第17話 ガールズ・トーク(Girls talk about each other.)
鎮静剤の眠りから覚めたジュンはしばらくぼうっとしていた。
前田二尉はそれを心配しながらも必要以上に余計な干渉はしないように気をつけていた。変に刺激して再び興奮したらまた鎮静剤を打たれてしまう。それを繰り返して重度の依存症にでもなったら大変に事になる。したがって細かく様子を気にしながらも、ジュンが普通に戻るまで辛抱強く待っていた。
数日してジュンが前田二尉に謝った。
「すまない、この前は迷惑かけた……」
「いいのよ、気にしないで。私の方こそ謝らないと。あなたのサポートを命じられていたのに……」
「何か処分を受けた?」
「私? いいえ。でもどうして?」
「アタシのせいで何かペナルティを食らったんなら申し訳ないからさ……。何もなかったんならいいよ」
「ありがとう、気を遣ってくれて……」
そう言うと前田二尉はニッコリと笑顔を見せた。
「なんか、気持ち悪いな」
ジュンがそう言うと、前田二尉の表情が一変した。
「何ですって!?」
「だってこの前は『あなたのこと大嫌い』とか言って銃を抜こうとしたじゃん?」
「あれは……、ごめんなさい謝るわ。私が間違ってたわ」
「それにアタシのことをスパイ呼ばわりして……」
「それも謝る! 本当にごめんなさい!」
そう言って前田二尉は深々と頭を下げた。
すると頭上で笑い声がし始めた。
「ウンウン、素直でよろしい」
「あなたね!」
前田二尉が顔をあげてジュンを睨んだ。
「何さ! 事実だろ?」
ジュンに言われて前田二尉が悔しそうに歯噛みする。だが自分に落ち度がある以上それ以上は強く言えなかった。
「本当に申し訳ないと思ってる?」
「ええ」
「心から?」
「ええ」
「じゃあ許したげる」
ジュンはそう言うと笑顔を見せた。
「えっ?」
前田二尉がキョトンとする。だが次のジュンの言葉を聞いて直ぐに顔が険しくなった。
「ただし、アンタの食事とアタシのとを交換してくれたらね」
「何ですって?」
「そうしてくれたら許したげる。だってアンタの食べてるのすごく美味そうじゃん。デザートも全然違うし、あれはズルいよね。だからそうしてくれたら……」
「あなたって人は、人の弱みに付け込んで……」
「そう? フェアな取引だと思うけど?」
「どこがよ! それに食事なんかで許せちゃうの!?」
「食事は大切だよ。食事なんか、なんて言えないね」
「そうね……。わかったわ。じゃあ、交換してあげる」
「へえ、いいんだ?」
「ええ。但し、あなた知ってる?」
「何を?」
「食べ物の恨みは恐ろしいってこと」
「えっ?」
「食事は本当に大切だわ。食事なんか、何て確かに言えないわ。それこそ本当に人を恨んで憎んで呪って、時には奪い合って殺し合いになるほどですものね」
そういった前田二尉の顔に凄みが生まれている。
「ちょ、ちょっと……」
「ええ、いいわ。交換してあげるわ。あげますとも! そうして毎日恨めしそうにあなたの顔を睨みながら、あなたのを食べさせたいただくわ」
背筋が凍りつくものを感じたジュン。後ずさりしながら言った。
「イヤ、結構! やっぱりいい! 今まで通りでいい!」
「あらどうして? せっかく成立した交渉でしょう? しかもフェアな取引なんでしょう? だったらそれを引っ込めるのは……」
「わかったよ! アタシの負けだよ。もう勘弁してよ!」
「あら、そう? じゃあ許してあげる」
あっさりと前田二尉に言われたジュン。いつの間にかすっかり主導権を握られていた。
「Fuck! アンタとんでもない女狐だな!」
「あら、はしたない。女性が汚い4文字言葉なんか使わないの」
「はしたなくて悪かったね」
「いいえ、誰にも過ちはあるわ。許してあげます」
「Shit! 元はといえばアンタが先に……」
「だから、そういう言葉を使わないの! それと、かほり、よ」
「えっ?」
「かほり。私の名前。アンタじゃなくてそう呼んで頂戴」
「ああ、名前ね」
「一々言い換えなくてもいいでしょう?」
「どうして正しい表現で言っちゃいけないのさ?」
「日本では米国式が正しいの」
「お生憎様、アタシの英語は豪州式で米国式よりよっぽど英国式に近いのさ」
「つまらないことで自慢しないの」
「つまらなくないさ! そんなことオージーに言ってみろ! 殴られるぞ?」
「あら、そう? でも『郷に入っては郷に従え』って言葉知ってる?」
「知ってるさ、それくらい!」
「じゃあ、そうしなさい。その方がみんなにかわいがってもらえるわよ?」
「別にいいよ、可愛がってもらえなくても!」
「そうお? それじゃあ人生つまらないでしょう? みんなと仲良くした方がいいと思わない?」
「なんだよその尻軽女のような言い草は? まさかそれがアンタの処世術?」
「かほり。アンタ、じゃなくてかほり」
「はいはい、わかったよ、かほり」
「はいは一回で十分よ。でも、よくできました」
そう言って前田二尉はニッコリと笑った。
「あーあ、すっかりかほりに手玉に取られちまったな」
「ご愁傷様。私、学生時代から人心掌握術には長けていたのよ」
「人心掌握術? 単なる脅しのテクニックじゃ?」
「脅しでもなんでもいいのよ。要は他人を自分の思い通りに動かせればね」
「怖い女だな」
「お褒めに与り光栄ね」
「褒めてねえよ……。それより何でアタシはかほりと漫才しなけりゃならないのさ?」
「あら酷い。これほど有益な会話を漫才なんて呼ぶの? 失礼な話だわ」
「言ってろ!」
結局最後まで勝てなかったジュンである。
その後数日はRX-175の元でデータ解析などをしたジュンである。だがセンサーによる数値のチェックだけではハードウェアの状態は完全には把握できない。だが分解して細かい摩耗チェックや部品の疲労度を調べることができる訳もなく、すぐに終わってしまったのであった。
一方の防衛軍側はRX-175の稼働中の様々な状態をチェックした結果、やはり驚くほどの静粛性と低温性の機体であると確認できていた。
「だが直ぐに我軍の機体に応用ができるとも思えませんが?」
葛城一尉が言う。
「ああ、一尉の言う通り、あのバッテリーとモーターと油圧ポンプじゃ、どう足掻いたってJHX-011は動かんだろうね」
井上技術一佐が同意した。
「するとやはりJHX-09ですか? でもそれが可能になっても現状で使い物になるとは……」
山室一尉も言う。
確かに驚くべき性能と言えないこともないが、では実戦に投入できるほどかといえば、それは不明と言わざるを得なかった。
「ああ、それもある意味正しいだろう。だがあの機体がまるっきり参考にならんとも言えないと思う。体格からして重火器は無理でも、隠密性を活かして敵に近づくというのは作戦によっちゃあ有効だ。
それにバッテリー技術はやはり素晴らしい物があるし、それはHAHEWWにしか使えないものじゃない。どころかもっと応用範囲が広い。
それとあの驚異的な小型の各種測定・解析システムと実機でそれを可能とするコンピューティング・システム。コイツはぜひとも手に入れたい技術だな」
「そうですね。でもそれはあの機体のいわば心臓部でしょう?」
山下司令が確認した。
「その通り。そうして厄介なことにあのネエちゃんの生体認証がない限り機体は動かず、無理にあれこれやると機体が完全にシャットダウンするらしい」
「シャットダウン?」
「ああ。完全自閉モードというらしい。コイツになると特殊な解除コード無しでは再起動しないということだ。そうなるとあとは完全に分解するしかない。だがそれでデータやプログラムが手に入るかと言えば……」
「無理でしょうね。機密保持の基本中の基本だ。一つ手順を謝ればデータは全て消えちまう。JHX-011と一緒だ」
葛城一尉が首を振る。山室一尉もである。
「もしくはダミー・データを掴まされ、ファイルを開いた途端にホスト・コンピュータがウィルスまみれになる」
「その可能性は大いにある」
「ということは、あの機体にJHX-09のアクチュエータを換装するのも無理なんじゃ?」
「難しいかもしれん。でも、できるかもしれん。
という訳でこれから毎日あのネエちゃんとお勉強会だよ」
そう言った割には井上技術一佐の表情は妙に明るかった。
それからジュンは毎日格納庫に行き井上技術一佐と膝つき合わせて議論を戦わせていた。
おかげで付き合わざるをえない門外漢の前田二尉まで機体の稼動方法に詳しくなってしまったほどである。
前田二尉は大学を飛び級で卒業し士官学校戦略戦術科に入学、これまた優秀な成績で卒業した。
日本帝国内には厳然とした男尊女卑の風潮があった。これを面白く思わなかった前田二尉は、それ故女性でも公平に評価されるとされていた帝国防衛軍を目指したのである。だが軍も古い体質が残り、女性は男性に比べ評価が低かったのであった。それをはねのけ26歳にして二尉であるから十分なエリートである。
大体、士官学校の花形といえば軍の政治官僚育成のための法科、医科、それに将来の幕僚を育成する戦略戦術科である。したがってその時点で前田二尉は十分エリートであった。
彼女が気位の高いHAHEWW乗り ― 彼らの多くは特戦科(特殊戦闘技術科)出身である ― に一目置かれているのはそういうこともあったのである。
そういう前田二尉であるから、目の前の話の内容がまったくわからないというのはプライドが許さない。自分でも資料を集め勉強したほどである。
「ちょっとジュン、いいかしら?」
前田二尉がリビングでテレビを見ていたジュンに声を掛けた。
「なんだよ、かほり」
「ここのところを教えてほしいのだけれど」
そう言って分厚い本の開いたところをジュンに見せた。
「これは慣性制御の基本方法の一つじゃないか。こんなもん読んでどうしたのさ?」
「別に。ただ井上技術一佐とジュンの会話についていけないのが癪なだけだから」
「負けず嫌いなことで……」
「悪いかしら?」
「いいえ。問題ございませんわ、お姫様」
「あら何それ? 随分と皮肉な言い方ね」
険しい視線で前田二尉が問う。
「いいえ、とんでもございませんわよ」
すまして答えるジュン。
「まあいいわ。それより……」
「はいよ。
コイツは動作中の腕や足を次の動作に移らせるための制御方法の一つさ。
具体的に言うと、例えば人間だって振り回してた腕を急には止められないし、そんなことしたら筋肉やスジを痛めちまうだろ? そうならないように力を抜くのと同じことさ。曲げた腕や脚を伸ばしてまた曲げる、なんて時に、電圧や油圧を調整して次への動きを無理なくスムーズに行えるようにする。そのための制御の計算式だよ。
要するにゼロポイントまでいかにスムーズに減速させ、そこからいかに次の動きをさせるかってことさ」
「ゼロポイント?」
「そう。腕を伸ばしきった状態がゼロポイントなら、曲げた状態から伸びた状態まで、つまりゼロまで一直線じゃなくて双曲線を描くようにさせるってことさ。まあ実際にはもっと複雑だけどね」
「なるほど、そういうこと……。言葉の幾つかを高校の時に聞いたことがあるくらいで、さっぱりだったから」
「……」
ジュンがまじまじと前田二尉の顔を見た。
「何?」
「いや、偉いというか真面目というか……」
「それは皮肉?」
「いや、本音だよ。アタシみたいな訳のわかんないのに付き合うだけじゃなくて、関係のないことまで勉強するんだから」
「性分だもの、仕方ないわね」
幾分照れ気味に前田二尉が答えた。でもジュンはここぞとばかりに台無しにさせる。
「でもそいういうの、男ウケしなさそう……。健気だとは思うけどその割に可愛げがない……」
「何ですって! 大きなお世話よ! ほっといて!」
「顔もスタイルもいいのに、もったいないね」
「悪かったわね、どうせ可愛げないわよ!」
「まあ、でも猫かぶるのは上手そうだから問題ないか」
「ジュン、あなたねえ」
「あ、でも、お姉さまキャラで歳下可愛がるのならいいかも」
「私は歳下に興味はありません!」
「あ、そう。一応男は好きなんだ」
「何馬鹿なこと言ってるの! 私はノーマルよ!」
「へ~」
「何よ! あなたはどうなのよ!」
「アタシ? アタシは男はどうでもいいな、媚びたり愛想振りまくのは面倒くさいし……」
「別にそんなことしなくても……。あなたこそ見た目は悪くないし、もっと女らしくすれば……」
「へーへー、どうせがさつですよーだっ。研究所じゃ色気振りまいても仕方なかったからね」
「あなた研究所にもいたの?」
「アタシは基本は会社の研究所勤めさ。そこで新型アクチュエータの研究と実機テストと両方担当だよ」
「そうだったの」
「だって、テスト・パイロットって言ったってただ動かしゃいいって訳じゃないからね。常に状態の把握ができなきゃならないし、不具合が発生した時の分析ができなきゃ次に活かせないし……」
「それもそうね」
「大体、研究所の人間なんて一歩間違えばっていう紙一重な奴ばっかりだ。とてもとても……」
「あら残念ね、皆さん頭はいいのでしょうけど」
「頭が良くてもあんなのは願い下げだよ。ユキオみたいなのならまだいいけど」
「ユキオ? 誰?」
「井上のおっさんだよ」
「あら、失礼な言い方はやめなさい。技術一佐よ」
「だって長ったらしいじゃん、井上技術一佐なんて。それにアタシはガイジンだから名前で呼ぶほうが普通だし」
「あのね、そうかもしれないけどここは軍隊なの。規則にはうるさいの。
大体、一佐というのは、我軍においては基地司令官もしくは統合作戦本部や中央幕僚本部の……」
「そんな難しいこと言われてもわかんないよ! それって支社長クラス? それとも研究所長クラス? まさか支店長クラスじゃないとは思うけど」
「私にはその喩えのほうがわからないわ」
お互いに住んでいる世界が違うのである。中々理解し合えないのは当然だった。
「もうやめよう。とにかく井上技術一佐って呼べばいいんだろ?」
「そうね。そうして頂戴。特に井上技術一佐は叩き上げで厳しいところもある代わりに信望も篤いわ。あまり失礼な態度を取ると周囲の反感を買う事になるわ」
「了解《Yes, ma'am》」
「もう……」
前田二尉はヤレヤレという表情を見せ肩をすくめた。
しばらく無言の後、前田二尉が徐ろに尋ねた。普段のジュンがあまりに普通に見える、すなわち自分と同じなのでつい「向こうの世界」でのことを尋ねてしまっていた。
「あなた恋人はいたの?」
だがジュンは気にした風もなく普通に答えた。
「何で?」
「だとしたらつらいかなって」
「いないよ。だから言ったろ? 周りにはろくな男はいなかったって」
「ええ。でも他に男性がいなかった訳ではないでしょう?」
「それに近いよ。研究所は機密保持のため砂漠の真ん中にあったし、寮があったのは小さな町で人も少なかったし」
「そうなんだ」
「実家は離れてたから週末じゃあ帰れなかった。まとまった休暇を取らないとね」
「それじゃあ休日は何してたの?」
「何も。たまった洗濯物を洗って干して、買い物して食事を作り置きして、あとはゴロゴロ」
「あらゴロゴロだなんて、それだけやれば十分真面目ね」
「だって冷凍食品は直ぐに飽きたしシリアルばかりじゃ体が保たないし、それに向こうは人件費が高いから外食はものすごく高く付くんだ」
「そうなの?」
「ああ。そのくせ味はイマイチだし。自分で作るほうがよっぽどいいよ」
「でも悲しいわね。食べさせて上げる人がいないなんて」
「それこそ大きなお世話さ! 大体そっちはどうなのさ?」
「……。私の手料理は食べない方が身体のためにいいと思うわ」
「随分はっきりと言うじゃん」
「だって事実だもの」
「自慢するなよ、そんなこと」
「自慢じゃないわ、単なる事実よ」
「ホント、わっかんねえ女だな、かほりって。見た目なんでも完璧にやりそうなのに。料理なんてレシピ通りにやりゃあできるじゃん」
「そうね、そのはずよね。だけど私がやると何故か爆発するのよ」
「爆発……」
「もういいでしょ、そんなこと。それに私は軍人よ。料理の出来不出来で敵と戦う訳じゃないわ」
そう開き直った前田二尉である。