第11話 カウチポテト
日本帝国防衛軍市ヶ谷駐屯地は2千メートルの滑走路を持つ、関東政府内にある帝国防衛軍基地の中でも最大級のものである。その周囲には基地に勤める軍人とその家族およそ4千人が暮らす官舎も併設されている。基地と官舎は完全に隣接しているが、機密防衛上、基地内施設は家族といえども全てが利用できる訳ではない。したがって基地内、官舎内に総合病院がそれぞれ設けられている。
RX-175のデモを行ったジュンは目を覚ますと、この基地内病院に連れて行かれ隔離室に入れられた。
「今度は一体なんだよ!? 何でアタシが!」
それに対し防護服を着た看護師が言った。
「ご心配なく。抗体検査を始めとする諸検査です」
「アタシはちゃんと全部やってる!」
「申し訳ありません。基地司令の命令なんです」
ジュンが平行する異世界からやって来た。その事実が中々受け入れられなかったため、ジュンに対する健康状態を含めた病原菌の検査は行われていなかった。そこで遅ればせながら検査が行われ、結果としてジュンはその結果が出るまで病院内に隔離されてしまった。もっとも「時空スリップ」なるものが起きた、ということを素直に認める方がどうかしていることであるから、この結果は致し方無いだろう。
だがジュンと関わった兵士、ジュンを拘束した者から基地司令の山下一佐に至るまで、結果的には基地に勤める全員とその家族にまで行われたのであるから長い時間がかかった。しかもジュンの体内にこの世界で未発見の病原菌があるかないかまで調べたのであるから、ジュンは結果としておよそ一ヶ月も隔離生活を余儀なくされたのである。
山下一佐のこの判断には主要スタッフから疑問の声が出ないでもなかった。
まず第一に時空スリップがあり得ない事だ、という意見。次いで検査をするのが遅すぎた、という意見である。
一つ目は当然の考えである。
SFでもあるまいし、そんなことが起こる訳がないという極めて現実的な意見に対し、やはり決め手はRX-175であった。それはこの世界では考えられないほど高性能なバッテリーを搭載しているということである。もちろんこの世界にもバッテリーは存在し様々に活用されている。だがあれだけの機体を1時間も稼働させられる蓄電量というのがあり得ない。
逆に米国あたりの最新鋭試験機なのでは? という意見も出されたくらいである。だがそうすると何故この市ヶ谷駐屯地に忽然と現れたのかという問に合理的な説明ができなかった。
二つ目の検査実施が遅すぎるという意見に対しては、やはり時空スリップを認める事が中々できなかったという結論になってしまう。
いくら忽然と現れたからといって、異世界からやって来た、と考える人間がいたらその精神状態をまず疑うだろう。
いずれにせよこの検査によって、山下一佐が総司令部に報告しないということに対する肯定の空気ができ上がっていた。総司令部に報告が為されていたら、検査にしろ調査にしろ、こんなものでは済まなかっただろうからということでである。
だがこの話にはもう一つ裏があった。
基地内の病院施設、及び隣接する官舎内の総合病院ではそこまで精密な検査はできない。そこでジュンの血液、尿、便、毛髪が京都の帝国防衛軍本部微生物研究所に密かに持ち込まれ検査されたのである。但しジュンが異世界からやってきた、ということは当然伏せられてであり、偽装工作の一環としてジュンだけのではなく、同世代の女性兵士数人の検体も送られたのである。その結果が出るのに一ヶ月も掛かってしまったということであった。
「ようやく肩の荷が下りたよ」
その検査結果を受け取った山下一佐は安堵の溜息を漏らした。そこには未知の病原菌と思われる微生物の存在は認められない、という検査結果が記されていたのである。
こうして医学的に、ジュンはこの世界の人間と何ら変わらず、極めて健康な状態にあるということが一応証明されたのであった。したがって基地内に知らないうちに病気が蔓延している、などという可能性も否定されたのであって、それが山下一佐を安堵させたのである。
「それでは、彼女の退院を許可なさるので?」
前田二尉が尋ねた。
「そうなるね。彼女を隔離しておく理由が一応なくなったのだから」
「ではやはり小官が?」
前田二尉が顔をしかめて尋ねる。
「前田君、気持ちはわかるがそう露骨に顔に出さなくても……」
山下一佐が困惑した表情を見せた。
「失礼しました。ですが小官としてはやはり納得できない命令と考えております」
山下一佐はジュンの健康に問題がなかった場合、今後の対応をどうするかで悩んだ。
何時迄も独房に入れておくというのもどうかと思われた。かといって全く自由に行動させる訳にもいかない。そこで前田二尉と同室させることを思いついたのである。
それを告げられた時、前田二尉は激しく抗議した。
「小官は閣下の副官を拝命しております。そのような任務を与えられては本来の職務が全うできません!」
「いや、副官の件に関しては一時保留とする」
「しかし!」
「なに、そう長い期間のことではない。第一、君がいてくれないのは私も困るからね」
山下一佐の言葉に、思わず前田二尉が頬を赤らめた。
「彼女にしてみれば君が一番多く接しているし、いいのではないかと思ったのだが……」
「ですが!」
再び前田二尉の顔が険しくなった。
「そんなに嫌なら俺が引き取ろうか?」
前田二尉の背後から声がした。井上技術一佐である。
「広い官舎に一人っきりだ。うちは全然……」
「井上技術一佐!」
「井上さん」
前田二尉も山下一佐も即座に抗議した。
「いくらなんでも不謹慎です! 若い女性と二人きりなんて!」
「さすがに私もそれは認められませんよ」
「そうかね? こっちはもう半分枯れかけた爺さんだ、間違いなんぞ……」
「そういう問題ではありません! 風紀の問題です!」
「そう目くじら立てることか? 向こうだってコッチなんか相手にしないだろうし、俺としちゃあ、直ぐ側で色々話ができる方がありがたいってだけなんだがね?」
「ダメと言ったらダメです! それなら自分が……」
「引きとるかい?」
そう言って片目を瞑ってみせる井上技術一佐である。まんまと井上技術一佐の術中にハマった気がする前田二尉であった。
「……仕方ありません」
前田二尉は肩を落とした。
さて、退院が認められたジュンはやれやれといった表情で病院の正面玄関を出てきた。迎えに来ていた前田二尉は露骨に不機嫌だった。
「早く乗りなさい」
開け放たれた車のドアの傍らに立って冷たく言った前田二尉である。
「なんだよ? アタシが何したって……」
「いいから、早く!」
「おお、恐……」
「何!?」
目を釣り上げた前田二尉の形相は凄まじかった。
一等陸士の運転する車は事務棟の前に到着しジュンは再び司令官室へと連れて行かれた。
「退院おめでとう、不自由させて済まなかった」
山下一佐は笑顔を見せつつ謝罪した。
「全く、かんべんして欲しかったよ。一ヶ月も何もさせてもらえなかったんだ、身体が鈍っちまったよ。
もっともおかげで色々とこの世界のことを知ることは出来たけどさ」
隔離中のジュンはテレビ番組を見ることは許されていてドキュメンタリーやニュース、報道解説や娯楽映画などを暇つぶしに見ていた。それによって山下一佐の説明以上に詳しくこの世界を知ることが出来たのである。
「あれじゃあ全く『カウチポテト』だ」
ジュンがそう言うと山下一佐始め前田二尉も目を丸くした。
「あれ? アタシなんか変なコト言ったか?」
ジュンがキョトンとした。
「いや、君らの世界でも『カウチポテト』なんて言うのかと思ってね」
「ええ、随分と古い表現で今の私達は滅多に使いませんが……」
山下一佐も前田二尉もなんだか感心した様な表情を見せた。だが次のジュンの言葉で押し黙ってしまった。
「そうなのか? アタシらにとっちゃ新しい言葉だよ。
カウチ(ソファ)に寝そべって、落ち着いてチップス(ポテトフライ)が食えるなんて安心・安全の象徴だからね。そういう暮らしができたらいいなっていう憧れを表す言葉だよ」
「……」
ジュンの世界は巨大自然災害が頻発し常に生命が脅かされている。それからすれば、この世界では既に死語となった怠惰の象徴とされた「カウチポテト」なる言葉が、安心・安全を象徴するあこがれの言葉というのは納得できないこともないが、カルチャーショック以上の驚きを二人に与えてくれた。
「何なのさ、一体?」
ジュンは二人が妙な顔つきをしているので不安になってしまった。また何かされるんじゃないかと……。
「いや、済まない、気にしないで欲しい。
ところでこれからの君の処遇だが……」
山下一佐が口を開いた。
「また独房暮らしだろ?」
「その方がいいかね?」
「バカ言うなよ! トイレまで監視される部屋のどこがいいってのさ!?」
「だろうね。
そこでだ、とりあえずこの前田二尉と同室ではどうかと考えているんだが。
もちろん君を基地外に出す訳にはいかなきから、基地内での生活になるがね」
「……。それは決定?」
「イヤかね?」
「だってこの女、アタシのこと嫌ってるだろ?」
「何ですって?」
前田二尉が気色ばんだ。
「違うのか?」
「違……、この際自分の感情は問題ではありません! それが命令だということです!」
「何だ、やっぱり嫌ってんじゃん」
「あなた!!」
「アタシ独房でもいいよ? カメラさえ殺してくれたら」
「殺す? 物騒な言い方だね」
「何で? 英語じゃ普通の言い方だろ?」
「まあ、そうだね。
それはともかく、独房というのはこちらも心苦しいんでね」
「どういう心境の変化だよ? 今まで散々人の事を押し込めてたくせに」
「だが君はこの世界で生きていくしかない。だとしたら少しでも快適な方がいいのではないかね?」
「そりゃあそうだけど……、やっぱり帰れないかな?」
ジュンがしんみりと言った。その表情に同情しつつも山下一佐は極力感情を排して言った。
「私は無理だと思う。君が入院している間私も少し調べてみたが、この世界の科学では平行世界の存在を確認できないし、量子力学の理論からその可能性が唱えられているに過ぎない。君の世界ではどうかね?」
「同じだね」
「ということはこの問題は我々にはお手上げということになる。ただ……」
「ただ?」
「もし万が一、君が再び次元スリップを起こし君の世界へ帰れる可能性があるのなら、ここを離れない方がいいのではないかね?」
「ああ、なんとなく言いたいことはわかるよ」
この基地で起きたからもし再び起きるならまたこの基地かもしれない。だがそれは淡い期待にも似たものに過ぎなかった。
「それと、君とともに現れた機体。我々はあれを研究させてもらいたいと考えている」
「RX-175を? 何で? こっちのほうがアクチュエータ技術は進んでんだろ?」
「そうだが、バッテリーの技術は君の方が進んでいるようだ。そういったことも含め、技術情報を交換できたらと井上技術一佐は考えているようだ」
「技術情報を交換て言ったって、アタシは持ち帰れないんだ。完全にそっちの丸儲けじゃないか?」
「まあ、そうとも言えるが、どうだろうか? 検討してはもらえないだろうか?」
山下一佐は穏やかな口調でそうジュンに言ったのであった。