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菅野涼の追憶6 泡と湯気とインスピレーション

 水滴の音を聞きながら瞼の裏に映るのは、今はもう存在しない私の部屋。短い芸大生であったときに借りていたワンルームマンションの記憶だ。

 そこで私はいつも通りにデッサンを行っている。何を書いているのかは思い出せないが、何時もであればそこらへんにあるものをただひたすらに描いていたはずだ。コップやペン、本やテレビ等の目に映るもの全てを書きまくる一寸頭のおかしい女が私だった。

 食事はゼリー飲料とブドウ糖。今考えてもアホの極みだ。その残骸があちこちに転がっている。そんなものばかりを摂取しているため、貧相な身体つきと言うよりは鶏ガラと言った方がしっくりくるのではないのだろうか。三日に一回ほどしか風呂にも入っていないため、何とも小汚い格好だ。何時もの事ながら、女を捨てきっている。今考えても修行僧とか修道者とかの部類に入っているのではないだろうか。

 何故そんなことをしているのだろうか?と思う人もいるだろうが、答えは何も考えていない、である。ただ、やりたいことも他に出来ることも無いので、機械のようにルーティンワークを繰り返し続けているだけだ。


 言い寄られ、煽てられ、馬鹿みたいに浮かれて、初めて付き合っていたつもりの男に捨てられて。自主退学をしたものの、どうしていいか分からずテンパっている。

 正直な所、昔の自分の事ながら見ていられない。この後は結局このワンルームマンションを引き払って実家に戻り、暫くの間引きこもり生活を送ることになるのだが、この光景はその少し前の物だろう。そして、それを許してくれた両親には本当に頭が上がらない。


 目を開くと既にドリップは終わっていた。細かい泡を残すフィルターに残るコーヒー豆は優し気に湯気を立てている。


「あー、とりあえずコーヒーよな」


 私は紙フィルターを持ち上げてシンクのごみ捨てに入れた後、マグカップのコーヒーを一口飲んでからちゃぶ台の前に胡坐をかいて座り込む。湯気を立てるコーヒーをもう一度口に含むと、まずまずの出来に一安心。さっきの一口は熱すぎて味が分からなかった。


「んー、最近は見なかったのにな」


 マグカップのコーヒーに息を吹きかけながらそう独り言を漏らしてみる。


「ま、取り敢えずは仕事を片付けなきゃねぇ」


 少し温度が下がったコーヒーをゆっくりと飲み干してゆく。鼻から抜けるコーヒーの香りが気持ちを落ち着かせてくれる。これならもう少し集中できそうな気がしてくる。


「……してくるんだけど、今はお腹いっぱいだねぇ」


 空腹の状態から一気に満腹になった影響か、私は何となく眠気を感じ始めている。怠惰を司る私の中の悪魔がベッドでひと眠りしようぜと、天使と肩を組んで誘っていた。多分、この休暇を取るために詰め込んだ仕事の影響が出ているのだろう。流石に10日ほど休まずに働いたのは拙かったのかもしれない。


「……一時間だけお昼寝するか」


 マグカップの底に残った冷たいコーヒーの雫を飲み干してから、ベッドへと潜り込む。ひんやりとしているマットレスと毛布に挟まれ、私は目を閉じる。脳裏に浮かべるのは先程までの構図。でも、急激に訪れる睡魔でその構図が歪んでゆく。そして歪んだ線がインスピレーション刺激して、新しい構図が生まれては消えてゆく。その先に、何かが見えたような気がした。

食後のコーヒーは至高

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