5 アドアストラ
まずは王都を案内するということで、市街地を巡る。
街並みは整然としていた。
浮浪者はいないし、清掃も行き届いている。
常時、衛兵が角で構えているため、悪い人も出にくいのだ。
王の威光が届かない場所は知らないけれど、少なくとも中心地なら女二人でも、安心して出歩ける。
大広間の中央には噴水が飛沫を上げ、脇には真新しいベンチが設置されていた。
鳩が餌を求めて落ちてきているのが、かわいらしい。
さらに隅には銅像が建つ。
女性の形だ。
ストレートに落ちたローブに、鎧を身に着けている。
銅が錆びた影響か顔は見えにくい。
精巧に作られたベール越しに、かろうじて緑青色の髪を三つ編みに編んでいることは分かる。
不透明なはずなのに透けて見えるのが、凄まじい技術を感じさせる。
「あの方こそがルインの聖女――ジーン様。あたしの憧れの人なの」
頬を赤らめ、エレナは語る。
「昔ね、国の存亡をかえた包囲戦があったのよ。敵軍に追い詰められて、万事休すというとき、どこからか神の加護を受けた聖女が現れて、国を救ったの」
自分のことのように高らかに紡ぎながらも、彼女は結末だけは口にしなかった。
ウイユはというといまいち歴史の中身を想像できず、ぽかんと聞いている。
「別世界の出来事のようでしょう?」
急にエレナが大きな目をこちらへ向けた。
「ロワ・グロワールはこんなにも壮麗な都なのに、土を掘れば遺骸にまみれている。ルインはね、血が染み込んだ土地。そんな歴史の下に成り立っているのよ」
射抜かれた感覚がした。
まるで話の焦点が唐突にこちらに向いたみたいな――
ひやりと肌が冷たくなる。
半端に口を開けて固まったウイユに、エレナは柔らかく笑いかけた。
「本を読んでみたら? なにか興味をそそられる題材と出逢えるかもしれないわよ」
当たり前のような口調で。
まずは一緒に見に行こう。
ということで、図書館に連れて行ってもらえた。
館内は広い。
フクロウのロゴが目を引くし、田舎にあるものより充実しており、全ての書物が押し込められているみたい。
ほしい情報ならなんでも調べられるのではないか。
「これは歴史書。一冊で大陸の歴史を網羅できるわ。隣の欄にあるのは叙事詩ね。物語としても楽しめるわよ」
マドンナは図書館で本国の歴史について学んでおり、本の中身に詳しいらしい。
彼女はルイン王国がどのようにして発展したのかを、頼まれてもいないのに、赤裸々に語り出す。
「最初に統一帝国の崩壊があったわ。次に国を統一したのが、古代王アレクサンダー。彼の手によって王権が確立したのよ。だけど彼の死によって王国が分裂してね、国の存亡を賭けた争いに巻き込まれたわ。そこから救世主の登場と、処刑。最後は大陸内でゴタゴタがありつつも、魔王国の勃興で一つにまとまってね」
一気に早口で情報を流されたので、ウイユは全くついていけない。
頭の中が空白に染まり、間の抜けた顔で首をかしげる。
ひとまず歴史については一旦流した。
「私はなにかを得られればそれでいい」
「そうね。自分が進みたい道を探し当てることこそが、重要なの」
エレナのアドバイスを聞きつつ、本棚を選ぶ。
ぱっと目についたのは、先の大戦――魔王を倒した英雄の話だ。
複雑な感情が湧いたので眉を寄せつつ、指を彷徨わせる。
次に隣へ視線をずらし、目が止まった。
「アドアストラ?」
今日日、珍しい名前を視認して、固まる。
最初に脳裏をよぎったのは、サフラン色の金髪にローズレッドのインナーカラーを秘めた、華やかな顔立ちをした青年だ。
ふんわりとした袖とラッフルがついたシャツに、ジーンズ姿が目立つ彼の名は、エウリック・ボーデン。
ウイユの兄だ。
彼が正体を隠して本を出すときに使うネームが、アドアストラだった。
ウイユはもう一度、本を観察する。
勿忘草色の表紙で他と変わらない見た目だ。
ペラペラとめくってみる。
冒険の記録だった。
かつて、全てを見ようと誓ったエウリック。
兄の中にどんな世界が広がっているのか気になって、夢中になって読み進めた。
***
子どもの頃、ウイユは空想の話について、よく語った。
「この世界は広い。たくさんのロマンが眠ってるの。例えば願いが叶う泉、魔光きらめく湖、空中に浮かぶ城、密林に隠された秘宝」
「おお、それは面白そうだ」
真に受けた兄が、さっそく冒険に出かける。
半年後、帰ってくるなり、彼は怒った。
瞳は濁り、左の赤が主張する。瞳孔が収縮していた。
「君の行ったところ、本当にあるのかい? 少し宝の地図を見せておくれ」
「あるわけないでしょ。なに馬鹿なことやってるの?」
バッサリと切り捨てる。
彼はおいおいとあきれるも、すぐに気持ちを切り替えたようだ。
「まあいい。この世の空想は全て実現するとされるからね。人が思い描く内容は真実に繋がっている。我々は狭間でその光景を幻視しただけなのだとな」
エウリックは堂々と言い張る。
やわらかな赤色を取り戻した虹彩。
右は濃い青のオッドアイだった。
「まあ、気にするな。こういう類のものは私が真実にしてやろう」
そう言って、胸を張る。
嘘をつかれたことは、全く気にしていない。
「なによりこの世は広い。もしかしたら我々が求める景色と出会えるやもしれんのでな」
目を輝かせながら言い放ち、また出発する。
エウリックは定期的に帰って来ると、土産話をしていった。いくつか、こちらが話した景色も混じっている。
「すごいな君、現実の光景を言い当てたぞ。東の果てに薄紅の花びらを茂らせた大樹があった。あの幻想的な美しさたるや、まるで私のようだったぞ」
胸を張って言う。さりげないナルシスト発言。
「これは土産だ」
エウリックはリングを取り出した。
白金の素体に、桜色のガーネットが輝く。
「見る度に思い出すといい、桜は本当にあったのだとな」
確かに桜の情報は出したけど。
ウイユとしては夢で見た内容を伝えただけだ。
適当に話したら正夢だったと突きつけられたようで、こちらが一番に驚いている。
「君が空想を現実にしてくれたのかもしれないな」
晴れやかに笑ったエウリックの顔を覚えている。
後に桜の種を別の場所に植えたらしい。
けれども、こちらの地域では白い花びらが咲くだけだった。
***
まだ彼の言葉を疑ってはいる。この記録も彼が見た幻影なのではないか。
そう思いながらも、実際に見た景色であってほしいと願う自分もいる。
でも、自分の目で見るまで信じない。
だからこそ確かめたい。
胸が疼く。
「お兄ちゃん……」
「ウイユ、一人っ子じゃなかったのね?」
エレナが眉を上げ、目を大きく開く。
ウイユは首を横に振った。
「兄といっても義理。もしくは居候。あんな優秀な人、うちの血縁から出るわけないよ」
いつの間にか家に迎えられていて、一緒に暮らした。
両親は息子として扱ったし、彼女にとっては唯一の兄だ。
思い返して、懐かしくなった。
エウリックはよく冒険に出かけた。
最後の記憶は藍色に染まっていた。
夜明け前、逃げるように出ていく影。
幼い日の少女は庭に出て、ルピナスに埋もれながら、こっそりとついていく。
兄は振り返りもしない。
不安げに眉を寄せて、見つめるウイユ。
彼の元に行きたい。連れて行ってほしかった。
胸騒ぎがする。
今生の別れになるかもしれない。
最後の別れだと直感して、小さくなっていく後ろ姿を、いつまでも見送った。
そして、今回は本当に最後だった。
エウリックは家に戻って来ていない。




