10 ヴァニタス教団と呪いの秘島
夕空に鐘が鳴る音。
寮までの道をトボトボ歩いていると、視界の端を蒼白の色がちらつく。
蒼白のローブを身に着けた一団がずらっと並び、古びた書物を胸に抱えていた。
宗教の勧誘だろうか。そんなに不幸オーラを背負っていたのかと、ウイユはややショックを受ける。
「古代の王アレクサンダーを崇拝しませんか?」
いきなり手前に立つ術師が身を乗り出し、食い気味に誘う。
「かの王に任せては国が滅ぶ。ゆえにアレクサンダーを復活させ、政を司ってもらいましょう」
熱く主張する様にあっけにとられ、口をぽかんと開けて固まるウイユ。
「さあ、今こそ変革の刻!」
「なんなんですか。どっか行ってください」
よく分からないから拒む。
「なんですと? あなたはこの国の未来を憂いぬと言うのか!」
たちまち声を荒げる術者。
こちらの腕をギュッと掴み、血走った目を向ける。
完全に狂っている。
「さあ我々と共に真なる空を見るのです! 我らヴァニタス教団と共に!」
圧が強くて怖い。悲鳴を上げたくなる。
ウイユが青ざめ震えたとき、後ろから声が掛かる。
「相変わらずだね、あんたらは。しつこい奴らは嫌われるよ」
呆れた口調。気だるげな雰囲気。
「何奴?」
怪訝げに見据える相手。
こちらもビクビクとしつつ視線を滑らす。
「アルフ……」
少年は紺色のブレザーを着ており、浮いているほど真っ当な外見だった。
「なんだね、こちらは真剣に誘っているのですよ! 何度邪魔をすれば、気が済むのですか!」
眉をつり上げ、憤る。
「いや誰かを助けるのも初めてなんだけど」
アルフは目をそらす。
「とりあえず黙ってくれ」
手のひらを向け、飛び出す火の玉。
飛び退く敵は、勢い余って転倒し、仰向けに倒れる。
白目を剥いた相手をぽかんと見下ろすウイユ。
「馬鹿見ろ、こいつは幻術だってのに」
唇を尖らせたアルフ。
地面に伏せた術者から目をそらしつつ、おもむろにこちらを向いた。
手前まで迫る。
「さあ、あんたも逃げるんだ。さっさと起き上がってくるよ」
「うん」
控えめに頷き、揃って走り出した。
チラッと後ろを向くと、なにやら騒がしい。
路地の角から衛兵が顔を出し、術者を取り押さえる。
相手はジタバタと抵抗をした。
ウイユは目をそらし、走り続けた。
安全な場所まで逃げ、日向の川辺に来た。
湿っぽい水の匂いに触れ、柔らかな草を踏む。
「大丈夫だったか?」
少年がつま先をこちらへ向ける。
「うん。ありがと、アルフ」
目を合わせないまま、口を動かす。
瞼の裏には先ほど見た火の玉の色が滲んでいた。
まぎれもなく彼の技。
「さっきになに? 見せて」
勢いよく迫り、食いつく。
いきなりの反応に少年はどぎまぎと、目を泳がせた。
逃がすまいと眼前に迫るウイユ。
彼は諦めて両手を挙げた。
アルフが魔術を繰り出す。空いた空間に落書きペイントをする感覚で。
「おおっ」
カラフルな色と、輝き。
豪華なエフェクトに魅了され、思わず拍手を送る。
「すごい、こんなの初めて見た」
目を輝かせるウイユ。
「だろう?」
彼は口角を上げる。
「炎や水、なんでもできるのさ! 本当は全部幻だけど」
後半の言葉はぼそっと。
彼は魔の術こそがおのれの誇りなのだと、伝わってきた。
しばしの沈黙に、空気が停まる。
黄昏に風が流れ出したころ。
「あ、いいこと思いついた」
アルフは息を吸い込み。
「俺と組んで自分だけの星を見つけよう」
身を乗り出し声を張り上げる。
よく見ると舌にピアスが空いていた。
じっと視線を合わせるウイユ。
彼の不透明な目を、光がかすめる。
「部活といっても同好会みたいなもんだよ。各地の卑怯やダンジョンを巡って、世界を見るんだ。誰も入らせる気はない。あんたにだけ、頼みたいのさ」
そう、熱烈にお願いする。
ハッキリ言って虚を突かれた感じのウイユ。
頼み。頼みか……。
断るのが申し訳ない。
それに、彼が何者なのかも知りたくなった。
だから「はい」と答える。流されるように。
冒険に挑みたいのはこちらも同じだから。
「そうか」
アルフのほうこそきょとんと目を丸くしながら、口元を緩める。
ほっとした様子。
こちらこそ体から力が抜けた。
ふと風が吹き、ちらっとダークレッドの髪が舞い、青白い肌が覗く。
隠れていた左耳はピアスでいっぱいだった。
「それじゃあさ、秘島の噂って知ってる?」
「なにそれ」
「俺は教えない」
そこは後で教える流れでは? 今のやり取りなんだったの? 自分で調べろってこと?
唖然とする手前で、影が滑る。
サンダルを踏み出すと、衣擦れの音がした。
「じゃあ次会おう」
軽く言い捨て、歩き出すアルフ。
そばをすれ違い、振り向いたときにはすでに、通りの先へ消えていた。
薄暗くなる空に飛び立つ鳥を探しつつ、視線を上げる。
一番星が光っていた。
夜道を照らす輝きを追う。
軽やかに足を踏み出した。
***
大きく帆を張った船が、大海原を渡る。
宝目当ての冒険者が数名、装飾品をジャラジャラと首に下げ、ニヤリと口をつり上げる。
ギラギラとした太陽の下で、目が血走っていた。
「ようこそ黄昏の島へ」
柄シャツを着て、首に花飾りを垂らした男が、客を歓迎する。
彼らは奥へと進んだ。
ナティアと名付けられし秘島は、カラフルな花で美しく彩られている。
「おっとその先はやめておきな。自己責任だ」
案内人が茨の手前でくるりと向き直り、腕を組んだ。
さらに奥。
周りを柵が取り囲み、警戒色が張り巡らされている。
「いかにもなにかあると言いたげじゃねぇか」
俄然、興味が湧き、身を乗り出す。
冷めた目の住民。
「忠告はしたぞ」
顔をしかめながら、相手は退く。
人の気配が消えるのを確かめる間もなく、前へ進む冒険者。
柵の向こうへ。
彼が突入した先は裏口だった。
暗い森にはジメジメとした匂いが立ち込め、変な場所に入り込んだ雰囲気がする。
ダンジョンか?
危険な気配に、歴戦の戦士はむしろ、心を踊らせる。
バサッ。
暗赤色の空に飛び立つカラスが、黒い模様を描く。
目線を上げつつ、足を動かす。
不意に聞こえたのは、魅惑的な旋律。
誘われるように赴く。
歌がよく聞こえてくる。声を重ねて音色を作る。透き通る声だった。
開けた場所に出たかと思うと、急に暗転。
体が沈む気配に、目を回す。
なにも見えない。
首元にシャープな気配。
水平に斬撃。
まっすぐに切り裂く。
落ちる首。宙を回る目。
最後に夜が明ける。薄明の空に誰かが立つ。
華奢な影だった。
「なにも知らないなんて、羨ましいですね」
無機質な目をしていた。
最後に血飛沫が飛び、闇を赤く染めた。
冒険者を屠るシルエット。
黒い格好をした女。
鎌を振り回しながら、バケツをひっくり返すかのように、血を払う。
暁の闇に、忘れ形見のような月が、淡く光っていた。
森の真ん中、空いた場所にぽつりと立つ。
「勇士様、あなたの空が闇に染まるのなら、私はどこまでもついていく。この夜として」
彼女の足下には屍が降り積もる。
まるでかつての惨劇と同じ。
ただし詳細を知る者は誰もいない。
血に濡れた過去と記憶は今や観光地となり、歴史の闇に葬り去られた。
「私は飛び立ちましょう。また次の機会に」
女は宙を蹴って、飛び上がる。
黒き羽を雨の滴のように降らせ、黒を纏った姿は、虚空へ消えた。




