菅野涼の追憶20 バスタオルに包まれて
心地良い微睡からぼんやりと目を覚まし、滲む視界であたりを見回す。
まず目に入った時計の針は10時を少し回っていた。その後、首を回して辺りを見ると既に営業時間は終わっているため、談話室に残っているのは私だけの様だ。
マッサージチェアで寝ていた私の上には何時の間にか、あの時と同じように柔らかいバスタオルが2枚乗せられていた。
そのバスタオルの端を握りつつ、思わず出てきた欠伸を嚙み殺す。滲み直す視界を取り戻すために、反対の掌でそれを拭い去る。
「あ、起きたのかい」
するとフロントの方から声が聞こえてくる。首を回してそちらを向くと、首にはタオルを掛け、汗の浮いたランニングシャツ、短パン姿のかなめが立っていた。少しだけ体を起こすと、胸のあたりまで乗っていたバスタオルが二つに折れて、膝のあたりにはらりと落ちた。
「……全く、そこで寝てるから死ぬほどびっくりしたんだけど。何で今日は女湯で流しが無いのかの理由がようやくわかったよ。なんかみんなニヤニヤして俺のこと見てたし」
何時もの困ったような笑顔を浮かべながら、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
「……どうした?のぼせて休んでいたの?」
かなめは黙っている私を見てか、心配そうに覗き込み声を掛けてくる。まぁ、その心配は杞憂なのだが、ある意味では当たっている。でも私はゆっくりと首を振り、否定の意を示しておく。
「何か元気無さそうだけどお腹減ったのかい?」
「……私は子供か」
「あ、漸く喋った」
「……む。別に喋りたくない訳じゃないよ?いつでもお腹減ったわけじゃないもん」
「そっか。それならいいんだ。でもいい時間だし、そろそろお腹減ったんじゃない?」
「……そう言われたらそうかも。帰ったら一緒にご飯食べたいかな」
「そうだね。もうおかみさんの所も閉まってるから適当に何か作るよ」
「うん。ありがと」
あんたを見ていただけで、別に喋りたくない訳では無かったのだ。そう伝えるのは何となく気恥しいので、何となくかなめの言葉に乗せられた体で口を開いておく。そう、何ともない感じで。
「……とりあえず仕事終わらせてくるから、フルーツ牛乳でも飲みながらもう少し待っててね。11時前には終わると思うから」
「うん。頑張って」
「ありがと。涼の顔見れたから幾らでも頑張れるよ。……じゃあこれでも飲んでてね」
かなめは冷蔵ショーケースからフルーツ牛乳を取り出し私に手渡した後、番台にポケットから硬貨を取り出して置いて行く。一度此方を振り向いた後で、男湯の脱衣所の方へ消えて行った。キャップは既に取ってくれていた。
それを見届け、体の力を抜いてマッサージチェアに背中を預ける。テーブルに冷たいフルーツ牛乳をゆっくりと置いた後、バスタオルの端を両手でつかみ頭の上まで被せる。誰も見ていないことは分っているが、私の顔は多分真っ赤になっている事だろう。
仕事をしている、職人としてのかなめが見たくて来たこのふじの湯。まぁ、当たり前ではあるのだが、随分とあっさりと見れてしまった。多少、迷惑だろうことはわかっていたのだが、夢で何時ものアレを見たことと、仕事終わりのアレで、テンションがアレしてしまったのだ。でも反省はしていない。一秒でも早く逢いたくなったのは本当だから。
深呼吸を一度して、手を伸ばしてフルーツ牛乳を探ってみると指先に冷たさを感じたので、それをゆっくりと握る。そろそろと手をバスタオルの中に引き入れて、瓶の縁に口づけるとそれを一気に呷る。
懐かしさを感じる甘酸っぱい味が咥内に広がり、それをごくりと飲み干す。乾いた喉が潤いを取り戻し息を吐く。それを三回繰り返すと、瓶の中身は空になる。
「……モブ顔のくせに何カッコいいこと言ってんだ。ばか」
バスタオルの中で私は小さく呟いた。
もう少しだけ、バスタオルは剥がせそうには無い。
随分と間が空いてしまいました。




