第20話 年明けて
市ヶ谷駐屯地の正月三が日は交代で1日の休暇が与えられている。基本国内は内戦状態であり、帝国自体も周辺諸国と軍事衝突を起こしている現状では長期の正月休みなど無理な話である。
基地司令山下一佐は元旦は出勤である。日本帝国皇帝、帝国防衛軍総司令長官、同陸海空・各軍司令長官、同統合作戦本部長、同中央幕僚本部長、同各管区統括司令部本部長、各駐屯地司令官などとインターネット回線を利用した新年記念式典に臨むためである。
これは一般にも公開され誰もが閲覧できるようになっている。それは帝国国民や防衛軍兵士のみならず、七摂関家政府も同様である。それはすなわちこのような重要行事が衆目に晒されているということは、いかに帝国皇帝、及び帝国防衛軍の地位が低く抑えられているかという証左である。だが同時にこれだけの顔ぶれが一堂に介し、もしその場が攻撃を受けた場合 ― もちろん厳重な警戒態勢が敷かれるが ― 帝国防衛軍が瓦解するというリスク回避も図られており、功罪どちらもあるといえる。
一方、井上技術一佐は元旦は休暇。よってジュンと水入らずの一日を過ごした。
ジュンは何か手料理をと思ったが井上技術一佐の部屋には料理の道具も材料も何もなく、しかもジュンは本来基地外に出てはならない人間である。そこで厚生棟の部屋で過ごし、前田二尉は本来の休暇を変更し二人の邪魔にならないよう外してくれた。
翌2日は山下一佐が休暇。前田二尉はこれに休暇を合わせ二人は終日、山下一佐の官舎で過ごした。こちらは料理をできるだけの物はひと通り揃っていたが、逆に前田二尉に料理の腕が無いため手料理とはならなかった。
そうして3日、井上技術一佐はジュンとともに司令官室で山下一佐から訓告処分を受けていた。ジュンを基地外に連れ出した、という咎でである。
「井上さん、こればかりはやはり黙認は出来ません。規則をないがしろいすれば基地の規律・風紀が乱れます」
「わかってる」
井上技術一佐が神妙に頷いた。
「サカキバラさんにとっては基地内に押し込められていることに息苦しさを感じることもあるでしょうが、しかしこれはあなたを守るためでもある。今後、二度とないようにしてもらいます」
「わかったよ」
ジュンも頷いた。
「その代わり、前田二尉との同室は終わりとします。今後は一人で過ごすことを許可します」
「えっ? いいの?」
ジュンが驚いたように顔をあげた。
「ええ。ただし部屋の前には警備をつけます。これもやはり他の兵士の手前、自由にさせすぎているという反感を抑えるためです」
「まあ、しかたないだろう」
井上技術一佐は納得したように頷いたのだった。
ジュンはその後厚生棟の一人部屋に移り、前田二尉は外の官舎に戻るとともに山下一佐の副官として本来の任務に戻った。
ジュンは部屋の外の警備兵に声をかければ、部屋の外に出かけることができた。とは言ってもどこへでも自由にという訳ではないのはもちろんである。
食堂、PX(購買部)、ジム、プール、それとRX-175やJHX-011が収容されている格納庫。おおよそこの程度であり、それ以外の場所は事前に申請が必要とされた。もっともジュンには他に行きたいところは特になく、日中はこれらで何かかにかして、夜はおとなしく部屋にいた。井上技術一佐は毎夜という訳ではないが部屋に現れ、RX-175のみならず互いの世界の話をし、肌を重ねた。
一方、前田二尉は山下一佐が帰宅する際必ず部屋の中まで送った。そうして口づけを交わし名残を惜しんで帰宅する、という生活になっていた。
そんな日々が習慣になり始めたある日、井上技術一佐は山下一佐の呼び出しを受けた。
「士官学校特戦科の機体が1機、腰部アクチュエータの破損で廃棄になるそうです。頼んでおいたのでそれをどうかという連絡がありました。どうしますか?」
「腰部アクチュエータか……。破損状況はどの程度なんだろうか?」
「かなり深刻なようで、自立はできないそうです」
「現物を見てみねえとなんとも言えんが、そうなると本当に部品取りか標的にしか出来ねえな」
「ええ。ですがこの機会を逃すと……」
「ああ。2度とチャンスは巡ってこねえかもしれんな。何せJHX-09も古いからな……」
「どうしますか?」
「ああ、そいつでもいい。早速手配してくれると助かる」
「わかりました。前田君」
「はい」
前田二尉は頷くとすぐに行動を開始するべく司令官室を後にした。
「スマンね、司令官」
それを見送って井上技術一佐が山下一佐に詫た
「いいえ、気にしないでください。実際、上半身だけでもあれば標的に出来ますから正規予算内で処理できますからね。
この市ヶ谷駐屯地は九州管区の次に支援出動の多いところです。その資質向上のためであればどこも優先的に協力してくれますからね」
「ありがたいことだな」
「ええ。まったくです」
二人は頷きあった。
支援出動が多いということはそれだけ兵の生命の危険が多い、ということでもある。それは何もJHX-011に乗り込む搭乗者だけでなく、それを空輸する輸送機、更には護衛の戦闘ヘリの搭乗員も同様である。帝国防衛軍の空軍、海軍の支援も受けつつ敵迎撃機、地対空ミサイルの攻撃をかいくぐり、JHX-011を作戦区域まで届けるのであるから当然のことと言えよう。
そうしてどれほど艦砲射撃や空爆を行ったところで、最終的には陸軍による防衛もしくは制圧がない限りその島なり地域は敵国の手に落ちてしまう。それを避けるために地上部隊が投入されるのであり、その主力がHAHEWW(重装甲ヒト搭乗型歩行兵器)部隊である。
まして市ヶ谷駐屯地は東京にある。すなわちその行動半径は日本列島全域をカバーして余りあるほど広く、北方諸島から南方諸島まで、文字通り日本中に支援出動するのである。したがってその存在意義は非常に大きく、実働部隊としては最も出撃の機会が多い基地なのである。
「あとはジュンが上手く機体を『説得』できるかどうかだ」
井上技術一佐は呟くようにそう言った。
JHX-09の機体が手に入ると聞かされたジュンは、もう一度深く考え込んでいた。
自重を支えきれなおかつ自由に行動できる強靭な脚部。これが実用化されないとオセアニア・インダストリー社が総力を上げて開発に取り組んでいる2足歩行ロボットが製品化に至らない。
そうしてジュンの乗っている機体RX-175はその脚部アクチュエータの耐久性試験機である。
時空スリップを起こした際の地下への転落。この時奇跡的に機体への損傷は全くなかった。そうしてこの市ヶ谷駐屯地において2回行った歩行。それは多分にデモンストレーションであったが、ジュンにしてみればそれはテスト以外の何物でない。したがって本来であれば格納庫内で文字通り機体を吊り下げ、脚部を分解しその状態チェックが行われているところである。
各部部品の摩耗検査。非破壊断面検査。破壊強度検査。これらの精密なデータが取られ、それを元に実機の性能がどうであったのかを検証する。そうして次の開発に活かす。それを幾度と無く繰り返しながらテスト機体を完成機体へと近づけていく。
だが市ヶ谷駐屯地ではそれが出来ない。
まず第一に、この基地にはそこまでの計測機器が揃っていない。あくまでも実戦配備された機体の整備に主眼が置かれているためである。
第二に当然のことながらRX-175に精通している研究員がいない。ジュンも研究員として図面に目を通しているし、各部品の素材や製造方法にもある程度の知識はある。だがそれは脚部の全てを網羅している訳ではない。
第三に、したがって検証を行ったところでそれを機体にフィードバックする方法がない。部品一つ一つ全てが手作りという訳ではないが、ほとんどが少数ロットの特注品である。これを全部市ヶ谷駐屯地で用意などできない。
第四に最も解決の難しい問題。それはすなわち機体を分解するために必要なセキュリティ解除コードをジュンが持っていないということである。
テスト・パイロットや研究員が不心得を起こしライバル企業にその情報を流したら? 機密漏洩は企業に多大な損害を与える。それは時に経営困難に陥らせることもあるほどである。
それを避けるため図面はおろか、ネジ一本まで持ち出すことが許されず、研究所に出入りする人間は厳しくチェックされる。
だがもし機体をテストのため外部へ搬出した際にライバル企業に引き渡すという事態が起こったら?
それを見越して機体には幾重にもセキュリティが掛けられている。搭乗者の生体認証。データリンクを行っている指令車の存在。近くに第三者が存在していないかの確認。これらがクリアされて初めて機体は動かすことができる。
その唯一の例外は搭乗者の生命が危険に脅かされている。そう機体の搭載コンピュータが判断した時だけ緊急避難的に機体を動かすことができる。実際ジュンはこれを利用してRX-175を市ヶ谷駐屯地内で動かした。
だがジュンにできることはそこまでである。
機体を分解するとなると、セキュリティ解除コードを入力し、コンピュータがそれを承認しない限り機体は完全自閉モードに入ってしまう。そうなったら最初のものよりさらに複雑な解除コードが必要になる。それは通常のセキュリティよりもはるかに堅牢なセキュリティを解除するためのものであるから、厳重なハッキング対策が施されているのである。
機体は搭載コンピュータのプログラムによって制御されている。したがって単純に分解しただけではその機体の性能・機能を把握することはできない。ハードウェアとソフトウェアが揃って初めて機体性能が確認できるのである。
もちろんハードウェアから逆算的にソフトウェアを推論していくことも確率的には不可能ではない。だがそれは十全といえるものではなく、あくまでも近似値的なものでしかない。
しかもセキュリティ解除なしでの分解は、搭載コンピュータは、最悪の場合、記憶装置内のデータの完全消去を行う。したがって後からそれを拾い出すことは不可能である。
したがって通常であればRX-175にJHX-09の脚部を換装するということは不可能である。
したがって不可能を唯一可能とする残された方法、それはジュンがAIと呼ぶ音声応答インターフェイス ― これはいわばマウスやキーボード、モニタにしか過ぎない ― を通して搭載コンピュータを「説得」することである。
だがそれは決して簡単なことではないと思われた。何故なら搭載コンピュータは完全な自律型人工《Artificial》・知能《Intelligence》ではない。したがってプログラムされていないことを自動学習してそこから思考を導き出すということがないのである。
そうしていくらジュンが生命の危険を脅かされていると搭載コンピュータに訴えたところで、単に起動するならともかく、機体の分解・部品交換どころか最重要システム ― 脚部アクチュエータ ― の換装を許可するとは思えなかったのである。
「ユキオには悪いけど、説得できるかどうかわかんないよ?」
ジュンは申し訳なさそうに井上技術一佐に言う。
井上技術一佐は単純に好奇心だけで機体換装を提案したのではないということはジュンもわかっている。当然軍人として技術将校として、国家と帝国防衛軍の利益になるという計算が働いているであろうことは想像に難くない。
それに協力することはもちろん搭載コンピュータの最重要プログラム、セキュリティ項目の一つ「第三者への利益供与」に抵触することは明らかである。
どう考えても簡単な事には思えなかったジュンである。
「構わん。ダメ元でやってくれ。用意したJHX-09はどうなっても無駄にはならんから」
井上技術一佐はそうジュンに言ったのであった。
「ああそうするよ。機体に完全に自閉モードに入られちまったらおしまいだからね」
ジュンはそう言って機体に向かったのである。




