桃、二歩下がる
彼は空を旋回し、目を細める。
風に攫われないように、両手で少女をもち、体に添えた。
いい加減彼も学習してきたのだ。
きちんと両手で持ち、隠せば落とさないハズだということに!
ひとり、うむうむと頷く。その間も、彼は山脈を越え、砂漠を見据え、木を見降ろし、空を駆ける。
神は三つの舞台を作られた。
ひとつ。強靭な体をもち、膨大な強い力をもつ竜や魔獣達に。
ひとつ。秀でた知能をもち、魔力が強い妖精達に。
ひとつ。短命で代々と命を繋いでいく人間と動物達に、世界をお与えてくださったそうだ。
その中心に神が御座す、森に覆われている塔があると伝えれらている。
だが現在は、膨大に増えた人間に侵略され、妖精達は一部を除いてどこかに隠れてしまった。幸いにも、ドラゴン達が支配する世界には、生きてたどり着いたものはいないという。
その未知の領域からやすやすと、一人の少女は知らずのうちに抜け出した。
それを自覚している者は、今の所いない。
今後も現れるかは、不明である。
***
人が大勢歩く様子は忙しない。
あの大群は、どこに向かっているのだろうかと不思議になるほど列ができていて、それが流れていく。
街並みの様子を遠目に確認して、彼はピクリと震える。
人が多い場所に来るのは苦手なのだ。避けて通ろう。と心の片隅で反射的に考える。
ドクドクと心臓が忙しなく動く。足が震えそうなほど、妙な感覚を覚え、血の気が引いていく。自分は今、空を飛べているかもわからない。頭がゆらゆらと揺れる。
ここはどこだ。
自分は誰だ。
あれはなんだ。
時間が、まるで彼を置き去りにしたかのように、止まる。
彼の瞳に、暗い影が過ぎり、
「ドラゴンさん?」
声に、ハッとした。
瞬きを繰り返し、ギュッと目を思い切り閉じる。浅く息を吐き出し、やがておそるおそる目を開ける。
何を怖がる必要がある?
ここはアイツ、アルのいる世界だろう。ついでにこの娘もいる。
手のひらをそっと開いた。
「なんだ?」
声は、震えなかっただろうか。
この少女を、怯えさせてはいないだろうか。
不安に瞳が揺れ、尾は低い位置で揺れる。胸の鼓動は、ドクドクと蠢く。
「楽しかったね!」
「……」
瞬きを一回、二回、三回、と繰り返す。
「は?」
タノシカッタ。
何を言っているのだろうか、この娘。
彼は少し首をかしげる。
「真っ暗の中飛行だなんて、なんという恐怖! 絶叫マシーンも顔負けだよ! 貴重な体験になった」
ふふふ、と不気味に笑う少女に怯えながら、彼は内心反論する。
恐怖という時点で楽しくない。楽しくないぞ。
彼はふるふると震えた。
彼がもし、同じ体験をしたらどうだろうか。間違いなく最後は失神するだろう。
暗闇の中、体が揺れ、上も下の理解できなくなる感覚に耐え切れず、やがて絶叫をあげる。そして炎を吐きまくるのだ。
悪夢だ! 怖いのは嫌いなのだ。
「悪かった」
「何が?」
変なドラゴンさんと少女は笑う。不安に駆られながら、彼は穴が空きそうなほど少女をみつめる。
さっきのはわざとではないのか? 悪意が感じられないから、嫌みではないということだろうか。
それとも、気を使っているのだろうか。だが、と彼は首を傾げる。
この少女が、ドラゴンに? よりにもよって、あの、何事も諸共としない少女が? そもそもドラゴンに気を使う人間なんて、いないだろう。
変なのは、おまえだろうに。
彼は、好物の甘いものを食べた後に、それと悟られないように取り繕うような顔をした。
この少女は、ドラゴンが、怖くはないのだ。
変だけど、怖いもの知らずで、いい奴。彼は、少女をそう称し、微笑んだ。
いつも降り立つ、城の陰に隠れた緑の多めの場所に向かう。
風が彼を守るかのように周りを流れ、彼は心地よさそうに目を細める。風の流れに、少女は慌ててドラゴンの指に捕まり、空を見上げた。風達は少女の黒い髪を掬い、楽しそうに流す。
天気の良い日は、なんとも心地よい。
彼は少女をそっと抑えながら、翼を大きく広げ、着地する場所を見据える。そこには、短い金髪を風に遊ばれている彼の友人がいた。
そっと口元に笑みを浮かべる。
この友人は、おそらく迎えに来てくれたのだ。
ほんの少しの瞬間その地で浮き、やがて堂々と、風と共に降り立った。
少女を降ろし、一言。
「アル」
青い瞳でこちらを見上げている友人に声をかける。
「これ、拾った」
「うわあ、良い男」
「やあ、不運な天災」
同時に声を出したらしいことに気付き、彼は目を見張った。
まさかこれは、息が合う、という現象か!?
少女がアルと挨拶を交わす。
その姿を見て、これで、お役目御免なのだろうか? と少し考える。
そのために来たハズなのに、何故か寂しい。
苦く笑った。
あまりにも弱そうな人間の子供に、普通に話しかけて貰えたから、名残惜しいだけだ。
ところで良い男とは、なんだろうか。優しい男性ということか。
中々見る目がある少女だ。双方とも変人だが。
「ラス」
己を呼ぶ声に、応える。
「なんだ」
暗い気持ちを隠してドラゴンは言う。
アルはまた言葉を重ねた。
「人を指差して、拾ったと言うのは、マナー違反じゃないかな」
尾が下に垂れさがった。
確かにその通りだ。いくら自分とは別の種族で小さい生き物だからって、やっていいことと、やってはいけないことがある。少女とて、自尊心が傷つけられたかもしれない。なんて自分は馬鹿なのだろう。彼は心に鉛が置かれたような感覚に囚われる。
その愚かな馬鹿者に、アルは優しく微笑んでいた。
いつもいつもアルには迷惑をかけている。そんな自分が、この場に存在していていいのだろうか。
彼の気持ちを代弁するかのように、尾は地に居座った。
アルはそんな彼に余計な事は言わずに、笑顔で問う。
「そこのお嬢さんはどなたかな?」
根本的な疑問に彼は、はて、どこだっただろうかと考えた。そういえば、よく聞いていない。最初の、神の言葉だと感じた言葉。あれでいいのだろうか。
彼は一応、言ってみた。
「異世界トリップだそうだ」
「意味がわからないね」
速攻で返事を、笑顔全回の表情で返すアルに、彼は困ったなと頬をかく。
自分はそれ以外知らないのだ。
「この女性の名前は、なんていうんだい?」
「……」
女性? そんな生き物はいない。
「は?」
「え?」
同じく間の抜けた返答に、横を見る。
少女だ。
「「あ」」
声が、かさなった。
小さい娘も、女性と呼ぶのか!
知らなかったな、と呆然としながら少女をみつめる。少女も、間の抜けた、唖然とした顔でこちらを見てくる。
やはり、彼女も女性扱いには驚いたのだな。彼は純粋な娘に、ふむふむと感心する。
空気が抜けるような音と共に、突如アルが地に膝をつける。
彼はギョッとして、金髪を凝視した。
「君たち、自己紹介もせずに何しに来たの?」
少女が黒い瞳をまるくして首をかしげる。
「さあ?」
説明していなかったのかと落ち込む間もなく、ひぐっと妙な音がし、アルが沈没した。
可哀想な生き物を見るような心地で、アルを見つめ続ける。
いつからオマエはそんな妙な音を出すようになったと考え、ああ、昔からかと納得する。変な生き物だ。相も変わらず。
「俺はアル。そっちのでかいのがラス。よろしくな?」
「こちらこそ?」
笑う他称王子に、他称未確認生命体は応える。
「私は、さと……やまだはなこです」
彼は首を傾げた。
さとやまだはなこ。そのような響きの名前はごく稀にしか聞いたことがない。
「モブキャラクターになってうはうはしたいという願望の表れを分かりやすく言ってみました。ヒロインと仲よくしたいぜ! いえい! です、よろしく。田中太郎と迷ったけどここは花子で。だってわたしはおんにゃのこ」
彼は額を抑えた。
またか。
目頭が熱くなり、彼は慌てて首を振る。何を言っているのかわからない。言葉は理解できるのに、意味が理解できない。オマエは魔術師かと項垂れる。
これではもはや呪文だ。
「ハナでいいです」
笑顔のハナに、笑顔のアル。
彼は何度も思ったことを、また感じる。
ああ、帰りたい。
そして彼は項垂れる。帰る場所が、大変な惨状になっているのだった。
アルをおそるおそる見つめる。
「アル、頼みがあるんだが」
「なんだい?」
「しばらく俺達を置いてくれ」
「急だね」
アルは呆れたように溜息をつく。
低空飛行すらしなくなった尾は、脱力したかのように固まっていて、まるでただの置物だ。
しばらく観察されるような視線に晒されて、彼は泣きたくなっていることを自覚する。
余計な事、言わなければよかった。
「わかった」
「え」
「王子様の我儘には、皆様慣れていらっしゃるからね? なんとかするよ」
アルは、苦いものを苦いとわかっていてもなお、食べましたというような表情をした。
本当に自分は、重荷にしかならない。
彼は泣きたくなるのをこらえて、体をアルの体系に近くなるまで縮ませた。頭をアルの肩に押し付け、ぐりぐりと動かす。
アルが体を揺らして、彼の背を軽く叩いた。
なにが起きても、自分はアルの味方でありたい。
それが、せめてもの償いだろう。
「はああああああ!?」
少女の絶叫に、彼は何事かと動揺し、本気で泣きだした。
お気に入り登録や評価をしてくださった方、ありがとうございます!!
嬉しすぎるせいか、調子に乗ってしまいそうで怖いです(笑)
読んでくださる方ももちろん、ありがたいです!
と、この場でお礼の言葉を挟みました。




