第18話 恋せよ乙女
西暦206X年12月。
日本帝国防衛軍の市ヶ谷駐屯地も年の瀬が近づいて何かと気ぜわしくなっていた。
ジュンがこの世界に現れて早2ヶ月近くになる。その間、2度、機甲歩兵小隊の出撃があり、そうなると井上技術一佐は多忙となりRX-175にかかりきりという訳にもいかなくなっていた。
ジュンとしては戦争をしているということに対する嫌悪感をどうしても拭えなかったが、やはり顔見知りの人間が出撃するということに対しては衝撃を受けた。
だがそれを平然と受け止めている山室一尉や葛城一尉、井上技術一佐、さらには前田二尉を始めとする面々に、最初の出撃の時は違和感というよりも恐怖感を抱いた。だが全員が無事に帰った時に安堵の表情を見せたことで、彼らも自分と同じ人間なんだ、と妙に納得したりもしていた。
そのジュンはジュンで井上技術一佐からの提案、帝国防衛軍HAHEWWのかつての主力機JHX-09の脚部のRX-175への換装という提案について考えを巡らせていた。
確かにこの世界のアクチュエータ技術は自分の世界のものより数段進んでいる。それを自分で試してみたいとは思う。だがこの国のJHX-011に乗りたいとは思わないし、第一、軍事機密の塊の現行主力機である。自分が乗れる方が間違っているだろう。
かと言ってそれをRX-175に換装するとなるとどう考えても無理がある。搭載コンピュータには数々のセキュリティ項目がある。それをクリアしないと、完全自閉モードに入ってしまったら自分にはお手上げである。たとえ換装が上手くいっても機体が再起動しない。
したがって搭載コンピュータに換装を認めさせ、搭載コンピュータが待機モードの状態で換装を進めなければならない。でもそんなことができるのか?
あれこれと考え込んでいたのである。
ジュンは部外者であり民間人であるが、異世界人ということでJHX-011の整備を見学させてもらえていた。そこで気分転換に時々JHX-011の格納庫へと出かけていった。
この世界において他と一切つながりを持たず、しかも基地から一歩も外へ出してもらえない人間である。ジュンからの機密漏洩という可能性はほぼ皆無に等しい。そう判断した基地司令・山下一佐が許可したのである。
これは井上技術一佐にとって非常にありがたいことでもあった。と言うのはジュンは工科大学を出た専門家でありテスト・パイロットである。当然ながら工業高校や兵科技術学校出の整備兵に比べはるかに基本システムに関する知識が豊富だった。彼らに対して部外者ながらアドバイザー的役割を果たしたのである。
もちろんこの世界とジュンの世界とは様々な点で異なることがある。だが物理理論など大筋において同じであり、したがって、整備兵らにとって足手まといではなかった。
どころか、整備はできても機構そのものについては深い知識がない整備兵たちに、簡単な理論の説明などを行ったのである。
この部位はどういう理屈で動くのか。どうしてこうでなければダメなのか。その全てに対して的確とはいえなくとも、科学的・論理的推論から決して的はずれなことを言うこともなかったのである。
したがって元々女性の少ない整備部でジュンは人気者になっていったのである。
「最近随分と整備部の連中と中がいいのね?」
前田二尉がからかうように言った。
「誰か意中の人でもできた?」
「またそういう話か! まったく女ってのは……」
「あなたも女でしょう?」
「だからって、何でもかんでも恋愛に結びつけるなよ」
「あら、恋をしない女は女じゃないわよ?」
「……」
「何よ?」
「へえ、かほりでもそういうこと言うんだ」
「『でも』とは何よ、『でも』とは」
「だってかほりの場合、男はのし上がるための踏み台! みたいなところあるじゃん」
「どこが! 失礼なこと言わないでよ」
「違うの?」
「当たり前でしょ!」
「な~んだ。てっきりそうとばかり思ってたよ」
「いい加減にしてよね。私、どんな悪女よ」
そんな他愛のないことを言い合いつつ、格納庫を出て食堂に向かった二人である。
ジュンの立場のゆえに前田二尉も兵士用食堂を利用しなければならない。それ故初めは兵士も前田二尉も気まずい思いをした。一般兵士と士官ではまったく違う。にも関わらずそれが戦場ならともかく、基地で一緒に食事をするということはありえなかったからである。
だがそれにも段々なれ、逆に若い男性兵士は美人二人を眺めつつの食事に相好を崩しっぱなしになり、逆に女性兵士からは冷めた目で見られもしていた。
「基地じゃあ、クリスマスは休暇じゃないの?」
ある日の昼食時ジュンがそんなことを前田二尉に聞いた。
二人の席は目立たたぬように一番隅の窓際と決めていた。
「降誕祭? まさか、ありえないでしょう? 日本帝国皇帝陛下は代々神道よ」
「それは知ってるけど、アタシの世界のニッポンは宗教が雑多だったらしいから」
「雑多というより、無関心で都合よく楽しんでる、じゃないかしら?」
「えっ? こっちもそうなの?」
「そうよ。若い人なんかだと降誕祭とか聖愛祭とか楽しんでるわよ」
「なんか年寄りみたいな言い方だね?」
「仕方ないでしょう? 帝国軍人は皇帝陛下と帝国に忠誠を誓うことが義務付けられているのだもの。基督教行事なんか表立って祝えないわ」
「そりゃそうか」
「あなたはどうなの? そういうことを聞くからには基督教徒?」
「いいや、アタシは無宗教」
「あら、そうなの」
「ああ。人智を超えた自然の法則とか摂理、それを神と呼ぶなら呼んでもいいし、そういうのを否定する気はないけど、宗教だけはダメ。胡散臭くて信じられない」
「胡散臭い? ひどい言い草ね。下手をすれば喧嘩どころか戦争の引き金になりそうな言葉よ」
「そうかな? でも宗教なんて胡散臭いだろ? 聖者と開祖とか言う奴が舌先三寸で人々を騙して自分の言う通り、教えと称して従わせたんだから……」
「ちょ、ちょっとジュン」
さすがのジュンの物言いに前田二尉が慌てた。
「そういうのはもっと小さい声で……」
「アタシに言わせりゃ、ヒトラーも似たようなもんさ。あいつはクソッタレの独裁者だったけど、あれだってまかり間違えば宗教さ。違うか?
ヒトラーって知ってるだろ? こっちにもいたんだから」
「え、ええ。」
宗教の話をしながらヒトラーを出すことにも面食らった前田二尉だが、それよりもジュンとの会話から思い出したことが気になった。
それは井上技術一佐が山下一佐に話していた内容である。
「これはまったくのオレの勘で根拠はないんだが、あのネエちゃんの世界とオレたちの世界は元まったく同じ地球で、分岐はどうやら、あの核爆発じゃねえかなと思ってさ」
「核爆発というと、あの北の将軍が起こしたという?」
山下一佐の問に井上技術一佐が頷いた。
「ああそれだ」
「ジュンの言う201X年ですね」
前田二尉が確認する。
「おお。あのネエちゃんの世界では核爆発があった。だがこっちにはなかった。その代わりこっちにはあのクーデター騒ぎがあった」
「あれですか? 現在の帝国の状況を招いた元凶と言われる」
「ああ。あのネエちゃんと話をしていると、20世紀まではほとんど一緒なんだ。もっともオレもネエちゃんも歴史が専門じゃないから、細かく検証はできないけどね。だが核爆発のあったという201X。ここから分かれてるような気がするんだ。
もっともそれが『事実』だとしても、あのネエちゃんが元の世界に帰れる何の助けにもならねえとは思うがね」
「そうですか……。それは興味深いことですね。でも確かにそれが事実かどうかを例え確かめられたとしても、彼女が帰れるようになるかどうかとは無関係でしょうね」
「そうなんだよ。だけどオレが技術屋じゃなくて歴史家だったら、それこそ、あのネエちゃんは誰にも渡さんね」
「おやおや、随分とご執心ですね」
意外にも山下一佐がからかうように言う。
「おいおい、よしてくれ。そんなんじゃねえよ。ただ歴史の偶然か運命のいたずらかはわからねえけどさ、それこそ興味深い話だと思っただけさ……」
その時はそれで終わった話だが、そこでふと前田二尉は疑問に思ったのである。
―― もしかして「この世界」にも「この世界」のジュンがいる?
量子力学でいう多世界解釈。それが正しく、また井上技術一佐の仮定が正しいとするなら、その201X年に地球は核爆発が起きた世界と起きなかった世界とに分岐した。そうしてそれまでがまったく同じなら、核爆発の起きなかったこの世界にもジュンを産んだ両親とその両親 ― ジュンの世界では豪州に移住した ― がいて、ジュン自身がいてもおかしくないはず。
―― もしもその二人が出遭ったなら、どういうことが起きるのかしら?
ジュンの祖父はチバ出身だと言っていた。だとしたらそれはこの同じ関東の千葉かもしれない。そうだとすると同じ関東政府内ということで会えないことはないかもしれない……。
そんなことを考えているところで前田二尉はジュンに現実に引き戻された。
「ちょっとさあ、人に話させておいて上の空ってのは何なのさ?」
「ごめんなさい。でも私が話をさせたんじゃなくて、あなたが勝手に話をしていたと思うけど」
「かー、嫌な女だね、まったく」
「そういう変な声は出さないの。いつも言ってるでしょう?」
「はいはい」
「はいは一回」
「はーい」
「短く、明瞭に」
「はい!」
「よろしい」
そう言って笑い合う二人。じゃれているというのか遊んでいるというのか。だが周囲は奇妙な目で二人を見ている。
「でも、話を戻すと、降誕祭は何もしないけれど元旦は一応お祝いするわ」
「そうなんだ」
「ええ、だって『一年の計は元旦にあり』と言うでしょう?」
「ふーん。それでお祝いって何するのさ」
「基地司令の年頭訓示の後、お屠蘇をいただくの」
「オトソ? ああニッポン酒か」
「ええ、そうよ」
「アタシ、あれ嫌いなんだよな」
「あら、飲んだことあるの?」
「あるさ。向こうには豪酒があるからね」
「豪酒?」
「ああ。豪州で作ったニッポン酒。だから豪酒。核爆発の前、20世紀末から作ってるよ。その頃ニッポンから移住して始めたらしい。爺ちゃんやオヤジが飲んでた」
「あらそうなの? 知らなかったわ」
「移民して、少し暮らしに余裕ができて酒が飲めるようになって、爺ちゃんやオヤジは『ニッポン人はやっぱりこれだ!』とか言いながらちびちび飲んでたよ」
そこでふとジュンは窓の外に目をやり遠い目をして呟いた。
「どうしてるかな……」
それを聞いて前田二尉が突然頭を下げた
「ごめんさい、あなたの気も知らないで、思い出させるようなこと言って……」
「いいよ、気にしなくて。だからそんな顔しないでよ」
「でも……」
前田二尉は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「泣いたって喚いたってどうにもならないんだから、もう諦めたよ」
「ジュン……」
「でも、この世界に居場所がないってのはやっぱりキツイよね」
ジュンがそうぽつりといった時、前田二尉は突然立ち上がって叫ぶように言った。
「ジュン、あなた恋しなさい!」
「バ、バカ、何突然言うのさ! そんな大声でやめてよ! みっともないから……」
ジュンは周りを見回して必死に前田二尉をなだめる。周囲の目が全部こちらに向いていたからである。
「バカじゃないわ! 恋人を作りなさい。そうすればこの世界に居場所ができるでしょう? だからそうしなさい!」
だが前田二尉は興奮したままそう言ったのである。
「ちょっと、落ち着いて! いいから座って!」
そう言われてしぶしぶ座る前田二尉。だがいまだ目はランランと輝いている。
「いい? ジュン。恋をして恋人を作るの。そうして二人の世界を作るの。それはあなたがどこから来たとしても、この世界でのあなたの世界よ!」
「そんなこと言ったって、恋なんてしようと思ってするもんじゃないだろ? それこそ恋人なんて作ろうと思って作るれなら、世界中恋人同士だらけじゃん。
大体、誰としろってのさ」
「誰って、誰でもいいじゃない? 例えば葛城一尉は? あの人独身だし……」
「えーっ、ヤダよあんな奴。何であんな奴と……」
「あらどうして? あの若さで一尉だし第2小隊長よ」
「ヤダよだって人ご……」
「ジュン! それは言ってはダメよ! それだけは許さない」
前田二尉の顔が真剣そのものになった。
「軍人は人殺しではないわ。確かに戦闘中人を傷つけ殺める事はあるわ。でも軍人の戦闘行為は結果として人を殺めても殺人行為とは違うの。それだけは理解しなさい。
それが受け入れられないと言うなら、あなたにここにいる資格はないわ」
「そんなこと言ったって、アタシには違いなんてわかんないよ。どっちも人の命を奪うじゃん」
「ええ。確かに人の命を奪うということからすれば同じに見えるでしょう。
でもそれは、少なくともわが日本帝国防衛軍は日本帝国の国土と国民の生命と財産を守るための組織よ。あくまでも理不尽な他国の侵略からそれらを守るためのものであって、進んで敵国に攻め入り、その国民の生命や財産、国土を奪うためのものではないわ」
毅然と言い放つ前田二尉である。
「ゴメン……」
ジュンが俯いて小さく言った。
「わかってくれればいいの。こちらこそごめんなさい。きつい言い方をして……」
前田二尉も表情を和らげた。
「ジュン、あなたの世界で核爆発があった頃、私達の世界ではクーデター未遂事件があったの」
「クーデター未遂事件?」
「ええ。帝国防衛軍の一部の青年将校たちが決起しようとしたの」
「なんでまた?」
「『七摂関家は皇帝陛下の権威を蹂躙し権力を私している。これを糾弾すべし』
そうスローガンを掲げたわ」
「それで?」
「でも計画は途中で露見し関係者は全員逮捕、処刑されたわ。国家の転覆を謀ったとしてね。
そうして結果として帝国防衛軍は規模を縮小され地位を落とされ、七摂関家の専横はそれまで以上に酷くなった。
そうして皇帝陛下はますますお立場を弱くされた」
「それじゃあ逆効果じゃん!」
「ええ。結果としてそうなったわ。穿った見方をする人には青年将校たちは七摂関家に踊らされた……。ううん、もっと酷いことを言う人には七摂関家の手先だった、という人もあるわ」
「そんな……」
「それが事実かどうかはわからない。たとえそれが事実であったとしても、私は帝国軍人の誇りを失っていないし、七摂関家がどれほど好き勝手にしていてもこの国を守るという使命を忘れないわ」
「偉いんだね。皮肉でもなんでもなく、かほりのこと偉いと思うよ」
「ありがとう。でもそれはみんな同じだと思うわ。
ジュン。確かにここはあなたの世界ではないわ。それにあなたには人間同士で戦争している嫌な世界かもしれない。それでもこの国を少しでもいいから好きになって。この国の人を好きになって。お願い」
それは前田二尉の文字通り真摯な願いであった。