幕間
初夏を迎えた北海道。春を告げる若草色を頼りなげに揺らしていた木々たちは、降り注ぐ日差しを浴びて力強さを増し、萌葱色を纏うその腕を空に向け広げていた。
その玄関口である新千歳空港から電車で一時間程の郊外にある、夏の昼下がりの田舎町。
その中心部のアーケード街からやや外れた場所にある食事処。住民からは「食堂」と親しみを込めて呼ばれており、正式名称で呼ばれることはまず無かった。
初老を迎える夫婦が営む昔ながらの「食堂」の破れかかったのぼりには、中華料理の文字を読み取ることが出来る。
ただ、一階の店舗に繁盛時を過ぎても所せましと詰め寄せる、お客たちのテーブルにはラーメンや餃子、麻婆豆腐などの鉄板メニューが並ぶ他、トーストやサンドイッチなどの軽食も並んでおり、混沌とした芳醇な香りが充満している。
おやじさんが厨房で鍋を振るい、おかみさんが愛想のよい振る舞いでキッチンとテーブルの間を行き来する。そんな時間が暫く経過し、客の姿もまばらになってきたころに常連の男がやって来る。
何時もの壁沿いのテーブルへと向かい、椅子に座るとおかみさんが置いて行った水の入ったグラスを口に含み、スマートフォンを何度か見た後、頬杖を突きぼんやりとしている。
おかみさんはそれを見て何故かニヤニヤしながら、注文を取らずにチラチラと店の入り口を確認していた。
5分ほどの時間が経っただろうか。店に残る客は、壁側の席に座る男と今支払いをしている中年男性だけだった。
程なくして中年男性の背におかみさんが「有難う御座いました」と声を掛けるのと同時に、一人の女が店に入ってくる。
頭にはベースキャップをかぶり、その間からは綺麗なストレートの黒髪が背中のあたりまで流れている。整った眉目に少し肉厚な唇、けれども化粧っけのないその顔は手放しに美人と言えるだろう。スレンダーな身体の服装はデニムのジャケットに破けたジーンズ、随分とカラフルな汚れが付いた潰れたハイカットのスニーカーというラフな格好だった。後ろ手に引く大型のユーラシアトランクが後に続いて店の中に入ってきた。
女はおかみさんを見ると楽しそうに世間話を始め、何時まで経っても終わらないその様子に、おやじさんが厨房で喉を鳴らす。
途端に向けられた4つの瞳から逃げる様に、親父さんは二階へと上がって行った。
その後は暫くおかみさんがおやじさんのあれやこれやを愚痴っていたが、ふと気が付いたかのように大きく手を叩き、男が座るテーブルを指さした。
女は男に手を振ると大股で近づいて行き、向かいの椅子へどっかりと座りこんだ。おかみさんはその間に店の暖簾を下ろしていた。
店の中には暫くの間男女の談笑の声と、テレビから流れる再放送の昼メロの音だけが聞こえていたが、頃合いを見計らい注文を取りに来たおかみさんに男は短く、女は長々しいメニューを伝える。
呆れたように溜息を吐く男。嬉しそうにニコニコした女。ニヤニヤしたおかみさん。
厨房に戻ったおかみさんが大声で二階にメニューを伝えると、暫くしておやじさんが階段から降りて来た。手早く注文された料理を作り上げると再び2階へ戻って行った。
男の前には塩ラーメンが並べられ、女の前には始めは生姜炒め(山盛り)、次はワンタンスープ(ラーメンどんぶりの)、大盛りのライス(ラーメンどんぶりの)、エビチリ(大皿)が並べられる。
フードファイトを連想させるその量は、いともたやすくそのスレンダーな女の胃袋の中へと消えていった。空になった食器は二人の邪魔にならない絶妙なタイミングでおかみさんが影もなく片付けてゆく。
食事を終えた二人の前に、おかみさんが食後のコーヒーを並べてゆく。
それを飲みながら、百面相の如く表情を変える二人の談笑を、おかみさんはニヤニヤしながら眺めていた。時々腕を振ったり、こぶしを固く握りしめたり、肩を落として溜息を吐いたり、とにかく仕事以上に忙しそうだった。テレビの電源はいつの間にか落とされていた。
コーヒーを飲み終わった二人は支払いを済ませると、店を出てゆく。おかみさんは二人の背中が見えなくなるまで外で見送った後、熱い息を吐いて店内へと戻ってくる。
おかみさんにとってあの二人は所謂「推し」であった。
おかみさんは壁際の席に残る二つのコーヒーカップを眺めるたびに、ニヤニヤとしてしまう。
コーヒーカップの片側に、薄い口紅の跡が残るのは二人がこの店で待ち合わせをする時だけなのだ、と。
推し活に年齢は関係なし
やはり三人称の方が書きやすい……




