三助「大久保かなめ」 旅路は天使ちゃんと一緒に
新千歳空港の7番ゲートを進むと、私の乗る旅客機が徐々に近づいてくる。
足元のボーディングブリッジが、私の靴のかかとで無機質で固い音を立てていた。
日本人らしい間隔を開けつつも、足早に何処かへと向かう他人たちが私を追い抜いて行く。
彼らは何処へ向かうのだろうか。家に?仕事へ?それとも旅行?
彼らは誰と会うのだろうか。家族や友人?仕事でのお付き合い?それとも恋人?
頬を伝う涙が顎を伝い、ボーディングブリッジに落ちる。その涙は、無機質で固い音は立てずに、小さな染みを産み出して直ぐに見えなくなる。涙を拭こうとすると、つけていたことを忘れていた眼鏡に手が当たり、はずみで顔からつるが外れ床に転がってしまう。
慌ててしゃがみ込み眼鏡を拾おうとすると、突然しゃがみこんだ私に後ろから誰かがぶつかった。
「あ、ごめんなさい!」
少しだけ体勢が崩れるが、聞こえて来たのはソプラノボイス。少し顔を上げてみると、小学生になる前位の可愛い女の子が両手を合わせたのが見えた。両親らしき2人に小言を言われながらも、希望に満ちた溢れた良い笑顔で。その奥さんにも頭を下げられた後、私を追い越し曲がり角で直ぐに見えなくなった。
よし、今の子は天使ちゃんと名付けてあげよう。
私の中での名づけが終わってから眼鏡を拾い立ち上がり、コートのポケットに適当に突っ込む。ガラス張りの通路からロビーを眺めるとそれらしい人影を見かけたので手を振ってみると、それらしい人影が即座に反応して手を振り返してくる。
私は少し嬉しくなって、頬を伝う涙の発生源を手で拭い、もう一度大きく腕を振る。ガラス越しの向こうでも、大きく腕を振る人影が見えた。そしてその後は、飛行機の方に向かうようにジェスチャーを必死に行っている。間違いなくかなめだろう。私の事を実に良く分かっている。そうでもされなければ、きっと飛行機が飛び去っても同じことをしているだろうから。もしかすると、ロビーの方へと戻ってしまっているかもしれない。
でもその行動は一寸頂けないな私のかなめくん。私は君の姿を一秒でも長く見ていたいのだから。まったく、女心という物を理解していない奴だ。
とは言え、社会的には年末の混雑したボーディングブリッジで突然立ち止まり、腕を振り回す奴というのは敬遠されるらしく、割と分かりやすい位の距離を開けられて人の流れが出来上がっていた。うむ。実に人様に迷惑をかけている。
仕方なく、渋々と言った感じで私も先へ進んでゆく。そうすると、やはり先ほど拭ったはずの発生源から、涙が溢れて頬を伝ってくる。ああ、なんということだ。悲劇のヒロインは、主人公のジェスチャーによって魔物の口へと歩を進めさせられているのだ。……何かピクミンみたいだな、私。その内めっちゃ増えてやる。
旅客機の中に入り搭乗券に掛かれている座席を見つけると、まるで冗談みたいに隣には天使ちゃんが座っていた。
「さっきのおねいちゃん!」
「さっきの天使ちゃん!隣失礼するねー。親御さんも失礼しますねー」
軽い挨拶をすると、天使ちゃんのご両親は人の良さそうな笑顔で頭を下げてくれる。リュックを収納棚に押し込んだ後、指定の席に座る。
「さっきはぶつかってごめんね」
「いやいや、眼鏡落としてさ。突然しゃがみこんだ私が悪いの。天使ちゃんもケガしなかった?」
「ぜんぜんへーき」
「流石天使ちゃん!」
突然距離を縮めまくっている私たち二人に、ご両親は微笑ましいものでも見る様な笑顔を浮かべている。ああ。いいな。これは、良い。
「はい、ハンカチかしてあげる」
「ええ?ありがとう?」
「おねいちゃんないてるよ。わらってるけど。へんなの」
「あ、ホントだ。じゃあ遠慮しないで貸してもらうかな。鼻かんじゃだめ?」
「それはだめ!ティッシュあげるから!」
「冗談だってば。ティッシュくらい持ってないと思う?」
「うん」
「まじかー」
花柄の、子供の甘い匂いがする小さいハンカチを貸してもらい、遠慮なくまだまだ溢れてくる涙を拭っていると、天使ちゃんは心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
「なんでないてるの?」
「これはねー。悪い彼氏に泣かされたんだー」
「えー!おねいちゃんびじんなのになかすやついるの!?」
「あいつ、かなめは本当に悪い奴なんだ。直ぐに私の事泣かせるの」
「そんなのわかれちゃえばいいのに!」
「それが難しいのよ。かなめはねぇ、馬鹿でヘタレだけど、時々私が本当に欲しいものをくれるのよ」
「じゃあわかれないの?」
「そう。絶対に別れさせてあげないの」
「えええ。おねいさんのほうがつよいんですか?」
どうやら私が浮かべた笑顔の所為で、天使ちゃんの言葉遣いが少し丁寧になる。
「勿論。私の方が強いの。かなめはよわよわだからね」
「おおお。わたしもおねいさんみたいにきれいでつよくなる!」
「天使ちゃんは天使ちゃんのままで良いの。可愛いから」
「ありがとう!……でもおねいさんのほうがつよいのになかされちゃうこともあるんだ?」
「そう。泣かされちゃうこともあるんだよ」
「どんなとき?」
「一番は一緒にいたいのにいられないことかなぁ」
「もしかしてえんれん!?やばい!ドラマみたい!」
「そうなの。今日だってクリスマスなのに仕事で離れ離れになってしまうの。可哀想な私」
「うわぁ。それはなくかも。おねいさんかなめのことすきなの?」
「うん。大好き。今からでも飛行機降りたい」
「だめだって!あぶないって!とびはじめたって!」
そんなに必死にならなくても良いのにと思うが、天使ちゃんの口調は本気だった。気付けば旅客機は離陸を始めている。窓際の席ではないため空港は見えない。
「またないてる!ちゃんとふいて!」
「はーい」
「びじんがだいなし!はなみずでてる!はいティッシュ!」
「ありがと。天使ちゃん」
ポケットを探るよりも早く差し出されたティッシュを頂戴すると、鼻水をかむ。
「びじんにもどった。パパがめっちゃみてるからママにあしふまれてる」
すっきりしたところで、天使ちゃんは声を潜めてご両親の状況をこっそりと教えてくれた。
「美人は罪深いのだよ天使ちゃん。だからパパのことを許してあげるんだよ?」
「わかった。でもー、かなめがそうしたらどうするの?」
「絶対に許さない」
「うわぁ……。やばいかおしてる」
「天使ちゃんにもあげない」
「イケメンなの?」
「いや、モブ顔」
「えー。イケメンじゃないならいらない」
「そう。だから取ったらダメ」
「どんなかおしてるのかきになるなぁ」
「あ、じゃあ書いてあげる」
私はそう言うと、コートの内ポケットに入っているA5サイズのメモ帳と短くなった鉛筆を取り出すと、あの日の夜に見たかなめの寝顔を簡単に描いて行く。
「うおお!おねいさんマンガか?すごいうまい!」
「私はね。ペンキ絵師」
「ぺんきえし?」
「そう。私はペンキ絵師」
揺れる旅客機の中で、瞼の裏に鮮明に残るかなめの寝顔を描きあげる。
「すご!うま!でもそんなにかっこよくない!」
「でしょう?べつに顔は良くないよね」
かなめの良いところはそこじゃない。それは私だけが知っていれば良い事だ。誰にも教えてあげない。少し頼りないその声も、優しく震えるあの手も。
「でも、なんでねてるの?」
「それは私へのクリスマスプレゼントだったからなんだよ」
「よくわからない」
「天使ちゃんも大きくなったらわかるよ」
そう言って私は一度目を閉じて、瞼の裏に残るかなめの顔をゆっくりと筆先でなぞってゆく。ああ。会いたい。今すぐにでも。だから頑張ろう。あなたに逢うために。泣いている時間なんて、勿体ない。
「ああ、そうだ。折角だから天使ちゃんも書いてあげる。良ければ親御さんも一緒にどうです?」
私の所為で少しだけ険悪になりそうなムードのご両親へ向かって、サービスも兼ねてそう言った。さぁ。エンジンを掛けろ。最初から最高速で突っ走れ。
「……これは凄い。折角なのでお願いしてみても?」
営業用に幾つかスケッチを書いてあるメモ帳を、ぱらぱらとめくって見せると、旦那さんが感嘆の声を上げた。
「ええ。お騒がせしているお礼にでも。スケッチブックではありませんから直ぐに描きあがりますよ。」
「おねいちゃんありがとう!こんなのどう?」
既にノリノリでおすまし顔やポーズを取る天使ちゃん。
「娘も喜んでくれているので有難く」
奥さんも満更では無さそうだ。ほんの少しだけ美人に書いてあげるとしよう。
「では簡単ですが」
コートのポケットから取り出したメガネを掛け、小さなメモ帳に鉛筆を走らせ始めた時には、既に涙は止まっていた。
これにて第二幕は終了です。
ヒロインの涼の事を皆様は受け入れてくれているでしょうか?もしよろしければご感想など頂ければ非常に嬉しいです。
この後は幕間を挟んで第三幕が始まります。




