2 彼は英雄にはなれなかった
ライは筵の上で目覚めた。
そばに使用人もついていた。
華奢な体をロング丈のメイド服が覆い、柔和な微笑みを向ける。
彼女が引っ張り出してくれたおかげで、戻ってこれた。
危うく、冥府に取り込まれるところだった。
体の底が冷えて、身震いする。
「でも俺は目的を果たせてません」
奥歯を噛みしめる。
少し考え込んだ様子のヒロ。
「彼らの魂はラピスラズリの空へ、挙げられたと思う」
真剣な顔をして、彼は告げた。
「ラロヘンガ。俺はそこに行きたいんです」
ライは身を乗り出し、訴える。
ヒロは口元をゆるめた。
「大丈夫。君の両親はまだ来てほしくないんじゃないかな」
トーンをゆるやかにして、語りかける。
ライは知らないが、父も母もきっと、永遠の楽園で幸せに暮らしている――
「納得の行く人生を演じきって旅を終わらせたら、その扉が開くんだ。君ならやれるよ」
ヒロが背中を押す。
安堵したように力を抜いたライ。
目を閉じ、相手が言った言葉の意味を、確かめる。
顎を引き、顔を上げる。彼は前を向いた。
島を巡り、ついに秘密の遺跡を見つける。
ゲートをくぐらないと入れない。鍵は友人が持っている。
解錠。戸を開いて侵入した先には、遺跡が広がっていた。
陽光が輝く。
ライは目を見張る。
やはりヒロは本物だ。
よく探し当てたなと、ため息が漏れる。
世界から隔絶された領域で、二人は秘密を共有した。
「伝説は伝説のままにしておきましょ。ここは誰にも知られたくないです」
「ああ、せっかく見つけた場所だからね。あっさりと拡散されては、興ざめだよ」
ヒロは満足げに頷く。
「誓うよ。ここは私たちだけの秘密の場所だとね」
目を細め、笑った。
「もしくは、共犯者にでもなってみるかい」
ウキウキしながら、言葉を掛ける。
彼は軽く顎を引いた。
当時は重要視はしていなかった。些細な口約束だと。
だけど、ヒロ・アリィテアは約束を守り通した。
なんてことのない日々を破るように、唐突に。
侵入者がやってくる。
帆船と共に現れた異国の一団。
彼らは黄金郷と呼ばれた秘境を探し出した。
村のはずれ。鬱蒼と茂る森の中。
人気のない場所で、ヒロは囲まれる。
彼は口を割らなかった。
鉄で武装した兵を前に、微動だにしない。
逃げも隠れもしなかった。
やがて薄闇に血飛沫が舞った。
***
黄昏に暮れゆく秘島を、ライは息を切らして走る。
全身が汗にまみれ、握りしめた拳は固く、解けない。
彼の頭にあったのは、船に乗った兵士たち。
上陸する彼らに手を差し伸べ、共に村を歩いた。
外部の人間をナティア島に通したのは、ライだ。
彼らが気になった。軽く関わり合いたかった。
きっと秘島を気に入ってくれると、信じたから。
胸騒ぎがした。
村の端。茂みの向こうへ歩く二人。
ヒロを呼び出す影を見ていた。
もしかしたら相手の目的は、秘境にあるのかもしれないと。
脳内でそれを再生させ、奥歯を噛む。
嫌な予感を振り払うように頭を振る。
村のほとりで足を止める。
現場は赤く血塗られていた。
炎で焼けた場所。
なにが起きたか明白だった。
手前に兵士が倒れていた。
相討ち。
いいや、勝ったのはヒロのほうだ。
彼が反動技以外を持ってさえいれば、倒れなかった。
辿り着いたときにはすでに遅い。
力なく足を止める。
揺れる瞳。
青ざめ、凍りつく。
目を閉じたまま動かないヒロ。
灼熱の炎をまといながら、冷えていく。
色をなくした肌が焼け、灰になる。
遅れて沈んだ足音が聞こえる。
ロングスカートを身に着けた使用人だった。
闇を溶かした瞳には、なんの色も宿さない。
虚ろな表情で立ち尽くす彼女の存在に、ライは気づかない。
薄暗い闇の底に、声が落ちた。
青臭く――透明感の中に陰りを含んだ、少年の声。
「決めたよ。俺がお前の代わりに、勇者をやり通して見せる」
***
脳が軋む。視界が霞む。
目の奥をチラつく残像を押さえつけようと、頭を振る。
深縹色の髪が、闇夜に溶け込んでいた。
不穏な気配が差す。
郊外に魔物が出没した。剣を振るって、踏み出した。
赤水晶の刃で断ち、収める。
バタバタと飛び散った影の残骸が、塵に消えた。
「あの人だったらもっとスマートにやれたんだろうけど」
別れた恩人を思い浮かべた。
サフラン色の髪にロードレッドの、インナーカラー。
ウォークロア柄のマントが風にはためき、薄闇の空へ消えていった。
野垂れ死にしたらしい噂は嘘だと、フェトゥレは断じる。
いつか会えると信じたいと。
その相手は、自分ではない。
頭に浮かんだのは、暗髪の少女の姿だった。
「本当は僕が確かめないといけないはずだったのに」
歪めた口元に、自嘲が滲む。
「因縁は、あったんだよ。けじめはつけなきゃいけなかった」
あの記憶が本当だとして、彼らに合わす顔がなかった。
弱々しく呟いた顔に、影が掛かる。
月が雲に隠れた。
***
常闇の世界の奥深くにて、観衆として地上を見る影があった。
「地上は面白くなってきているではないか」
妖艶な女。
正体は魔界の果実を食らい、魔の力を得た者だ。
かつて黒母神と崇められ、遺体から世界を想像した伝説が残る。
今や堕ちただけの存在。
グラナータという名も、誰も知らぬだろう。
彼女の脳裏をよぎったのは、かつてのやり取り。
魔王国が隠していたゲート――暗黒の鏡の前に立ち、接触を求めに来た男。
闇に惹かれる彼に吸い寄せられるように、魔界の主は姿を現す。
鏡に浮かんだ影。
艶やかな黒髪が肩に流れる。
豊満な胸元を大きくくりぬかれたベルベットのドレスに、荒れた翼。
明らかに堕ちた見た目をしていながら、美しい。
つり上がった三白眼から零れる光も。
赤く濡れた唇も。
「お前の魂の濁りよう、面白いぞ。心底絶望しているのに、まだ輝きを追うことを諦め切れぬとは」
心底から感心したように、呟く。
真珠色の肌に、熟れた果実の匂いを醸し出す女は、愉快げに喉を鳴らした。
「だが、その祈りや希望は捨ててもらう。我にその魂と運命を明け渡せ。さすれば望みは叶わん」
それは悪魔との契約だった。
「代償はその心。復讐以外の全てを奪っていく。汝には元よりなにも残らぬ。安いものだろう?」
誘うような問いかけ、試すような物言いに、男はあっさりと従う。
「構わない」
温度もなく口にした直後。
親指にはめた黒いリングが、グローブ越しに、怪しく光った。
彼の全身は闇に溶け、形を失う。
かくしてその精神は悪魔の化身として、地上を彷徨うこととなった。
「ふふ、面白い面白い」
暗き地底にてほくそ笑む。
彼女は地上には介入しない。舞台の手前でただ楽しむ。
「時は満ちるぞ。さあ、準備をせよ。開幕はゆるやかに、だが確かに忍び寄る」
昏き魔の底で哄笑が轟いた。




