第12話 二人の女
市ヶ谷駐屯地内には幾つもの建物がある。
司令官室がある本部事務棟、航空管制塔、また機体を収容する格納庫、武器弾薬庫、射撃練習場、その他にも自家発電施設、レーダー施設等基地本来の建物以外にも、病院、厚生棟、営舎など様々な用途・目的に合わせた建造物がある。
ジュンが前田二尉と同居することになった部屋はその厚生棟の2階にあった。厚生棟は1階に食堂とPX (売店:Post eXchange) 、地下に身体トレーニング用ジム・プールなどがあり、2階部分が宿泊出来る個室になっている。これは当直の兵士用ではなく、基本的に基地外部の人間が宿泊する必要ができた場合に利用されるものである。
したがって部屋の作りは基地内の営舎、基地外の官舎に比べると若干高級な作りになっていた。
「なかなかいい部屋じゃん」
部屋に入ったジュンは中を見回して言った。
入り口を入ると狭いながらもリビング、その奥にベッドルームが2部屋あった。但しキッチンはなく精々湯を沸かすぐらいしかできないようだった。
「どちらのベッドルームを使う?」
前田二尉が尋ねた。
「どっちでも……」
ジュンはぶっきらぼうに答える。
「いい加減ね。希望はないの?」
「だって同じ作りだろ? だったらどっちでもいいじゃん」
「はあ……、どうにもあなたとは上手くやっていけそうな気がしないわ」
「それはご愁傷様」
「あなたね!」
「イヤだってんなら、司令官に言ってアタシを独房に戻せばいいじゃん」
「それができたら苦労しないわ」
「へえ……、もしかしたらアタシ、あの司令官に気に入られちゃったかな?」
「あなた、言い残すことはそれだけ?」
前田二尉の言葉に凄みが増し腰の拳銃に手がかかっていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 冗談に決まって……」
「笑えない冗談ね。そういう冗談は不愉快だわ、2度と言わないことね。そうでないと……」
そう言って前田二尉はグリップをしっかりと握り、銃をホルスターから少し抜いてみせた。
「いい? あなたの検査結果から、あなたが敵性組織の工作員かもしれないという疑いが私の中でまた強くなったのよ?」
「そんな……」
「山下司令も井上技術一佐も、あなたを異世界人と信じて疑わないようだけど、私はまだ信じきっていないわ」
そう言うと銃をホルスターに戻し手を離した。
「これだけははっきり言っておくわ。
そう、あなたの言う通り、私はあなたが大嫌い。だから怒らせないで」
「……」
ジュンはがたがたと震えだした。それほどの冷たいものを前田二尉の言葉と表情から感じていたのである。
「あなたのせいで一時的にとはいえ山下司令の傍を離れることになったのよ、絶対に許せることではないわ」
「え? それって、もしかして……」
「何? 何か言いたいことでもある?」
ジュンがブルブルと首を横に振った。
もしかしたら、いや、かなり高い確率で前田二尉は山下司令に対し特別な感情を抱いている、要するに、ぶっちゃけて言えば惚れてる、と思ったジュンである。
だがそれを指摘したり、万が一からかおうものなら、その時は躊躇わずに引き金を絞るだろう。
―― 下手すりゃ、とんでもないサイコだぞ、この女……。
「ではあなたは右の部屋を使いなさい。私は左を使うわ」
ジュンが今度はブンブンと首を縦に振る。
「いいのね? ところであなた今私の事、精神異常者かなんかだと思わなかった?」
「え?」
思わずジュンはたじろいだ。「こいつもしかしてエスパーか」と思ってしまったほどである。そうしてハッとしてブルブルと再び首を横に振った。
「そう? ならいいけど……。
さっきも言ったけど、私はあなたに対する疑いをまだ完全には拭いきれてないの。その私があなたと同じ部屋で生活するということに、どれほどストレスを感じているかわかってる?」
「あ!」
ジュンはそこでようやく前田二尉の態度に合点がいったような気がした。
「私は山下司令の副官であり、日中の身辺警護も兼ねているわ。その私が司令から離れあなたと行動を共にするのは、はっきり言って不愉快以外の何物でもないの」
「それは……」
「いい? 私の態度が気に入らないなら、早くあなたは敵性組織の人間ではない、この基地にとっても我軍にとっても敵ではないということを証明しなさい。そうすれば私も態度を改めるから」
「そんな、どうすれば……」
「それはあなたが考えなさいよ。あなた自身の問題でしょう?」
「そんなこと言ったって……」
「いい? あなた気づいていないようだけど、私はこれでもあなたに歩み寄ってるつもりよ?」
「え?」
「私の発音、気づかないの?」
「え? そう言えば……」
「士官学校時代、ネイティブ・スピーカーの教官にしごかれて身につけた発音を捨てて、わざわざ下手くそなブロークン英語で話してるのよ?」
確かに前田二尉の発音は巻き舌を利かせた流暢な米国英語ではなく、いかにも日本人が使うぎこちない発音に近かったのである。
「それを少しは買ってくれてもいいんじゃない?」
「すまない、ありがとう……」
「どういたしまして。
とにかくあなたはいまだ基地内を自由に行動することが認められてないの。したがってどこへ行くにも私の同伴が必要。いいわね?」
「ああ、それくらいはわかってる。アタシだって研究所内を全て自由に行き来できてた訳じゃない。当然セキュリティ・レベルに応じた範囲でしか立ち入りできなかったから」
「そう? なら話が早くていいわね」
「まったくだ」
「とにかく井上技術一佐に呼び出された場合でも必ず私が同行する。いいわね?」
「ああ、わかったよ」
「それと私の部屋には絶対入らないで。いいわね?」
「了解」
「入室を求めても許可しないから」
「わかった」
「勝手に入ったらその時は……」
「わかったてっば!」
「そう? ならいいわ」
先が思いやられる。つくづくそう思ったジュンである。
「それと、あなたは朝何時に起きる?」
「え? 何時でも……」
「それでは困るの。食事は3食共下の食堂でになるわ」
「それが?」
「私は尉官だから本来なら、ここの食堂でも士官用を使うことになってるの。でもあなたは一応民間人扱い、士官用食堂を使うことはできないの。だから私も兵士用食堂を使わなければならないの。そうして私の食事を届けてもらわなければならないの。わかる?」
「ええと、それは食事が違うってこと?」
「そういうこと」
「何だ、そんなこと……」
「あら、バカにできないのよ、これって。お肉もパンも、柔らかさがぜんぜん違うんだから……」
「そうなんだ」
「ええ。だからあなたの食事の時間に合わせて、私の分を運んでもらわなければならないの」
「アンタの分だけ?」
「ええ、もちろん」
「それをアタシに見せびらかせて食うんだ?」
「当然でしょ?」
「なんてぇ女だよ! 頭くんな!」
ジュンがうめいた。
「あら、気に入らない?」
「ああ、全然ね!」
「なら、さっさと自分が無害であることを証明しなさい。そうすればあなたも多分士官用食堂を使わせてもらえるわ。
なんせパイロットは皆、尉官以上なんだから」
「そうなんだ?」
「あら、知らないの?」
「知る訳ないだろ! アタシは民間人なんだから!」
「あら、そうだったわね、失礼したわ。
ところで座ったら?」
そう言うと前田二尉はソファに腰を下ろした。
「ホントにアンタ失礼な女だな」
そう言いつつジュンも座った。
「お褒めに与って恐縮だわ」
「褒めてねえよ!」
「あら、残念」
「ちっ!」
「あら、女性が舌打ちなんてするもんじゃないわよ?」
「へえー、アタシを女だって認めるんだ?」
「ええ。随分とガサツでお行儀がなってないけどね」
「どこがよ!?」
「まず、女性があぐらなんてかくもんではないわ。はしたないしみっともないわよ」
ソファに座ると直ぐにあぐらをかいていたジュンである。
「悪かったな。正座なんかできないんでね」
「別に、ソファの上で正座なんかする必要はないわ。普通に座ればいいじゃない」
そう言って前田二尉はパンツスタイルの制服の脚を優雅に組み替えた。
「爺ちゃんも、オヤジもこうだったからな、その癖なんだよ」
「あら? そう……」
「なんだよ?」
「なんでもないわ。家族のこと聞かせてもらえるかしら?」
「聞いてどうするのさ?」
「私の役目にはあなたのことをより詳しく知るというのもあるの。嫌でなければ聞かせてもらえると助かるわ」
「全く、どっちがスパイだよ!」
「あなたでしょ?」
「ちっ!」
「だから女性が舌打ちなんてしないの」
「ホント、頭くんな!」
「興奮すると血圧が上がるわよ?」
「アタシは年寄りじゃねえよ!」
「そう? あなた歳は?」
「レディーに向かって歳なんか聞くな!」
「レディーはあぐらはかかないわよ?」
「それはニッポンでだろ!」
「あら、あなただって日本人でしょ?」
「血だけはね。でも頭の先から爪先まで考え方はオージーだよ」
「そう? でも家族はみんな日本人なんでしょ?」
「そりゃそうだけど、アタシらは極力『ニッポン人』を外に出さないようにしてたんだ。そのため普段の生活から……」
「それはとてもつらいことね。一応、同情するわ」
「なんだよ、一応って!」
「だってあなたはス……」
「スパイじゃねえよ!
全くアンタと話をしていると気が変になりそうだ……」
「そう? 正常に、じゃなくて?」
「は~、まったくやってらんねえな……」
大きな溜息を吐いたジュンである。
「そうね。私も同意するわ」
「いけしゃあしゃあと……」
「あら何のことかしら?
ところで家族のことは聞かせてもらえないのかしら?」
「何が聞きたいんだよ!?」
「何でもいいわ」
「フン!
……爺ちゃんも婆ちゃんもチバってところの出身だったらしい。海沿いの小さな町で今じゃ海に沈んじまってるって……。農業をやってたそうだ……」
「移住したのはお幾つの時?」
「ニッポンを捨てたのは二人共30前だったって……。オヤジはまだ生まれてなかった」
「移住でしょ? 『捨てた』んじゃなくて」
「いや、一世はみんな『捨てた』って言ってるよ、自戒の念を込めてね」
「自戒……」
「そうさ。なんで北のバカ将軍にミサイル発射ボタンなんか押させちまったんだろうって。どうしてもっと国際理解と協力しておかなかったんだろうって」
「……」
「政府のバカ役人と政治家に任せっきりのツケが回って、自分らは国を捨てなきゃならなくなったって」
「……」
「でも全て後の祭りさ。ニッポンは死の灰に埋もれ、半分近く海に沈んじまった」
「それがあなたの世界……」
「そうだよ。だから世界中はみんなで協力するようになったのさ。同じことを繰り返したら次こそ全人類が滅んじまうからって」
「そう……。ところであなた兄弟は?」
「いないよ、いる訳ないだろう!」
「あら、どうして?」
「当時の豪州連邦政府に遠慮して、ニッポン人同士で結婚したら子供は一人って決めたらしい。そうすりゃ少しずつニッポン人が減ってくから……」
「えっ!?」
「だから言ったろう? アタシらの世界はアンタ達のと違って『呑気じゃない』って」
ジュンはそう言うと前田二尉の顔を穴が空くほど睨みつけていた。