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三助「大久保かなめ」12 向日葵

 恐ろしいことに鳳梨館を出てから直ぐに昼食となった。

 あの華奢な体のどこに収まっているのだろうか。涼が注文したラーメンと炒飯とワンタンスープはいつの間にか彼女の胃袋に収まり、ほぼ食欲がない俺はおやつ程度の感覚で餃子を頼んだ。何だか涼に睨まれた気もしたが、気が付けば半分ほど食べられていた。何時もと違う味の気がしたが、クリスマス時期だからだろうか?


 店を出ると、空から細かい雪が降ってきていた。相変わらず太陽は出ているが、少し雪雲が流れて来たらしい。向かいに見えるふじの湯の正面玄関は除雪がされており、すっきりとしていた。


「あ」


 それを見て、ふと声が出てしまう。


「どうしたの?」


 涼がその声に反応し、声を掛けてくる。


「いや、昨日は天気が悪くてふじの湯を早めに閉めたんだ。どうなってるか中を少し見てみようかと思ってさ。少しだけいい?」

「勿論。昨日は吹雪酷かったからね。早めに閉めて正解でしょ」

「うん。菊さんの判断だったんだけどね。そういうことはまだまだ出来そうにもないなぁ」

「まぁ、年季が違うよ。年季が」

「そう言われるとね。頑張らないとなぁ」


 二人で向かいのふじの湯へと向かう。道を一本挟んで直ぐに到着。コートのポケットからシャッターの鍵を取り出して鍵穴へ入れる。シャッターに手を掛け、一気に引き上げてから、玄関の鍵も開けてからふと思う。


 営業時間外に涼を入れるのはありだろうか?これは公私混同?

 いやいや。うちのふじの湯の自慢のペンキ絵を書いてくれた立派な関係者じゃないか。うん。問題ないだろう。ついでに絵の状態を見てもらうとしよう。


「どうしたの?」

「いや、ふとした考え事。解消したから大丈夫。寒いから中に入ろう」


 俺はそう言ってふじの湯の扉を開ける。涼は寒かったのだろう、小走りで受付に上がり休憩室の方へと入って行った。その背中を追って俺も休憩室があるようへと歩いて行く。

 暖房が聞いていない休憩室は特に暖かくはないが、流石に屋外と比べると一息つける雰囲気だった。涼はあの時のように談話室のソファーに座り込み、手袋を脱いだ手に息を吹きかけていた。


「ああ。婿さんが片付けてくれたのか」


 受付や談話室の様子を見る限り、有難い事に直ぐに営業が出来るくらいには簡単な清掃が行われていた。あの日菊さんを迎えに来てくれた娘婿さん、つまり社長の計らいだろう。雪かきの跡があったことからある程度は想像していたが、有難い事だ。

 番台の現金や帳簿などはしっかりと確認された形跡があり、これであれば明日の営業は何時も通りの時間で大丈夫だろう。涼のことを送ることが出来るのが嬉しく、スマホで婿さんに感謝の言葉を送信する。


「こっちは大丈夫そうだから一寸向こう側も見てくるよ」

「あ、じゃあ私も行こうかな。絵の状態も見てみたくて」

「……うん。宜しくお願いします」


 既読のつかないメッセージを確認して苦笑した後で脱衣場の方へと向かおうとすると、涼はソファーから立ち上がり後についてくる。言葉を交わさずとも同じだった思いとその言葉が嬉しく、頼もしかった。番台から管理用の鍵束を手に取り、まずは男湯の脱衣室に入ると、こちらも簡単に清掃が行われている。周りを見回してから浴場へと足を進める。

 ガラガラと後を立てる横開きの摺りガラスドアを開けると、直ぐに涼が書いたペンキ絵の富士の絵が目に飛び込んでくる。


 浴槽がある奥の壁の一面に描かれたそれは、青空に霞のように薄い雲がかかり、その隙間から雄大な、皆が想像する通りの富士山。そのすそ野には松の木が立ち並んでいるところまでは良くある銭湯のペンキ絵のそれとよく似ている。

 そこに、涼の好きな向日葵が一面に咲き乱れていた。


 どうやら涼が旅をしていた時に目にした光景らしく、詳しいことは忘れたと言っていたが、心に焼き付いていたらしい。花びらの一枚一枚までもが繊細に描かれていて、偏執的とも言えるほどのそれは、何度見ても思わず息をのんでしまう。毎日のようにそれを洗っている俺が言うのだから間違いない。勿論、常連さんからの評判も最高だ。


「……ああ。やっぱり今見るとまだまだだなぁ」

 

 脱衣室から涼の声が聞こえる。


「ええ?そんなことないよ。皆この絵を見て生き返るって言ってるよ」


 俺は思わず振り返り、難しい顔をしている涼へ常連さんの言葉をそのまま伝える。


「あの時はまだペンキ絵をやり始めたばかりだったからね。必死だったのさ。それなりに見られる絵になっているとは思うけど、今見てみると気になる部分が沢山あるよ」

「そうなの?絵のことは分らないから全然気が付かないけど。好きだよこの絵も」

「……そういう事言う?」

「勿論。本心だし」


 よくわからないが、芸術家は自分の作品の事を子供のように思うこともあるという。そんな作品をストレートに誉めた所為か、やや照れたように反論されるも気にせずに追撃を行う。


「また恥ずかしいことを堂々と言う。それが何でいつもできないのさ」

「だってこれは恥ずかしい事じゃないから」

「それが恥ずかしいって言ってんの」

「そうかなぁ」


 少しだけやり込めることが出来た所為で、思わず笑みが零れた。


「でもやっぱりさ、今の私の絵だって見て欲しいと思うわけよ」

「……もうこの絵を書いてもらってから一年が経ちそうになるのか」

「そう。ここでかなめと出会ってから一年になるんだね」

「初めて出会ったときは酷い格好してたな」

「まぁ、食べるのも苦労してたくらいだからね」

「よくあんな生活してたよね。あの後も暫くそうだったんでしょ?」

「そうそう。でもさ、あの後はやりたいことが出来たから」


 お互いにあの日の事を思い出しているのだろう。


「連絡先も交換してなかったのにまた来てくれた時には一寸感動しちゃった」

「私は何処に行けばいいか分かってたからね」

「それはそうだ」


 あの後、涼は何を見て何をしてきたのだろう。気にはなるけれども、このペンキ絵を見れば聞く必要は無かった。


「それじゃあ今度は向こう側の確認に行こうか」

向日葵が好きです。

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