最終話 サクラサク
206X年4月。
日本帝国防衛軍関東統括司令部市ヶ谷駐屯地。陸軍第3機甲歩兵師団本部を兼ねるこの基地にはフェンスに沿っておよそ500本のソメイヨシノが植えられている。
その満開の桜はジュンの目に焼き付いた。
―― ニッポン人にとって桜が特別って初めてわかったな。
ジュンの住む世界の太平洋連合にも桜はある。だがそれはいわゆる山桜でソメイヨシノではなかった。そうして満開のソメイヨシノが風によってハラハラと花びらを散らす姿にジュンは心打たれたのである。
「おい、準備はいいか?」
井上技術一佐の声がスピーカから聞こえる。
「ああ、バッチリさ。いつでも行けるよ」
ジュンが答える。
「そうだよな、AI?」
「ハイ、各部ニ異常ハアリマセン」
「聞いての通りだ」
「わかった、じゃあ始めてくれ。いいか、最大稼動時間はおそらく15分に満たない。気をつけろよ」
「りょーかい」
ジュンは少しおどけたように返事した。再び行われる深夜のRX-175の歩行試験。だがそれはかつてのものとは違っていた。市ヶ谷駐屯地に持ち込まれたJHX-09の下半身を備えた新たなRX-175の最初の歩行試験であったのである。
油圧ポンプを持たず各アクチュエータを超伝導モーターで動かす日本帝国防衛軍のHAHEWW、JHXシリーズ。その現行機二世代前の機体09は各部に十分な強度を持ちながらも出力の低い反応炉の故に十分な性能が発揮できず、逆に反応炉が進化して高出力化したら強度不足になったという不運な機体であった。
井上技術一佐はこれに目をつけRX-175への下半身部分の換装を目論見、三ヶ月半かけてついにこの4月に再起動に漕ぎ着けたのである。
しかしながらそれは当然簡単なことではなかった。まずRX-175の本来の仕組みはバッテリーの電力で電動モーターを回しそれが油圧ポンプを作動させるという仕組みである。だがJHX-09は電力で直接超伝導モーターを作動させるため油圧ポンプを必要としない。したがって現状の油圧ポンプでは上半身に掛かる圧が上がり過ぎるのである。といって圧を逃がすバイパスを設けるなどの方法では根本的な解決にならなかった。
第一バッテリーから直接超伝導モーターに電力供給しつつ電動モーターを回すというのは電力消費が激しすぎた。といってモーターも油圧ポンプも取っ払ったらどうなるか?
それならRX-175でなくてもいいという話になる。JHX-09の反応炉を外してRX-175のバッテリーを09に載せてしまえばいいという話になってしまうのである。帝国防衛軍からすればそれでいいが、それではジュンが納得できない。
それにRX-175の搭載コンピュータを09に換装する必然性もなく、これでは何のための換装か? という話になるのである。
そこで電動モーターと油圧ポンプは残されることになった。というよりRX-175ベースで進めるならそれは大前提である。
だが消費電力が大きいからとモーターだけを小さくすると油圧ポンプを作動させるトルクが不足になる。そこでモーター、ポンプの両方をより小型のものに換装せざるを得ず、そうなるとRX-175のメイン骨格に合わなくなる。
さらに各部を制御するための搭載コンピュータのプログラム自体を書き換えねばならず、これは井上技術一佐の手に余った。
それで井上技術一佐は山下司令の許可の下、兵器廠と帝国防衛軍技術研究所の友人に密かに協力を要請したのである。
異世界から現れた機体とこちらの世界の機体を合体させる。
友人たちは井上技術一佐の言葉に目を瞠りながらも協力を惜しまなかった。もともと変わり者と異名を持つ者達だったから、何かと理由をつけては出張と称して市ヶ谷駐屯地にやってきては作業を進めたのである。
この改造されたRX-175のデータは帝国防衛陸軍技術研究所に極秘に持ち込まれることが山下司令の考えにもあった。いつまでも機体を保管できない以上、何らかの形でそれを活かさないとジュンも機体もこの世界に現れた意味が無い。そう考えていたからである。したがって遅かれ早かれ情報は外部に出ることになっていた。それがかなり早くなったということである。
ただしRX-175とJHX-09は全高はあまり変わらないが幅、すなわち体格が全然違った。
曲がりなりにも兵器であるKHX-09には分厚い装甲が備わっているし、各アクチュエータは強度、出力耐久性を持たせるために一つ一つがそれなりに大きい。したがってこの2つを合体させた機体はほっそりとした上半身に比べ、やたらとごつい下半身になったのである。言うなれば下半身デブである。
もっとも脚部の強度が上がった分、耐荷重性能も上がっているから上半身の外装を厚くするなどもできた。がそれは見送られた。
「これ以上余計な金はかけられねえよ!」
井上技術一佐が悲鳴を上げたのである。したがって塗装もそのままであり、上半身は純白、下半身は帝国防衛軍の標準色の鈍色というツートンカラーの機体になってしまったのである。
「えーっ、このまま!?」
ジュンは抗議したが再塗装すら却下されてしまった。
「じゃあAI、ボチボチ行こうか」
「了解」
制御プログラムの書き換えの際、セキュリティ・プログラムまで併せて書き換えられてしまったから、搭載コンピュータも一々ジュンに専守義務事項がどうのとは言ってこない。おかげで静かにはなったが何か物寂しさも感じるジュンである。
「歩行前進、12歩/分。速度安定後18歩/分まで加速。そこで速度が安定したら右に旋回し、グルっと回って格納庫に戻る。できれば22歩/分まで速度はあげたい。とにかく今日はそれで終わりだ」
「了解シマシタ」
下半身が換装されたRX-175の乗り心地は以前よりも大分改善されている。やはり安定感が全然違った。
「右ニ旋回ヲ開始シマス」
「よし」
そこで井上技術一佐の声が聞こえた。
「どうだ、乗り心地は? 問題ないか?」
「ああ、落ち着いてるよ」
「そうか、なら……」
そこでジュンは激しい嘔吐感に見舞われた。
「うぷっ」
必死に口を抑えるジュン。こんなところで胃の中のものを吐き出したら計器が吐瀉物まみれ、故障を起こしかねない。
「おい、どうした!」
「なんでも……うぷっ」
返事をしようとするジュン。だが吐き気は収まらなかった。
―― もしかしたら悪阻?
そう思った瞬間、機体が突然転落した。
メインモニタに映る暗視視認装置による緑色の映像に桜吹雪が見えた気がした。
「ジューーン!!」
井上技術一佐の叫び声がだんだん遠くなっていった。
ジュンが目を覚ました時、機体内部は非常灯が灯り正面のメインモニタも暗転し赤い警告文字が見えた。
ALERT!!
EMERGENCY!!
「AI、警報停止だ」
「手動デ行ッテクダサイ」
「ちぇ」
舌打ちしたジュンは警報解除ボタンを長押しする。
すると警報が止まりコックピットに通常照明が戻った。
「AI、状況を教えてくれ。何が起きた? それと各部チェックだ」
「了解。G《重力》せんさーニヨルト機体ガ地下ニ転落シマシタ」
「なんだって! まさか!」
基地の滑走路地下に大きな空洞はないと聞いていた。したがって足元の地面が崩落し転落すること自体があり得ない。
「各部状態ちぇっく完了。各部異常アリマセン」
「GPS座標は?」
ジュンがそうAIに聞いた時、ヘルメット内蔵の無線機のスピーカから激しいがなり声が聞こえた。
「おい、ジュン、大丈夫か!」
「ええ、ジュン、しっかりして! 応答して!」
「まさか……」
それはおよそ6ヶ月ぶりに聞いたマイキーとメイ・リンの声だった。
「おい、指令車! 聞こえるか? ジュンの機体が地下に転落した。こちらも崩落に巻き込まれる危険があるから近づけない。だから細かい状況確認ができない。直ぐにクレーンを寄越せ!」
マイキーのがなり声が耳にうるさかった。
ジュンは無線のスイッチをオフにした。
「AI、ここは何処だ?」
「ドノGPS電波ヲ使イマスカ?」
「使えるのは?」
「NAVSTARⅢトUORGPSSデス」
それを聞いたジュンは静かに目を閉じた。そうして目を見開くとしっかりと言った。
「じゃあ、UORのを優先するのは当然だろう?」
「了解。現在座標、南緯33度○分○秒、東経148度○分○秒。
現在時刻、西暦206X年10月26日午前9時46分デス」
―― 帰ってきた……。アタシは自分の世界に帰ってきた……。
ジュンの頬を涙が伝わる。
あれは夢だったのか? 拘束される時に殴られ、独房で暴れ、前田二尉とやりあい、そうして井上技術一佐・ユキオと愛し合ったことも全て幻だったのか……。
だがAIの音声はジュンを感傷に浸らせなかった。
「新型脚部ノ電力消費ガ激シスギマス。コノママデハ5分後ニしすてむ停止ノ可能性ガアリマス」
「よし、それなら半自閉モードに移行」
「了解」
「新型の脚はどうだ、AI?」
「非常ニ信頼性ガ高ク、マッタク異常ハ見ラレマセン。サスガニ軍用機ノ強靭サハ違イマス」
「そうか……」
―― じゃあ夢じゃなかったんだ。このお腹にもちゃんとあの人の子がいるんだ……。
ジュンはしばらくぼうっとしていた。
何故再び時空スリップが起きたのか? 本当にこの世界に向こうの世界の技術を持ち帰るため? 何もわからなかったが、ただひとつ、もうあの人達には会えない。それだけは確かなことだと思えた。そう思ったら涙が止めどもなく溢れてきた。
およそ30分後、クレーンのウィンチに掴まって引き上げられるRX-175-01 ― ジュンの機体 ― を見たオセアニア・インダストリー社の今回のテスト・スタッフ全員が瞠目した。
それは日本帝国防衛軍のHAHEWW、JHX-09の下半身を装備したツートンカラーの機体であったからである。
唖然としたオセアニア・インダストリー社のスタッフは急遽試験を中止。ジュンの機体を輸送車に積み込んだ。
その助手席の、日本帝国防衛軍支給の軍服に身を包んだジュンの目には、春になったばかりの南半球の満開の桜が映っていた。
エピローグ
その一年後。
シドニー湾を臨む公園の一角の特設ステージではオセアニア・インダストリー社の最高経営責任者が満面の笑みを浮かべながら、新型2足歩行ロボットの発表を行っていた。
「ではご紹介します。弊社の全く新しいコンセプトによる新型2足歩行ロボット、JOX-1です!」
派手なファンファーレが鳴り響き、白い鳩が多く飛び立ち、花火が激しく打ち上げられた。
トレーラーのウィングが開き、機体を載せた荷台が垂直に起こされる。
報道のカメラマンが一斉にシャッターを切った。
「このJOX-1には従来とは全く異なるエネルギー・システムが搭載されています……」
最高経営責任者は自信たっぷりに説明を続ける。
それを観客席の片隅で赤ん坊を抱いたジュン・サカキバラが見ていた。
「ほらわかる、ユキ? あれがお前のお父さんとお母さんが作った機体から生まれた新型機だよ。いわばお前とおんなじさ」
だが娘は目を閉じたまま静かな寝息を立てていた。
「お母さん、大学に戻って量子力学を学び直すよ。そうしてお前を必ずお父さんのいる世界へ連れてってあげる。だってお父さんの写真もないんだもの、顔もわからないなんて悲しいじゃん」
ジュンが戻ってきたこと。それは本人にすれば6ヶ月ぶりのことだったが、この世界の人間にすれば一瞬のことだった。機体が転落しそれが引き上げられた時には別の物になっていた。まさかその場に別の機体を用意して乗り換えた? あり得ない想像までなされた。
研究所に戻ったジュンは直ぐに本社に呼び出され、急遽設置された社内調査委員会でしつこいまでの取り調べを受けた。だがそれも向こうでの軍の取り調べに比べればはるかに手ぬるいと感じられるものであった。
そうして誰もがジュンの話を信じられなかったのである。平行する異世界に飛ばされ帰ってきた。誰がそんな話を信じるか。
だが機体は嘘をつかない。
搭載コンピュータはセキュリティ解除と制御系の一部に変更はあったものの、OSそのものには手は加えられておらず、またデータも全て残されていた。
したがってそのデータからするとGPS座標の移動、外界の計測結果からジュンが異世界のトーキョーにいたと考えざるを得なかった。
しかも機体は下半身が換装されており、この世界では実用化されていない室温超伝導モーターが使われていた。そうしてデータ・ライブラリに残っていたアルカーソン理論とそれを応用した反応炉。そうしてJHX-09の仕様書。これらが決め手となってジュンの証言に嘘はないと認められたのである。
そうしてオセアニア・インダストリー社はこの事実を秘匿した。国にも報告せず全てを独占したのである。異世界からもたらされた先進技術。そのアドヴァンテージは計り知れないからであった。
早速反応炉が試作されテストされた。
設計図にパーツリスト、さらに素材となる原材料物質の成分比一覧表。これだけあれば必要な物はいくらでも作り出せる。
反応炉は順調にテストされ、また室温超電導モーターも開発テストが進められ、そうしてアルカーソン反応炉を搭載した機体が試作されたのである。 軍用機なら隠密性は重視されるが、災害救助用なら騒音も排熱も問題とはならない。それに曲がりなりにも実戦投入された機体の基礎データを元に開発されたのであるから試作機の信頼性の高さは想像以上であった。
こうしてオセアニア・インダストリー社は最新型2足歩行ロボットJOX-1を発表したのである。
JOX-1のJはこの技術のもとになったニッポンとジュンの頭文字、そうして移民してきた多くのニッポン人に対する敬意からであった。OはオセアニアのO。Xは無限の可能性を表すX。1はその栄えある初号機。そういう意味から付けられた名前であった。
ジュンはだが、その会社の方針には疑問を抱いたが妊娠が判明しそちらに専念した。それに下手なことを言えば消されかねない。
ジュンが異世界で出会った人々は全員が軍人だった。軍人であることに誇りを持ち、任務であれば人を傷つけることも殺めることも厭わぬ人々。ジュンは彼らに出会い、人は人を殺せる生き物なのだということを実感したのである。ならばこの世界だって邪魔者の排除は厭わないかも知れない。そう判断したのである。
そこでジュンは会社と取引した。
自分と家族 ― それはお腹の子も含めて ― の安全の保証と自らの退職、そうして大学への編入。これを認めてくれれば一切口外しない。金もいらない。そう言ったのである。
臨時役員会でこれは承認され、それでも口止め料を兼ねた破格の退職金とともにジュンは自由になったのである。
もっともしばらくは興信所の職員と思しき人物の影が近くにちらついた。だが24時間監視カメラで見られているのに比べたらどうということはなかった。
そうしてジュンはこの日を迎えたのである。
その頃。
「ジュン、お前、やっぱり行っちまったのか?」
井上技術一佐は忽然とジュンが姿を消した滑走路に佇んでいた。その手にはジュンの革つなぎが握られている。
「もしそうなら、寄り道しないでちゃんと帰れよ! もう暴れんなよ。自分をいたわれよ。
なあに、俺のことは心配いらない。今までだって一人で生きてきたんだ。これからだって……」
そう言いながら井上技術一佐はその場に膝を付き、ボロボロと涙を流しながらジュンの名前をいつまでも呼び続けていた。
「ジュン、ジュン……」
それを彼方に見つめながら前田二尉は呟いた。
「ジュン、勝ち逃げは許さないわよ。あの賭けはどう見ても私の負けだったんだから……。
ジュン、私、帝国防衛軍大学校への入学を申請するわ。そこで理論物理学を学ぶつもりよ。
そうして必ずあなたに会いに行くわ。あなたは私のライバルで親友なんだから。もう二度と会えないなんて我慢できないんだから」
前田二尉が見上げた空には、満天とはいえないものの星空が広がっていた。
そうして前田かほり帝国防衛軍二尉は、決して忘れられない、忘れてはならない女性の顔をそこに見ていたのである。
テスト・パイロット
完




