




