第8話 再起動
西暦206X年11月1日午前01:30。
日本帝国防衛軍関東統括司令部市ヶ谷駐屯地の敷地の片隅は物々しい警戒態勢が敷かれていた。山下一佐、井上技術一佐の要請を聞き入れ、ジュンがRX-175の実機起動を行うからである。
2台のパンタグラフ式高所作業リフト車がRX-175の前に停まっている。一台にはジュン、井上技術一佐、その副官。もう一台には山下一佐、前田二尉、そうして基地のHAHEWW(重装甲ヒト搭乗型歩行兵器)部隊の二人の小隊長が乗っている。パンタグラフを伸ばしコックピットの高さまで作業台が上げられている。
「こんなふうに乗り込むのは初めてだ……」
そう言いながらジュンは慎重にコックピットに乗り込む。
全高16.7メートルのRX-175のコックピットは人間で言えば鳩尾の辺り、地上からの高さおよそ9メートル近くにある。
通常RX-175はキャリアに載せられてテスト区域まで搬送され、キャリアに横たわった状態でテスト・パイロットは搭乗する。そうしてキャリアの荷台を垂直に起こして機体が行動を開始する。
そうしてテスト終了後は逆の手順でテスト・パイロットは機体を降りる。これは2足歩行機として開発が始まった時から変わらない。すなわちバッテリー電力駆動方式のRX-175は現場までは搬送、現場で起動というのが基本設計思想である。
他方、南北米州連合のA-6や全欧州国家連合のACX-3は足に車輪も持つので現場まで自走できる。しかも多脚のため機体の高さ調整が楽にできる。したがって機体への乗降はさして問題にはならない。
それに対し脚部アクチュエータの強度テスト試験機であるRX-175は膝の関節曲げ伸ばしの自由度が少ない。強度が確保しきれていないからである。それ故しゃがむとか膝をつくという姿勢を機体は取れないのでコックピットの位置が低くならない。したがって起動中の機体から搭乗者が降りる場合、直立した機体の正面のメインハッチを開けてタラップを降りることになる。
だがタラップといえば聞こえはいいが、それは要するに伸縮式の軽量アルミはしごである。これを使って9メートルの高さを昇り降りするというのは危険極まりない。したがって通常このやり方で機体に乗降することはない。あくまで非常用である。したがってジュンがタラップを昇り降りした時も深夜だったが、もし日中明るいところだったらその恐怖感は桁違いに大きかったろう。
この乗降システムは自動巻取り式のウィンチという案もあった。だが機構そのもは複雑ではないものの色々とクリアする点が多かった。第一、ワイヤ巻取り式では風の強い時にはワイヤが揺れて搭乗者が脚に叩きつけられ大怪我をすることも予想し得た。それは危険ということでウィンチによるワイヤの巻取り方式は却下された。
そういった点を鑑み、基本的には必要ないものの非常脱出用としてタラップとなったのである。
さて、メインハッチから乗り込みシートに座ったジュンはヘルメットを被りゴーグルを付けた。その動きを帝国防衛軍の面々が興味深そうに見ている。
偵察機や偵察衛星に監視されることを避けるため深夜が選ばれているが、暗視装置の発達によってその意味はあまりないといえるかもしれない。事実山下一佐始め全員が暗視眼鏡を装着していて、周囲には人為的な明かりは一切点灯されていない。
「搭乗者認証」
ジュンが静かに言う。
皆に見せるためにメインハッチは開けたままである。
「脳波確認……済、網膜確認……済、声紋確認……済。搭乗者ヲじゅん・さかきばら、社員こーど65421534、搭乗者こーど249106ト認識。
オハヨウゴザイマス、じゅん。めいんはっちヲ閉ジマスカ?」
AIの無機質な声に観察者達の表情がいっそう興味深げになった。
「いや、まだいい。それよりAI、現在座標を確認。NAVSTARⅢの電波を使え」
「了解。
現在位置、北緯35度41分34秒 東経139度43分43秒」
「機体各部チェック」
しばらく無音のまま、ジュンはゴーグルに映る数値を凝視していた。
メインハッチの内側はメインモニタになっており、装着したゴーグルもメインモニタと同様の情報を映し出せる。だがRX-175は機体内部はもちろん外部環境の情報も様々な角度から監視している。したがってその情報を表示させるため、メインモニタとゴーグルとそれぞれ別個の情報を表示させることが多い。
今はまだメインハッチを閉じていないのでメインモニタが使用できない。したがってゴーグルで全てを確認しなければならない。
「機体ちぇっく完了。何者カニヨッテ外装ぱねるガ外サレ再装着サレテイマス」
「それは問題ない」
「了解。内部機構ニハ異常ハアリマセン」
「バッテリー残量は?」
「41%。稼働限界警告域マデ21%デス」
「どれぐらい動ける?」
「連続負荷稼働デオヨソ10分デス。ソレ以上ハしすてむガ停止スル危険ガアリマス」
「わかった」
そこでジュンはゴーグルをずらし山下一佐らに言った。
「じゃあ動かす。離れてくれ」
「わかった」
一佐が頷いた。前田二尉が無線で連絡するとパンタグラフが縮み作業台が降下した。そうして高所作業リフト車が離れていく。
自爆と生物兵器を警戒しての土のうと防護シートはすっかり撤去され、機体の外装パネルも既に全部戻されている。
その代わり基地配備のHAHEWW、JHX-011が4機、実弾装填済みの小銃を構えて遠巻きにしている。RX-175が不審な動きを見せれば直ぐに行動を起こせるようにである。
日本帝国防衛軍現行主力機のJHX-011は戦車のような地上兵器と異なりヒト型兵器である最大の利点 ― 様々な武器を使い分けられる ― を活かし、12.7ミリ弾を使用する拳銃型火器、20ミリ弾を使用する自動小銃型火器、さらには55ミリ徹甲弾や105ミリ炸裂弾を使用する砲も扱える。またその装甲も厚い。
だがその分JHX-011は、可能な限り軽量化が図られているRX-175に比べて随分とゴツく見える。RX-175はマラソンランナー、JHX-011はラグビー選手に喩えるのが近いかもしれない。
ところがこの分厚い装甲はただでさえ機体内に反応炉を抱えるJHX-011の排熱を妨げる結果となっている。これはかなり深刻な問題で、それ故高性能の搭載コンピュータを有しながらも大半の演算処理は一緒に行動する指令車に任せている。それはCPUの熱暴走を極力避けるためである。
したがって4機編隊で一個小隊を形成するHAHEWW部隊の各小隊ごとに指令車が存在する。山下一佐らはこの指令車に向かっていた。そこからRX-175の挙動を確認するためである。
それを待つ間、ジュンはバッテリーの電力消費を抑えるため機体をまったく動かさなかった。その間日中の井上技術一佐との会話を思い出していた。
「……そうか、それにしてもよく4千万人も移住できたな……」
井上技術一佐は驚きを隠せない。
「ああ、あの時は世界中が協力したらしいよ。日本に来ていた飛行機や船舶だけでなく、ハワイや、グァム、東南アジアにいた世界中の航空会社の飛行機が通常のフライトスケジュールを全てキャンセルして日本中に集まったって話だよ。
ちょうど強い移動性高気圧が南の海上にあったのも幸いしたみたい。おかげで放射性物質は強い南風に乗ってシベリア方面に流されたって話だからね。もっともそのせいでユーラシア大陸東北部は完全に死滅したけどね」
「なるほど」
「その高気圧の勢力が及ぶのは36時間。その後は気圧の谷が近づいて強い西風に変わるってことだったから、とにかくガムシャラだったらしい。3時間から5時間で行けるところにとにかく運んだらしいよ」
「そうか……」
「でも移住できたのは50歳未満だけ……」
「50歳未満だけ? それは……」
「だってどう考えたって1億3千万もの人全部は無理だからね。
ノーベル賞受賞者みたいな偉い学者さんや他にない技術を持ってる職人さんは優先すべきだって意見もあったらしいけど、そうなると誰を選ぶ選ばないでモメるってことでそうなったらしいよ。とにかく時間は限られてたから……」
「そうだろうが、それにしてもそいつは……」
「それに皇帝も全皇族も残ったからね。国がなくなる以上皇帝も皇族もなくなる。外国に逃げる理由がないってね」
「……」
「国土放棄宣言で皇帝が言ったのを授業で聞いたことがあるよ。『ニッポン人はジューイッシュになってはならない』ってね。『他人の土地を奪って自分たちの国を建てるのはやめよう』って。『国と国土が失われても血は残る。その血に流れるニッポン人の誇りと矜恃を失わなければ良い』ってさ。
大笑いなのは、いつも皇帝に反発してた左翼勢力もこの時だけは皇帝の言葉に素直に従ったらしいよ」
「なるほど……」
「それで、東南アジアや南太平洋に散らばったニッポン人全部を当時の豪州連邦が受け入れたのさ。あの国は人口以上に牛と羊がいるし穀物もたくさん育てているからね。取り敢えず食うものには困らないから。もっとも元々水不足に国土全域が砂漠だからね。じいちゃん達はものすごく苦労したらしいよ」
「そうだろうな」
「でもみんな我慢したのさ。当時の豪州連邦の人口が2千5百万。そこに4千万も受け入れたんだからね。みんな極力ニッポン語を使わないようにして文句も言わずに黙々と働いたのさ」
「話で聞くだけで苦労が忍ばれるな」
「そうだろう? あれから50年。アタシらは随分と楽になったけど、それでも世界中が大災害で苦しんでるからね。
移民した最初の数年は世界中から色々と援助があったらしいけど、直ぐに世界中で大地震が起きて、大雨が降って、津波や土砂災害が続いてさ、暑すぎたり寒すぎたりで作物が育たなくて、人の事どころじゃなくなっちゃったからね。あの核爆発からわずか10年で地球の人口は25億まで減っちゃったのさ」
「……」
「災害、食料不足、伝染病。人はどんどん減って対策は追いつかない。だから世界中は手を取り合うしかなかった。イデオロギーやら宗教やら民族やらで争うヒマなんてなくなっちまったのさ。
どんなにイヤな胸糞の悪くなるような奴らとも協力しないと生きていけない世の中になっちまったんだ」
「……」
「だからいいよね『この世界』はのんびりしてて……」
「どういうことかな?」
「だって人間同士、同じ国民同士で呑気に戦争して殺し合ってるんだろう? 『アタシらの世界』でそんなコトしてたら人類は滅亡しちまうよ」
「それは……」
「そんな『この世界』を一体どうやって楽しめって言うのさ?
アタシにも一緒になって人殺しをしろって言うのかい?」