プロローグ 聖ジュエル学園
「お兄ちゃん、来て」
コンコン。
ガラスを叩く音に反応して、視線を上げた。
ごちゃごちゃとした机の上。怪しげな書物を脇に置き、席を立つ。
外には妹がいた。
すっきりとした顔立ちを縁取る、濃紺の髪。
控えめながら可憐だと感じるのは、身内の補正か。
彼女に釣られて、表に出る。
はしごを使って屋根に上れば、明るさが降り注いだ。
昼間のような青――ラピスラズリの夜空。
一瞬で思考が無に帰し、息が止まる。
「ね、きれいでしょう?」
にっこりと笑いかける妹。
男は言葉も出ず、ただただ見入る。
頭上に星が降り注ぐ。流星雨だった。
「君が降ってきた夜も、こんな風だったのだろうか」
「なにそれ。ポエムのセンスないよ」
「そちらにとってはついぞ実感は沸かない。気にしなくてもいいとも」
男はただ空を見上げる。
左右で異なる色の瞳に、星が流れた。
まるで宙を駆ける熱のようだった。
***
少女はぼんやりと窓の奥を見やる。
ルピナスやムスカリが密集した庭は薄明に紛れ、窓の桟が檻のように見えた。
夕日の淡いが射し込む部屋には、冷涼な空気が流れ込む。
机には親から出された宿題が山のように積載し、勉強して寝るだけの空間だ。
少女は眉を寄せ、目を伏せた。
肩につく程度の長さに切り揃え、控えめな顔を四角く縁取る横髪。
グレーのブラウスにピンクのロングスカート。
シャンパンガーネットのリングを無言で弄ぶ。
その薬指にはめた木製の指輪が、異質な雰囲気を放っていた。
透き通ったガラス越しに、鳥が羽ばたく。
羨ましい。
口の中でつぶやく。
遠くの景色は陰りつつあった。
死んだ目になっていると、小鳥がUターン。
はっと眦を見張り、固まっていると、紙切れを届けに来る。
どれどれ。
広げて見る。
少女は瞬きをした。
宛先はウイユ・ディギル。
金のインクで書かれていたのは、王立学園への入学の案内。
大変だ。
ガタッと席を立ち、部屋を飛び出す。
居間に走って両親に伝えると、二人は手を打ち鳴らし、飛び跳ねた。
「やりましたね、ウイユ。教育したかいがあったわ。即座に手配をしましょう」
シワのないブラウスをびしっと着た母は、喜々として口走る。
「私が星に見た通りだっただろう? 君も安心して彼女に任せるんだ」
父――エミールは暗に自由をと促すが、妻は全く聞く耳を持たない。
当然、娘を操る権利を独り占め。
以降は彼女の介入する余地などなく、速やかに手続きは済み。
ウイユはとんとん拍子で、外へ出された。
青空の下に出る。
紺色のブレザーをしっかりと着込む。
ホワイトシャツが胸元を押し上げ、リボンタイが垂れる。
ウイユは大きなカバンを持って、小股で歩き出した。
鉄道へ乗り込む。
鉄の箱が走り出した。
ガタンゴトン。
流れる車窓に、ガラスに暗髪を垂らした横顔が映り込む。淡々と続く景色と自分を重ね合わせた。
まさしくレールの上の人生。
頭に浮かんだのは両親の顔。
彼らはただ思い通りの人生を子どもに歩んでほしいだけ。
その成果がこれだとすると、素直に喜べない。
ウイユはなんともいえない気持ちで一点を見つめ続けた。
目的地で降りると、市街地だった。
四方を高い壁で囲まれ、防御は完璧。
古風な外観で統一された街並みは寒色と銀を用いているせいか、冷たい印象を受ける。
普段は高原地帯だけがおのれの世界だったが、いざ政の中心に躍り出ると、意識してしまう。
《ルイン》
現在ウイユが暮らしている国だ。
都の名はロワ・グロワール。
大通りをまっすぐに進むと、校舎が見えてきた。ピカピカとした、端正な形だ。
生徒玄関から渡り殿を経て、体育館に足を運んだ。
入学式。
同じ格好をした男女が整列し、ステージを見つめる。
新入生、すなわちAクラスのメンバーだ。
目立つ位置には大人たちが入れ替わり立ち代わり、祝辞を述べては去っていった。
クラスを請け負う教師からの言葉を聞き流す中、周りはそわそわとしている。
「あれもしかして」
「まさか」
眼をきらめかせる女子たち。
「本日はいずこよりいらしたんですか?」
「神獣にまたがっていらしたり?」
中心に向かって質問を投げかける様をスルーする。
式が終わり、教室に通される。
内部もまたきれいだった。
席順はランダムらしい。
台の奥に立つ女性はスレンダーな長身だった。
細身のスーツを隙もなく着こなし、大人の風格が漂う。
「ようこそ、王立聖ジュエル学園に。ここは原石を掘り出す学び舎。小鳥が通達を届けにきたでしょう? 君たちこそが未来の宝石です」
硬い目つきで全体をなめるように見渡し、真面目に語る。
まずは自己紹介から。
ちなみに先ほど教師も名乗ったが、ウイユは聞き逃した。
ローズともロゼとも違うが薔薇を連想し、華やかさに硬質さと棘が混じっていた記憶が、かろうじてある。
おそらく一生、覚えられない。
最初に一人の少女が席を立つ。
まっすぐに伸びたプリーツスカートを揺らし、朱色の頭が動く。
息を吸い上げる肩で、二つに分けた毛先が跳ねた。
「あたし、エレナっていいます。エレナ・エグランティエ。ダンスとかおしゃれとか、大好きです。みんなで学校生活を盛り上げていきましょう!」
ぱっちりと開いた大きな目は、華やかなまつ毛に彩られていた。
正面を向いたまま、まっすぐに澄み切っている。
かわいらしい外見の割にアルト音域と低めの声、清らかでさっぱりとした雰囲気だった。
さくらんぼ色の唇で、キラキラと笑う。
襟元で蝶々結びになったリボンが、彼女のために設えられたと感じるほど、よく似合っていた。
男子生徒が鼻の下を伸ばす一方、無関心そうな男子がいる。
ウイユから見て一つ隣の席の彼だった。
ちらりと横を見る間に、次の自己紹介へと移る。
あわてて前を向いた。
席を立ったのは明らかに一般人ではない雰囲気の男子で、石膏じみた肌から光のオーラを放つ。
純白の短めの髪を刈り上げ、センター分けに。
ブレザーをびしっと着こなし、まっすぐに立つ。澄んだ青い瞳で黒板を見据える。
口を開く前から皆が注目し、張り詰めた静寂が垂れ込んだ。
「ハイラム・シャロン・ルイン。有望なる原石たちと共に歩んでいけることを光栄に思います。共に国の未来のため、歩んでいきましょう」
クールに言い、着席した。
教室がざわめく。
「ルイン。やっぱり」
「王子様。本物だわ」
「第何王子だっけ」
「実は初めて見るんだけど」
ノイズが止まぬ中、次の生徒が起立し、何事もなかったかのように話し出した。
順調に進み、自分の番が近づく。
心拍数の上昇を自覚しながらも、なんとか頭の中で文章を練る。
大丈夫だ。
シンプルに自分のことを伝えればいい。
自分に言い聞かせながらも体が熱くなり、じわっと汗が滲む。
前の席の相手が座った。
ウイユはぎこちない動きで立ち上がり、深く息を吸い込み、うつむきながら口を開いた。
「ウイユ・ディギルです。特技は、えーと……。鳥とか、好きです。よろしくお願いします」
口にして恥ずかしさがこみ上げる。
潔く着席し、縮こまる。
いっぱいいっぱいになっている間に、隣でイスをギギギ……と引く音。
さらに隣の席の男子が立ち上がる。
小柄で、少年という呼称がしっくりきた。
大して特徴のない顔の、どこにでもいそうな相手なのに、なぜか目を引く。
瞳のせい? 目だけに。
不透明で、見えないなにかを、見つめるような。
悟ったような不思議な雰囲気と、オーラを感じる。
「放任主義で自由にやらせてくれるからここに来ました。あと、冒険が好きなやつは俺のところに――別に来なくていいよ。以上」
一息に言い切り、イスに戻る。
「あ、俺の名前はアルフ・ミュルクヴィズです」




