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冷凍保存

作者: 新野

気がついたら、堅くて冷たい床の上だった。


こんな場所、生きていた時には見たことがなく、まるで真っ白な電話ボックスにでも閉じ込められたみたいだ。

床も壁も真っ白でつるつると、陶器のよう。いわゆる近未来的な物質で作られているのだろうか。



自問しながら目だけを動かし辺りを見回した。

真っ白な壁に覆われた部屋は、昔歴史の教科書で見た電話ボックスを一回り大きくしたくらいのスペースしかなく狭い。窓も扉も何もなく、あるのはただ圧迫感のみ。



昔はもっと広い家に住んでいたはずなのにな、と苦笑して、記憶の断片を探った。

ここが天国ではなければ、俺の目論見は成功したといえよう。

同時にズキンとこめかみが痛むが、それを押さえるはず手のひらは動かない。

久し振りに脳みそを使ったからか、とにかく頭が痛くて、体が重かった。

部屋の中をうろつこうにも未だに体の接続が上手くいっていないのか、自分の手のひらも、首ですらうまく動かすことが出来ない。



俺は今、一体どんな姿になっているのだろうか。


冷凍保存する前に、自分のブロマイドと理想の顔の写真を提出したはずだが。

顔を見ようにもこの部屋には鏡すらない。


ブ男になっていなきゃ良いけど。とひとりごちる。

どちらにせよ俺の生きていた時代と今――西暦何年かは検討もつかないが――の時代の美意識が変わっていなければの話だ。


そもそも、初めて脳の冷凍保存が一般的なサービスとして売り出されたのは俺たちの時代からだった。

売り出された、といっても一般市民にとっては、手に届かない程の大金が必要だったが。


簡単に概要を言えば、脳の神経は統べて残したまま、特殊な装置で瞬間冷却される。

その時点では、脳の解凍処理はあまり上手く行かなかったようだが、すでに動物実験では何度も成功していた技術で、人間に適用されるのもそう遠くないと思われていた。



大枚はたいてわざわざ体を捨てた俺を、回りの人間は嘲笑した。

俺も正直言えば、冷凍保存なんてする気はなかったのだ。





*




「どうしても、するんですか?」


病院のベッドへ横たわる彼女を一瞥してから、俺は彼女の両親に尋ねた。

すすり泣く母親の隣で、深刻な顔をした父親は静かに頷いた。


「君には、つらい思いをさせる―――」


「いえ、良いんです。俺は、家族じゃないし」


「必ず、目が覚める時が来るそうだ」


「そうですか」


植物状態の彼女を、彼女の両親は冷凍保存した。

俺ははじめ、それに反対していた。


成功するかどうかなんて現時点では不透明だし、何百年後に目が覚めて、脳だけが衰えているというのに(冷凍保存されるから問題はないという見識もあったみたいだが)果たして正常に生きられるのか疑問だった。記憶だってしっかり残っているかわからないし、昏睡状態に陥る前の彼女と、解凍されて意識を取り戻した彼女が、果たして同一人物といえるかどうかもまた言い切れなかった。


冷凍保存の研究を一任されている科学者は何も問題はないと言う。

しかし科学の科の字も知らない俺からしてみれば、一体何の根拠があるのか見当もつかなかった。


しかし、両親の強い希望で――このまま目が覚めずに死を迎えるより、わずかな希望にかけたいと――彼女の冷凍保存は行われてしまった。

透明なガラスケースに入れられた彼女は、脳だけになってもやはり美しく、俺は毎日毎日、彼女を――彼女の脳を見るために、研究所へ通った。

あんまり毎日通いつめるので、研究所のリーダーが見るに見かねて俺にも冷凍保存を進めてくれたというわけだ。


もちろん料金は無料などではなく、かなりの金額を支払った。まぁ少しはサービスしてもらったが。


そして、どうやらこの実験は成功したらしい。

俺は手術台のベッドで気を失ってから今。目覚めた。


とうとう脳の冷凍保存は実現のものになったのだ。

俺自身がそれを証明している。


そしてまた、俺が成功しているという事は、まさしく彼女も成功しているはずなのである。

彼女のことを思うと、なんだか気恥ずかしくて、くすぐったいような気分になった。

俺は彼女に会わなければならない。



改めて強く決意して、辺りを見回した。先ほどよりは少しだけ首を動かせるようになってきていた。

今俺が目覚めたことを、どこかで監視している奴がいるのだろうか。


真っ白な壁は実はマジックミラーのようになっていて、外から俺のことを見ている人間がいるのかもしれない。

彼らは俺が目覚めたことを気がついているのか?


とにかく外部とコンタクトをとらねばならない。

俺は外に聞こえるかどうかわからないまま、大きく声を出した。


「―――」


声帯を使うのが久しぶりすぎるのか、上手く声は出なかった。

ぶひゅと力が抜けるような音がして声というよりはまるでブーブークッションを鳴らしたみたいだった。

それでも俺はやめなかった。

もしかしたら感覚を取り戻して声が出るかもしれなかったからだ。


ぶひゅ、ぶひゅ、ぶひゅ、と間抜けな音が喉から漏れる。

段々俺は焦ってきた。


あまりに体が思うようにいかないからだ。

首は少しだけ左右にまわせるようになってはきていたが、腕から先の間隔がない。

下を見ても手は見えないし、足もどうなっているかわからない。

“自分の体”という実感があまりなく、神経がそこまで通っていないのか、自分が今どんな体勢でいるのかもわからなかった。

例えるなら、手足がしびれた時にその部分に触れても感触がわからなくなるような現象だ。

ただ目とか耳とか鼻だとかその辺りの感覚はあったのでまるで夢でも見ているような錯覚さえ覚える。


真っ白な壁を見つめながら、俺はしばらくぶひゅぶひゅと声を上げ続けた。





*





喉がガラガラになりそうな時に、突然脳の中から声がした。


(今、何か食べたいものはあるか)


「ぶひゅぶひゅ」


“誰だ?”と言いたかったのだが、上手く声は出ず喉から音が漏れただけだった。


(声に出さなくとも思考でわかる)


その声は、まるで感情の篭らない声でただ頭の中で無機質に響く。


“アンタは一体、誰なんだ?”


(まぁ名乗る程のものではないが、強いて言うならバイオテクノロジーを研究しているものだ)


声の主は低く笑う。


“俺は何のためにここへ閉じ込められている?”


(今、何か食べたいものはあるか)


声の主は俺の思考をあえて無視をしてもう一度同じ質問をした。


“今は腹は減っていない。俺の質問に答えろ”


(お前の質問に答える義務はない。お前はただ食べたいものを言えばいい)


“なぜだ。俺だって人間だ。知る権利くらいはあるだろう”


それを聞いて声の主は、面白そうにそうかな?と笑う。


(では聞くが、100年後の人間が、100年前の人間を生き返らせてどうするんだ?)


“それは、昔の知識をより深く得るためだ。”


(そんなことに何の意味がある?)


“意味はある。歴史を正確に――”


(そんなものは既に保存されているチップの中に電子情報として記録されている)


“…ではなぜ俺を目覚めさせた?”


(ゼロから動物を作り出すのは不可能だが、何かの細胞があれば可能である。)


“一体何の話をしている?”


(しかしいまや動物の細胞を入手する事は不可能に近くてね。)


(バイオテクノロジーを持ってしても絶滅した生き物を再生する事はできない。)


俺は全く要領を得ずに、目を細めた。


(だからご丁寧に保存されていた100年前の脳を使わせてもらおうという事だ。)


“…もっと分かりやすく言ってくれないか?”


背筋が段々と薄ら寒くなるのをひしひしと感じていた。

嫌な予感がする。


(100年前の脳をベースに遺伝子をいじらせてもらって、新たな生き物に変形させてもらったよ)


新たな生き物?

一瞬、脳の働きが停止してしまったように頭が真っ白になった。


それはつまり、俺は人間ではないということか?

ごくりと唾を飲み込もうとしたが、口の中がカラカラで、上手くいかなかった。

俺は人間として生まれ変わったのではなかったのか。

人間として生まれ変わって、新しい世界で彼女と共に生きるはずではなかったのか。

ただの実験動物として100年後の世界に蘇ったというのか。


もし今の体が自分自身のものだったら、間違いなく震えていただろう。

俺は搾り出すように、意識を言葉に変えた。



“俺は一体、何になっているんだ?”



そう思った途端、突如として目の前に鏡が出現する。


(お前の彼女も同じように利用されて、我々の食料になったよ)


鏡の前には、四本足の、醜く太った、豚がいた。


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