6 帰郷
昔を思い出し、顔に影が掛かる。
勿忘草色の表紙を抱えたまま、ぼうっとしている。
「触れちゃいけないことだったかしら?」
控えめな声をかけられた。
ハッとなって、現実に戻る。
隣でエレナが眉を寄せていた。
「なんでもない。むしろ大切なもの。私にとっては……」
慌てて苦笑いでごまかし、ページをめくる。
読み進めていくと、手紙に行き当たる。
そこには家族への気持ちが、赤裸々に書かれていた。
『流れ者を受け入れてくれたディギルの家よ。いつでも兄を慕ってくれた、妹よ。
ウイユはウイユの道を歩むといい。
輝く未来は俺が守る。
だから笑っていてくれ。
最後に、俺という存在が分からなくなったときに、思い返すといい。
どうか未来へ歩む道に、青空が続いていますように』
かさついた紙を手に、静止した。
読んで、心が震える。
兄はきちんと自分を見ていてくれたんだ……。
物思いに耽りつつ、手紙を綴じ、本を戻す。
本棚の隙間にすっぽりと収まった、淡い青色の表紙が、ほんのりと明るく見えた。
外に出ると柔らかな光が地上を包んでいた。
淡い空にトンビが翼を広げて、彼方の山へと飛んでゆく。
「じゃあまた明日、会えるといいわね、ウイユ」
明るく手を振る彼女を見送る。
ミニスカートにニーハイソックスを身に着けた姿が見えなくなって、腕を下ろした。
踵を返し寮のほうへ、足を向ける。
まだやるべきことは見つからない。
ただ心の片隅で兄のことを考える。
彼に会いたい。影を追いかけたい。
温かな気持ちが胸を疼かせながら、膨れ上がっていった。
夏至祭の季節がやってくる。
朝早くから、寮のクローゼットの前で、着替え。
天日干しした柔らかなシャツブラウスに袖を通し、ボタンを閉めた。
腰から下は、ボタンダウンのスカート。
ビシッと整えてから、玄関へ。
脚を覆うレギンスが、ストラップシューズへ吸い込まれる。
狭い土間を数歩進み、扉を開けた。
植木を越え、通りへ出る。
肩にグレーのカバンのひもを引っ掛け直し、いったん立ち止まった。
駅を使えば、指定した位置に飛べる。
行き専用の一本道で、帰る際はリングの内側に仕込んだ魔石をビーコンとする。
聖ジュエル学園所属の特権だ。
なお、ワープポイントは一つという制限があるため、実質里帰り専用だ。
さっそく腕を構え光を放つと、ふわりと体が浮く。
少女は暗髪を揺らし、宙に消えた。
気がつくと青空の下に立っていた。
凛と澄んだ空気に、山脈が映える。
しばらく遠くを見つめ、「あれ」と首をかしげた。
本来なら硬質な門の前に立っているはずだけれど。
前方には延々と道が曲がりくねって、続いている。
地図で確かめると、入口まで伸びる長く狭い道の途中だった。
座標がズレたらしい。
石の中に閉じ込められずに済んだのはラッキーなはずだが、本人は失敗した感覚が強い。
がっかりとため息をつき、トボトボと歩き出す。
下を向いたとき、影が前から差した。
冷たい気配に、体が張り詰める。
通りがかったのは、しなやかな体躯に牙を生やした魔物。
確かに街の前だけども、近場で遭うなんて聞いていない。
しかも対処の仕方が分からない。
体を強張らせるウイユに、影がにじり寄る。
鋭く爪がひらめいた。
地を蹴り、猛スピードで飛びかかる。
「きゃあああ!」
悲鳴を上げ、目をつぶる。しゃがみ込み、頭を抱えた。
しーん……。
なにも起きない。衝撃が来ない。
恐る恐る目を開ける。
指の隙間から見た先で、真っ赤なマントがひらめいた。
「兄っ……!」
言いかけて、とっさに口を閉ざす。
丸く見開いた瞳の先で、別の影が揺らいだ。
視界の端をかすめた、トリコロールの頭装備。
手には大剣。赤水晶を投影したかのような刃に、生々しい肉片が映り込む。
真っ二つに裂かれた獣が、ボタッと地に落ちて、黒い霧と消えた。
息を呑んだ。凝視してしまった。
相手が振り向く。
動揺しすぎてよく見えない。
やがてピントが合い、ウイユは首をひねった。
あれ、似てはないな。
王冠を模したトリコロールカラーの兜から覗く頭髪は、紺に近い深縹だ。
肩の上でまっすぐに切り揃えた形で、前髪はセンターで分かれ、額に掛かる。
耳を出す形なので、右にピアスが見える。小さく丸い形だ。
「無事でよかったです」
さらさらと髪をなびかせながら、眼前に迫る顔。
無垢材のようにベージュがかった、肌の色をしている。
藍色の大きなつり目に、引き締まった口元。
整いすぎて逆に特徴がない。
ウイユはなんと反応すればよいか分からず、目線を泳がす。
「若い女性が僻地に一人、危険です。街まで送り届けますよ」
「地元が田舎で悪かったですね」
唇を尖らせ、返す。
相手はぽかんと口を開けて、固まった。
一瞬、なんのことか分からなかった様子。
だが、すぐに言いたいことを読み取り、目を泳がせる。
顔をやや赤くしつつ、頭を下げる。
「これは失礼。ではお先に」
するっと横を通り抜け、はためくマント。
裏地の蒼白色がハリボテを見た感覚で、なんともいえない。
背に担いだはずの大剣は切り出したばかりの木のような質感で、柔らかな断面をしていた。
さっき獣を倒したのはなんだったのだろうというくらい、刃の気配を感じない。
鈍器感覚で撲殺したのか。
などと考えている内に、彼はあっという間に坂を上っていった。
ひとまず自分も歩き出す。
同じ道を辿って、高原の門に着いた。
境を示す水晶花なる涼やかな植物の横を、素通りする。
色合いは先ほどみたマントの裏地と似ていた。
彼もおしゃれのつもりだったのかな。
余計なことを考えつつ平坦な道を歩くと、すでに村に突入していた。
名称は高原と同じセランだ。
帰郷する自分とエウリックの影が重なる。
冒険の旅に出ていた兄も、夏至祭の季節や母の日には、必ず家に戻っていた。
飾り付けられた村は、かの偉大な人間を出迎えているかのようで、いつにもまして活気がある。
しかし、エウリックはもう戻らないと実感すると、却ってむなしくなった。
村の端にはこぢんまりとした民家が建つ。
ベーシックなデザインで、庭に咲くムスカスやルピナスが変わらずに咲いていた。
懐かしい気持ちを噛み殺し、玄関から家に入る。
影が浸す廊下を渡る。
下を向き、口元を引き結ぶ。
ずっとモヤモヤした感覚を、引きずっていた。
呼ばれている気配。
兄の手記を見たせいか。認めたくはないが、気になってはいるみたいだ。
悶々としつつ、いくつかの部屋を素通りする。
内部にはそこかしこに、カモミールやガーベラ・白いヒヤシンス・赤い紫陽花などが飾ってある。
どれも造花で乾いた印象を受けた。
偽物の美には見向きもせずに階段を降り、地下室に入る。
本来なら狭苦しいはずの空間は、濃い青の天井が突き抜けていた。
落ちてきそうな星空が描かれた天井。星のスツールが逆さまに飾られている。
口を半端に開きながら見上げてからふと我に返る。
壁へと視線を滑らすと、アストロ―べが工芸品のように、置いてあった。
エミールから譲り受けたものだという。
占星術をやりそうな雰囲気だけど、エウリック本人は占いをしない。
魔術師なのは確かだが。
ふと、赤褐色の棚が目に入る。魔導書が枠の内側に押し込めてあった。
ウイユは脇に備え付けた引き出しを開けた。
ガラッ。
底に隠すように置いてあるバッチ。
オレンジゴールドの面に刻まれた、明らかに重要そうな紋章をスルーし、次の引き出しを開く。
「あった」
鍵が入れてある。
手紙も同封だ。
乳白色の素地に、チョコレート色のインクで、少し荒っぽく字が連なる。




