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嫌われ魔法科生ですが、なぜかメロい騎士ランキング一位に執着されています

作者: 椎名さえら
掲載日:2026/03/24

「今年の『メロい騎士ランキング』またシアンが一位ね」

「あったりまえよ、シアン以外ありえないわ」

「そうよ、シアン一択に決まってる」


 ここは王立レガリア学園。

 選ばれた十代の少年少女たちが騎士科と魔法科で学ぶ、王立屈指の名門である。


 一学年あたり、騎士科に百名、魔法科生はその半分が在籍している。四年の過程を経て騎士科を卒業すると、多くの者が王宮の近衛試験を受け、近衛騎士として取り立てられる。魔法科も同様で、卒業生の多くは王宮魔導師として雇われることがほとんどだ。


 生徒は貴族の子息子女が大多数ではあるが、例外もある。

 入学試験が設けられ、有望だと判断されると、平民でも入学が許される。出世した卒業生たちが寄付をするため学費は最低限におさえられており、また奨学金もおりやすく、平民でも問題なく学べるのだ。


 騎士科はとりわけ王宮と結びつきが強く、卒業の年に騎士科の首席は、王に謁見し、願いを一つ申し出ることができる栄誉が与えられる。そのため年度末に一度、様々な分野の順位ーー学生たちはランキングと呼んでいるーーがまとめて発表されるわけだが、その中に『メロい騎士ランキング』があるのはご愛嬌だ。ご愛敬といいながらも投票するのは学園に所属している学生や教師、事務員までと幅広いので、実質人気投票といっても過言ではない。


 そして今日は、年度末で『総合ランキング』を含めた各種ランキングが発表された。

 学園の本校舎前の広場にある掲示板の前で、シアンを取り囲んだ騎士科の女子たちが黄色い声をあげ続けている。周囲の人間は「またか」と慣れた様子で、気に留めてもいない。


「ねーえ、シアン! 聞いてるの? 今年も『メロいランキング』一位ってどんな気持ち?」


 騎士科の制服である紺色のジャケットに身を包んだシアンは、掲示板を見上げたまま、答えた。


「どんな気持ちも何も、俺には関係ない。大事なのは『総合ランキング』だ」


 『総合ランキング』は、剣技などを含む実技、また座学の成績をあわせた順位で、学年別に十位まで発表される。ちなみに『メロい騎士ランキング』はさすがに『総合ランキング』の成績には含まれない。そして卒業の年に『総合ランキング』で一位を取ると、王に謁見できる権利をもらえるのだ。


「もーーー、ほんとうにーーーそういうところーーー!!」

「色気やばーーー」

「『総合ランキング』だってちゃんと一位じゃん!」


 女子生徒たちはさらに黄色い声をあげる。


「今年一位でも、来年一位じゃないと意味がない」


 そう言うとシアンはその名の通りに、シアン色の瞳を眇めた。

 彼は銀色の短髪に、涼やかな美貌の持ち主だ。紺色のジャケット、白いシャツに黒のパンツという騎士科の制服を着ているだけなのに、まるで最先端のお洒落を着こなしているかのようだ。


「シアンが騎士科初の、平民出身の『総合ランキング』一位になるに決まってる!」


 平民出身。

 そう、シアンは平民だった。

 家柄などものともせずに、実力だけで成り上がってきたのだ。


「もぉぉ、本当にかっこいいんだから!」


 一人の女子学生がシアンの腕に自分の腕を絡めようとしたが、シアンはさりげなくそれから逃れた。彼女は残念そうな顔をしたが、他の女子生徒に後ろからつつかれて、舌を出す。

 シアンは今年十七歳、来年が卒業年。確かにこれからの一年が正念場だろう。


「でも、シアンって、入学時からずっとそう言ってるけどさ、どうしてそこまでして陛下に謁見したいの?」

「貴族の身分がほしいの? だったら私と結婚したら、貴族になれるよ! うち、伯爵家で、跡取りが他にいないからさ!」

「ずっる、そういう抜け駆けはよくないよ!」


 きゃあきゃあ女子たちが話す中、後ろからぽんとシアンの肩を叩く者がいた。シアンが振り向くと、友人のアルド・ノックスが立っていた。アルドは伯爵家の出だが、シアンが平民でも関係なく親しくしてくれる。


「よ、シアン。『総合ランキング』一位、おめでとう」


 かくいうアルドは、『メロいランキング』は十位、『総合ランキング』五位で優秀な成績だ。


「アルドか。アルドもおめでとうな」

「はは、ありがとな。まぁ俺は別に一位を目指していないけど、嬉しいものだな――今年もお前の頑張りに感化されたよ」

「そう言ってもらえると俺も張り合いがある」


 シアンは友人相手だとリラックスした表情になる。その顔が素敵だと女子たちがきゃあきゃあ騒いでいるとアルドが苦笑した。


「君たちも凄いね、全然相手にされていないのに」

「アルド、うっざ。シアンはみんなのものだからこれでいいの!」

「ほんと乙女心を分かってないわね。だからアルドは『メロいランキング』十位なのよ!」

「誰かのものだったら『メロいランキング』に入らないのよ? こうして孤高でいてくれるから、推せるんだから」

「あー、はいはい」


 アルドがぽりぽりと耳の後ろをかいた。それから声を落として、シアンに囁いた。


「ラズロがこっちを睨んできてるぞ。あいつ、また二位だったからさ」

「ああ、分かっている」

 

 ラズロ・ノクティスは、ノクティス伯爵家の次男で、シアンやアルドと同じ十七歳。優秀ではあるが、あと一歩がシアンに及ばず、入学以来何かと悪絡みされている。


「ラズロんちは、兄貴が卒業時に『総合ランキング』二位だったらしいから、自分こそ一位を取って兄の鼻をあかせてやりたいんだろうけど……逆恨みもいいところだよな」


 ちなみにラズロは『メロい騎士ランキング』は圏外である。シアンは肩をすくめるばかりで、アルドも鼻を鳴らすだけだった。


「ま、あんなヤツは放っておいて、教室へ行こうぜ」

「ああ」


 だがそう答えたシアンの視線は、明らかに広場の奥へ向けられていた。アルドや女生徒たちも、つられるようにその視線の先へ目を向ける。


「うげ、魔法科の嫌われアイリスじゃん」


 女子生徒の一人が、嫌そうに顔をしかめた。


 広場を横切ろうとしていたのは、身体に明らかに見合わない大きな茶色のフードを、頭からすっぽりとかぶった小柄な女子生徒だった。下手をすれば地面を擦りそうなほど大きなフードのせいで、顔はほとんど見えない。かろうじて鮮やかな赤色の巻き毛がのぞいているだけだ。 


 魔法科の生徒は、薬草や魔石を日々扱うため、各々フードを着用するのを許可されている。だがここまで大きなフードを着用しているのはアイリスしかいないから、かなり目立つ。


 アイリスの隣には、目が覚めるほどの中性的な美貌を持つ男子生徒がいる。肩までの銀色の髪を持つ彼も灰色のフードをかぶっているが、その端正な顔立ちは隠しきれていなかった。


「アズール・ルヴェインじゃない……、魔法科で人気も実力も一位の彼がなんで嫌われアイリスにべったりなのかしら」


 魔法関連は単純に比較できずに、よって騎士科のように年度末発表される順位こそない。が、時々張り出される魔法学など座学の順位は、常にアズールが一位。それに加えてあの美貌の持ち主。『メロい魔法科生ランキング』があったら、上位であることは間違いないだろう。


「アズールだったら、魔法科じゃなくて、騎士科の女子生徒でも選び放題でしょうに」

「アイリスって、ガチで感じわるいよね? 合同の授業でも、同じグループになった子が、すんごい罵られたって聞いた」

「うわ、聞いたことある。なんだっけ? 魔法科なら分かるだろうに、答え教えてくれなかったんだっけ? しかもあいつ、アズールほどじゃなくても成績良い方なんでしょ?」

「自分でやりなさいとか言われたらしいけどさ、魔法科のくせに、生意気だよね? 騎士科に何いってんだって感じぃ。やっぱ赤毛の女って気が強いってホントなんだねー」


 騎士科の生徒は、基本、体力のない魔法科の生徒を下に見ている。


 騎士科と魔法科にはいくつか合同の授業があり、場合によっては共同作業をする必要があり、その時のアイリスの言動が気に食わなかったとそれで一気に嫌われる対象となった。


「しかも本人、嫌われてるのに全然気にしてませんって態度でさ。余計にムカつくよね」

「まー、どうせあんな子、王宮の雇われ魔道士にはなれないって。面接で首だよ。それに顔見たことないけど、絶対にブスだって」

「だよねー……あ、いつの間にかシアンいなくない!?」


 女子生徒たちが気づいた時には、シアンはすでにアルドと共に教室へ向かっていた。



  ♱ ♱ ♱



「うわ、また凄い見られてる」


 隣でアズールがそう呟いたので、魔法科三年生のアイリスはフードの下でエメラルド色の瞳を瞬いた。


「見られている?」

「シアンだよ、シアン。『メロい騎士ランキング』一位の」


 シアンという名前を聞いて、アイリスは唇をきゅっと噛み締めた。


「彼、いっつもアイリスを見ているよね?」

「そうかな? 気づいていなかった」

「まさか、あんな視線に気づかないってことある?」


 そこでアズールが言葉を切った。


「うわ、僕、視線で殺されそうじゃない?」

「殺される?」


 聞き捨てならなくて尋ね返すと、アズールが笑った。


「なんでもない。さ、授業に遅れるから行こうか」

「うん」


 ちらっと、掲示板の方へ視線を送ると、シアンは友人の騎士と踵を返したところだった。


 北の地方出身のアイリスは魔力の素質を認められて、この学園への入学を許された数少ない平民のうちの一人だ。十四歳で親元を離れ、学園が準備してくれた寮で生活し、魔法科の生徒として学業に励んでいる。


 入学当初から大きなフードをかぶった小柄なアイリスは確かに目立っていた。

 そしてアズールは、入学当初からの友人である。

 最初に取ったクラスで、席が隣同士だったのだ。話してみれば、穏やかな人柄と物腰で、好感を抱いた。有力な侯爵家の三男である彼は、生まれた時から人よりも豊かな魔力を持て余していたという。そんな彼がめきめきと魔法科で頭角を現していったのも当然のことだった。


 残念ながらアイリスは、そこまで優秀ではなかった。


 平民育ちの彼女は、貴族と話すための言葉遣いも知らなかったし、そもそも学力自体が貴族出身の他の学生たちより明らかに遅れていた。入学してから今まで、彼女はとにかく懸命に学んでいる。そんなアイリスに、アズールを筆頭に、周囲の魔法科の生徒たちは親切だった。魔法科の生徒たちは、いい意味で他人に干渉しない。やる気さえあれば、平民でも貴族でも受け入れるおおらかな気風がある。


 ある日、魔法科と騎士科の合同授業で回復魔法について学んだ際、本来はグループ全員で実習を試すこととなった。


『貴女、回復魔法だけは得意らしいじゃない?』

 

 そう高飛車に言われ、すべてをアイリスに押し付けようとした騎士科の女子生徒に


『皆でやるべきでしょう? 合同授業で取り上げられるということは、この魔法が騎士科でも学ぶ必要があると判断されているからではないですか?』


と、言い返したことは、今でも後悔していない。それはそれまで、どれだけ人よりも遅れていても追いつこうと必死に学んできたアイリスには、ありえないことだったからだ。


『私を誰だと思っているの!?』

『知りません』

『は? 私、侯爵家の出なのよ?』


 その女子生徒は身分を盾にアイリスを罵った。


『なんなの、この平民が』


 けれどそこで、アイリスと女子生徒の前に立ちはだかった人がいた。


『よくないな、それは』

『シ、シアン!?』


 女子生徒が一気に青ざめる。アイリスはぽかんとしながら、大きな背中を見上げるばかりだった。


『平民だからと押しつけるのは、平民の俺には聞き捨てならないが?』

『あ、それ、は……』

『騎士科に恥をかかせるな』


 それだけ言うとシアンは振り返ることもせずに自分の席へと戻っていった。

 女性生徒はその場では顔を真っ赤にして、黙り込むばかりだったが、シアンが介入したことで、余計に面目を潰されたと感じたらしい。影ではアイリスを悪者にして騒ぎ立て、今や騎士科の女子生徒たちに「嫌われアイリス」と蔑まれていることも知っている。


 が、外野が何を言おうと、何の痛手にもならない。 


 それに――。


(私には『目的』があるから)


 アイリスは、茶色のフードの縁をぎゅっと握りしめた。



 ♱ ♱ ♱



  その夜、アイリスは人気のない構内を早足で歩いていた。


 手にいっぱいの本を抱え、まっすぐ寮を目指す。図書館で勉強していたら、あっという間に閉館時間になってしまった。


 入学当初は毎日数時間の復習をしないと授業についていけなかったアイリスも、最近はようやく追いついてきた。それで自分が極めたい分野に一心不乱に打ち込めるようになったのだ。


 そうして寝食を忘れて勉強に打ち込むアイリスを見かね、いつもは頃合いを見て一緒に帰ろうと誘ってくれるアズールは、今日は所用で実家に戻っている。


(さ、部屋で続きをしよう)


 夕食のことなど忘れて、図書館から借りてきた参考書をぐぐっと握りしめる。


 と、そこで。


「わっ!」


 突然大きな石ころにつまずき、彼女の体がぐらりと前に傾いた。引きずりそうなほど大きなフードと、抱えた本のせいで、体勢を立て直せない。 


(転ぶ……っ)


 魔法を使うことも忘れ、咄嗟にアイリスはぎゅっと目を瞑った。


 次の瞬間、腹に力強い手が回される。


「アイリスッ!」


 低い声が耳元で響き、アイリスは目を見開いた。


「……、シアン……?」

「ああ」


 シアンがあぶなげない手つきで、彼女を立たせてくれた。アイリスは慌てて辺りを見渡した。幸い、周囲には誰もない。ほっとしてから、シアンを見上げる。三十センチは身長の高いシアンが目の前に立つと、まるで壁がたちはだかっているかのようだ。


「あ、ありがとう。助かった」


 素直にお礼を言えば、シアンが苦笑した。


「昔から変わらないな、アイリスは。何もないところで転けるのが上手なところが」


 昔から。


 そう、実はアイリスとシアンは、同郷の幼馴染である。


 お互い平民で、家もご近所、親同士も仲良く、同い年の腐れ縁。故郷にいるときは、親友といってもよかった。何の因果かこうしてお互いに同じ学園で学んでいる。

 

 かたや騎士科のトップで将来有望、かたや嫌われ魔法科生だけれど。


 入学式は一緒に迎えた。


 けれど、いざ授業が始まると、科も違えば、性別も違う。

 シアンはあっという間にたくさんの友人たちに取り囲まれ、また女子生徒の人気も凄まじかった。最初の頃はシアンもアイリスを見かけると、話しかけようとしてくれていたが、女子生徒たちの目が怖くてアイリスが避けた。そういうことが続いて、彼も話しかけてくるのを諦めたようだった。


 だからこうして親しく話す機会は、入学してから三年目で、初めてのことだ。


 だが顔を合わせれば、やはりそこは幼馴染。

 瞬時に故郷の時代に戻る。

 助けてもらったのも忘れて、むっとしたアイリスは唇を尖らせた。


「見て、石があったの! 何もないところで転んだわけではないよ」


 本を抱えているために指差せないが、アイリスの足元には確かに大きな石が転がっている。


「そうか」


 シアンが危ないとその石を取り上げると、道端の奥へと放り投げた。たったそれだけの仕草なのになぜか様になる。騎士科の女子生徒たちが見たら間違いなく卒倒するだろう。さすがメロい騎士ランキング一位。


「今夜は一人なのか? お前にいつもべったりの護衛は?」


 シアンの言葉遣いが取り立てて上品ではないのは今に始まったことではない。

 だからアイリスも言葉使いなど気にせず、気楽に返事をした。


「護衛ってアズールのこと? アズールは実家……っていうか、そういう風に言うのは失礼だよ。アズールは私がつい時間を忘れちゃうから、心配してくれているのに」

「ふうん」


 どこか含みあるような声がして、アイリスはぱっとシアンを見上げた。


「なに?」

「なんでも」

「なんでもないって顔じゃないけど」


 ここ数年、遠目でしか姿を見ていなかったが、彼のことはよく知っているつもりだ。


「別に――おい、本を持つから貸せ」

「あ」


 勝手に抜き取られてしまい、手がからっぽになる。


「寮まで送る」


 さすが鍛え上げられた身体を持つ騎士科生。

 あの重い本を何なく抱えてしまった。


「いや、それは――」

「なんだよ。お前の護衛は毎日してることだろ。なんで俺がしちゃいけねんだよ」

「しちゃいけないっていうか、ほら、シアン、『メロいランキング』一位じゃん……、ランキング一位様に送ってもらえるような身分じゃないっていうか。見られたら困るっていうか、噂になったら、『嫌われ魔法科生』の私はいいけどシアンにめちゃ迷惑かかるし」


 おたおた答えると、シアンがくしゃっと顔を歪めた。

 

(うわー、機嫌悪いときの顔。懐かしいなぁ)


 そしてこの顔をシアンがするということは――。


「お前を『嫌われ魔法科生』って言うようなやつらのことを気にする必要なんてない」


 きっぱりとシアンが言い切る。


(仲間思いなんだよねえ、シアンって)


 子供の頃を思い返す。


 幼い頃から身体の大きかったシアンは、いわゆる近所のガキ大将的存在だった。正義感が強くて、まっすぐで、ぶっきらぼうだけど優しくて。シアンの弟も、アイリスの兄も、シアンのことが大好きだった――もちろん、アイリスも。


(久しぶりだけどこうやって今でも親しく話してくれるシアンはやっぱり仲間思いだな……今や、『メロいランキング』だけじゃなくて、『総合ランキング』一位の将来有望株だもん。きっと……、来年は王様に謁見して……、貴族のご令嬢とのご婚約をもらって……、近衛騎士になるんだろうなあ、シアンは)


 立派な騎士服に身を包んだシアンの隣に立つのは、清楚な、豪華なドレスを着たご令嬢だろう。少なくとも、こんな大きな茶色いフードを着たアイリスのわけはない。

 道端で転倒するような。

 お化粧の仕方もろくに知らないような。


 ちくちくちくちく。

 鋭い針で刺されるかのように、胸が痛む。


「送るけど、構わないな?」


 探るように尋ねられ、アイリスははっとして顔をあげた。フードがずれ、彼女の顔が顕になる。エメラルド色の瞳と、シアン色の瞳がまっすぐにぶつかった。


「―――ッ」


 シアンが息を呑み、黙り込む。


(どうしたんだろ……?)


 そこでアイリスはフードがずれたために自分の顔が露出していることに気づいたが、シアンはもちろん彼女の素顔を知っている。今更慌てて隠すこともない。というか、もともとアイリスは自分の顔を隠しているつもりはない。このフードをかぶりたいからかぶっている。それで顔が隠れているからそのままにしているだけだ。


「どうしたの、シアン?」

「……いや、久しぶりにお前の顔をみたら……、やっぱ……」


 なんだかごにゃごにゃ言っている。


「やっぱ? やっぱ、何?」

「〜〜、なんでもない。とにかく送るけど、いいな。さあ、行くぞ」


 強引に切り上げられる。


「うーん……、じゃ、人がいたら、離れてね?」

「気にするなって言ってるだろう」

「でも……」

「お前に迷惑はかからないようにするから、俺の好きにさせてくれ」

「う、うん、まぁそこまで言うなら……わかった」


 学園から魔法科の女子寮までは歩いて十分ほどだ。

騎士科の寮は練習場を併設しているため、十分な敷地を確保できるよう、さらに離れた場所にある。しかも位置も学園を挟んで正反対なので、送らせて申し訳ない気がした。


 が。


(言っても聞かないだろうしな)


 シアンは意外に強情で頑固だ。

 きちんとした倫理観を持っているから、人の道に外れたことはしないけれど、こうして言い出したら聞きゃしない。

 『メロいランキング』一位の彼にこんな側面があるなんて、まとわりついている女子生徒たちはきっと知らないだろう。なんて。


(っていけない、嬉しいって思っちゃ、だめだったら)


 アイリスは自分を諌めた。


「それでここ数年どう過ごしていたんだ?」

「あ、それは……」


 アイリスは入学してからのことをかいつまんで話す。アズールの名前を出すたびにシアンが舌打ちをするのが気になったが、彼を始め、どれだけ魔法科の生徒たちが助けになってくれたかを話すと、最終的に頷いた。


「なるほど、じゃあ感謝するしかないな」

「そうだよ、感謝するしかないんだよ! みんなのお陰で、最近やっと授業に追いつけたんだよ。座学の順位表に時々載るようになったんだから――下の方だけどさ」

「それはお前が努力したからだろ。よくやったな」


 シアンが片手に本を持ち、片手でぽんとアイリスの頭を撫でた。まるで子供にするかのような仕草だったが、今までの頑張りを認められたかのようで、素直に嬉しかった。


「えへへ!」


 笑うと、シアンの手がぴたっと止まった。そのまま大きな手でがしっと頭をつかまれる。


「い、いたいいたいいたい」

「おいアイリス、その顔をルヴェインの前でやってないだろうな」

「え? アズールの前で? その顔? その顔って何?」

「笑顔だよ笑顔」

「ってか、めちゃくちゃ痛いから手をどけて」


 びしっとシアンの手を跳ね除けてから、アイリスはうーんと考え込んだ。


「笑顔にはなるよね、普通に」

「なるのか!?」

「なるよ、そりゃ。魔法に失敗して大爆笑とかあるあるじゃん」

「あるあるなのか……」


 フードがあるからどこまで見えているかは分からないが。

 しかしどうしてかシアンががっくりと肩を落としている。


「俺は違う科に入学しても、同じ学園なんだからもっと交流があると思っていたんだ。まさかこんなに断絶されているとは思いもしなかった」

「それはそうだね」


 アイリスも頷いた。


 それくらい騎士科のエリート意識が強すぎるといえる。魔法科生たちはのんびりした質が多いが、さすがに馬鹿にされるのを許すほどお人好しではない。というわけで、合同授業以外に、騎士科と魔法科が共に行動することは滅多にない。だからこそシアンとはほとんどすれ違うことがなかったのだ。


「しかも休みにも、お前、地元に帰らないからさ」


 学園には、春、夏、秋と冬にそれぞれ休みがある。夏休みだけが二週間、他はすべて一週間だ。


「うん」


 アイリスはゆっくりと頷いた。


「休み中なら少しはゆっくり話せるかなと思ったけど、ずっと寮に残って勉強してたんだろ? おばさんが心配していたぞ」

 

 二人の故郷はここから乗合馬車を使って、数日かかる。一週間の休みなら二日しか滞在できないが、夏休みならば一週間は滞在できるから、さすがに家族も戻ってくると思っていたようだった。

 

「手紙でのやり取りはしているよ」

「それも聞いた。で、俺にアイリスはどう過ごしているのかって聞かれたから、元気そうだよとは言っておいたけどな――俺もお前と話せてなかったし、チャンスうかがってたけどあの邪魔な護衛(ルヴェイン)がずっとひっついてたし」

「そうだったの?」


 早口で付け加えられたそれに目を丸くした。

 するとシアンが「おばさんのためにな!」と言ったので、それもそうかと納得する。


「確かに不義理しちゃってたけど、もうちょっとでやっと……少しは、いい感じになりそうなんだ、勉強がさ」


 だがそう言うと、シアンの表情が和らぐ。


「そうか」


 そう言うと、シアンがもう一度そっと頭を撫でてくれる――頭というか、茶色のフードを。


「シアン、気付いた?」

「当たり前だろ」

「そりゃそうだよね」


 ふう、とアイリスは深い息をついた。


「きっとおじさんも喜んでくれるよ」

「うん」


 アイリスの父は、彼女が十歳の頃、謎の病で命を落とした。

 高熱が続き、身体が痙攣し、咳が止まらない。町医者は、今まで見たことのない症例だと診断した。手を尽くしてくれたが、数カ月の闘病のあと、父は亡くなった。

 アイリスの父は、無骨な人で、物静かだった。家具職人だった父はかんなとのみを振るって、見事な家具を次々と作り上げていった。まるで魔法のように。

 アイリスは父が働いている姿を見るのが大好きだった。


 職人らしく頑丈な身体つきをしていた父が、みるみるうちにやせ衰えていく様は、アイリスに凄まじい衝撃を与えた。弱音を吐かない父が、母にだけはもうだめかも知れないと言い、母が夜通し泣いていたことも知っている。


 そうして家族が闇に飲み込まれそうになった時、アイリスを支えてくれたのは他でもない、シアンだった。シアンはアイリスに寄り添い、ずっと手を握ってくれていた。父の命が消え入ろうとしているときも、お葬式でも、亡くなった後に喪失感に苦しんでいたときも。


 だからアイリスは家族の他に、シアンにだけは話したのだ。


『医療魔法士ってのがあるんだって』


 もともと、故郷の学校で学んでいるときに、教師にアイリスには生まれ持っての魔力が認められる、と言われていた。魔力を保持しているのはそれだけで才能だと、その教師は言った。他の家族にはなく、何故かアイリスだけだったので両親はとまどっていたが、よければこの能力を伸ばしてやってくれ、と教師は続けた。


 父が亡くなるまで、アイリスには自分の魔力をどうするつもりもなかった。

 魔法の使い方も知らなかったし、普通に暮らしていれば自分の中に眠っている魔力を感じることもない。


 だが。

 父の主治医が言っていたのだ。


 『医療魔法士ならば、助けられたかも』と。


 父が亡くなってしばらくしてそのことを思い出して調べてみた。そして知ったのは医療行為が出来る魔法士であれば、普通の医者よりも助けられる命が多いことだった。

 もちろん、万能ではない。

 だが魔力を使って症状を迅速に判断し、そのため適切な治療を施せる可能性があがるという。

 とはいえ、国が定めた「医療魔法士」の試験は相当難解で、現状国に何人もいない。そのため数少ない「医療魔法士」は貴族のお抱えばかりで、金払いの良くない平民は診てくれない。


 ならば。

 自分が平民を診る「医療魔法士」の、初めの一人になればいい。


 そして「医療魔法士」の試験に受かる最短ルートが、王立レガリア学園で学ぶことと知った彼女は進学を目指すことにした。


 だからアイリスは、学園の卒業生のほとんどが夢見る王宮お抱えの魔法士には興味がなく、いずれ故郷に戻って、診療所を開き、父のような人を一人でも多く助けたい。

 それがアイリスの夢だ。

 そのためにアイリスは必死に学んで、王国の定める「医療魔法士」の試験のために精進しているのだ。


 そしてアイリスが着ているこの茶色のフード。


 これは、父が好んで着ていたフードだ。だからこそサイズが合わなくとも、アイリスはこのフードだけを着る。父のことを側に感じることができるように。くじけそうになった時に、何が自分をここに向かわせたのかを忘れないように。


 アイリスはそこで切り替えるように、幼馴染に水を向けた。


「それで、シアンは? シアンこそ凄いじゃん、騎士ランキング軒並み一位でしょ?」


 シアンは、アイリスが王立レガリア学園に進学したいと打ち明けてしばらくしてから、自分も同じ学園に行きたいと言い始めた。驚いたものの、気心の知れたシアンと一緒にいられるなら、とアイリスは歓迎した。身体が大きく聡明なシアンには適性があると周囲も挑戦することを応援した。そして実際、素晴らしい成績を修めている。


 だが、『総合ランキング』一位は、並大抵の努力では到達できるわけがない。

 しかしシアンはさもたいしたことのないように、あっさりと首を傾げた。


「たいしたことはないな。騎士は、身体が大きければある程度有利だしな。そういう意味では俺はラッキーだった」

「まさか、そんなわけないじゃん……! 勉強もめちゃくちゃがんばったはず!」


 座学に至っては文字をまともに学び直すところから始めているはずだが、実技もろくに型や規範を知らないままに入学しているのだから、一から学んでいるはず。彼は自分の功績には頓着した様子を見せないが、その裏には凄まじい努力があるのを、同じ立場だからこそアイリスは痛感している。


「普通だよ」


 シアンの耳がさっと赤くなる。


(変わらないな、シアン――こうやって褒めると、照れちゃうところ)


 ほんわかしながら、アイリスは微笑んだ。


「来年『総合ランキング』一位だったら、陛下に謁見できるんでしょ? 何かお願いしたいことがあるの?」


 軽い口調で尋ねた。

 するとシアンが真面目な表情になって、頷く。


「ある」


(え……?)


 まさか本当にあるとは思わず、アイリスは唾を呑み込んだ。


「あるの? 陛下にしか叶えられないこと?」

「ああ、そうなんだ」


(なんだろ……? あ、もしかして――)


「結婚のお願いとか?」


 そう言えば、どうしてかシアンの顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。今まで幼馴染のこんな表情を見たことがなかったアイリスは呆気に取られて彼を見上げていた。


「なんでもいいだろ」


 誤魔化されるように切り上げられ、シアンが思いを語るつもりがないことを知った。


(……待って、そういえば……)


 いつだったか忘れたが、確か二年ほど前に、アズールが言っていたことがある。


『あんなにランキングにこだわるって、シアンはもしかしたら第四王女殿下との婚姻を認めてもらいたいんじゃないかな?』

『第四王女殿下?』

『この前、騎士科に視察にきていたときに随分シアンのことを気に入っていたらしいよ。めっちゃ美少女だったらしい。それにちょうど同い年だし、ぼちぼち婚約を結ばなきゃいけないんだろうけど――末っ子だから陛下が猫可愛がりしているらしくてさ、まぁ将来近衛騎士団長になれる素養があるシアンを婿に取るなら、娘を手元においておけるからちょうどいいかもしれないね』


 うんうんとアズールが納得したように頷いた。


『そっか……なんかすごい話だね』


 ではシアンもその時に第四王女に一目惚れしたのだろうか。


『まぁ僕のただの推測だけど。でもその時に邪魔になるのが身分だろ? だから卒業時に騎士科の首席だったら、文句がでないんじゃないかな』


(私ったらなんでそんなことを忘れていたのかな)


 あまりにも現実味のない話だったので今まで忘れていたけれど、このシアンの照れようをみていれば、真実かもしれない。


 ちくちくちくちく。

 再び針で心臓を刺されるかのような痛みを感じる。


「…………うまくいくといいね」

「ああ」

「お互い、がんばろうね。卒業まであと一年だもん」

「そうだな」


 そこで寮の外門が見えてきて、アイリスは両手を彼に差し出した。


「本を持ってくれてありがとう、助かったよ」

「なら、よかった」


 シアンに返された本を、抱きしめる。みるみるうちに、とある衝動が湧き上がる。


(今、シアンに自分の気持ち、伝えちゃおうかな)


 次にいつ話せるかは分からない。


 だが、アイリスはすぐに考えを変えた。


(ううん、いいや、やめておこう。シアンの邪魔はしたくない)


 幼馴染の未来は、間違いなく輝いている。

 アイリスは今夜のことをきっと忘れないだろう。もしかしたら将来、第四王女と結婚したシアンのことを思い返したりするときにも、今夜のことは思い出すはず。


(このまま綺麗な思い出にしたい)


 これで十分だ。


(笑おう――これが最後になってもいいように)


 アイリスはゆっくり微笑んで、シアンを見上げた。


「じゃあ、またね」


 それからすぐに踵を返すと、外門に向けて走り始めた。


「アイリス!」


 数歩いったところで声をかけられ、振り返る。


「またな」


 ズボンのポケットに両手をいれて立っているシアンを、アイリスは一生忘れないだろう。



 ♱ ♱ ♱



 その夜を最後に、アイリスとシアンが親しく会話をすることはなかった。

 それでも、ふとした瞬間に視線が交錯する。


  例えば広場で、教室で、通りの片隅で。


 視線に気づいて顔を上げると、シアンがこちらを見つめていることがある。互いにそれぞれの友人たちに囲まれているため、言葉を交わすことはないけれど。


 けれど目が合えば、それだけで分かることがある。

 シアンは自分のことを変わらずに友人として大事に思ってくれている。


 それだけで、十分だった。



 ♱ ♱ ♱


 卒業まであと一月といったその時。


 騎士科のランキングの発表もそうだが「医療魔法士」の試験も間近に迫ってきていた。学園を卒業した二週間後に予定されているため、その夜も遅くまで図書室で勉強していたアイリスの元へ、アズールが走り込んできた。


「アイリス!」

「わ、どうしたの?」


 普段はおっとりしているアズールが血相を変えていて、絶句してしまう。


「シ、シアンが……っ」

「シアン?」


 あれからアズールにだけは、シアンとは同郷の幼馴染だとは伝えていた。当時は親しかったが、入園してからは疎遠になったことを。その時のアイリスの口ぶりで、察しの良いアズールは、全てを理解していたと思う。アイリスのシアンへの気持ちも、シアンの騎士としての道を応援するつもりだということも。


『何も伝えないのも美徳だとは思うけどさ、アイリスはそれで後悔しない?』


 そう聞かれたが、聞こえないふりをした。友人は、それ以上は聞いてこなかった。そんなアズールだからこそ、アイリスは信頼しているのだ。


 そのアズールが、はあはあと荒い息を吐きながら、明らかに焦った様子でシアンの名前を口にした。


(シアンに何があったの?)


「シアンが、闇討ちにあった! あ、足をやられてしまって、医療魔法士が治療にあたってるけど、今、昏睡状態で――アイリスを呼んでるらしい」

「え……っ?」


 がたん、とアイリスはその場で席を立った。


「ここは僕が片付けておくから、い、医務室へ行って!」

「ありがとう、アズール!」


 一瞬たりとも迷わなかった。

 アイリスは振り返ることなく図書室を出て、学園の医務室へと向かった。


(ど、どういうこと、闇討ち、闇討ち……、足を、やられて……? 昏睡状態……!?)


 胸の中を不安が渦巻く。


 医務室の前の廊下には、シアンの取り巻きの騎士科の女子生徒たちが不安そうな表情で立ちつくしていた。皆口々に「シアンが、シアンが……」と喚いている。

 彼女たちの間をすり抜けるようにして、アイリスは医務室の扉に突進した。


『え、この綺麗な子、誰?』

『シアンの何……、っていうか、待って、この茶色のフード!?!??!』

『嫌われアイリス!?!??!?』


 彼女たちに稲妻のような衝撃が走る。

 だがアイリスにはそんな声など耳に入らない。


 医務室の扉を開いたアイリスは、フードがほぼ脱げていることに気づきもしていなかった。それよりも彼女の視線は、ベッドにぐったりと横たわったシアンにのみ注がれていた。


「シアン……?」


 幼馴染の名前を呼ぶ。

 赤色の巻き毛に、大きなエメラルドの瞳、つんと上を向いた鼻、ふっくらとした唇、アイリスの色白の肌は走ったためほんのりと上気している。


 医務室に居た面々は、突然の美少女の登場に言葉を失った。


「え、だ、だれ、この、び、びじん……、え、茶色のフード、え、え、え、アイリス!?」


 アルドが呟いた。

 先に我に返った医療魔法士が、アイリスと聞いて、彼女を手招く。


「君が、魔法科のアイリスかい?」

「はい。あの、先生、シアンは?」


 ダークグレーのフードに黒縁の眼鏡をかけた医療魔法士は冷静だった、


「幸い、命はとりとめたよ。ここにいる彼の友人がすぐに運んできてくれたからね」


 そう言われると、アルドが悔しそうに唇を引き結んだ。


「まさか。俺は大して役に立ってなんていない。力が及ばなくて、シアンを助けてやれなかった」


 聞けば、アルドと共に寮に戻る途中、シアンがいるせいで常に「総合ランキング」二位の騎士科生ラズロが、恨みつらみをこじらせて、黒魔法を使って、襲ったとのことだった。


 地面から黒い手が伸びてきたかと思うと、足首に絡みつき、魔力を送り込んで、シアンの動きを鈍らせた。そうして動きを止めたところで、無数の刃が地面から現れ、シアンの両足を何度も何度も突き刺した。シアンとアルドでなんとか右足に絡みつく刃は薙ぎ払った。だが左足は――。


 それ以上詳細は語られなかった。けれど医療魔法士とアルドの顔から、凄惨な現場をうかがい知ることができた。アイリスはぎゅっと両手を握りしめる。


(シアン……)


 アルドの剣に黒魔法の痕跡が残っていたおかげで、ラズロは直ちに捕まった。即刻退学処分が決まり、それと同時に、シアンへの攻撃に対する厳罰も科されることになるという。


「今日に限って、シアンは魔法返しの防具を友人に貸していて、所有していなかった。きっとそれをラズロは知っていたんだろう。なんて姑息なやつなんだ」


 アルドが呻いた。


「先生……、シアンの、足は治りますか……?」


 アイリスが尋ねると、医療魔法士の表情が一際暗くなる。


「右足はある程度機能は戻ると思う。だが左足は……、もしかしたらもう動かないかもしれない。先ほどから回復魔法を送り込んでいるんだが、一向に反応をしないんだ。これはあまり良い兆候とは思えない」


(シアンの、左足が、うごかない、ですって……?)


 がらがらと足元の地面が割れて、奈落に落ちていくような気がした。


(だったら騎士、ランキング、一位は……? もう、無理……? シアンの夢だったのに?)


 アイリスは力なく、その場に膝をついた。


「だ、大丈夫か!?」


 彼女が気を失いかけたのかと思ったらしいアルドが慌てて支えてくれた。


「魔法返しを持っていなかったせいで、黒魔法の影響を直に受けてしまって、今は意識が混濁している。うなされながらも君の名前を何度も呼ぶから、君に来てもらう事にした」


(私の名前を……? どうして……?)


 アイリスはシアンのベッドまで這うようにして近づき、彼の手をぎゅっと握った。

 アイリスの手をすっぽり覆うくらい大きくて、剣だこの出来た手。どれだけ彼が立派な騎士になろうと努力を重ねてきたのかを物語る手を、彼女はしっかりと掴んだ。


「シアン、アイリスだよ……、呼んだ? ねえ、シアン……起きて」


 ぎゅうっと握りしめながら、振り絞るように呼びかける。


「シアン、シアン、ねえ、シアン……ッ」


 名前を呼ぶ度に、アイリスの声に必死さが帯びる。すると応じるように、固く閉じられていたシアンの瞼がぴくぴくと動き始めた。背後で「さっきまで何をしても反応しなかったのに……!」と医療魔法士とアルドが驚いている。


「起きて、ねえ、シアン……っ」


 何度目かの呼びかけの後、ゆっくりと金色のまつ毛で覆われた瞼が開いていき、よく知るシアン色の瞳が現れる。


「ア、イリス……?」

「シアンっ……!」


 彼の顔を覗き込むように身を乗り出したアイリスの頬に、シアンは空いている方の手を伸ばし、そっと触れた。


「夢か……?」

「ううん、夢じゃない」


 それまでぼんやりとしていたシアン色の瞳に、光が戻る。


「ああ、そうか。俺、やられちまったんだな……」


 それからシアンはため息をついた。


「ごめんな、アイリス」

「……、ごめん?」

「俺……、『総合ランキング』一位はもう取れそうにねえや……」

「え……?」


 ぽかんとしてアイリスはシアンを見つめた。シアンの顔は、今まで見たことがないくらいに、絶望に染まっていた。


「俺、聞いたんだ。王国には、何でも願いを叶えてくれる茶色の本ってのがあって、陛下はその存在を知っているって……それで『総合ランキング』一位を取って、その本を一度使わせて欲しいって願い出ようと思っていたんだ……」

「……願いを叶えてくれる、茶色の本……?」


 アイリスはそんな本があるとは聞いたことがなかった。シアンの瞳が、どこか遠くを見る。


「俺の親父がそういう本があるって言ってたんだ、まぁ嘘かも知れねえけどさ。でも親父、生まれは王都だったらしくて、子供の頃に聞いたっつってたから、あながち間違いでもないかと思って」


 遠くを見ていたシアンが、再びアイリスの顔を見つめる。


「俺、お前に、もう一度、おじさんに会わせてやりたかったんだ」

「――――ッ」


 アイリスの世界が止まった。


(シアンが、シアンがあんなに頑張っていたの……、わ、わたしの、ためだったの……?)


「医療魔法士になろうと頑張っているお前が、未来を見ていることは知っている。魔力がない俺には、その力にはなれねえ。でも……、なんでも願いを叶えてくれる本だったら、もう一度くらい、おじさんにお前が会えるかもってさ……だけど、すまねえ、俺の力不足で」


 アイリスの瞳からぼたぼたっと大粒の涙が次から次へとあふれる。シアンが指でそれを拭ってくれる。


「シアンの力不足なんかじゃないよ……っ。そ、それより、シアンの、足が……っ」

「俺のために泣く必要なんてねえ。足はもう駄目かもしれねえが、気にするな。全部俺が好きでやったことだ」


 シアンへの気持ちが爆発して、もう我慢できなかった。アイリスはぎゅっとシアンに抱きつく。幼馴染の身体は、以前とは比べ物にならないくらい大きくて、がっしりしていた。


「お、おい、アイリス……っ?」


 彼への想いが、わきあがっては消えていく。言葉にできないほどの想いを、アイリスはシアンに抱いていた。


「シアン、もしかして私のこと、けっこう、好き……?」

 

 そう尋ねると、シアンが息を呑んだのがわかった。それから、ドッドッと彼の鼓動の音が聞こえる。それはとても早く、きっとそれはアイリスも同じで。


「けっこう、じゃねえな。子供の頃からだから、まぁまぁ好き、だろうな」

 

 シアンの声がくぐもって聞こえる。素直に認めないシアンらしい答えに、こんな時だというのにアイリスは微かに笑った。だが素直でないのは、素直でなかったのは、アイリスも同じで。


「私も、まぁまぁ、好き」

「アイリス……?」


 アイリスは顔をあげると、泣きながら微笑んだ。


「私が治すね、シアンの足。だから――ずっと隣にいてほしい」


 シアン色の瞳が見開かれる。


 そして同時に、部屋の扉が閉まったのに気づいた。振り返ると、医療魔法士とアルドが気を利かせて退室してくれたところだった。


「え、お前、あの、ご、護衛は?」

「アズール? え、アズールは……婚約者がいるよ?」


 アズールに子供の頃からの婚約者がいることは、魔法科生なら知っている者も多い。けれどどうやらシアンは知らなかったらしく、ぽかんとする。


「は? そうなのか?」

「うん。もちろん、信頼している友だちであることにはかわりはないけど、お互いに恋愛感情はないよ」


 シアンが顔をしかめた。

 

「んだよ、俺がどれだけあいつに嫉妬したと思ってんだ」


 その答えにアイリスは驚いて、目を丸くした。


「え、嫉妬したの、シアンが?」

「あったりまえだろ。だってお前の隣は俺って決まってたのにさ、あいつがずっとずっと隣にいやがった、この数年ーーまぁ、他の変な男からお前を守ってくれてたって思ったら許せる……いややっぱり許せねえ。くそ、あいつの情報を耳にいれないようにしていたのが仇になった」

「自分だってずっとずっと女の子たちに囲まれていたくせに」


 ついぽろっと言葉が漏れる。するとシアンがどこか嬉しそうな、けれど焦っているような表情にもなった。


「勘違いしてないよな? 俺は誰とも付き合ったりしてないぞ?」


 アイリスは怒っている振りをした。


「女の子たちとはそうかもしれないけど、第四王女殿下と恋仲って噂もあったよ? 第四王女殿下との婚約をもぎ取るために総合ランキング一位を目指してたって言われてたけど」

「は? 第四王女殿下だって? なんでだ?」


 愕然としたシアンの顔を見て、我慢しきれずアイリスは笑ってしまった。第四王女に関しては、どうやら彼は噂になっていたことすら知らなかったようだ。


「ふふ。大好き、シアン」

 

 そう告げたアイリスはシアンの唇にそっとキスを落とした。

 呆気に取られたシアンがみるみるうちに真っ赤になって「アイリス!」と叫ぶと、彼女を抱きしめた。


「いててて……足、怪我してたんだった……」


 だが彼はすぐに顔を顰めて、呻いた。


「こら、安静にして」


 シアンは素直に枕に頭を預けたが、両手で顔を覆った。


「こ、こんな、こんな時に寝てるしかないなんて……」


 泣き真似をするシアンに、思わず苦笑がもれる。


「シアンには私が石で転ばないように、隣で見守っててもらわなきゃなんだから。だから早く足を治そ?」


 そう言って乱れたブランケットをかけ直してやる。


「ああ、そうだな。お前が転びかけたら、助けてやらなきゃ。あーあ、でも『総合ランキング』の発表まであとちょっとだったのにな」


 顔を曇らせるシアンの眉間に寄った皺を、アイリスは人差し指で優しくなぞった。


「お父さんは空から見守ってくれているから、大丈夫だよ。でもシアンの気持ち、本当に嬉しかった。ありがとう」


 最後は声が震えてしまった。全て言葉にせずとも、アイリスの気持ちをシアンはわかってくれたようだった。


「そうだな。まぁ茶色の本とやらが本当にあるかもわからねえしな――俺はアイリスが笑ってくれていたら、いいや」

「シアンが隣にいてくれたら、笑えるよ。私はシアンにも笑っててほしい」

「俺はお前が隣にいてくれたらそれだけで生きていける」


 シアンが手を伸ばしてきて、もう離さないとばかりに、アイリスの手をぐっと握りしめた。



  ♱ ♱ ♱



 ラズロは、自分が常に二位という劣等感とともに、平民であるシアンが陛下に謁見するという名誉を得られるかもしれないことに憤慨し、犯行に及んだと自白した。

 ついにあと一ヶ月でランキングが発表されるということで追い詰められ、衝動的に行動してしまったと供述した。


 全く何の罪もないシアンに対する攻撃はあまりにも卑劣で、王国の刑法と照らし合わせ、ラズロは半年の禁固刑とシアンへの慰謝料を支払うこととなった。だがシアンを推しだと騒いでいた女子生徒たちの気はそれでは収まらなかったらしく、誹謗中傷は止まらず、ラズロの実家である伯爵家を巻き込む一大事件となっていく。


 そして、この事件を受け、今年の『総合ランキング』発表は取りやめとなった。来年以降の開催は慎重に検討されるという。


 いくら日頃から体を鍛えているからといっても、流石にシアンはすぐには退院を許されなかった。二週間の入院ののち、リハビリをするために転院も余儀なくされた。費用はラズロの家が慰謝料の一環として持つ事になった。事情を鑑みて卒業は認められたものの、卒業式には出席できなかった。


 卒業式は、騎士科と魔法科の合同で執り行われるため、シアンはアイリスと一緒に出席できずに落ち込んでいた。なのでアイリスは、卒業の夜に、シアンの病室へと見舞いに行き、二人だけの卒業式をした。シアンはとてつもなく喜んでくれ、アイリスも彼の顔を見ているだけで幸せだった。 二人だけの記憶。そういう思い出をこれからはたくさん重ねていきたい。


 卒業した後は、アズールの知り合いが持っている物件を格安で借り、街で一人暮らしをするつもりだった。その家は、一人でも二人でも十分するくらい広かったので、大家に確認して、シアンと住むことにした。そこに至って初めてシアンは「こればかりは家を紹介してくれた護衛に感謝だな」などと素直ではない感謝を口にしていた。


 そしてアイリスは、念願の「医療魔法士」の試験に合格した。平民の、しかも女性の合格は、王国始まって以来の快挙だという。それを知ったシアンが何故か本人以上に鼻高々だった。


 そんな姿を、以前彼がメロいと騒いでいた女子生徒たちが見たらどう思うのだろうか。意外なことに、あの時アイリスの素顔を初めて見た女子生徒たちは「仕方ないな」と大人しく引き下がったと聞いている。アイリスがそれまで男っ気がなく学問の虫だったのと、二人が幼馴染だというのも「メロつく」ポイントが高かったという。


(まぁ、私、メロいの定義がよくわかっていないから、もしかしたらパートナーを大事にしているって人気が出たりするのかな?)


 シアンに聞いてみたが「よくわからん」と返事が来て、二人で頭をひねるばかりだった。


 




 無事に医療魔法士の試験に合格したからと言ってすぐに働けるわけではない。一人前になるために、数年は研修する必要がある。アイリスは、シアンを診てくれた黒縁眼鏡の医療魔法士を訪ね、彼の元で働かせてもらう事にした。


「働いている時は、おじさんのフードはかぶるのか?」


とシアンに尋ねられ、


「もちろんかぶっておくよ」


と答えると「よし、これで余計な虫がつかない。おじさんが守ってくれているんだな」とシアンは満足げだった。どうもシアンはアイリスが絶世の美女だと勘違いしている節がある。


 シアンの右足はリハビリをすればするほど、治癒魔法をかければかけるほど回復していった。もちろん以前のように剣技を行えるわけではないが日常生活は問題ないくらいになった。


 問題は左足で、やはりほぼ動かなかった。けれど、アイリスがあの手この手で回復を促す魔法を試し、リハビリもしつつ、微かに希望の光が見え始めたところだ。


「アイリスがいてくれたら、百人力だな。早く石を蹴飛ばせるようにならなきゃな」


 と、当の本人は、うまく杖を使いこなしつつ、精力的に歩く練習に励んでいる。とりあえず今のところは、アイリスの前にある石は、彼がうまく杖で払ってくれている。杖の使い方が違う気もしつつも、なんだかシアンらしくて、アイリスは笑ってしまうのだ。




 

 そうして二人で暮らし始めて数年後。


 アイリスが王都で医療魔法士としての経験を十分に積んでから、故郷に戻ることにした。シアンと暮らし始めてからは故郷に定期的に帰ってはいるものの、これからは居を構えて、腰を落ち着けるつもりだ。アイリスとシアンの家族は、二人が恋人になったことを知り、大喜びだ。


 そうしていよいよ、故郷で診療所を開く。シアンはシアンで、騎士道を教える学校を開く心づもりだ。今まで学んできたことを、故郷へ還元していきたいという思いは一緒だ。


 故郷での暮らしは、決して派手ではないし、たいしてお金も稼げはしないだろう。


 でも。

 隣にはシアンがいる。

 アイリスはそれだけで幸せだった。

だからそれでいい――それが、いい。


 きっと父も喜んでくれているだろう。


 ♱ 

 ♱

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読んでくださってありがとうございました!


この話とちょっと関わりのある長編を

3月終わりか4月初めから投稿するつもりです。

こちらはシリアスで、死に戻る王女の話です。

投稿するときには私のXでお知らせするので

よろしければそちらも読んでやっていただけると嬉しいです!

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