天空から落ちてきた聖女に婚約者が心奪われ、心が浮き立った。
「お聞きしたいのですが⋯⋯わたくしたちの今後はどのようにされるおつもりなのでしょうか?」
「あ⋯⋯勿論。予定通り結婚を進めてくれてくれてかまわない」
「結婚を予定、⋯⋯通りですか?」
「⋯⋯ああ。予定通り進めてくれてかまわない」
「わたくし、てっきり中止だと思っておりましたから⋯⋯何の準備もしておりませんわ」
「なに?」
「ネヴァーリング様は天空から落ちてこられた聖女様とご結婚されるのだとばかり思っておりました。
なので今日は婚約破棄の話になると思ってそちらの準備を整えてまいりました」
「君との婚約を破棄したりしない!!」
「ですが、今までの態度を鑑みるとわたくしとの関係など婚約破棄以外考えられませんでしょう?」
「くどい!! 婚約破棄はしないと言っている!!」
ネヴァーリングは苛立ち、焦りそんな表情を浮かべて今にもわたくしの胸ぐらを掴むような勢いで怒鳴りつけています。
けれどいまのわたくしは虎の威を借る狐と言えばいいでしょうか。
陛下がわたくしを守るようにとご命じくださった護衛騎士様が二人、わたくしの背後に立っていてくださるのでネヴァーリングのことを怖がる必要はどこにもありません。
「いいえ。婚約は既に破棄いたしました。
夫が聖女様を思いながらわたくしと結婚生活を送るだなんて不愉快極まりないですもの。
それに、陛下からもう婚約破棄の許可を頂いているのです」
「はっ? 婚約破棄の許可だと?!」
「ええ。聖女様のおそばに侍っている殿方たちの婚約者は婚約破棄を申し出て相手の同意なく破棄を認められました。
婚姻を結んでいる方の場合も同じく離婚を申し出た場合は夫の同意なく離婚できると陛下がお認めになったんですのよ」
「な、何だと?!」
「天空から落ちてこられた聖女様は何よりも大切にしなければならないのはこの世界では当たり前のことですが、それと同時に聖女様に侍る殿方が聖女様に魅了されて婚姻や婚約が駄目になるのも当たり前のことなのだそうです」
「はぁっ?!」
「聖女様は元々聖魔力だけでなく魅了の力を持ち合わせるのだそうです。王家ではそのことは語り継がれているのだそうです。だから聖女様に殿方を近づけないようにと王家は細心の注意を払っていらっしゃったのだそうですけれど、それでも必ず魅了されてしまわれる殿方がいらっしゃるのだそうです」
「魅了魔法だと?!」
「魔法とは言っておりません。わたくしには魅了というものがどういうものなのか解りません。魔法なのか、ただただ聖女様の魅力なのか。
ですが必ず歴代の聖女様には夢中になる殿方が居られたそうです。そして何がきっかけなのかわからないのだそうですが、ふとした時に我に返るかのように聖女様に関心がなくなるのだそうです」
このことには嘘が混ざっています。
本当のことを告げてはならないと陛下より口止めされているのです。
ネヴァーリングはご自分で体験されるのでいずれ知ることとなるでしょう。
「そんな話信じられん!!」
「ご心配なく。信じていただこうと思ってはおりませんので。
ただわたくしが望んでネヴァーリング様との婚約破棄を願い出て、受理されたということをご理解くださればそれで⋯⋯」
「まさか?! 陛下に望んだのか?! 婚約破棄をっ?!」
「ええ。嬉しいことでしょう? これで何の憂いもなく聖女様に侍ることが可能になりましてよ」
「私は君と婚約破棄など望んでいないっ!!」
「ですが⋯⋯わたくしはネヴァーリング様が聖女様に近づいていき、それを知った瞬間から婚約破棄出来ると考えていました」
「嘘だろう⋯⋯?!」
「ネヴァーリング様が聖女様に近づいたと知ったその週末に陛下からお声がかかりました。直ぐ様登城するようにと。
そして陛下から歴代の聖女様にまつわるお話を伺いました。
魅了された殿方の中には早い方は一ヶ月ほどで魅了から抜け出る方も居られるし、殆どの方は一年ほどで聖女様の魅了から抜け出るのだそうです。なので一年間は婚約者、夫の心のうつろいに目をつむってやって欲しいと陛下より頼まれました」
「そんな⋯⋯」
「陛下からのご用命ですもの。否やという答えは持ち合わせておりませんでしたが、わたくしはネヴァーリング様の御心が聖女様の元にあり続ければいいのにと日々願い続けておりました」
「それはどういう意味だ?! 私はっ! キャラフィナとの結婚を望む!! 聖女様と結婚など考えてなどいない!!」
「ふっふふっ。面白い方。
心は聖女様に魅了されたままなのに結婚はわたくしを望むなんて⋯⋯本当に身持ちの悪い方だこと」
「き、みは⋯⋯そんな口の利き方をする人だっただろうか?」
「相手に合わせてどのようにでもなれますわ。女ですもの。ネヴァーリング様はわたくしの想い人ではありませんし⋯⋯」
「私たちは心でつながっていただろう?」
「いいえ。それはネヴァーリング様の勘違いだと思いますわ。わたくしはネヴァーリング様をお慕いしたことはありません。
政略結婚ですものお互いを尊重し合えるのなら結婚生活もそれなりに送ることは出来るとは思っておりましたが」
「嘘だ⋯⋯ろ?」
「ネヴァーリング様が聖女様の腰を引き寄せるのを見た時は心弾みました。
これで婚約を解消させることが出来るかもしれないと。
それからはネヴァーリング様と聖女様の仲睦まじい姿を見る度にどれほどわたくしの心が浮立ったことか」
ネヴァーリングは信じられないものを見るような目でわたくしを見ています。
そして怒りへと感情が移っていくのが手に取るように解りました。
ですがわたくしの背後に立つ騎士様が一歩前に出るとネヴァーリングの勢いは尻すぼみになっていきます。
虚勢を張りたいのか吃りながら言葉を発します。
「へ、陛下から聞いた歴代の聖女の話とはどんな話だったんだ?!」
「聖女様の悪評を広げるみたいになるので口を閉ざすのが一番だと心得ております。どうぞこのような些末なことを気になさらずこれからも聖女様を愛し、尽くしてさしあげてくださいませ」
わたくしは話が終わったとばかりに腰を浮かせるとネヴァーリングが引き留めようとするかのように話しかけてきます。
「キャラフィナは本当に私のことを愛していないのか?!」
しかたなく浮かせた腰を下ろしてネヴァーリングに向き合います。
「先ほどもお答えした通り、ええ。愛したことはありません。好意程度なら持ったことはあったかもしれませんが、それも知人に持つ程度の好意です。
ご自身が公爵でもないのに誰よりも尊重されて当たり前だと思っていらしゃる傲慢なお姿には何度も怒りを覚えましたし、ご自身の成績は中の中、もしかしたら中の下なのに成績の良い下位貴族への当たりが強いことも虫酸が走るほどに嫌っておりました。
父にも何度も言いましたのよ。
身分を盾に弱者を甚振るような方とは結婚したくありませんと。
けれどこちらから婚約解消を申し出ると莫大な慰謝料の支払いをしなければならないのでネヴァーリング様が下手を打つまで辛抱しなさいと言われてしまいましたの。
お父様が『どうせすぐに下手を打つ』とお笑いになっていたのでわたくしもネヴァーリング様が父の言う下手を打つのを待っておりました。
何度ももうこれでいいのではないかしらと思うような失敗を繰り返しておられましたが、残念なことに父が満足する決定打にはなりませんでした。
ですが今回は決定打になりました。
何と言っても陛下のご許可をいただいていてその上、ネヴァーリング様の不貞という証明も陛下からいただきました」
「ちょっと待て!! 私の不貞を陛下が証明されたと言うのか?!」
「ええ」
「どうして? どうしてそんなことを陛下が証明できるんだ?!」
「あら? ちょっと考えれば解ることではなくて? この世界の全てで聖女様を守らなくてはならないんですよ? 各国の最も優秀な方が聖女様の護衛についていることぐらい解るでしょう?」
「えっ? そんな人を見かけたことなどない!!」
「それはそうでしょう。聖女様に気付かれないように護衛についているのですもの。そばに侍っているネヴァーリング様たちが気が付かないのも仕方ないことかと。
ですが、聖女様を遠くから眺めていると今日の護衛はあの国の方たちなのですねという会話は日常的にありましてよ」
「うそだろう⋯⋯?」
「嘘は申しませんわ。我が国の陛下は勿論、各国の王家の方たちは聖女様が誰と何をしているかすべて知っておられますわ。聖女様が望んでいらっしゃるので誰も何も言いませんけど」
ネヴァーリングの顔色は真っ青と言ってもいいかもしれません。
血の気のひいた顔色でブルブル体が震えています。
小さな声で「そんな。嘘だ。見られていたのか?」などと呟いていらっしゃいます。
「もうお話しすることはありませんので失礼いたしますね」
今度は引き止められることなく部屋を出ることができました。
護衛の方たちにとても心強かったと感謝を告げます。
一ヶ月ほどは外出の度に護衛についてくださるそうです。
ご迷惑をおかけしないように外出は控えようと思います。
わたくしが大人しくしている間にネヴァーリングのことは公爵家がなんとかしてくださいますでしょう。
もしかすると聖女様に夢中でわたくしのことなど忘れ去っていらっしゃるかもしれません。
ネヴァーリングが望むのならば聖女様の夫の地位をいただくことができるかもしれません。
ですが、聖女様の夫の地位を望む方は今までに一人もいないのだそうです。
陛下から聞いた話ですと聖女様は第一王子を夫にしたいと望んでいらっしゃるそうですが、陛下が王族と聖女の結婚をお認めになることはないとのことでした。
聖女様は我が国に落ちてこられたので仕方なく我が国でお預かりしていますが、どの国も聖女を預かりたいとは言い出したりしません。
この世界の聖女様は突然天空から落ちていらっしゃいます。
そして落ちてきた国が聖女の面倒を見ると決まっています。
聖なる力の放出までは守らなければならないのでそのための人員はどの国も差し出してきますが、引き取るとは絶対に言い出したりしません。
聖女様は面倒ごとのほうが多すぎるからなのだそうです。
天空から落ちてきた聖女様はどの国でも奔放に振る舞い、国に混乱をもたらします。
聖女様は聖なる力が必要な瞬間になるとご本人の意志には関係なく力を放ち、この星のすべてを浄化されるのだそうです。
だからどの国も聖女様を自国に欲しがったりしないのです。
そしてこの世界を浄化すると魅了の力がなくなるらしく侍っていた殿方たちは正気に戻り自分の行いを振り返ってどうして聖女様とあんなことをしてしまったのかと悔やむことになるそうです。
今代の聖女様は未だ力を放出されてはいません。
力を放出されるのが明日なのか一年後になるのか解りませんが聖女様に魅せられた殿方たちはそれまでおそばに侍ることになるのでしょう。
そう考えればネヴァーリングはまだわたくしと結婚するつもりがあっただけ理性的だったのかもしれません。
今代の聖女様が落ちてこられてもう一年三ヶ月になります。
この国のことを学ぼうという気は全く無いようです。
この国の衣装を嫌い、マナーを嫌っていらっしゃるそうです。
これ以上被害を受ける殿方を増やさないために聖女様には現在侍っている殿方たちと一緒に聖女宮に籠もっていただこうという話が出ているそうです。
本当か嘘かわからない話なのだそうですが、聖女様は子孫をのこせない身体となって落ちてこられるそうです。
どの聖女様も閨事に盛んな方だったそうですが子供が出来たことはないそうです。
それと聖なる力を放出すると殿方から相手にされなくなってしまうのだそうです。
わたくしからしたら不思議でならないのですが、そういうものなのだそうです。
どの聖女様も力を放出した後はご自由に生活されることになるそうです。
聖女宮で生活するもよし、野に下ってもよいのだそうです。
歴代の聖女様たちに貴族籍を与えられたそうなのですが、この世界のことを学ぼうとされないので結局貴族として生きていくことはできずに聖女宮に閉じこもることになるそうです。
ただ継続したお仕事をされないのでかなり質素な生活となるそうですが聖女様が亡くなるまではこの世界を救った褒章として食べることに困ることはない程度には支払われ続けるのだそうです。
どの国も聖女様が落ちてこないようにと願い、落ちてきたら一日でも早く聖女の力を使って欲しいと望み、力を使った後は一日でも早く死んで欲しいと望むものなのだそうです。
陛下が苦笑いをしながら「秘密だよ」とそうおっしゃっていました。
わたくしは陛下のご紹介で隣国の第三王子キャッスリッシュ様と結婚することが決まりました。
隣国でプリンスの称号をいただいたまま公爵位を賜ることとなりました。
わたくしが産んだオーヴェリクは第18位と下位にはなりますが王位継承権を持っています。
いまお腹にいる子は21位位になるでしょう。
キャッスリッシュ様とは日が経つごとに愛が深くなっていくような関係だと思っています。
わたくし一人の妄想ではなく互いにそう思い合っていることを確認しました。
昨日初めて「愛している」と言われわたくしも「愛しています」と告げました。
このまま波風立たずに穏やかに暮らしていけたらとどれだけ幸せだろうかと思いますが、人生何があるか解りません。
今この瞬間を大切に生きていこうと決めています。
【後記】
今代の聖女様は天空から落ちてきて聖なる力の放出までに五年と四ヶ月の月日を要した。
聖なる力は深夜突然放たれて一時間ほどの間この星を真昼の明るさで包み込んだ。
聖女様はそれだけの力を放出したにも関わらずお疲れの様子もなくいつもと変わらぬ様子だった。
聖女様に侍っていた殿方たちは朝目が覚め聖女様の顔を見た途端「どうして?」とか「なぜ?」などと疑問の言葉を口にして聖女宮を後にし、三々五々自領へと帰っていった。
取り残された聖女様は何が起こったのか解らず暫く呆然としていたが侍女たちに連れられて王宮へと登城した。
褒美として伯爵の爵位とそれらを管理する人員を与えられたものの、陛下が派遣した人たちを気に入らないと言って解雇してしまい、結局聖女では伯爵位を管理できず一ヶ月保たずに手放すことになった。
そして今代の聖女も聖女宮へと一人で閉じこもることになり、王宮より使用人が交代で聖女宮の雑用をしていた。
今代の聖女は力を放出してたった一年で死亡し、国を挙げての葬儀が執り行われた。
その葬儀には侍っていた殿方たちは誰も参列しなかった。
後になって侍っていた全員に聴取したところ聖女が力を放出した翌朝聖女様の顔を見た途端自分の最も嫌悪する容姿に見えたのだそうだ。
聞き取り調査の結果、聖女様の姿は全員が違うものを見ていたということが解ったがその理由はわからない。
ある者にとっては90歳を超えた老婆に、ある者には人では在らざる姿に見えたと証言した。
今代の聖女様も子孫を残されることはなかった。
兎にも角にも聖女様のことで煩わされることはなくなった。
大凡300年は聖女が落ちてくることはないらしい。




