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菅野涼の追憶4 布団の中から出たくない

「ご飯作っておいたからちゃんと温めてから食べるんだよ。どうしても足りなかったらおかみさんの食堂で何か食べてね。じゃあ仕事に行ってくるからね」


 とんとんと肩を叩かれて寝覚めると、コートを着込んだかなめが膝をついて私の顔を覗き込んでいた。どうやら今日は盛大に寝坊をしてしまったようだ。折角組んできたスケジュールが吹っ飛んでしまったことは、寝惚けた頭でも十分に理解が出来る。


「……もうこんな時間になってるじゃん。起こしてくれて良かったのに」


 時計を見てみれば短針は既に1の数字を少し過ぎている。思わず口から洩れてしまった言葉は仕方がない事だろう。今日の予定は「このベッドを新しいものに変えるためにアーケードを見て回る」だったのだから。


「随分とぐっすり眠っていたからさ。寝顔が可愛くてつい起こせなかった」

「……あんたはまたそう言う恥ずかしいことを言う……。前はそうじゃなかったのに」

「もう我慢することも無くなったからね。二人きりの時には幾らだって言えるよ」


 そう言ってかなめは少しだけ恥ずかしそうに言う。起掛けにこの男はなんてことを言うのだ。行かせたくなくなってしまうだろうに。


「じゃあもっと言って」


 でも、《《そうだと》》分かっていても言葉にされることで伝わることは多い。口にしないで後で後悔するよりはよっぽど良い。私の言葉にかなめは苦笑した後、私の顔ではなく、枕のあたりに視線を動かして目を逸らす。


「大好きだよ、涼。……こんな感じでよろしいでしょうか?」


 よく見るとかなめの顔が少し赤くなっている。そこで私の目を見つめて、真顔で言えるならばヘタレの名は返上出来るのであろうが、なかなか染みついた性根と言うのは変わらないらしい。ちゃんと弄り回したくなる可愛いところが残っているようで非常に満足である。

 気分が良くなった私は思わず気持ち悪い位の笑顔になっているのだろう。口角のあたりの乾いたよだれの跡がひび割れる感覚があった。


「いい子で待ってるからお土産を期待してるね」

「……いい子って年かなぁ?」

「何だって?聞こえなかったからもう一回」

「よだれの跡酷いからちゃんと顔を洗う事」

「さっきと違うじゃん」


 口を尖らせる私の口元をかなめは袖で少し拭うと、ゆっくりとキスをしてくれる。このまま離したくなくて、私は両腕を回そうとすると絶妙なタイミングでするりとその唇が離れてしまう。


「もうそろそろ行かなきゃ。良い子で待ってるんだよ」


 行き場を無くしたこの私の腕はどうしてくれるのだ。かなめのあほ。


「だっこして」

「仕事に行きたくなくなるから帰ってきてからね」

「あほ。いじわる」

「やっぱり子供かもしれんな……」


 困ったような笑顔を作って立ち上がったかなめは私の頭を一撫でして玄関へと向かってゆく。


「今日も寒いみたいだから暖かくしておくんだよ。ちゃんと服は着替えて洗濯機に入れといてよ。食器は水につけとくだけでも良いからね。多分11時頃には帰れると思うから、お腹がすいたら戸棚の袋ラーメンでも食べててね」

「はーい」


 玄関に繋がるドアを開けたまま、かなめは靴を履きながらまるでおかんの様な事を口にする。部屋に入ってきた冷気に、思わず宙ぶらりんだった両腕を暖かい布団の中に戻す。


「いってらっしゃい」

「いってきます」


 そうしてから、かなめの背中に声を掛けると一度振り返り私に笑顔を向けた後ドアを閉める。その後もう一度玄関のドアが開く音がした後、押し込むようにして閉められる音がする。それから鍵がかかる音がして、私は一人ぽっちになった。


「……ひとりぽっちって。あたしも随分と変わったねぇ」


 思わず浮かんだ言葉に自分でツッコミを入れる。


「仕方がない。私もちゃんと仕事もしなきゃね」


 途端に広く感じてしまう小さな部屋に気づかなかった振りをするように、私はそう独り言ちた後で布団を捲ってみるが、やはり寒い。捲った布団を元通りに戻してしまう。


「うーん。もう少しこのままでいよう。あと十分だけ……」


 かなめの匂いがする枕を抱きしめ、私はもう少しだけ惰眠を貪る決意を固めた。

今年も名曲を聴く季節がやってまいりました。

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