16 ナティア島へ
ウイユは寮まで帰って、一日を終える。
堅い寝具に横になり、くすんだ天井を見上げた。
瞼を閉じる。暗黒の視界に、ぐるぐると渦が巻いた。
サフラン色の金髪にローズレッドのインナーカラーを秘めた青年の姿が、脳裏をよぎる。
夜明け前、こっそりと抜け出す兄の影。
振り返りもせずに去っていった。
確かめたい。
彼が自分たちをどう思っていたか。家族と思ってくれていたのか。
胸中で問いを投げても、答えは返ってこない。
分かっているのにいまだに未練が、尾を引いていた。
朝。狭く整った部屋に淡い光が射し込む。
ベッドからむくりと起き、着替えた。
シンプルなカットソーと長ズボンといった格好で、寮を出る。
広場に足を踏み入れると、王子やマドンナは涼しい顔で現れた。
アルフは案の定、遅れてやってくる。
全員来たところで、列車に乗った。
レールを進み、港に着く。
乗り場で待ち構えたのは、浅黒い肌の男だった。
ネイビーのセーラー服は一見すると奇抜だが、海の男らしく、似合っている。
恰幅よく腕を組む姿は、いかにも船乗りだ。
女子学生のほうではなく、水兵の制服なのだから、当然といえば当然だ。
相手は目つき鋭い。睨みをきかす勢いに、若干気が引ける。
「あの、なにか?」
控えめに尋ねるウイユ。
「いいや、どんな物好きが来やがるかと思えば、若者連中とはな。あの男も節操なく、唾をつけてきたもんだ」
「まあまあ俺が言った通り、みんな冒険者資格持ってるからさ。冷やかしじゃねぇよ」
「ほかならぬ彼が見出した者だ。分かっているとも」
軽くやり取りをする少年と船乗りに対し、苦笑いを浮かべる女子二人。
「あの、証拠です」
ウイユは切符を見せる。
「確かに別れ際に渡したものだ。なに遺品にしてんだ、あの野郎?」
片眉をひそめ、視線をズラす。
なにやら知った口ぶりだ。
エウリックと関係があるようだが、くわしくは語らない。
「約束は守る。送り届けるとも」
船乗りは表を開ける。
斜めに伸びたスロープ。
「自己責任だ。取り返しのつかないことになっても、おいらのせいにするなよ」
真顔で忠告する。
本当に危険なんだ。
肌が固くなるのを感じ、唾を飲んだ。
皆で顔を見合わせ、そっと足を踏み出す。
船に乗り込み、汽笛が鳴った。
もくもくと煙の臭いが上る。
ととと……と陸では足音が響く。
見送りにやってきたのは、つなぎ姿の青年。
特別な瞬間にも冴えない格好だった。
船が動き出す。
岬から手を振るフェトゥレに、こちらもおーいと、手を挙げる。
陸地が離れ、海の真ん中。なんて青い大海原だろうか。
雄大な景色を前に、女子ははしゃぐ。
これからの冒険が早くも楽しみになってきた。
和やかな船旅。
優雅に滑空する海鳥に見入るウイユ。隣にはサマードレス姿のエレナが立つ。
つばの広い帽子が様になっていて、まるで舞台に上がった女優のようだった。
暗くて地味な自分が隣に立って大丈夫だろうかと、視線を彷徨わせる。
「ねえ、見て! ウイユ!」
沈黙を裂く高い声。
白い指が示した方向に、陽炎のようなものがあった。
まさか、魔物……?
背筋が凍り、肩が震える。
「海の精霊よ。見送ってくれるなんて、いいことがありそうね」
エレナが満面の笑みで教えてくる。
なんだ、よかった。
現れたものが人間の味方と知って、気が抜ける。
だらりと腕を下げた。
船は滑らかに水面を進む。
鮮やかな青い空に入道雲がもくもくとそびえ、爽やかな潮風が吹き付けた。
「ウイユのお兄さんって、どんな人だったのかしら」
エレナが不意に切り出す。
そういえば教えてなかったと思い出す。
「いずれ知ることになるんじゃない? 本当に凄い人なんだから」
彼の遺した痕跡なら各地にあるし。
「そんな、もったいぶらないでよ」
軽いノリで返しつつ、あっさり引く。
「じゃあそのときが来たらの、お楽しみということで」
リラックスしていると急に風が強くなり、ばさっと乱れた髪が、頬を叩いた。
船が揺れる。あたりが薄暗くなる。
鵜のグルルッという鳴き声が聞こえる。
ウミツバメも旋回する。
頭上に厚い雲。
青い火の玉が漂い、奥には半透明の影が漂う。
ゴーストだ。
危機感が募る。
鳥肌が立ち、体が硬直。
ドクンドクンと脈拍の音が聞こえる。
前に出てくる戦士たち。
船にいる全員が武器を持ち、戦う。
真っ先にハイラムが詠唱を唱え、浄化。
ゴーストたちは水蒸気爆発が起きたように弾け、霧となった。
一部始終を瞠目しつつ、見届ける。
あたりは静けさを取り戻し、空は青くなった。
ほっと一息。
空気がひんやりとしているのに、汗をかいてしまった。
額を拭いながら顔を上げる。
「船幽霊。シーレイス。この世に未練を残した影だ。あれが現れたということは、ナティア島が近づいている証だとも。あそこはそういう類の場所だからな」
こんがりと日焼けした船乗りが、舵輪を回しながら、解説をしてくれた。
彼は全く動じていない。
手前に大きな飛沫が上がる。
シーサーペントのひれが水面に突き出し、渦を作ったそばを、平然と駆ける船。
舵を取る方向に迷いがない。
さすがに強心臓だ。
見ている側はヒヤヒヤだ。
心臓を荒ぶらせながら汗をかく。
様子をうかがう内に、島の影が見えてくる。
こんもりと繁った森に、暖色の建物。
まるで全体が黄昏に染まったかのように――
鼓動がさらに加速する。吹く風が冷たい。
なにかが起きようとしている気配がした。
秘島に着き、船を下りる。
陸から見上げると、舵輪を片手に鼻を鳴らす船乗り。彼に頭を下げてから、正面を向いた。
奥には観光客を歓迎する門があり、トロピカルな配色と模様に彩られている。
エウリックが踏み入れ、宝を隠した場所。
気を引き締めて、通りへ入る。
玄関口の市場は現地の客で賑わっていた。
こんがりと焼けた肌に柄シャツを身に着けている。
「どきなさい、土塊」
中央の人混みに割って入るように飛んできたのは、ドレスアップした女性の男体。
貴族たちだ。ワープポイント使いたい放題と見た。
住民たちが白けた目で睨み、貴族が誇らしげに胸をそる。
よく見ると彼らは同じ茶色の髪と目をしていた。
聖ジュエル学園ではカラフルな頭髪が多かったと、今更ながら思い出す。
特殊な力を持つ者は、色素に常人とは異なる特徴が現れる。
青みがかった髪をした自分もちょっとした才能があるのだろうか。
とにもかくにもさすがは観光地。整備が行き届いている。
本当に冒険者以外、立ち入り禁止?
胡乱げに観察するウイユ。
「危険なのは奥のほうさ」
アルフは答え、先へと進む。
迷彩柄のマントを追いかける形で、皆も前に出た。
観光用に整備された大通りをてくてくと進むと、誰がが寄ってくる。
男の子だ。
身長は年齢相応に低めで、肩幅は華奢。
首筋はほっそりとしている。
短髪で、透明感がある白い肌に、パーツの小さな顔立ち。
衣服もシンプルながら整っていて、清潔感が漂っていた。
「あなたが手紙の主ですか?」
「ああ、ナティア島の奥に用があってきた」
アルフが伝える。
二人は事前にやり取りをしていたようだ。
目の前の人物が秘島への案内人なのだろうか。
相手はどこか冴えない顔をしている。




