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第2話 プロフェッショナル

「……どうしたらいいんだよ……」


 ジュンはシートの上で膝を抱え俯き呟くように言った。


 メインモニタに映った景色は何もないガランとした空間であった。ただし周囲はほぼ完全な暗闇で、映ったのは暗視視認システムの画像である。それからすると今いる場所はどうやら大きな駐車場のような感じだが、車などの物体は確認できなかった。

 愕然としたジュン。必死に緊急時マニュアルを思い出したが無駄だった。マニュアルにはこのような状況は想定されていなかったのである。


 軍事転用も可能とされる多足歩行ロボットの開発中の機体はハイレベルの国家機密である。したがってジュンが所属するオセアニア・インダストリー社のマニュアルは様々な状況を想定しその対応について細かく定めている。

 例えば試験中の座標のロストは電波障害等から想定されており、対処方法がいくつかある。だがGPSロスト後からの復帰で、その座標位置が何千キロも離れた彼方などという馬鹿げた状況はマニュアルでも想定していないのである。

 それにジュンは生粋の民間人である。軍人のような緊急時対処方法は、それはいわゆるサバイバル訓練なども含め、受けていない。その仕事はあくまでも限られた状況下で機体を試験項目に沿って動かすだけである。

 したがってこのような状況下でどう行動すればいいか全くわからなかった。もう既に15分が経っている。だが事態には何の変化もなかった。最悪のままであったのである。


 今はバッテリーの消費を抑えるため機体を半自閉モードにしている。したがって稼働しているのは無線機とGPS受信機のみで外部レーダー照射と赤外線全方位捜索システムも5分おきにしか行っていない。



 今回の試験は廃棄された巨大ショッピングモール内での実歩行を目的としていた。多少足場の悪いところをおよそ30分歩き回る、ただそれだけである。

 バッテリー容量からすれば1時間近くは動けるはずだが、ぎりぎりまで動かしてバッテリー切れを起こすと機体回収が途轍もなく困難になる。したがってバッテリー残量に余裕を持って試験を行うのは通常のことである。

 それに新型アクチュエータの信頼性実証確認である。連続的に高負荷をかけることも避けられていた。現行システムの耐久性はそこまでではなかったのである。


 AIの報告によれば機体はおよそ30メートルも転落している。それでよく無傷だった思わずにはいられない。

 何せこの実験機体、開発コードRX-175の外装は軽量化のためほとんど強化プラスチックである。したがって石をぶつけたくらいではなんてことはないが、ちょっと強めの衝撃でも直ぐに外装は割れてしまう。言うならば外装は雨や埃から内部機構を保護するだけのカバーで耐衝撃強度を全く計算していないのである。



―― 腹減った、トイレにも行きたい……。


 ジュンは孤独と不安で押し潰されそうになりながらもそう感じる自分に思わず自嘲的に笑った。


 テスト機体RX-175の乗り心地の悪さは想像以上である。したがって食後最低2時間は空けないと歩行中に嘔吐しかねない。ジュンもそうしており、それ故そろそろ空腹を覚えてもおかしくなかった。


 その点南北米州連合のA-6、通称スパイダーは8本脚。その足底面には硬質ゴムタイヤを装備しており、平坦地では通常車両のように走行できる。また瓦礫の散乱するようなところでも多数の脚がセンサーによって機体のバランスを保ち安定移動できる。

 これは全欧州国家連合のACX-3、通称グラスホッパーも同様であって、共に機動性の良さと乗り心地を確保しているのである。


 大洋州連合もA-6を購入し正規運用している。だが広く平坦地の多い豪州大陸のみであればこれで事足りるが、島しょ部や大陸山岳部ではA-6では大きすぎる。それで2足歩行機体の開発が進められているのであった。

 だがその実用化にはまだまだ程遠いのが現状で、連合内各メーカーがしのぎを削っているところである。



 空腹はともかく尿意はそろそろ怪しくなってきた。いくら機体外部環境の安全は一応確認できたとはいえ、訳のわからないところで呑気に用をたすという気分にはなれず我慢していたジュンである。だが限界がくればそうは言ってられない。


―― 仕方ない、降りてするか……。


 ジュンは全方位レーダー照射と赤外線全方位捜索システムを作動させ、近づくものがないことを確認し、コックピットのメインハッチを開けた。


「ふうー」


 流れこんでくる外気に思わず深く息をするジュン。機内空調のとは違う空気に少し気分が晴れやかになった。


「さて、降りるか……」


 そう独り言ちてタラップを伝わり舗装された地面に降りる。機体外装LEDを点灯させているから周囲はそこそこに明るい。そうしてやはり恥ずかしさから機体の影の暗闇に身を隠し用をたす。

 それが済むと立ち上がって周囲を見回す。もっとも暗闇だから何も見えない。そこでふと頭上を見上げた。そうして息を呑む。


「えっ!?」


 そこには満天とは言わないものの星空が広がっていたのである。


「なんだよ、これ!」


 そう言うと大急ぎでタラップを昇りメインハッチを閉じ、システムを通常モードに切り替えた。


「AI、現在位置は?」


「現在地点ハ北緯35度○分○秒、東経139度○分○秒デス」


「標高は?」


「6.2めーとるデス」


「GPSロストからの復活時と現在の座標のズレは?」


「アリマセン」


「標高差の変化は?」


「アリマセン」


「転落前と転落後の高低差は?」


「29.87めーとるデス」


「それは重力加速度の計算値だよな?」


「ソウデス。標準重力加速度ニヨル経過時間カラノ計測値デス」


「クソ! もっとよく確認すればよかった!」


 ジュンが唇を噛みしめる。

 AIの報告で機体が転落したということだったので、自分は巨大な地下駐車場のような所にいるとばかり考えていた。だが先ほど見上げた時に空が見えたが、建造物の天井のようなものはなかった。したがってここは屋外の平面駐車場もしくは滑走路のようなところ、ということになる。


―― ということはどういうことだ?


 考えられることはあの転落によって現在地に転移したということである。

 そうであれば機体に損傷がないことにも頷ける。だがそんなことがあり得るのか?


 機体に搭載されたコンピュータの計算能力は、スーパーコンピュータ並とは言わないまでも一般民生用に比べ格段の差がある。可動部分のセンサーからの情報をチェックする各種モニタや、機体外部環境のモニタだけでなくGPS機能、レーダーや赤外線全方位捜索システムなどからの情報処理など、同時に行う演算処理が多岐に亘るからである。

 そうしてジュンがAIと呼ぶ音声応答インターフェイスは本当の意味での人工《Artificial》・知能《Intelligence》ではない。単にキーボートやマウスの代わりに操縦者の音声で入力し、ディスプレイに表示する代わりに人工音声で表現するというものである。

 それでもこちらの言葉からある程度の予測をして情報を提示することもあるが、基本的にはまず己で必要な情報を提示させ、最終的な判断は己で行わなければならないのである。



 ところでジュンがこれほどまでに慌てたのは、今までいるところが地下だと思っていたら実は地上だった、ということに他ならない。

 偵察衛星のみならず民間の衛星であっても、地表面の撮影精度のめまぐるしい向上はこの数年間で格段の進歩がある。そうして精度が上がれば解析能力も必然的に上がっていく。

 遮蔽物も何もないところに長時間 ― と言ってもそれはそれは高々30分にも満たないが ― 機体を晒している。開発中ロボットは国家機密である以上、そのテスト・パイロットであるジュンも機密保持に努める義務がある。誓約書を書かされ、家族構成から交友関係まで調査されようやくテスト・パイロットとなるのである。

 もし万が一自分の責任で機密漏洩、もしくはその疑いがあれば逮捕・尋問されるが、それを行うのは警察ではなく国家安全保障局である。すなわちスパイ容疑で取り調べを受けるのである。


―― 冗談じゃない! 寝呆けてるにもほどがある!


 産業スパイであっても重罪である。ましてジュンが操縦しているのは軍事転用可能な機体である。軍事スパイと認定されたらどういう目に遭うか? そんなことは想像したくもない。


 ジュンは機外監視を赤外線全方位捜索システムから熱線映像システムに切り替えた。赤外線全方位捜索システムは自機に近い、もしくは近づいてくる物体を監視するシステムでいわばレーダーのようなものだが、熱線映像システムは暗闇の中を暗視カメラで見るものである。

 とにかく周辺に機体を隠せるところを見つけなければならない。ここがどこであれ、とにかく機体を衆目に晒すことはならない。

 ジュンのプロフェッショナルとしての本能が取らせた行動である。


「4時ノ方向240めーとる、林ガアリマス」


 AIの無機質な声がこれほどありがたいと思ったことはない。

 ジュンは暗視カメラだけを回転させメインモニタに映る映像でそれを確認した。


「よし、機体を移動する。あそこに隠れるぞ」


「了解」


 ジュンは今度こそ機体を立ち上がらせ、向きを変えた。

 だがこれが結局逆効果であったのだが、この時ジュンはまだ気付いていなかった。

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