第1話 ミッション・トラブル?
「以上ですが、何か質問はありませんか? なければ解散です」
若い技官の言葉がブリーフィング・ルームに響いた。技官は正面モニターをオフにして立ち去った。
室内に残った参加者からは、やれやれ、という声が聞こえる。
「何が『2足歩行形態は人類の夢です』だよ? 単なる技術屋の糞みたいなこだわりじゃねえか?」
癖の強い金髪をかきあげながらマイキーがジュンに話しかけてきた。それに応じようと顔を上げたところでメイ・リンが口を挟む。
「まったくよ。何考えてるのかしらね。それとも旧ニッポンの技術者ってみんなオタクなの?」
その言葉にジュンは苦笑する。
「さあね。アタシに聞かれてもわからんさ」
ジュンが掻きあげた髪を後ろで束ねながら答える。
「ニッポンなんて50年以上前に滅んだんだ。たとえ先祖はそこの住人だったとしても、アタシに聞かれても答えようがないね」
ジュンは半ば投げやりに言う。整った顔立ちでスタイルも悪くないのだが、そのぶっきら棒な言葉遣いはどうにも女性らしい潤いには程遠い。
マイキーが再び何かを言おうと口を開いた……。
そこでジュンは我に返った。と言うよりも意識を取り戻した。
コックピットの正面メインモニタは暗転しており
ALERT!!
EMERGENCY!!
と赤い字で表示されており、警報が鳴り響いている。
胸に妙な圧迫感があるが頭もヘルメットごとサポートバンドでガッチリ固定されている。おかげで怪我をした感はないがとにかく息苦しい。おそらく機体がかなり前傾しているのだろう。それでも体がシートに固定されているのは、自分の体にあわせて設計されたシートと7点シートベルトのおかげに違いない。
非常灯が灯っている薄暗いコックピットの中でジュンは、警報を解除するボタンを押した。とにかくこいつを止めないと頭に響く。うるさい。
警報解除ボタンを長押しすると警報が止まり、コックピット内に通常照明が戻った。
急いで各メーターやモニタの数値を確認する。特に異常値を示しているものがないことを確認すると機体に搭載されたコンピューターに呼びかけた。
「AI、状況を教えてくれ。それと各部チェックだ」
「了解。ドコカラ始メマスカ?」
「最初からだ」
「了解。時刻ハDST(国内標準時間 Domestic Standard Time)デヨロシイデスカ?」
「かまわない。」
「了解。09:21 しすてむ起動。09:25 降車。09:28 みっしょん・すたーと。09:33 目的地施設ニ到達。09:38 第1回定時連絡。異常ナシヲ報告。09:46 GPSろすと。同刻 足下地盤崩落。09:48の第2回定時連絡ハデキテイマセン」
「地盤崩落? 床が抜けたのか?」
「G《重力》せんさーノれこーど数値カラハソウ判断デキマス」
「なんてことだよ! 試験施設の構造耐久性チェック不足だってのか! 廃墟なんかでテストするからこんなことに!」
ジュンは悪態をつく。多足歩行ロボットの開発目的が災害地での救出や瓦礫の撤去作業を主眼とされているので、廃墟を利用してテストを行うことは無意味ではない。
だが開発途上のテスト機ではどのような不具合が起きるかわからない。通常施設でのテストをもっと優先するべきだろう。
「喚いたところでいまさらしょうがないか。AI、指令車に連絡。それとマイキーやメイ・リンは?」
「GPSろすとノ上、通信ガデキマセン」
「通信ができないって、無線機の故障か? それとも電離障害か?」
「イイエ、ソノドチラデモアリマセン」
「どういうことだ?」
「外部りんくガ切レテイマス」
「外部リンクが? 何故?」
「理由ハワカリマセンガ、指令車ノ位置、RX175-02、RX175-03ノドチラモれーだーニ反応シマセン」
「なんだって!? まさか置いてけぼりか?」
「イイエ、違ウト思ワレマス。降車カラGPSろすとマデハ21分デス。GPSろすとカラ現在マデ8分デス。コノ時間デハ機体ヲ収容シテ帰還スルコトハデキマセン。シタガッテ置イテケボリトイウコトハ考エラレマセン」
AIの人工的な抑揚のない声でもジュンは思わず笑いがこぼれた。
「全く機械だけあってクソ真面目だな、お前?」
「ドウイウコトデショウカ? 質問ノ意味ガ理解デキマセン」
「まあ、なんでもいいさ。それより、それじゃあアタシはどういうことになってるんだ?」
「ワカリマセン。GPSろすとハ続イテイマス」
「どうしてだ? それじゃあ居場所がわかんないじゃないか?」
「ハイ。UOR-GPSS(大洋州連合内専用GPS衛星 the United Oceania Range Global Positioning System Satellite)ノ電波ヲ受信デキマセン。受信デキルノハNAVSTARⅢノ電波ダケデス」
「ちょっと待て!! どういうことだ!? 衛星が墜落でもしたのか!? うっ!」
ジュンが怒鳴った。機体をまだ起こしていない、前屈みの状態でだから頭への血の昇り方が半端でない。そこで興奮したせいか頭痛が走り、思わず頭を手で抑えた。
「ソレハワカリマセン。トニカクUORカラノ電波ヲ受信デキテイマセン」
だがAIはジュンのそのような状態を何ら気にすることなく続けた。
「そんなバカな! 何が起きてるんだ!? 仕方ないNAVSTARⅢのを使って位置確認だ」
かつてのアメリカが軍用目的から打ち上げたGPS衛星NAVSTAR。やがてそれは民間でも利用されることとなったが、世界再編さらに軍事転用可能なロボット開発の必要から、各地域で専用GPS衛星を打ち上げ運用している。
したがって通常、南北米州連合以外の地域はNAVSTARを使わなくなっているのが現状であった。
「了解……。
位置ヲ確認シマシタ。現在地点ハ北緯35度○分○秒、東経139度○分○秒……」
「バカな!! じゃあアタシは今トーキョーにいるのか!?」
「GPS座標カラハソノヨウニ判断デキマス」」
「クソったれ!! AI、大急ぎで外の状態チェックだ! アタシは放射線防護服なんか着てないぞ!」
ジュンは激しく狼狽して叫んだ。
ジュンは心底恐怖していた。もしAIの報告したGPS座標が正しいのなら、いやそんなことはあり得ないはずだが、だがもしそうなら機体の外は大量の放射線に満ちた死の世界のはずである。
そうして機体には放射線防護措置は一切施されておらず、自分も放射線防護服を着ていない。ということは直ぐ目の前に確実な死が待っているということだからである。
緊急事態で機体が自閉モードに入っていたから、メインモニタが黒くなっていることで外界の様子がわからないでいたのは良いことだったか悪いことだったか。
もし眼前に死の世界が見えていたら、今以上のパニックを起こしていたかもしれないジュンである。
西暦201X年、北の将軍様はついに禁断の扉を開けようとした。それは全世界に向けてICBM(大陸間弾道ミサイル)による同時核攻撃を行おうとしたのである。
イデオロギー、民族紛争、宗教対立、貧富差……。様々の理由で人類は戦争し続けてきた。そうして先の大戦で実際に核が使用されて以降、人類は核による抑止力は持ってもそれを行使することはなかった。
だが核軍縮に逆行する形で北は核配備を進めた。北と誼を通ずるユーラシアの二大国でさえこれを苦々しく思い、核配備を思い留めるべく様々の工作を繰り返していた。しかし北の将軍様は ― 理由は誰にもわからなかったが ― それをあざ笑うかのようにICBMの発射ボタンを押したのである。
だがその一発目が幸か不幸か上昇途中で爆発、その後他のミサイルも巻き込んで連鎖的な核反応が起き、大量の放射線をまき散らした。
これによって半島を含むユーラシア大陸東部は完全に死滅。その死の灰は今度は季節風に乗ってニッポンへも向かった。
そこでニッポン皇帝は国土の放棄を宣言。ありとあらゆる手段を用いてニッポン国民の海外移住を実施した。逃げ出そうという人々に与えられた猶予は僅かに36時間。私有財産として持ち出せるのは飛行機の機内持ち込みと同程度のカバンひとつだけ。たったそれだけでニッポン人は祖国を捨てることを強要されたのである。
ありとあらゆる航空機、船舶が動員されたが逃げ出せたのは三分の一にも満たない人たちであった。
そうしてこのニッポン人を受け入れたのが当時の豪州連邦である。以来50年、ニッポン人は難民として辛酸を嘗めた。
だがそれは世界の人々も同様であった。
局地的大量核爆発によって海底の地殻運動が活発化、死の灰に見舞われたニッポンは国土の大半が水没、多くの国々でも巨大地震が頻発、海岸線が変化した。
また気象変動も促進され、海水面の上昇、局地的な大雨、高温化または低温化による農業不振が起き大量の餓死者を出し、疫病が蔓延。地球の総人口が半減するという事態が起きたのである。
世界には最早無傷の国はなく、一国では如何とも為し難い状況となり、ここにおいて世界は各大陸ごとに結び付きを強め国家再編の動きとなったのである。
そうして豪州連邦は周辺の諸島国家と共に大洋州連合を形成し今日に至っている。
「……機体外部環境測定結果。
窒素78%、酸素21%、あるごん0.9%、二酸化炭素0.04%。放射線量6.1μSv、紫外線照度UVA……、UVB……」
AIの報告を黙って聞き入るジュン。落ち着きを取り戻しながらも、その表情が段々険しくなっていく。
北の馬鹿げた核爆発のせいでニッポンは人の住めない土地になっているはず。にも関わらず報告される数字はどれも人体に悪影響を及ぼすものではない。それはそれで一安心だが、そんなことよりもどうして自分は7000キロの彼方にいるのか? その方が余程深刻な問題である。
「……機体外部ノ環境測定結果ハ以上デス」
「ええと、それじゃあ、アタシが今いるここはどこなんだ?」
「現在地点ハ北緯35度○分○秒、東経……」
「座標を聞いているんじゃない!」
「申シ訳アリマセン。質問ノ意味ガワカリマセン」
「ったく……。
それよりいい加減苦しい、機体を起こしたい。各部チェックは済んだか?」
「1分27秒56前ニ済ンデイマス。各部ニ異常ハアリマセン」
「そうか……。よし、起こすぞ。メインモニタON」
「了解」
ジュンは操縦桿を握りペダルを踏む。
今回のテストの主目的は脚部アクチュエータの耐久性実証試験である。
人を載せて歩行することが出来るロボットには構造的にどうしても無理が存在する。それは自重を支えきれる「脚」 ― 特に関節部分 ― の開発が難しいということである。
この点南北米州連合や全欧州国家連合は脚の数を増やすことで対処している。
南北米州連合の設計思想はベースに戦車を置き、キャタピラ部分を8本の脚に変えている。そうして回転する砲塔を縦に引き伸ばして4本の多目的アームを備えている。
一方の全欧州国家連合はやはり軍用装甲車をベースにして6本脚である。それ故米州製はスパイダー《蜘蛛》、欧州製はグラスホッパー《バッタ》の異名を持っている。
広い国土を持つ南北米州連合に比べ、国土はもちろん街の構造も狭い全欧州国家連合の場合、脚の数が増えると機体が大きくなり過ぎて取り回しが悪くなるからである。
他方、大洋州連合では2足歩行に拘っている。それは滅亡したニッポンから移り住んだ科学者や技術者にオタクが多いから、と揶揄されるほどである。
だがこれが実現すれば被災地での救助活動は格段に効率が上がると言われている。脚の数が増えるほど投影面積が増えることになり、重量もかさむ。足場の悪い被災現場ではこれがかなりのネックとなるのである。
したがって重さを支えるために脚の数を増やし、一本当りにかかる荷重を軽減する一方、脚が増えた分だけ全重量が増える、という悪循環のギリギリのところで現行機は運用されている。