ペンキ絵師「菅野涼」11 秋の空とスケッチブック
結局、流石にあの大皿に盛られた野菜炒めは流石に多過ぎたらしく、半人前位を残して朝食は終わった。ちなみに白米は残っていない。一寸したホラーだった。
満足そのものの顔をしてソファーの背に体を預ける涼の、そのスレンダーな体のどこにあれだけのご飯が収まっているのか。謎だ。
「じゃあ俺片付けておくから少し休んでなよ」
そう言ってテーブルに並ぶ物を簡単にまとめ、ソファーから立ち上がる。
「ありがと。流石に朝から食べすぎたかも。ホントに美味しかったって伝えておいて」
「だろ?ホントに美味いよな」
常連の店の味を褒められつい嬉しくなった俺は笑顔でそう返すと、涼も親指を立てて笑顔を返してくる。
若干不意打ち気味のその笑顔に顔が熱くなるのを感じたため、これ幸いと玄関へと向かった。
「今日は銭湯休みだから暫くいてもらっても構わないから」
玄関先でそう声を上げた後、俺は返事も聞かずに向かいの食堂へと足を向ける。
見上げてみた秋の空は雲一つなく快晴と言っていいだろう。放射冷却も手伝ってかこの時間は気温が上がっておらずまだ肌寒いが、玄関のひさしで出来た日陰から出ると夏とは違う、柔らかな日差しが気持ち良かった。
「おかみさーん。ごちそうさまでした。少し残っちゃった。あいつもとっても美味しかったって言ってましたよ」
その日差しを堪能する時間もなくお店に着くと、今ではレトロな見た目のすりガラスのドアを横に開ける。店のカウンターの椅子に座わりテレビを見ていたおかみさんが俺に気付き、歩いてきたので持っていた物をお返しした。
「あら。もうほとんど空じゃない。若い子はやっぱり食べれるのねぇ」
「大半は向こうの腹の中ですよ」
「あんなに細いのにねぇ。私の若い頃みたい」
「あー。そうなんですねー。」
「昔から樽だったじゃねぇか」
「何だって?このクソ親父」
何とも答えづらい言葉に苦笑いを浮かべていると、カウンターの向こうで仕込みを始めているおやじさんが軽口を叩き、小気味よい悪態をおかみさんが返す。何時ものこのやり取りが俺は好きだ。
「昼飯はどうすんだい?どうせなら一緒に食いに来な」
それだけで話は終わりとばかりにおやじさんがこちらを見ずに声を掛けてくれる。おかみさんもうんうんとばかりに大きく頷いている。
「向こう次第だけど取り敢えず聞いてみます。ありがとうございました」
そう言って俺は2人に頭を下げると店を出る。生活道路一本を挟んでふじの湯だ。何事もなく玄関を開けて中に入り、俺は思わず足を止めた。
スケッチブックを左手に、随分と短くなったトンボのマークの鉛筆を右手に持った涼が、真剣な顔でソファーに座り静かに絵を描いていたから。
窓から差し込む日差しを浴びたその姿を俺は美しいと思った。
お仕事開始




